37.クライヴの疑念
「くそ、くそ、くそ、僕の、作った薬じゃ……」
ラーレン病に倒れたリーチェの恋人は、ベッドで静かに横たわって眠っていた。リーチェは睡眠をとる暇もなく、ラーレン病に効く薬を調合をしていたが、どうしても「必ず」効くとは言えないものしか出来ない。
文献をひっくり返した。先代が残していったものだけではなく、彼が町まで出て買ってきたものやら何やらを読んだ。専門的な学術書やら何やらを見ても読んでも、当然のように何が出来るわけではない。だって、ラーレン病に効く薬なぞ、今の時点で開発されてはいないのだから。
ラーレンの翼から成分を抽出して薬を作る以外に方法はない。その結論に達するまでに、彼は何度も薬を作り、何度も壁にぶち当たった。多分、薬は効いている。聞いているが、それはただの延命治療だ。完治をするには程遠い。
「リーチェ。もういいから。きちんと眠って頂戴」
優しい女性だった。延命治療のせいで、最後には一日の半分以上を寝て過ごした。起きている間は呼吸が苦しいだろうに、いつでも「大丈夫」とリーチェに言った。もちろん大丈夫なわけはないのに、それでも笑みを絶やさなかった。リーチェは彼女が寝ている間も薬を作り続け、目は窪み、肌はガサガサになってしまい、逆に彼女に心配をされた。
「リーチェ、わたし」
「うん」
「あなたに会えて、幸せだったわ」
何度も彼女は彼にそう告げた。リーチェは「僕もだ」とは言えなかった。そんなことを言ったら、彼女は満足をしてすぐにでも死んでしまうのではないか。リーチェはそう思った。自分が「僕も幸せだ」と言わなければ、彼女は生き続けてくれるのではないか。
そんな、あるはずのないことを考えるほど、リーチェは追い詰められていた。そして、ついに彼もまた体調を崩し、深く眠ってしまった。
その眠りの間に、彼女は静かに息絶えた。彼女に出会えて幸せだったと言うことを、リーチェは最後まで伝えることが出来なかったのだ。
「何故ラーレンが祈ると、ここへの……なんだ? えっと、大樹が光って……開くんだ?」
「遠い昔、この大樹の周囲にラーレンは大量に住んでいたという。文献にも残っていない過去の話だ。まだ、魔女もたくさんいた時代の話。そして、大樹の中に魔女の力で倉庫を作っていたらしい。ここは、その空間を使って家を建てたようだな。魔女がどんな仕組みでラーレンを感知するのかはわからないが、仲間しかここには来られない。魔女が死んで、もう何百年も経過をしても、その術が残っているらしい。リーチェ様は昔で言うところの賢者なので、ここに出入り出来たのさ」
魔女とは、そんなにすごいことが出来るのか。ヘルムートは唸った。が、直後に、くしゃみをする。
「うう……」
「服を着替えるか。茶だけでは体が温まらないようだな。こっちへ来い。どうせ、あのラーレンの処置には何日も夜通しかかる」
「何日も!?」
「そうだ。何日もかけて、薬を飲ませ続け、術を施し続ける。よって、一度に救えるラーレンは一人だけだ。だから、リーチェ師は表立つわけにはいかない。同時にラーレンがやってきたら、一人しか救えない」
「そうか……」
ヘルムートは彼に従った。リーチェの家は奥行きが広く、部屋がいくつもあった。が、その部屋のどれも使っている気配はない。一室を与えられ、着替えを渡される。
「これは」
「以前、ここにいたラーレンのものだ。勿論、翼を切り落とされたので、お前が着るにはちょうど良いだろう」
「ありがとう」
いろいろと複雑な気持ちはあったが、ヘルムートは礼を言った。服を脱ぎ捨て、与えられた衣類に着替える。
すると、遠くで声がした。
「ガートン! ガートン! 樹液とって来い! めいっぱいとって来い!」
「この時期、そんなすぐには樹液なんて出ませんよ!?」
「出せ! そんで、とったら毒抜きしろ! こりゃ、時間がかかるから、樹液の準備もしとくにこしたことはない!」
どうやら、先ほどの片翼のラーレンはガートンと言うらしい。横暴にも等しい言葉を浴びながら「わかりませんが、わかりました」と言う声が聞こえる。
「……くしゅっ……!」
ヘルムートはもう一度くしゃみをした。これはいけない。茶を飲んで温まった、と思っていたが、どうやら熱が出ているようだ。頭が重たい。
(くそ、雨に降られた程度で……ああ、テレージア様はご無事だろうか……頼む……テレージア様も……ユリアーナも……)
突然、めまいがする。彼はぼうっとしながらそのまま床に腰を下ろし、ベッドに入ることなく静かに気を失った。
ラーレンの翼を渡されたクライヴの表情は暗い。いや、もうそこに翼がある以上は、彼が悲しもうが、申し訳ないと思おうが、遅いことはわかっている。
「これで、薬を作ってください」
「本当に……本当にラーレンの翼なのか……?」
切り口を見て、全体を見て、クライヴの表情は更に曇る。その翼は、驚くほど「立派」だったからだ。ラーレンであれば、人里を離れ、人と交流せずに自給自足で生きるしか、今は道がない。となると、栄養も偏るため、空は飛べるものの翼はそう立派ではないことがほとんどだ。一度だけ、ラーレン研究所のラーレンの翼を使って薬を作ったことがあった。しかし、そのラーレンの翼も比較的貧相なものだった。
「はい。間違いなく」
「すごい、な……」
すごいと思うと同時に、その健康的なラーレンを彼らが殺したのだと思え、クライヴは「うう」とうめく。
「君たちが、殺したのか」
言っても仕方がないが、つい恨み言が口から出てしまう。それへ「ヘルムートが」と一人の護衛騎士が答える。
「ヘルムートが……?」
「知り合いだったようです。剣で戦って……」
「どこで……?」
「森です」
嫌な予感しかしない。ヘルムートとユリアーナが顔見知りだということをクライヴは知っている。そして、ユリア―ナがラーレンに「なる」かもしれないとも、クライヴは知っていた。嫌だ。考えたくない。そうだったらどうしたらいいんだろう。脳内がぐらぐらと揺れ、彼はよろりと体を傾げた。いや、どうもしない。どうもしやしないのだ。
「どんなラーレンだった……?」
クライヴの質問に、護衛騎士たちは顔を見合わせてから、仕方がないという風に答える。茶髪で髪を後ろに縛っていて、雨の中だったので目の色まではわからなかったが、20歳になるかならないかぐらいの女性だと。クライヴは「それは、やはり、ユリアーナでは……」と思い、思考がそこで止まる。
「お願いします。これで、テレージア様を……」
「あ、ああ……」
断るわけにはいかない。だって、断ってどうするというのか。もうすでにここには翼があるのだから、彼は薬を作らなければいけない。
「わかった……わかったよ。作ろう……」
護衛騎士たちは、わあっ、と喜びの声をあげた。けれども、クライブの心は晴れない。
「その、ラーレンは?」
「わかりません。ヘルムートが残って、何かをしていたようですが……」
「……そうか」
何にせよ、ヘルムートが彼女の翼を切ったことは本当なのだし、切り落とされた翼は再び接合出来るわけでもない。
(翼を切られればラーレンは死ぬ。それを知っているのに、誰も言い訳をしない)
それは仕方がないことだ。彼らはテレージアの命を守るために、出来ることをしただけだ。ラーレン狩りはいつでも正当化される。そして、薬を作らなければ、死ぬのが二人になる。ただそれだけのことなのだろう。この世界はヒュームが統治をしていると言っても過言ではない。そして、テレージアは王族だ。ならば、それは仕方がないのだ……そう彼は思いこもうとした。
(やるしかないんだ……)
クライヴは真っ青な表情でため息をつく。だが、それとこれは別、と、手早く彼は動き出した。
「カミル、手伝ってくれるかい。羽根を一枚ずつに分けて、中心の芯だけを集めたいんだ……ああ、外側の骨も必要だ……」
そう言った彼の声は震えていた。彼の後ろでずっと様子をうかがっていたカミルは、すっと彼の横に行って彼の手をとる。
「クライヴ」
「ああ……大丈夫……大丈夫だ……」
カミルの両手が、クライヴの右手をそっと覆う。クライヴは瞳を一度閉じ、呼吸を整えた。
「……作ろう、薬を」
「はい」
静かにカミルは頷いた。もう、クライヴに迷いはなかった。




