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プロの現場

 以前にふと興味が湧いて、エリアスに訊いたことがある。


「部分的に変身できないの? 狼の耳だけ出したり尻尾だけ出したり」

「そんな無様な真似ができるか」


 即答したエリアスはムッとしていた。見てくれの問題だけでなく、半端な変身そのものが沽券に係わるらしい。曰く、


「動物に化けられるのは上位の中でもほんの一握りだが、部分変態ならもう一段下の奴らもできる。わざわざ下っ端の真似をする必要がどこにある?」


 だそうだ。エリアスの一段下なら客観的には十分上層だと思うのだが、そこの線引きはきっちりしている。

 古い絵巻物で見かける吸血鬼は、蝙蝠こうもりと猿のキメラみたいな妖怪だった。案外、変身の下手クソな奴の姿をそのまま描いたのかもしれない。

 とはいえ、催眠症の治療法が確立されてから今日まで、そのような個体が捕獲された記録はない。もちろんSCスタッフも初見だろう。


「厄介な奴らが出てきた」


 インカムからエリアスの声が流れた。どの監視カメラにも映っていないが、彼もまた屋内で待ち構えているはずだった。


「ずいぶんまで汚染が進んでいる。思ったより、ウィクトルの賛同者の幅は広いな」


 暢気のんきに感心してる場合じゃない。鳥に変身できるウィクトルには、どうしたって建物の中に入られるだろうと覚悟をしていた。だから手下の吸血鬼は可能な限り外で捕え、数を減らす――それが基本方針だったのだが、簡単にはいかないかも。


「落ち着いて。皆の腕の見せどころだ」


 九十九里つくもりさんが冷静に告げる。

 その言葉を裏付けるように、吸血鬼たちが映った画面にパッと蜘蛛の巣が広がった。同時に三人の捕獲員が乱入してくる。一人が担いでいる筒状の武器はネットランチャーだ。

 一体の吸血鬼がネットに囚われ、激しくもがいている。銀を織り込んだ繊維の捕獲網である。絡みついたら最後、奴らの皮膚を焼きながら容赦なく締めつけるのだという。そいつに向かって長い杭が振り下ろされた。プロレスラーみたいな体格の捕獲員……確か中部支部のナントカさんだ。力任せに脳天を殴打してから胴を刺し貫く。

 飛び掛かってくる残りの吸血鬼に向かって、二発目のネットが広がった。三頭は素早く躱し、空に舞い上がった。捕獲員のUVIが上空を狙う。

 炎を上げながら建物の屋根に降下する蝙蝠モドキを、彼らは追いかけた。杭担当は、網の中でしぶとくもがく一頭をガンガンぶん殴っている。


 凄い早業……そして力技。私は驚くよりも呆れた。

 九十九里さんと日下くさかくんの、どちらかというとスマートな仕事っぷりしか知らない私には新鮮だった。特種害獣の捕獲作業とは本来こういう泥臭いものなのか? 多頭が押し寄せて来る異様な状況だから、こちらも力で対抗するしかないのかもしれないけれど。


「あっ、外壁! D区画の塀から害獣の侵入!」


 私は他の画面に目をやって警告した。駐車場に駆けつけた捕獲員の持ち場がガラ空きになっており、そこの塀を何体もの吸血鬼が越えてきている。翼のない個体ばかりだったが、跳躍力は人間とは比較にならない。よじ登るのではなく、跨ぎ越えるような動きだった。

 さっきの奴らは尖兵兼陽動部隊だったのか。私たちの注意を引きつけておいて、下位個体が侵入する隙を作るための。

 しかしすぐに別の捕獲員たちが駆けつけた。私のトロい警告を待つまでもなく、当然予想していたのだろう。隣の区画を守っていたチームの一部が守備範囲を広げていた。

 吸血鬼たちが塀から降り立つ前に、彼らはUVIを撃った。小さな炎があちこちに上がるが、奴らは構わず進んでくる。致命傷を与えず動きだけを止めるのは、本当に難易度が高いのだ。

 他の区画も似たような状況だった。時間差で乗り越えてくる吸血鬼たちに、捕獲員が応戦を始めている。


「E区画に人が足りない! 裏門の方です」

「分かった、こっちから応援を向かわせる」

「くっそ、一匹取り逃がした。通用門の方に行ったぞ!」

「任せろ……見えた、あいつだな」


 無線には彼らの声が飛び交い、私は時折質問に答えるだけで用が足りた。

 司令塔らしい司令塔がいないのに、現場の息はなぜか合っている。これが場数を踏んだベテラン勢のアドリブ力だろうか。相手方がどう出るか分からない以上、こちらの布陣にも自由度があった方がいい――敢えて細部を詰めない九十九里さんの作戦が功を奏したみたいだ。


 とはいえ、決して楽な戦いではなかった。ちらほらと捕獲完了の報告は届くものの、多くは吸血鬼の足止めに苦戦している。仕事では複数人で一頭を仕留めるのが普通だ。後から後から湧いてくるなんて状況、オジサンたちも初めてだろう。

 私は机の上のスマホを手元に引き寄せた。現場で重傷者が出たら、すぐさま外部に連絡する手筈だ。パストラルホームの敷地の外には、理事長が手配した医療班と救急車が待機していた。何を置いても負傷者を搬出すること、それだけは九十九里さんが厳命していた。


「あーもうめんどくせえ。殺っちまうか?」


 なんてボヤキに対し、


「駄目ですよ! うちの支部、半期決算で赤が出そうなんだから、ここで稼がないと」


 普段は経理を担当しているらしい部下が答えている。今はその商魂が頼もしい。


 吸血鬼と対峙する際は距離を保つのが鉄則である。掴まれたら終わり、というのは捕獲員たちの共通認識だ。腕力で圧倒的に勝る相手に対し、遠隔地から狙撃するのが最も安全なのだが、拡散しやすい紫外線を武器にするUVIでは限界がある。接近戦で素早く懐を抉るという手は、俊敏性に自信のある若い捕獲員ならではの非常手段なのだ。

 では、若干体力が落ちたいぶし銀はというと。


 画面を白い霧が覆った。捕獲員の一人が小さなタンクを背負って、ノズルを構えている。噴霧された液体が襲い来る吸血鬼を包んだ途端、奴らはがああっと咆哮を上げながらもがき始めた。いや、音声は入って来ないのだが、断末魔じみた悲鳴が聞こえた気がしたのだ。

 あれだ、業務用アリシンスプレー!

 大蒜にんにくの成分をガス状にして噴射する。人間にとっても強烈な臭いのそれは、吸血鬼たちの知覚を麻痺させる効果があった。室内で使用すると所有者からのクレームが厄介だが、ここならその心配はない。

 地面を転げ回る吸血鬼たちにUVIを撃ち込んだ後、駄目押しに杭で腹を抉ったのはさっきの経理担当者だった。


 別の区画ではもっとトリッキーな手法が試されていた。

 建物の東側、塀が切れて生垣になっている場所である。吸血鬼たちは悠々と乗り越えて、剪定された松の植え込みの間を駆け抜けた――いや、駆け抜けようとした。

 やつらは揃ってつんのめるような姿勢になり、でんぐり返りの動きで転がった。その後立ち上がることはできなかった。体重を支えるべき脹脛ふくらはぎから下が、綺麗に体から切り離されていたのである。

 見計らったみたいに植え込みの間から捕獲員が現れる。木の間に張り巡らせた銀のワイヤーが刃となって吸血鬼の脚を切断したのだ。

 血溜まりの中でのたうちながら、それでも起き上がろうとする奴らを、捕獲員たちは冷静に処理した。薙刀みたいな得物で腕を切断の上、尖った柄の先で背中を貫いたのである。


 血臭漂う映像から、私は目が離せなかった。おぞましいと思いつつも高揚してしまう。駄目だ、冷静に冷静に……。


「あっ! 上です! A区、屋根の上から敵!」


 私は別のモニターを見て叫んだ。病棟の二階の屋根から巨大な鳥が滑空してくる。さっきの部分変態した奴だ! UVIで翼の一部が焼かれてはいるが、飛翔に影響はないらしい。三頭の吸血鬼は空から捕獲員たちに襲いかかった。

 監視カメラの撮影範囲は空まではカバーしていない。黒い影は画面の端を横切って消え、別の画面では上方に向けてUVIを照射する捕獲員たちが映った。


「ちくしょ……動きが速くてっ……」

「危ない! 伏せろ!」


 鉤爪のついた獣の脚が一人の肩を掴む。腕だけでなく下肢まで変化しているのか。吊り上げられそうになった彼をチームの仲間が引っ張って、二人揃って地面に尻餅をついた。

 その隙にA区から他の吸血鬼が逃走した。病棟に向かってまっしぐらに駆けてくる。一頭、二頭、三頭。


「日下くん、聞こえる? 病棟の南側から三体が侵入した」

「了解。こっちにもガラス割れる音が聞こえた。対処する」

「あと西側の壁にも二体張りついてる。すぐに窓から入ってくるよ」

「そっちは俺が行く。殺していいな?」


 エリアスの問いに答えたのは九十九里さんの声だった。


「構わないが、十分気をつけろ。ウィクトルが紛れ込んでいる可能性がある」


 私は唾を飲み込んだ。未だウィクトルらしき姿は確認できない。他の吸血鬼に『憑依』できる彼ならば、逆に下位個体を装うことだって可能なのかも。


「九十九里本部長、こんな時に申し訳ないが」


 角田かくたさんの声が割って入ってきた。


「銃器の廃棄処分報告に一部虚偽がありました。支部長たる私の責任です」

「何のことです?」

「非常事態だ、目を瞑ってくれ」


 ニヤリと笑う角田さんの表情が目に浮かぶようだった。

 画面の中で、彼は見慣れぬ武器を肩付けに構えていた。狩猟用のライフルかと思ったが、それよりずっと銃身が太く、ごつい。上空を狙う銃口からは、鋭く尖った三角形が覗いている。

 蝙蝠モドキたちは滑空して攻撃し、すぐに上昇するというヒットアンドアウェイを繰り返していた。角田さんはおそらくUVIの射程外に逃れた奴らを狙っている。


「銛撃ち銃……?」

「やっぱり廃棄してなかったか」


 私の呟きに、九十九里さんの嘆息が重なった。確かにあんな物、人間の生活圏内で使用したら大問題だろう。銃刀法にも触れるんじゃないだろうか。


 爆音が聞こえなかったのは梶田さんが通話をオフにしてくれていたからだ。撃ち出された銛――というか杭にはワイヤーがついていた。

 スルスルと伸びたワイヤーがぴんと張り詰めるとすぐに、数人がかりでそれを引き始める。角田さんを先頭に足を踏ん張るオジサンたちの姿は、まるで綱引きをしているよう。いや綱の先は空に向かっているから、大凧上げに近いか。

 数秒の後、画面の上から蝙蝠が落下してきた。腹に深々と杭が刺さっている。角田さんたちはそいつを踏みつけ、寄ってたかってUVIを撃ち込んだ。


「ゆ、有翼個体、一体捕獲完了です……」

「すまん、D区も手伝ってくれ。UVIだけじゃ埒が明かない」

「了解。下っ端は任せた」


 角田さんは銃を担いで次の獲物の元に走って行った。


 何か……凄い……。

 私は汗で湿った掌を握り締めた。荒っぽく見えて合理的、大雑把ではなく臨機応変。全員が自らの役目を粛々と務めている。職業としての『狩り』を目の当たりにして圧倒された。

 プロの職業人とはこういうものか。奇抜な作戦を練るでも、必殺の大技をぶつけるでもない。ただ実直に局面ごとの最適解を見つけ、実行する。多少いつもと勝手が違っても、日常業務に落とし込んで消化していくだけ――そんな落ち着きが実に心強かった。


 彼らの手際と連携に気を飲まれていた私は、モニターのひとつが異変を映し出していたのにしばらく気づかなかった。

 それは、屋内外の画像を映すモニターとは別の、もともとこの部屋に設置されていたもの。隣室――緊急隔離室の監視カメラからの映像だった。

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