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歓迎の準備

 彼らと共存できるか、と訊かれたら、難しいと答えざるを得ない。

 有史以来、彼らにとって私たちは捕食対象である。人間の血を禁ずる厳しい掟は、危険な本能の裏返しだ。禁じられていてなお、社会的にも生物的にも破滅だと分かり切っていて、堕ちる者が続出しているではないか。

 そしていったん人間を襲ったら最後、今度は彼らが人間から追われる身となる。捕獲され素材にされた後、待つのは殺処分だ。害獣に対して人間は決して容赦をしない。


 狩る者と狩られる者は常に表裏一体、たやすく立ち位置を変え、永遠に相手の尻尾を追い続けている。

 だから決して触れ合ってはいけない。住む世界を完全に分け、不干渉を貫く以外に共存の道はないだろう。


 しかし――『彼ら』ではなく『彼』となら。

 面で接するのではなく、点で繋がるのなら。


「エリアス、私の血をあげる」


 私の決断は早かった。エリアスはわずかに眉を上げただけだったが、喉の奥で息を飲むのが分かった。驚きを表情に出すだけの体力が残っていないのだ。


「おまえ……正気か?」

「ここであんたを失うわけにはいかないの。ほら早く、飲んで」


 私はブラウスのボタンを一つ外して、彼の前に首筋を晒した。怖くないと言えば嘘になる。でも今は他に選択肢がない。

 エリアスは目を逸らして、掠れ声で呟いた。


「やめとけ。後悔するぞ」

「やめとく方が後悔する! もうあんたしか頼れる人がいないし、それに……」


 私は彼の顔を両手で挟んで、強引に自分の方へ向けた。


「今までに何度も私を助けてくれたでしょ。今度は私がエリアスを助ける番よ」


 助けたい、と思った。吸血鬼だとか『厄災の声』の呪いだとか全部抜きにして。もっと言えば、貸し借りも利害も埒外に置いて。

 それはきっと、私個人がエリアスという男に対して抱く限定的な感情だ。吸血鬼全体のことなんて知らない。でもこれまでの付き合いで、少なくとも彼は信頼に足る存在だと分かった。


 種としては相容れなくても、個対個なら理解し合えるはずだ。


 エリアスは、ミミズクの時と同じ射るような眼差しで私を凝視して、それから何か小さく呟いた。

 ありがとう、と聞こえた。


 言葉を確かめる前に、私は抱き寄せられていた。首筋に触れる息は想像以上に冷たかった。





 九十九里つくもりさんの呼びかけに応じて、全国のSC支部から総勢二十二名の捕獲員がパストラルホームに集まった。午前中から次々に到着し、昼過ぎには全員が揃うという段取りの良さだった。

 環希たまきさんが襲われてすぐ注意喚起の文書を発信した時点で、すでにあちこちから応援の申し出があった。組織の存亡に係わる重大事であることに加え、もともと守りに徹するのが苦手な人たちらしい。特種害獣と聞けばじっとしてられない連中だ、とこれは日下くさかくんの言である。


 『あちら側』の裏口が開く前兆を察知し、エリアスが警告を発したのが昨夜遅く。クラウストルムであるウィクトルは正規ルートで堂々と出入りするはずだから、抜け道を通って来るのは彼の手下である。


「数が多いぞ」


 エリアスは眉間を摘んで唇を歪めた。何でも、多数の気配を感じるものの、正確な頭数はもう少し時間が経たないと分からないと言う。

 前回の襲撃で、ウィクトルは三体の手下を操った。命令を下しているのか、それとも志を同じくする仲間なのか――おそらく両方だろう。ヒエラルキーに縛られた吸血鬼社会から離脱するため、結果的に上位個体のウィクトルに従っているのだとしたら皮肉なものだ。

 ともかく奴はまた複数で襲ってくるに違いないのだから、こちらも人数が多いに越したことはなかった。


 でも――会議室に集まった面々にお茶を出しながら、私は少々戸惑っていた。


「オッサンばっかでびっくりしたろ」


 そう言って私に人懐っこい笑みを向けたのは、甲信越支部の角田かくた支部長である。

 以前の出張で日下くんを酔い潰したとかいう……ずんぐりした体型に四角い顔の、ごくごく普通の中年男性だった。着ているものが迷彩柄のつなぎでなければ、夜の飲み屋街にごまんといそうな。

 角田さんだけでなく、応援に来てくれたメンバーは全員が四十代以上の男性だった。服装に規定はないのか、作業着を着ている人、普段着の人、様々である。ただし全員が大きなバッグを持ち込み、中身を机に並べて点検していた。UVIや杭や金属網――対特種害獣用の武器だ。


「かなり危険な相手だと聞いてる。どの支部もエース級は残して来たんだよ。まあ、体力の衰えは経験と勘でカバーしてみせるさ」


 それは冷静な判断だと思えた。万が一にもここで捕獲員が全滅させられたら、本当にSCが立ちいかなくなってしまう。将来性のあるスタッフは外したのだろう。結果、普段は第一線を退いたベテラン勢ばかりになってしまったのだ。


「若手の中には女性捕獲員もいるんだけどな……蓮村はすむらさんだったっけ? むさくるしくてすまんなあ」

「いえ、そんなことは……」

「年考えろよ。はしゃいで腰傷めんじゃねーぞ、オッサン」


 日下くんはUVIの調整をしながら嫌味を言った。角田さんは鼻の頭に皺を寄せて笑い、日下くんの髪をわしわしと掻き混ぜた。


「生意気言うようになったじゃないか、坊主。終わったら打ち上げだからな、覚悟しとけよ」

「いててて、やめろ耳引っ張んな!」


 周囲のオッサンたちもワハハと笑い、何だか和やかな雰囲気だ。少なくとも捨て駒になる覚悟をした老兵には見えず、私はほっとする。

 エースでないとはいえ、経験豊富なベテラン捕獲員が二十二名。ウィクトルが何体味方を引き連れて来ようと、これなら十二分に対抗できるはず――そんな私の希望的観測は、ミーティングの席で打ち砕かれた。


「襲来する害獣の数は三十体以上と予想されます。くれぐれも油断しないように」


 タブレット端末を手にした九十九里さんは、皆の前で淡々と告げた。その肩にはエリーが止まって、偉そうに人間どもを見下ろしている。入口が開く時刻が近づき、その前で待機している個体の概数を感知したのだろう。エリーは得意の文字入力でそれを伝えたと思われる。


 三十体――一人が一体を倒しても間に合わないじゃないか。

 あまりの数字に言葉を失う私を前に、九十九里さんは平然と言い放った。


「皆さんには屋外での迎撃をお願いしたいと思います。分担は先ほどお送りした図面をご覧下さい。捕獲するか駆除するかは各自の判断にお任せします」

「統括管理部長、捕獲した場合の権利はどうなる?」


 手元のタブレットで平面図を確認しつつ、一人が手を上げて質問した。そういえば九十九里さん、そんな肩書だったっけ。


「もちろん捕獲した支部の成績とします。後で認識タグをお渡ししますから、捕えた獲物に必ず着けて下さい。後で揉めないように」


 最後の部分だけ彼が冗談めかして言うと、ベテラン捕獲員たちの間から笑いが漏れた。敵の数に怯むどころか、稼ぎ時だと闘争心を燃え上がらせている模様。やはりこの人たち普通じゃない。


「僕と日下は屋内で待ち伏せ、皆さんが取り逃がした残りを掃討します。こちらは加害個体を除きすべて駆除する方針ですので、一体でも多く捕まえて有効利用して下さい」

「それずいぶん楽な役目じゃないですか? 上手くいけば関東支部さん、全然働かずに済むかもしれないですよね」

「それならそれで獲物は我々が総取りになる。利益を得る者がリスクを負うのは当然だろ。統括管理部長殿は他支部にオイシイ狩り場を提供した上で、手に負えない大物は面倒を見るとおっしゃってるんだ」


 角田さんは不平を口にした捕獲員をたしなめて、九十九里さんを見た。


「こちらにとっては、代表理事を助けることだけが目的なんだから。損得勘定なんぞハナっから眼中にないのさ。ねえ」

「ご理解頂けて助かります」


 九十九里さんは軽く目礼した後、プランの詳細説明に移った。


 後で聞いたところによると、角田さんはもともと惣川製薬に雇用された捕獲員だったらしい。九十九里さん同様、SC創設に携わった一人だ。

 彼らのように惣川製薬から引き抜かれたメンバーは他にも複数いる。一企業の利益のためではなく、特種害獣被害者のために公平な捕獲システムを作る――環希さんの理想に共感した人間は多かったのだ。


 日の入りの時刻を確認し、その直前にロビーに集合するよう周知して、いったん解散となった。


 会議室を出ると、理事長と所長が待っていた。

 入所者とスタッフはすでに退避を済ませている。一週間足らずで周辺の医療機関や介護施設に受け入れ先を確保したのは、理事長のコネと手腕の賜物だった。


「なるべく施設は壊さないでくれよ」


 塚田つかだ所長は丸顔を引き攣らせて懇願した。

 なぜ無関係な入所者が迷惑を蒙らなければいけないのか、と転所を渋る家族もいたらしいが、そこを説き伏せたのはこの所長である。成功すれば新型の抗生剤が大量に手に入る、患者さん全員の利益になる話なんですよ、と。

 九十九里さんと日下くんは一瞬視線を合わせた。


「善処します」

「九十九里くん……頼むよぅ……」

「環希のこと、よろしくお願いします」


 情けない声を出す所長の傍らで、理事長は深々と頭を下げた。孫娘の身を案じるその姿は、平凡な祖母そのものだった。


冬馬とうまくんも、しっかりね」

「……はい」


 日下くんは若干強張った面持ちで肯く。彼にとってパストラルホームは十代を過ごした家のような場所で、理事長は家長も同然の存在なのだろう。

 皆それぞれに守りたいものがあり、戦う理由がある。私も同じだった。





 一昨日の晩、インターネット経由で安奈あんな叔母さんと話した。

 現在ブラジルに滞在中の叔母さんは、画面の向こうで黙って私の話を聞いてくれた。

 内定先の銀行に断られたこと、特種害獣駆除のNPOでアルバイトをしていること、そこで信頼できる人たちに出会えたこと――。

 そして『厄災の血』についても洗いざらい話した。


 なぜ黙っていたとか、そんな危険な仕事辞めなさいとか、叱責されると思ったけど、


きぬ、とても充実しているのね」


 また少し日焼けをした叔母さんは、悪戯っぽく微笑んだ。


「表情を見れば分かるわ。私が知っている中で、いちばんいい顔してる。今すぐに撮りたいくらい」

「そ、そうかな……」

「絹が幸せなのなら、そこが絹の居場所なのよ。しっかり守りなさい」


 短い言葉は、私への信頼ゆえなのだろうと思えた。いつかのように多くの言葉を重ねて諭さなくても、私はもう分かっている、そう信じてくれているのだ。

 私はただ、うん、としか返事ができなかった。それ以上声を出すと泣いてしまいそうだった。


 短い時間の会話で、力強く背中を押された。

 これまで手を差し伸べてくれた人たちのために、私は戦いたい。





「蓮村さんもここに残るの? 危険でしょうに」


 理事長はてっきり私も一緒に退避すると思っていたらしい。不安げに白い眉を顰める彼女へ、


「蓮村さんはSCの一員ですから」


 九十九里さんは堂々とそう告げ、私は緊張と誇らしさが入り混じった気持ちになった。

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