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おかしな二人

 週明け、私を含めたSCのスタッフは全員無事に出勤した。


 九十九里つくもりさんたちの捕獲作戦は、大きなトラブルもなく完遂されたらしい。他支部の応援のおかげで普段より楽なくらいだったとか。

 土曜日の夜に作業を終えた二人はそのまま東京に帰るつもりだったらしいが、滅多にお会いできないんですからまあひとつ、と甲信越支部の支部長に引き止められて、打ち上げを兼ねて一泊してきたんだそうだ。


「本来はこちらがお礼をしなければならない立場なのに、気を遣わせてしまいました。宿まで手配して頂いて……あ、これお土産です」

「ご苦労様。角田かくた支部長、自分が飲みたいだけなのよ」


 環希たまきさんはデスクでぐたっとしている日下くさかくんを眺めて肩を竦めた。


「ひっさびさに記憶が飛んだ……もう二度とごめんだ……」


 体調が悪そうなのは相当飲まされたからだろうか……九十九里さんとお泊りなんていいなあ、などと暢気のんきに羨んでる場合じゃなかった。

 私の方の顛末は、すでにメールで全員に報告済だ。自宅まで尾行されていたことを伝えていた。


「こっちの動きを読んでやがんのか? 俺たちがいない時を狙って蓮村はすむらに近づくなんて……やっぱり陽動だったのか」

「予断は禁物だよ。常に蓮村さんを監視していて、チャンスを待っていたのかもしれない。蓮村さん、日曜の夜は……」

「はい、メールで指示を頂いた通り、昨夜は外出を控えました。エリアスが見張りをしてくれて助かりました」


 ミミズクエリーは、キャビネットの上にくしゃっとうずくまって目を閉じていた。寝たふりじゃなく本当に眠っているのが分かる。一晩中気を張っていたせいだ。

 私にぶん殴られて憤然としつつも、彼は二晩に渡ってアパートの周囲を警戒してくれた。例の「わん」命令があったからか、決して人型には戻らなかったけれど。後でこっそり解除してやるか。


「こいつが呼び寄せたんじゃねえの?」


 日下くんは毒づいたが、本気で疑っているわけではなさそうだった。エリアスはその気になれば自力で私を殺せる。だからわざわざ徒党を組む必要はない――この間私が話したことを、一応は納得してくれたみたいだ。

 環希さんがとりあえず議論を打ち切った。


「そのことは後で相談しましょう。先に捕獲作業の事務処理。週末挟んじゃったから今日中に仕上げるわよ」


 まずは目先の仕事を片付けないと、もう一方の第二接触が起きてしまう。都内で起きた被害の方はまだ終わっていないのだ。


 そんなわけで、その日は報告書作りに追われた。

 捕獲された特種害獣は雄体で、写真で見る限り皮膚はボロボロ、顔立ちは獣じみて歪んで、エリアスが言うところの末期症状だったのかもしれない。両足首から先は紫外線照射で炭化しており、鳩尾に深々と銀メッキの杭が突き刺さっている。だが、外傷はそれだけだった。惚れ惚れするほど無駄のない仕事。

 きっと仕留めたのは九十九里さんだな――こういう写真にすっかり慣れた私は、お土産の胡桃くるみ饅頭をもぐもぐやりながら画像データを整理した。

 体調が悪そうな日下くんも、野菜ジュースと栄養ドリンクを交互に飲みつつ頑張っている。未済案件の関係先とのやり取りは九十九里さんが引き受けてくれたので、事務作業に集中できるのが救い。事後処理と事前調整を同時進行させるのは本当に大変だ。


 お昼もそこそこにパソコンに向かう私の足が、やや乱暴につつかれた。見ると、黒ミミズクが「俺の飯はまだか」という目つきで見上げている。知るか。


「あー、悪いわね、きぬちゃん。エリーに餌やってくれる?」


 役員室で書類チェック中の環希さんに頼まれて、私は渋々席を立った。





「今度あんな真似したら許さないからね」


 狭いキッチンスペースはキャビネットの陰になっている。デスクから見えないのを確認して、私は小声で言った。シンクの角に止まったエリーは、何のことやらといった風情。ラム肉を美味そうについばんでいる。

 給餌用の割り箸で頭の羽角を摘んでやったら、大袈裟にギャッと鳴いた。


「あのね、この国では他人のく……口には気軽に触れちゃ駄目なの。とっても失礼なことなの。ていうか、あんた八年も暮らしてきて常識を知らなすぎ」


 おまえらいちいち面倒だな、俺たちには乱暴狼藉を働くくせに――エリーの冷めた眼差しがそう告げている。ああ嫌だ、私ついに、こいつの言いたいことが分かるようになってきた。

 首を回して百八十度そっぽを向く態度に、カチンときた。


「ちゃんと聞きなさい! 次にやったら『わん』よりもっと恥ずかしいことさせるよっ」

「恥ずかしいことって何?」


 いきなり日下くんが顔を出したので、心臓が止まるかと思った。その隙に、エリーはタッパーのラム肉を掴めるだけ鉤爪で掴んで、風を巻いて逃げた。

 怪訝そうに眉を寄せた日下くんは、冷蔵庫からコンビニ袋を取り出す。やっと遅いお昼が摂れるのだろう。


「何かあったの、あいつと?」

「別に、何も……」

「妙なことされたら言えよ。庇っても恩なんか感じねえぞ、あいつ」


 彼はコンビニの親子丼をレンジに入れた。これに野菜ジュースを加えたのが本日のランチらしい。


「何してたんだ?」

「え、だから何でもないって」

「いやそうじゃなくて、土曜日、環希さんとどっか行ったんだろ?」


 あ、そっちか。私は残りのラム肉に蓋をして、冷蔵庫に戻した。


「ええと……オペラ観て、お鮨ご馳走になった」

「すげえな、セレブのデートじゃん」


 その間休日出勤だった彼は目を丸くしたが、やっかみは感じられなかった。


「私なんかが相手で申し訳なかったわ」

「いいんじゃねえの? 環希さん、一人で行ってもつまんなかっただろうし」

「ねえねえ、やっぱり本来のお相手って……」


 私はオフィスの方を気にして、日下くんの腕を引っ張った。思い切り耳元に口を寄せて、九十九里さんなのかな、と囁く。社歴の長い彼なら二人の関係を熟知しているかと思ったのだ。

 日下くんはびくっと肩を震わせて、勢いよく私を見た。お、何か知ってるな――と期待したのも束の間、彼は背中が冷蔵庫にぶつかるほど後ずさった。


「おまえ、おまえさ……ほんとにちょっと気をつけた方がいいぞ」


 蚊にでも刺されたように首筋を掻いている。息がかかってこそばゆかったんだろうか。子供かよ。

 ちょうど温めが終わって、日下くんはいそいそとレンジから自分の食事を取り出す。


「で……九十九里さんがどうしたって?」

「んー、まあいいや」


 私は興味本位の話題を引っ込めた。日下くんにしらばっくれてる様子はない。その辺、鈍そうだもんな。

 さっさとデスクへ戻るかと思いきや、彼は熱々の容器を手にしたまま、所在なげに立っている。私が手を洗うのを待ってから、


「今日も残業になりそうだから、帰り、送るよ」


 と、唐突に申し出た。


「え、いいよ、大丈夫。エリーを電車に乗せる方法を思いついたの。エコバッグに詰め込んで、上からタオルか何か被せちゃえば……」

「俺が蓮村を送りたいんだ」


 ギクッとするほど苛立った口調だった。それからすぐ、私の当惑に気づいたのか、やや表情を和らげる。


「エリアスを信用してないわけじゃねえけど、向こうがどんな手ぇ使ってくるか予想できねえだろ。人数は多い方が……」

「そう……だね、エリアス一人だったら相討ちになっちゃうかもしれないね」

「だろ? あいつ、絶対に人工の武器は使わないんだ。俺がいれば援護できるし、いざって時は九十九里さんに応援も頼める」


 何だろう、私も彼も言葉が上滑りしてる。言えば言うほど嘘っぽくなる感じ。

 取って付けたように理由を並べる彼が何だか気の毒になって、私はついに肯いた。


「分かった。じゃあお言葉に甘える」


 心配だから送る、ありがとうよろしくね――最初から素直にそう言えば簡単なのに。

 私は日下くんのぎこちない厚意が歯痒かったが、彼は彼で私の遠慮深さに傷ついているのかもしれない。友達だと思ってくれているのならなおさらだ。

 もっと他人を頼ってもいいのかな――。


「日下くん、ありがとね」

「仕事だ、気にすんな」

「今度、ごはんでも作ってあげるよ。いつも外食かお弁当でしょ? 絶対ビタミンと蛋白質が足りてないって。私まあまあ料理できるんだよ」

「えっ……」


 彼はなぜか絶句した。


「あっ、今夜じゃないからね。材料用意してないし、部屋も散らかってるから……」

「……おまえんちで?」

「日下くん、調理器具ほとんど持ってないじゃん」


 日下くんははーっと長い溜息をついた。呆れているというか、気が抜けたというか、何とも微妙なリアクション。嬉しくないんだろうか。


 そういうとこだよなあ、とか何とかゴニョゴニョ言いながら、オフィスの方へ戻っていく。

 私も後へ続いたら、デスクの九十九里さんがパッと目を逸らした。その傍らでは、環希さんが好奇心を隠そうともせずにこちらを眺めている。

 二人とも、私たちの様子を窺っていたらしい……。


「えーと、みんなちょっと集まってくれる?」


 環希さんはひとつ咳払いをして、私と日下くんを手招きした。


「思いついたことがあるの。絹ちゃんの警護についてなんだけど」

「私の? 何か方針変更を?」

「このまま長期間に渡ると何かと不都合でしょう。いつまでも夜遊びできないんじゃ気の毒だわ」


 冗談か本気か分からない物言いに、ハイと答えてよいのかどうか迷う。確かに、夜間外出禁止は現代人にとっては不自由だ。


「カウンターを狙うわよ」


 フランス人形みたいに華やかな美貌が、好戦的な笑みを浮かべた。





 その夜――ベランダの窓がドンドン鳴って、私は目を覚ました。

 枕元のスマホを見ると、時刻は深夜二時。カーテンの向こうで、窓ガラスが断続的に音を立てている。心当たりはあったので、私は目を擦りつつベッドから下りた。


 小雨が降っていた。

 ベランダには、全身しっとり濡れたエリアスが仏頂面で立っている。不法侵入しなかったことと、乱暴ながらノックをしたことは、彼なりの学習の成果だろう。

 アパート周辺を警戒しているはずの彼が、こんな夜更けにやってきた理由は予想がついた。しかも人の形を取って。


「第二接触があるのね?」


 私が訪ねると、エリアスは口元を引き締めて肯いた。細かな水滴と薄い憂いを帯びた美貌は、寝起きの頭には刺激が過ぎるほどの陰性の凄味があった。

 油断すると、魅入られそう。


「すぐに九十九里に連絡しろわん。二十四時間以内に穴が開くわん」


 しまった、あれまだ解除してなかった。

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