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ユキの畑

こっそり投稿します。久しぶりの投稿にもかかわらず、前半はおふざけです。




 ユキの丘ではちらちらと雪が降り始めている。


 草原に舞い落ちた弱々しい氷の結晶達は儚く消えてなくなるが、それは草花の最後の虚しい抵抗だ。

 これからは草木や動物達にとってはただただ耐え忍ぶ厳しい季節が始まるのだ。

 終わりのない雪かき、日々減っていくだけの燃料やどんぐり。冬眠スキルを身につけ損ねた、哀れな哺乳類たちの凍えた悲鳴。


 はっきり言ってユキの丘は、人が生きるには過酷な環境だ。

 南国とまではいかないが比較的に暖かいオレの丘で、一緒に暮らそうと考えていた時期もあった。でもそれは、とある事情で叶わなくなっていた。


 ユキは灰色のカーディガンをだぶだぶと羽織り、畑の脇に置いた樽の中身を夢中になって捏ね繰り回している。


「ねえレオン、悪いけど竜骨石灰をもう一袋持ってきて欲しいの」

「ああ、持ってくるよ」


 オレは手に持っていた鍬を畑にしゃくりと突き立てて、塔の地下倉庫に向かって歩いた。

 畑の向こう側ではドライアドの少女フクタチが、氷の大鍬をハイペースかつ乱暴に突き立てている。まるで畑と戦っているようだ。

 遠くから見ても、はっとするほどの美少女である。濃厚なミルクに緑色の絵の具を数滴混ぜた様なグリーンの肌、お団子に結われた髪の毛は鮮やかなエメラルド、ジャガイモ用のズタ袋で作った茶色のワンピースは彼女のトレードマークだ。そして昔のユキを少しふっくらさせただけの、あまりにそっくりな美しい顔。


 オレとユキが一緒に暮らせない理由はフクタチだった。


 フクタチは畑を守る為に作られた戦闘マシーンだ。

 畑というフィールド上で戦う限り、彼女はブラッドデビルモンキーを相手にしても負けないだろう。しかし燃費が悪い、というよりはユキとユキの畑と一心同体なのだ。ドライアドの少女は一日に数回、服を脱いで生まれたままの姿になり、膝まで畑に埋まった。そうやってエネルギーをたっぷりと充填してから、ユキの入念なメンテナンスを受ける。それらがなければフクタチは生きる事が出来ない。放って置けば冗談みたいにあっさりと枯れてしまうだろう。つまりオレの畑で、ユキとフクタチが暮らすことは難しい。


 オレが見ていることに気が付いたフクタチが、嬉しそうに手を振った。親指を立てて返事をすると、フクタチも真似して親指を立てて見せる。子供の様になんでも真似したがる時期らしい。


 地下倉庫からいくつかのアイテムを担いで畑に戻ると、あっという間に土を耕し終えたフクタチがアポロと追いかけっこで遊んでいた。オレは竜骨石灰をユキの指示通り大樽に注ぎ足した。黄金を扱うのと同じ慎重さで注いだのは、竜骨石灰が黄金よりも高価なアイテムだからだ。くしゃみ一回で一日分の稼ぎが文字通り吹っ飛ぶだろう。

 樽の中の液体は、色んなものが混じり合い、ごぽごぽと音を立て始めた。


 何をしているのかと言うと、プラウドから貰った生のマジックパセリを、ユキの畑で栽培して貰う事になったのだ。

 生のマジックパセリは非常にデリケートで扱いが難しいのだが、元々凝り性のユキは、パセリ栽培にすっかり夢中になった。冷や汗が出るほど高額な肥料や畑用のアイテムを大量に注文して、パセリ専用の畑を順調に作り上げていた。丁重に丁重にパセリを育ててから種に変換し、その種でまたパセリを収穫する。ぎりぎりまで変換後に収穫したマジックパセリは、オレが全部買い取ることになっている。


 しかし、もちろん払うに足りる金貨はない。くしゃみをせずとも日々お金はなくなっていくからだ。防衛トレントとエレメンタル・バードを育成中の為、なかなか稼ぎが安定せず、完成間近の鍛冶場と市場までの道路が出来るまでは、どうしても出て行く分が多いのだ。よって、超低利子の長期ローンでパセリの代金をユキに返済するという、今まで出来るだけ避けていたユキの直接的な援助を受けてしまったのだ。

 しかし、戦争を控えたオレの丘は、どうしてもマジックパセリが必要だった。


 ユキが調合した特製肥料を、畑に混ぜ込む作業を始めた。


 謎の肥料をユキが柄杓で撒いていき、オレとフクタチで土をよく混ぜ返してから、畝を作っていく。アポロは鼻をくんくんさせながら遠巻きにただ見物をしている。もはや誰もアポロに手伝ってくれとは言わなくなった。


 収穫があまりに楽しみだが、誰が食べるのかということを考え始めるとウンウンと唸ってしまう。

 もちろん異次元パリィの為にオレが食べるというのが最有力候補だが、常に負担をかけているフラニーにもある程度は回したいし、エリンばあさんの雷撃矢の装弾数を増やしたいという気持ちも無視は出来ない。手伝いもしないアポロには絶対にやらない。やるもんか。


「うーん、うーん」

「こらレオン! 手が止まっているわよ、フフッ」

「こらー、レオーン」


 珍しくおどけたユキが、謎液体の柄杓をオレに向かって振りかぶった。

 作業の為に髪を結い上げているユキもまたかわいい。

 しかしフクタチが背伸びをして泥だらけの手をオレの頬に擦り付けたので、ユキといちゃつく代わりにフクタチを追い回す。常に遊びの中心にならなければ気の済まないアポロが、一直線に駆け寄ってくる。


「待て待てアポロ来るな、すまんすまん、どんどんやろう」


 腕を捲り上げて再び土を混ぜ始めた。一度遊び始めると、アポロとフクタチはとにかくしつこいので、日が暮れてしまうのだ。オレはさっさと終わらせて税金の計算がしたかったのだ。

 気を取り直してユキの畑の下準備に精を出し、一時間ほどで農作業を終わらせた。


 片付けを済ませたユキがさりげない調子でフクタチに話しかけ、オレは横で聞き耳を立てる。


「ねえフクタチ、私とレオンは地下倉庫で在庫の確認と税金の計算をしに行くけど、フクタチも手伝う? アポロちゃんと遊んでてもいいわよ」

「ええーと、遊んでてもいいの?」

「うん。テーブルの上にビスケットを置いといたから後で食べなさい」

「うん!」


 フクタチが満面の笑みでテーブルに走りかけたが、急に立ち止まり真顔で振り返った。


「ねえユキちゃん、ゼーキンって偉い人に払う金貨のことだよねえ? ユキちゃんとレオンお兄ちゃんは一番えらいのに、いったい誰に払うの? それとも貰うの?」


 オレとユキは顔を見合わせた。


「そ、それはねフクタチ、あのね……ねえ? レオン」

「おう、おおう。それはだな」

「それは?」

「つまりオレとユキは尊敬し合っているから偉さは関係ない。お互いが税金を払い合っているんだよ。そうする事でより結び付きが強まる」


 オレは何を言っているんだろう。

 もちろんフクタチは納得がいかないという顔であったが、アポロがビスケットに向かって走り出したので、釣られて走り出した。でかしたぞアポロよ。

 僅かに頬を染めたユキと顔を見合わせ、同時にほっと息を付いた。




 塔の地下は薄暗くかび臭い。しかしオレはそんなことは全く気にならない。あとはマッチを擦ればいいところまで暖炉の下準備をしておくが、まだ火は付けない。一人用の粗末なベッドに寝そべって、そわそわとその時を待つ。久しぶりに煙草が吸いたいなと少しだけ思った。


 耳を澄ませていると、上の階で水浴びを済ませたユキが、地下倉庫の無骨な扉をそっと開ける音が聞こえた。すぐに髪の毛の甘い香りが部屋に流れ込み、かび臭さを瞬く間に消し去った。

 オレは上半身を起こしてユキを招き入れ、ユキはベッドの端に恥ずかしそうに腰をかけピッタリと身を寄せてきた。ユキの肌が放っている温かくて心地の良いマイナスの電気が、オレのプラスの電気を引き付け激しく飢えさせる。


「寒くないかい?」

「うん、寒いけど、もう平気だよ」


 やはり暖炉に火を付けないで正解だった。暖炉なんてコンクリートで埋めてしまえ。

 胸に手を伸ばすと、ユキがくすくす笑いながらオレの手を遮った。


「ちょっと待ってくださいな、レオンさん、迷宮を作らないと」

「大丈夫だよ、今頃アポロもフクタチもお菓子食って寝てるさ」

「フフッ、だーめ」


 ベッドから立ち上がったユキを捕まえようとしたが、絹の様に艶やかな肌がオレの手を滑らせた。ユキは地下倉庫の唯一の入り口の前に戻り、扉に両方の手の平を押し当てて前傾姿勢になった。何を想像したとは言わないがオレがごくりと唾を飲み込むと、濃密な魔力が立ち込め始めた。ユキが幻術のスキルを発動したのだ。


 かつてオレが閉じ込められた図書館も同じ様にユキが作ったのだろう。

 途中で邪魔が入らないように、ユキはぶ厚い石壁で複雑な迷路を作り、強力な防衛モンスターを配置しているはずだ。幻術が罹らなかった者にはただの扉でしかないが、そうでない者には本物のダンジョンとなんら変わりがない。もちろんモンスターも倒さなければ先には進めない。

 ユキは数分間かけて幻の迷宮を作り上げた。一度、扉から手を離した後になぜか楽しげにもう一度スキルを発動し直して、それが済むとゆっくりとベッドに戻って来た。


「最後、どうしたんだい?」

「ううん、念の為にもう一人だけボスを配置したの。私のとっておきのナイト様をね」

「ふーん、ナイト様をねえ、それは――――」


 ユキが濡れた目でじっとオレを見つめていた。

 もう会話すべき時は終わったのだ。




 オレがユキの上で荒い息を付いていると、突然ユキが悲鳴のような声を上げた。


「破られた!」

「ど、どうした?」


 オレはどきりとしたが、それでも動きをほんの少し緩めただけだ。


「フクタチとアポロちゃんが幻の迷宮に侵入したみたいなの。あっという間に亡霊骸骨の防衛線を破られたわ」

「なんだと」

「上で何か緊急のことが起こったのかしら――――マッ!」


 ユキが感極まった様な声を出した。


「どうした? マン!?」

「双子のマンイーターが数秒で撃破されたわ、あの二人なんて強さなの。ねえレオン……途中で悪いけどフクタチが来ちゃうから」

「嫌だ! 絶対嫌だ!」


 オレは子供のように駄々を捏ねた。ユキと二人きりになるチャンスはそんなに多くはないのだ。前倒しで予定をこなし、いくつかの嘘を付き、やっと手に入れた時間だった。


「あの子達、迷路の壁を突き破ってるわ。なんて速さなの一直線にこっちに来てる、ねえレオン急いで――――もうダメよ、炎の巨人もたった今やられたわ。もう阻む物がないの」

「落ち着けユキ、最後にもう一体ボスを配置したろ?」

「そうレオン!」

「ユキ!」


 とっておきのナイト様が奮闘して時間を稼いでくれたようで、オレはその間になんとか思いを遂げる事が出来た。




 ばーんと乱暴に扉が開かれて、フクタチとアポロが地下にやって来た。

 二人とも戦闘の興奮で目を爛々とさせており、はっきり言って怖い。オレは食料棚にあるビンを数える振りをしながら、こっそりと服のボタンを留めた。


「ひーふーみー、合計で7個だ」

「7個ね、これなら今年の冬は越せそうね」


 ユキがそれっぽいことを言いながら、メモ用紙にへのへのもへじを書き付けた。そしてこちらに駆けつけて来るフクタチとアポロに、いま気が付いたという風に笑いかけた。演技がやや下手である。


「あら、どうしたの?」

「ユキちゃん! 何度も呼んだんだよ、なんで答えてくれなかったのー、寂しかったよー」

「ニャー」


 ユキは屈み込んで、フクタチとアポロの頭を順番に撫でた。


「フフッ、それで何かあったの?」

「えーとね、えーとね、ドルド族の人達が向こうに来ているの。はやく合図を出さないと通り過ぎちゃうかもって、私そう思ったから……」

「よく知らせてくれたわ。ありがとうフクタチ」

「でへへ、じゃあ合図の旗を振ってもいい?」

「うん、お願い」


 フクタチは嬉しそうに頷くと扉に向かって走ったが、途中で立ち止まりオレをじっと見つめた。


「レオンお兄ちゃん、やっぱりあれは幻だったんだね、お兄ちゃんにしてはコーカツさがなくて弱かったから幻かなって思ってた。また会えて、私、嬉しいよ、アポロちゃんも良かったね」

「ニャア」


 それだけ言うと二人は嵐の様に再び走り去った。オレはポカンとして見送っていたが、疑問の目をユキに向けると、ユキがそっと目を逸らした。


「……迷宮に配置したとっておきのナイト様って……オレのことだったのかな?」


 ユキが恥ずかしそうに頬を赤らめた。

 オレは嬉しいような悲しいような複雑な気持ちで、腕組みをする。ユキがオレの事をとっておきのナイト様と思ってくれたのは嬉しいが、そのとっておきのナイト様は数分で負けてしまったナイト様なのだ。しかもユキの幻のスキルは、本人の記憶やイメージに依るところが大きい。


「ぐぬぬ、しかし二人がかりだったはずだ。さすがに一対一なら負けなかったはずだ、フクタチも変身していないし」

「もちろんよ。それに幻はしょせん幻よ」

「しかし、フクタチの口ぶりからすると、オレが幻だという確信のないまま倒したようだったな。なんて危険なことを」

「ね、ねえ私達も上に行きましょう、ここは寒いわ」


 合言葉を決めねば。オレが幻か本物かを区別する合言葉を、すぐにでも決めねば。

 いやそれよりももっともっと強くならなければ。ユキのイメージしたオレが地獄の魔王すら簡単に倒すほどに。





 フクタチが塔の屋上で、受け入れを示す旗をぶんぶんと振っていた。

 ドルド族とは、最北の氷河地帯を常に移動しながら暮らしている不思議な部族のことだ。

 その姿を滅多に見せることないドルド族であるが、一年に一回か二回だけユキの丘のそばを移動するらしい。


 ユキは彼らをもてなす為に大急ぎで料理を作っている。


 ドルド族は普通の人間では立ち入ることすら出来ない雪と氷の世界で生きており、そこでしか手に入らない希少なアイテムや素材を沢山持っている。ユキはそれらのアイテムと言わば二束三文の下界の品を物々交換して貰えるという、大型貿易船の持ち主すらもしょんぼりさせるような特権貿易をしていた。

 親子三代、通い詰めてやっと少量の取り引きが可能になると言われるドルド族である。

 彼らを出迎える為ならば商人達は酒池肉林を喜んで用意するだろうが、ユキはクリームシチューとパンをせっせと作っていた。


「レオンのジーンズもね、ドルド族から貰った素材があったからあれほどの物が作れたのよ」

「そうだったのか、ユキが作ってくれたジーパンは剣も魔法も簡単には通さないもんな」

「……良い物を貰えたら、また何かレオンに作ってあげるね、今度はジーンズ以外の物をね。ああ、シチューの材料が沢山あって本当に良かった、彼らはシチューが大好物なの。お味見する?」

「うん。彼らはどんな人達なんだい?」


 ユキの差し出した木のスプーンに口を付けた。うん、うまい。スプーンを奪い取ってもう一口食べようとすると、ユキがオレの足を踏んづけた。


「とても不思議な人達よ。厳しい環境で生まれ育つ彼らは、ドルド族独自の能力を持っているの。念動力や読心術、テレパシーに予知」

「まるで超能力だな」

「うん、百歳に近いおおばば様がいるのだけれど、ある日、私がカレーシチューを作っていたら突然頭の中で呼びかけられたの『なんじゃいの、そのシチュウは、お呼ばれされてみたいもんじゃがの』って」


 ユキはその時の驚きを思い出したのかクスクスと笑った。


「ハッハッハッ、思っていたドルド族のイメージとずいぶん違うな。おっと、悪口じゃないぞ、今のは」


 窓から外を覗くと、非常にゆっくりと行軍する豆粒ほどのドルド族の一団が見えた。彼らは何をするにも何処に行くにも決して急いだりはしないのだ。


「よし、念の為、もっと薪を切って置くよ」

「うん、ありがとう」


 ドルド族は硬い屋根のある場所には基本的には入らないらしいので、畑でご馳走を振舞う事になるだろう。ああものんびりペースだと、到着する頃には日は落ち、寒さも増しているはずなので、沢山の炎が必要になるだろう。



 やはりすっかり日が暮れた頃に彼らはやって来た。


 30人ほどだろうか、全員が毛皮のフードをすっぽりと被り、その顔は見えない。

 神輿の様に担がれた木の板の上に座っているのが、恐らくアラウンド・ハンドレッドのおおばば様だろう。


 畑の周囲にいくつも篝火を燃やし、中央には大きなキャンプファイヤーをこしらえた。ありったけのテーブルや椅子を並べ、お皿たちはシチューを注がれるのを今か今かと待ち構えている。


 ユキがおおばば様に挨拶を済ませた後で、オレを引き合わせた。

 フードを外したおおばば様は頑健そのもので、眼光鋭く、江戸時代の女性のように白髪頭をきっちりと結っている。おおばば様はオレのことをしばらく睨み付けてから、いきなり野太い声で言った。


「お主ではダメじゃの。レオン殿、悪いがお主では、ユキさんとは相ふさわしくないのじゃ」

「はい?」

「おおばば様?」


 心を尽くして出迎えようとしていたオレはもちろん面食らった。

 おおばば様は大層ユキのことを気に入っているらしく、一本も歯の欠けていない口を大きく開けてユキに笑いかけた。


「ユキさんや、前にも言ったがあんたは外の者じゃ、そしてこのレオン殿も外の者であろうの? この世界で外の者と外の者が営んでも、なにも生まれはせんのじゃて」

「……そうなのですか?」

「可哀想に知らなかったんだね、あんたのような若くて見目麗しいおなごがそれでは、あまりに不憫じゃ。このおおばばに任せんしゃい、おい、ブメイ!」

「は!」


 ドルド族の一人が進み出て、毛皮のフードとマントを脱いだ。ドレッドヘアーと鍛え抜かれた褐色の肉体を持つ男が、ユキの前で膝を付いた。


「ユキさんや、この男はブメイと言ってな。まだ若いが、将来は単独で氷河熊にさえ勝てる才能をもった醜男(しこお)じゃ。この男が今回のユキさんへの土産じゃての、受け取っておくんなさい」

「ええ?」

「ユキさんは外の者じゃがの。このブメイはもちろんのこと内の者。外と内ならば、励めば命も生まれるでのう。婚姻の道具も持ってきたで今晩は祝言じゃ」


 何を言ってやがるんだ、このくそばばあは。


「誰がくそばばあじゃ。お主も男なら、女の喜びの為に身を引くのが道理じゃ、外の者」


 古い考え押し付けやがって、人の幸せは人が決める。さっさと氷河に帰れ。


「百も生きてりゃ考えも古くなるわの、この若造が。けったいな髪型をしよって」

「ちょっと二人ともケンカしないで。するならせめて私にも聞こえるようにケンカして」


 ユキが間に入ると、おおばば様はオレに向けてあっかんべーをした。オレは自分の太腿をつねって何も考えまいとする。そんなオレの様子を見ておおばばが高笑いをする。オレはキャンプファイアーの火の粉が爆ぜる音だけに耳を澄ます。


「なかなか強情な男じゃのう、あと80も若ければわしが貰ってやっても良かったがの、おいブメイ!」

「はは!」

「お主、このレオン殿と決闘せい。花嫁を賭けてな。どうじゃレオン殿?」

「……決闘は受けよう。だがもしもオレが負けてもオレはユキをあきらめないが」

「ふーん、まあよかろう、負けた男がいつまでもおなごの気を引けるとは思えんしの」


 何か言おうとしたユキを遮って、オレは広い場所に出た。

 一対一の素手の勝負。褐色のブメイが対峙して構えを取った。他のドルド族たちが小さな太鼓を取り出して、ドコドコとたたき始める。


 澄んだ闇夜の空気、火の粉と粉雪が競う様に舞い踊る。


 ブメイは引いた後ろ足にやや比重をかけて、拳を軽く握った。

 恐らくは距離を取って様子見のジャブを放ってくるのだろう。あの構えならば蹴りの可能性は低い。

 それならば一撃で決めてやろう。

 相手の軽打をさばいて、側頭部に怒りの左フック一発で十分だ。


 するとブメイがさらに後ろ足の方に体重を移した。伸ばした前足はただ地面に触れているだけで、横から紙一枚を通せそうなほどだ。こちらの大振りに合わせたカウンター狙いか。


 オレは作戦を変えた。向こうがその気ならオレも足を使い軽い打撃に徹しよう。肌から感じる力量の差からして、ブメイは何も出来ずに顔を腫らすだろう。

 しかし、踏み込みかけたその時、オレの背中に嫌な汗が流れた。

 ブメイは全く姿勢を変えていないが、全体重がいつの間にか後ろ足から前足に移っている。今度は被弾覚悟で大砲を打ち込むつもりだろう。

 まるでオレの心の中の作戦が読まれているようだ。


 (これは、まさか予知か読心の力を使った格闘術なのか?)


 だとすればスピードとパワーではかなりオレに分があるとしても、勝負は分らない。それなりに手加減をするつもりであったが、それほど甘い相手ではない。殺すつもりでやらなければ負ける。


 ブメイは余裕の表情で、己の体重を前に後ろに移している。

 しかし、ブメイの右拳がわずかに武者震いしたことをオレは見逃さなかった。オレは左目がぼんやりとしか見えない。ブメイはどこかのタイミングで必ずオレの左側の死角に回り込んでくるはずだ。そして右拳のえぐる様な攻撃が来るだろう。


 しかしそれこそがブメイが死ぬ瞬間となる。


 オレは毎日ハービーやグランデュエリルに手伝って貰い、死角に潜り込んで来る相手に組み付いては絞め殺す練習を、しつこくしつこく続けていたのだ。相手の体に触れてさえしまえば、まるで見ているかのように相手の動きが分る時もあった。ついに実戦でそれを試せる機会が来たのだ。オレは喜びを抑えきれず、唇の端を吊り上げてニヤリと笑った。


 突如、ブメイの両足から体重が消え失せた。

 どこだ、どこにいった?

 ブメイはその場で、鋼の肉体の重みを両方の膝に移し、そのまま両膝を地面にぶつけた。


「参りましたぁ!」

「……はあ?」


 オレがぽかんとしていると、おおばば様が物凄い勢いで立ち上がり「勝負あり」と怒鳴った。そしてつかつかとブメイに歩み寄ると、頭をパカンと叩いた。


「この馬鹿たれがあ、予知格闘術の予知の部分にだけ溺れよって。少しは戦わんか!」

「しかし、ばば様。あの御仁の強さは――――」

「口答えすな! お主に見えることがこのわしに見えぬと思うか! 本物の強さに触れる機会をわざわざ作ってやったというのに、わしに恥をかかせおって。お主の間抜けさは、さすがのわしも見えんかったわいの」


 おおばば様がもう一度ブメイのドレッドヘアーを叩いた。

 ユキがオレのそばにやって来て、まるで拳の熱を冷ますかのように手を重ねた。おおばば様はひとしきり不満をぶちまけると、オレとユキを交互に眺めてからため息を付いた。


「仕方がないのう、おいブメイ『氷玉』を持って来い」

「しかしばば様、今年は氷玉は二つしか取れませんでした、それをドルドではない者に使うのは」

「いいからはよ持って来い」


 おおばば様がもう怒り疲れたという風に言い、ドルド族達に何か指示を出した。そしてオレとユキの手を引いて畑の中央にあるキャンプファイアーの前に立たせた。


「これは詫びと、礼じゃと思ってくれれば良い」


 有無を言わせぬ調子である。

 おおばば様はブメイから受け取った青いビー玉を口に放り込むと、祈りの呪文を唱え始めた。

 ドルド族がキャンプファイアーを円陣で囲み、踊り始める。なんだろうとユキを振りかぶると、ユキは肩をすくめてニコリと笑った。狐の尻尾に撫でられる様な火の熱を頬に感じながら、何故だか懐かしい気持ちになり、どちらからともなく身を寄せ合った。


 おおばば様のお祈りは10分ほど続き、唐突に終わった。


「うむ、術は成功じゃ。しかし外の者に使ったのはわしも初めてじゃてのう、結果はどうなるかはわからんが許せよ」

「おおばば様、何の術なのでしょうか?」

「ん? 言わなかったかの?」

「聞いてないぞ。何かの加護でもくれたのかい?」

「加護ではないのう。今のはな、子を成せぬ夫婦に神の力で子を授けるドルド族の伝承魔法じゃ」

「……」

「……」


 ユキがはっとして自分のお腹に手を当てる。おおばば様も腕を伸ばしユキのお腹に手の平をじっと押し当てた。


「ううん? まだ出来ておらんのう、はっきりと手応えを感じたはずじゃが。しかし、術自体は成功しておるから畑の準備はオーケーじゃて、種蒔きに励めばいずれは身ごもるはずじゃ。さっきも言った通り確約は出来んがの」

「……」

「しかしお主ら二人は本当に不思議な存在じゃのう。普段の術の何倍もの魔力をごっそり持っていかれたわい。もうわしはへとへとじゃ」

「すぐに食事の支度を致しますわ、おおばば様」


 ユキが弾むような足取りで、食事の準備をしに言った。

 オレはおおばば様を睨み付けて「余計な事をしやがって」と心の中で思ったが、おおばば様は勝ち誇った様な顔でオレを見返した。オレが心の奥底では喜んでいる事を、ばば様は勝手に盗み見たのだろう。


 ふと視線を感じて振り返ると、フクタチが慌てて顔を背け、ユキの後を追いかけた。




 世間ではドルド族の事を『神の子供たち』あるいは『氷河の世捨て人』などと呼んでいたが、実際の彼らは陽気で気持ちの良い人達だった。ユキの作ったシチューと焼き立てのパンを美味そうに平らげ、強い酒を少しづつ飲んではお喋りに花を咲かせた。オレがアメリカンジョークを飛ばすと、彼らからは氷河ジョークがきっちりと返ってきた。

 食事が済むと燃え盛る篝火のそばで踊ったり、相撲を取ったりして遊んだ。ちなみにフクタチと相撲を取ったブメイが二十メートルほど投げ飛ばされて、またおおばば様に怒られていた。可哀想に。


 ユキの片付けをしばらく手伝ってから畑に戻ると、フクタチが隅っこに一人でしゃがみ、ドルド族の踊りをぼんやりと見物していた。オレは此れ幸いと近づいて行き、フクタチに合言葉を教えた。


「いいかフクタチ、今後、もしも幻のオレと出合った時は戦う前に合言葉を言うんだぞ」

「なんで?」

「合言葉を知っていれば本物、知らなければ偽者ってことだ。いいか、山!」

「川?」

「サンダー!」

「フラッシュ?」

「お腹が空いたら!」

「ビスケットォ!」

「よし、そうだ。これはユキにも言っちゃダメだぞ、二人だけの秘密だ」


 何度か練習をしているうちにフクタチはすっかり合言葉が気に入った様だった。

 ご褒美にキッチンからこっそり持ってきた甘いビスケットを渡すと、嬉しそうに笑った。しかし、何故だか急に悲しげな顔になり、ユキの手作りビスケットを大切そうにポケットにしまった。


「ねえ、レオンのお兄ちゃん」

「んー? なんだい」

「ずっと考えてたんだけどね、私、もう枯れようかなって」


 オレはびっくりして、ドライアドの少女の顔を覗き込んだ。


「枯れるって……何言ってるんだ?」

「私だってね、もう子供じゃないからちゃんと分ってるんだよ。私が居るせいでユキちゃんは好きな人と一緒に暮らせないの。私と畑に縛られているから」

「……」

「私とユキちゃんは一心同体なの、私はユキちゃんを守る為に生まれた。ユキちゃんの望みは私の望み、だから私が枯れれば二人の――――え?」

「山!」

「……川。だからね私が枯れれば――――」

「サンダー!」

「フラッシュ! ねえちゃんと聞いてよ!」

「お腹が空いたら」

「ビスケット! 今はビスケットなんて食べたくないの!」


 オレは手を伸ばしてフクタチの緑色のお団子頭を鷲掴みにし、これ以上ないほど真剣な顔で睨み付けた。負けじと睨み返すフクタチの手を優しく握ると、やがて彼女はしくしくと泣き出した。


「もう二度とつまらねえ事を言うんじゃねえぞ、じゃないと自慢のお団子頭を引っこ抜いちまうからな」

「……うん」

「なあ、悪かったな。大体オレは考えが足りねえんだよ、いつもさ」


 フクタチの涙を親指で拭いてやった。

 ふと気になって振り返ると、踊りの輪の向こう側に居るおおばば様が、口元に優しい微笑を浮かべ、顔を俯けながら毛皮のフードをすっぽりと被り直したところだった。




 ☆☆☆



 移動式寝台を竹美に押してもらい外に出ると、右手のガレージから元気の良い工具の音が聞こえてきた。


 派手な外見の割りに真面目でプレッシャーを感じやすい竹美が、目を引き攣らせている。

 隔月でユキを大学病院に運んで、検査をしてもらっているのだが今日がその日だった。看護士さんとスナフキルがユキに付いていったので、アパートの責任者を竹美が引き受けていたのだ。


 竹美はぶつぶつ言っている。


「まったくもー、レオンは家にいりゃーいいのよ。スナフの奴がいろいろ工事したから、もうアパートは要塞並に安全なんだから」

「そうもいかないよ」

「私じゃ守れないわよ? 美人で、か弱い女の子なんだからね」


 竹美は鋭い目で道の左右を見回してから、寝台をがらがらと転がす。


「あー見えないわー、どうしてこう毎日の様に霧が立つのかしらこの丘は? うっとおしいわね」


 アパートと空き地を挟んだ隣には、自動車整備工場が開けそうな広いガレージがある。シャッターが開け放たれ、人力飛行機サークルの面々がそれぞれの作業に励んでいる。キャプテンの美緒が、丸めた紙を肩に背負いながらやって来た。


「こんにちはレオンさん」

「やあ」

「また設計をやり直しました。見てください」


 いつもと同じ繋ぎのジーンズを着ている美緒が紙を広げ、オレに見せた。竹美が男子部員の尻を叩いて回る為に、嬉しそうに腕まくりをしてその場を離れて行った。


「今まではどうしても人力飛行機という範疇で設計を行なっていたのが、うまくいかない原因でした。今回は漕ぎ手のことを、もはやエンジンだと思って設計した所、うまく行きそうです。参考にしたのはイギリス空軍の木造機、デ・ハビランド・モスキートです」

「うーん、オレに作れるかなあ」

「出来るだけ簡単な作りにするつもりです、それが私の仕事ですから。それで……向こうの準備は?」

「ああ、だいぶ道具も揃って来たよ。一緒に飛行機を作るマッコイさんがとても器用な人で助かったよ」

「……家具職人になったOBがいるのですが、来週から参加してくれるそうです」


 美緒と細かい打ち合わせをしていると、タケシとケンイチ、それに漕ぎ手の堀越という部員が見回りから帰って来た。金属バットを壁に立て掛けたケンイチが麻袋を逆さまにして、中身をぶちまけた。


「レオン兄ちゃん、ほら」

「……怪我はないか?」


 今まで大きな鼠はたまに現れていたのだが、今日ケンイチが持ち帰ったのは鶏ほどもあるカマキリの死骸だった。いったい何が起こっているのか。人力飛行機部の全員がピタリと作業を止めてカマキリを凝視したが、すぐに作業を再開した。何人かの部員が「私は見てない、何も見てない」と呪文の様に繰り返している。カマキリを足で突いている美緒キャプテンを眺めていると、耳元のスピーカーからヨシヒコの声が聞こえた。


 アパートの空き部屋の一つにコンピューターや監視カメラのモニターを置いて、通信司令部として使っているのだが、そこにいる眼鏡のヨシヒコからユキ達がそろそろ帰ってくるという連絡だった。


 竹美がまたぶつぶつ言いながら、オレが横たわっている寝台を転がし始めた。




 看護師さんはユキをリビングの定位置に戻すと、椅子をオレのベッドの横まで運び、両手を膝に乗せて座った。何やら沈んだ表情である。


「ユキさんは何も異常はありませんでした」

「そうか、良かった」

「ですが……」


 いつもは事務的に何でもきっぱりと言う看護師さんが、珍しく口篭っている。


「実は少し前からユキさんの変化には気が付いていたのですが、確証なしでは決して言えることではなかったので、病院に行く今日まで黙っていました」

「うん?」

「なんというか……その……」

「……」

「ユキさんは妊娠しています」


 ボーリングの球をドスンと胸に落とされた様な衝撃を感じた。静かに眠り続けているユキになんとか視線を向ける。看護師さんはどこか諦めたような口調で話を続けた。


「ユキさんの体の事は私が任されているので、あるいは越権行為だったかも知れませんが、私自身の手で調べさせて頂きました。ユキさんは綺麗な体のままです。そのことに間違いはございません」

「……つまり」

「つまり処女懐胎です。心当たりはございますか?」



 ……はい、心当たりはあります。でもボクのせいじゃありません。たぶんおおばば様のせいです。






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