プラウド渾身の説得
「ティ、ティ、ティー」
うるさい蝿が居るなと思ってよく見ると、汚いティンカーベルこと『カンシャノキモチ』がトレントの枝の間を飛び回っていた。若木トレント達もやはり煩わしいのかティンの事をぶんぶんと枝で追い払っている。ティンが追い立てられるように精霊水鳥の巣箱の中に逃げ込むと、今度はぴしゃりと冷や水を浴びせられた。オレは洗濯物を干しているフラニーに話し掛けた。
「なあフラニー、ティンの奴いじめられてるぞ」
「あら、そうですか。召喚魔法の訓練で呼び出しているのですが」
「ずっと召喚していられるのかい?」
「はい。呼ぶ時に多量の魔力を、その後は少しづつ私の魔力を食らっています。あの子ぐらいのサイズだとほとんど気になりませんわ」
フラニーは風魔法を器用に使って、ベッドシーツを物干し竿に掛けた。ティンはレディー・トレントの枝にも追い払われて、唯一の安息の場所であるおそ松の上に落ち着いたようだ。
「洗濯を手伝って貰う為に召喚したのに仕方のない子ですわ」
「ハッハッ、しかしメンバーが増えると色々と出てくるな、アポロの奴を見ろよ」
アポロは嬉しそうに尻尾を垂直に立てて、防衛トレント達の間を我が物顔で歩き回っている。トレント達は火に弱く逆にアポロは火に強い、その事と元々の実力差も相まって、トレント達は畏怖と尊敬の感情をアポロに抱くようになっていた。横を通るアポロに若木トレント達は頭を垂れて、爪を砥いでくださいなと枝を差し出す者さえいた。
「アポロの奴、えっらそーに。用もないのにうろつきやがって」
「フフフッ、そうですわね。でもそろそろ若木の保護者たちがへそを曲げる頃ですわ」
トレント達に毎日の水をやり、戦闘中は守っている精霊水鳥たちは、えばりんぼのアポロが面白くないのは当然だ。アポロがあまり調子に乗ると、魔法で水をひっかけ始めるだろう。アポロは怒って精霊鳥を追いかけるのだが、空に逃げられてはさすがに猫の手は届かない。ならばとアポロは木の上にある鳥の巣で待ち伏せるのだが、アポロは怒ることにすぐ飽きてしまい、そのまま巣箱の中で眠ってしまうのだ。
こうなると今度は精霊鳥たちが頭を抱えてしまう。さてどうなるのかと観察していると、トレント達がそっと枝を伸ばして、巣箱で眠るアポロを慎重に取り除いてやるのだ。そしてバケツリレー方式で枝から枝にアポロを運び、最後はおそ松の上に寝かせて布団代わりの葉っぱをかければ無事終了だ。
しばらくして目を覚ましたアポロは葉っぱを頭に乗せながら「あれ? ボクはなんでこんな所で眠っているんだっけ?」と釈然としない表情をしているが、いつもの様に深くは考えずに忘れてしまう。
というミニコントをすでに3回ほど見ていたが、今日は寸劇が始まる前にオレがアポロを嗜めよう。
「アポロ、そろそろ農作業を始めるぞ。アポロが動植物軍団のリーダーなんだからそれらしく頼むぞ」
「ニャ?」
トレント達も順調に育っていたので、今日は新しい物を栽培してみたのだが、予想外の事が起こった。
栽培したのは鋼の剣とガロモロコシで合成が出来る爆裂モロコシ剣で、侵入してきたのは無限に増殖を続ける鳩のモンスターだった。
一匹一匹は対した強さではなかったので、これはトレント達の良い経験値になるな、などと思っていたのだが、ネズミ算式を甘く見すぎていた。すぐにオレ達が鳩を殺す量と、鳩が増殖するスピードがイコールになってしまい、決して解くことの出来ない難問と化してしまった。
恐らく鳩は、相手の力量を見定めて増殖するという特殊能力を持っているのだろう。しかも奴らの目的は収穫物の略奪よりも、鳩という生物種以外を抹殺することに傾いているようだ。こいつらとの勝負では強さの多寡はほとんど関係がない。勝つ為に必要なのは瞬間的なバーストパワーなのだ。
オレは戦場手話で仲間達に話し掛け、オレとアポロのブラッディー・アローに合わせて、各自が全力を出す様に伝えた。一気に火力を集中し、数の暴力を打ち砕く。しかし、もしこのパワーアタックに失敗すると、今度は鳩の増殖量がバースト時に合わせたものになってしまうので、一か八かである。世界最強の戦士ですらをついばみ殺しかねない恐ろしい敵だった。
左腕の血をアポロにたっぷりと吸わせて、光の大砲を発射した。
三分の一ほどの鳩を吹き飛ばし、残りに仲間達が殺到した。鳩は散り散りに逃げ出しながら、早くも増殖に増殖を重ねている。オレとアポロも一呼吸だけ休んだ後に鳩狩りに加わり、若木トレントや精霊水鳥たちも必死で戦っている。違和感が喉元を突き、戦いながら戦場を見回した。
見慣れない影が丘に居る。敵かと思いギクリとしながら横を見ると、細身のゴブリンが鳩と戦っていた。
そのゴブリンは軽快な動きで鳩を順々に切り裂いている。牡鹿の様に引き締まった緑色の体、まるで酸を被った様に焼け爛れた顔。フラニーが戦士タイプのゴブリン召喚を成功させたに違いない。しかし疑問と共にやたらと胸が疼く。
とにかく目の前の鳩を殺す。戦士ゴブリンがまるで競うように鳩を殺している。剣の一振りで2匹の鳩を同時に抜いたゴブリンが、爛れた顔でニヤリと笑う。負けじとオレも爪を振るうが同時に2匹は難しい。ならば手数を出すのみだ。
ふと気が付くと鳩を全滅させていた。仲間達が歓声をあげる。若木達が始めての激しい戦闘の勝利にざわざわと葉っぱを鳴らす。荒い息を付きながら細身のゴブリンに歩み寄った。ゴブリンは「もう息が切れたのかい?」と言いたげに笑い、細かいステップを踏んで見せた。間違いない。ドライフォレストの訓練所でオレが殺した、5人のゴブリン仕官候補兵のうちの一人だ。
「よお、また会ったな」
「……」
ゴブリンは何も答えない。俯いた顔が真っ暗な闇を纏い、表情を読み取る事が出来なかった。若いゴブリンは何も言わぬまま、見せ付けるように華麗な剣舞をひとしきり踊ると、ブラックホールの中に静かに帰っていった。フラニーが嬉しそうな顔で駆け寄ってくる。
「レオーン、やりましたわ! ついに丘でも戦士タイプのゴブリン召喚に成功しましたわ!」
「おう! やったなフラニー、偉いぞ!」
オレはフラニーを抱え上げて、ぐるぐると空中で回した。金髪を風で乱しながら、フラニーは嬉しそうに笑っている。ゴブリンの女王クレメンティーナは教えなかったのだろうか。それともティナも知らなかったのだろうか。あれは召喚術ではなくて、死霊術の類いじゃないか。死んであちら側に行ったゴブリン達を召喚する魔法なのだ。フラニーはたぶんその事を知らない。
別に隠した訳ではなかったが、後でちゃんと話した方が良いと思い、オレはフラニーにそのことを話さなかった。
収穫した爆裂モロコシ剣は握りの部分が赤と白の縞模様になっている。
魔力を込めて剣を振るうと、軽い炸裂音と共に一塊のポップコーンが爆誕した。夢中になって剣を振り回し、バケツ一杯分のポップコーンを作った。たいして魔力も消費しないし、これは本当にポップコーン屋さんが開けるかも知れない。
仲間たちも順番にモロコシ剣を振り、熱々のポップコーンにバターを垂らして頬張った。グランデュエリルは剣を上に向けて振って、ポップコーンを口で受け止めるという馬鹿な技を早くも開発していた。
戦闘中はどこかに隠れていたカンシャノキモチが、おずおずとこちらにやって来て、恨めしそうな目でポップコーンを見つめた。仲間達はポップコーンをトレント達に見せに行っている。
「よおティン、こっちにこいよ」
「……ティ、ティー」
オレは熱々のスナック菓子をティンのまち針の様な剣の先に指してやった。ティンは卑屈な顔でオレの様子を伺ってから、美味そうにポップコーンを食べ始めた。オレは聞こえないほどの小さな声で言った。
「なあ……お前もさ、もう死んじまってるってことなんだよな」
「ティー!」
「ハッハッ美味いか、そうか。よし、今日からお前も仲間だから、フラニーの言う事をちゃんと聞くんだぞ。フラニーが怒るとオレにもとばっちりが来るからな」
オレはポップコーンを、団子の様にティンの剣にぷすぷすと指してやった。
爆裂モロコシ剣を背中に刺して、アポロと市場に行った。
剣を持ち歩くというのは久しぶりであるが、どっしりとした重みには何やら安心感があった。ファーマーズソウルの店員や少年達にポップコーンを振舞った。もったいぶって剣を構えてから、ポップコーンを出して見せると皆が驚き喜んだ。魔力が少しでもある者ならば使う事が出来るので、オレは仮面ライダーの変身の動きをしてから剣を振り、それが正式な使い方だと嘘を教えた。
店のコックや少年グループのリーダーがやる気満々でポーズを取って剣を振り、ウェイトレスが恥ずかしそうに頬を染めながらモロコシ剣を振った。アンシブルという銀髪の少女が、言われるがままに剣を振るうと、爆竹100個分の爆発が起こり、煙が晴れた時には少女は大量のポップコーンで首まで埋もれていた。
やはり普通の娘ではない。このアンシブルという少女を、フラニーかエリンばあさんに会わせてみたら何と言うだろうか。
スラム化の兆候が見え始めている市場の一角に、少年に案内されて足を踏み入れた。大昔に美人局に引っ掛かりそうになった辺りである。目的のあばら家を見つけると、アポロだけを連れて中に入った。薄暗くてかび臭い室内。痩せこけた男が寝椅子に座っている。男は絶望の表情でしばらくオレを見つめてから、苦労して身を起こした。体の左半分が広範囲に渡って麻痺しているようだ。それでも男は笑顔を作り、オレを出迎えた。
「何か御用でしょうか?」
「ああ、訳は聞かないで欲しいがこれを使って欲しくてな」
オレは吸血ハッカの軟膏が入っている缶を差し出した。男は麻痺のしていない右手を伸ばして缶を受け取った。
「これは?」
「吸血ハッカの軟膏だ。麻痺した体を直す効果がある」
男は缶をしげしげと眺め回してから、乾いた笑い声を立てた。
「何かの冗談ですか? 体が麻痺してから私もやれる事は全部やったので、吸血ハッカの事は知っていますよ。だがとても買えるような値段ではなかったし、そもそも帝国に相当のコネがある者でなければ手に入らない希少アイテムだと、当時の医者に言われましたよ」
「いや本物だ。帝国貴族の友が、昔オレの為に手に入れてくれた物だ」
男は眉をひそめながら缶の蓋を開けて匂いを嗅いだ。薄汚れた部屋にハッカの爽やかな香りが広がる。
「仮に本物だとしても私には買えませんよ」
「いや金はいらない。ただ体を治して欲しいんだ」
「落ちる所まで落ちましたが施しは受けませんよ。それに訳がわかりません」
「施しではない。オレはそんなことはしない。代価はあなたの友人が払ってくれるだろう」
「ゆ、友人などは最早残っていない。この体になって全員去っていった」
「……」
オレと男は一分間ほど視線をぶつけ合った。
「オレはオレの事情であなたに体を治して欲しい。だが選択肢は他にもあるから、頼むのはこれが最後だ。それを使って欲しい」
「……では代金は体が治ってから私が払います。インチキなら体は治らないから金も払えない。それでいいですか?」
「いいだろう、とにかく体が治ってからだ。その軟膏を麻痺している部分によく擦り込んで、半月続ければ動くようになるだろう。ただし最初はヒンヤリするだけだが、途中からは死ぬほど痛むらしい」
「痛みなど味わい尽くしましたよ」
小さな窓から強い日差しが差し込んだ。その光は絶望のたっぷり染み込んだ部屋の中を、少しの間だけ照らしていたが、すぐに光が弱まり元のかび臭い部屋に戻った。なんだかオレがずっと住んでいたアパートの一室にそっくりじゃないか。しかし必要以上の同情心は育てまい。
オレは次の用事を済ませる為に、市場の消防警備団が入っている建物を目指した。少年に案内されるまでもなく、その場所はすぐに見つかった。まるで大使館の様な、威厳と清潔感を前面に押し出した立派な建物だったからだ。プラウドとの約束の旨を告げると、待合室に通された。自分があたかも戦いの前の様に緊張している事に気が付いた。
しばらく待っていると、奥の部屋から見覚えのある人物が退出して来た。
ベンの誕生パーティーの時に会った、それなりに有力な帝国貴族の1人である。その貴族は新品のブループラチナの剣を満足そうに抱えていたが、オレに気が付くと表情を硬くして、軽く目礼をしてから去って行った。
プラウドの秘書が部屋から出て来て、オレを招き入れる。
扉には『消防警備団 副団長プラウド』というプレートが貼り付いていた。
「かっかっかっ、レオン殿やっとお会い出来ましたな。どうぞお座りください」
オレは長演説の予感にうんざりしながら、プラウドと対峙した。
プラウドはまるで祭壇の様な高級机の後ろにある、重厚な革張りの椅子に座っていた。そして、目の前の背の低いソファーを指し示した。客がソファーに座れば、自然とプラウドを見上げる形で話しが進む事になるだろう。そんな圧迫面接はごめんなので、オレは無視して立ったままでいた。
プラウドは三白眼でオレを睨み付け、ポマードべったりの黒髪を撫で付けた。ニヤリと笑う。
「かっかっかっ、さすがはレオン殿といった所ですか。先程の帝国人はなんの迷いもなくその低い椅子に座ってくれましてねえ。あの間抜けな貴族の内々の中立を買うのに、イエロープラチナを用意していましたが、ランク下のブループラチナの剣で済みましたな」
プラウドは獰猛な笑顔を見せながら、窓際にある向かい合わせのソファーに移動した。警戒しながらオレも対面に座る。扉が開き、胸に『消防警備団 団長ゴメス』という名札の付いた男がやって来て、ソファーの間のテーブルにお茶を2つ置いた。副団長のプラウドは団長をしっしっと手を振って部屋から追い払い、お茶をぐびりと飲んだ。そしてテーブルに置いてあった白紙の議事録の紙束の上に、雫を垂らしながらカップを乗せた。
プラウドは公益の組織である消防警備団を完全に支配下に置いて、ここを拠点に買収工作、寝返り工作に励んでいるのだ。さっきの帝国貴族は、カンパニー側に落ちたのだろう。オレはプラウドを威圧する為に、アポロをテーブルの上に乗せた。
「さてレオン殿、本題に入りましょうか。そういえば帝国側から何かの条件を提示されましたかな?」
「……いや。高圧的な文書が何通か送られては来たが」
「かっかっ、そうでしょうそうでしょう。所詮、新世界でも帝国は帝国ですよ。才気溢れるソフィア・クルバルスは権力掌握を進めてはいますが、戦争には間に合わないでしょうな。間に合わせないと言うべきか」
プラウドは胸元から黒革の手帳を取り出して、パラパラと捲った。
「ベン殿とは数回お会いしましたが、実に優秀な若者だ。カンパニー側に立てば、将来はモンサン博士の研究チームで右腕となるでしょうな。ベン殿は迷われているはずです」
「ふん」
「まあ帝国貴族のベン殿とその盟友のレオン殿が、カンパニー側で戦うというのは非現実的かもしれませんな。もちろんその決断をしていただければそれ相応の物はお出し致しますが、内々の中立を約束して頂ければモンサン博士もお喜びになるでしょう」
アポロは退屈したのか眠り始めた。プラウドは立ち上がり、黒い服の皺を伸ばしながら窓の外を眺めた。
「どうでしょう、レオン殿。少し広い視点で物事をご覧になっては。確かに今、市場も石版世界も活気と好況に沸き立っています。しかし帝国が世界を制すれば、現状は長くは続きません。すぐに富と権力の集約が始まり、若者達にチャンスはなくなり、無自覚の半奴隷が世界に溢れるでしょうな。それが帝国流のやり方だからです。すでにその兆候は現れていますよ」
オレは先程通り抜けた貧民街の、すえた匂いと暗い曲がり角を思い出した。しかしカンパニーは。
「いやレオン殿。モンサン・カンパニーが帝国流の経済に乗っかって、荒稼ぎをしている事は分かっておりますよ。このプラウドがやったことですからな。モンサン博士の理想の世界を実現する為には、力が必要です。モンサン博士の理想はご存知ですかな?」
「ああ、やたらと宣伝されているからな。同調してカンパニー側に走る者も多いと聞く」
テーブルで眠っているアポロがごろりと寝返りを打ち、仰向けで眠り始めた。
「博士は苦労人でしてな。若い頃は生活の糧を得るために多くの時間を取られ、寝る時間を削って研究なされました。博士は仰いました『豊かな社会とは、誰もが一日の大半をやりたい事に専念出来る社会なのでは?』と、かっかっかっ、とんだ絵空事ですな。博士は人間が善であると信じているのです」
「……」
「しかし、石版世界の異常な生産力があればそれは簡単に実現が可能なのです。事実、モンサン博士の丘ではほぼ実現しております。モンサン人は一日のうちのごく僅かな時間を、丘の為の労働に使います。それだけやれば、誰もが生活に必要なすべての物を手に入れる事が出来るのです。残りの時間はやりたい事をやればよい。何もしなくても構わない」
朝起きてから2、3時間ほど働けば、後は堂々と趣味に時間を使う事が出来る社会か。しかし、そう上手くいくのだろうか。
「我が丘では毎晩の様に劇場が開かれ、音楽、小説、スポーツ、ありとあらゆる娯楽が揃っており、そのすべてが無料です。若者達は競うように新しい芸術や研究に精を出している。良い物を作った者は尊敬され、金で買えるよりも多くの物を手にします。人々は金の為ではなく、尊敬を得るためにそれぞれの課題に向き合っている。真の芸術や金になりにくい基礎研究が発展する為には、無条件に生活が保障されている事が絶対なのです。銭勘定をしながらでは、それ相応の物しか生まれません」
古代ギリシア人は、奴隷たちに労働をすべて押し付けたおかげで、完全に自由な心で詩作や数学や哲学に励んだ。その時代に生まれた作品や概念は数千年がたった今でも、色褪せることなく輝きを放っている。
「まるでユートピアだな。モンサン博士に会っていなかったら、反吐が出るぜと言うところだが……」
「かっかっ、そうでしょうとも」
「でもそんな社会が実現したら、あんたの様な人間はもう不必要になるのでは?」
プラウドは窓から離れてソファに戻り、奇妙な親しみの篭った顔でオレを見つめた。それは長距離列車でたまたま同席した二人が、誰も読まない古くて分厚い本を同時に鞄から取り出した時の様な顔だった。
「確かにそうですな。他人を踏み付け、どんな卑怯な手を使ってでも勝ち上がらなければ生きてはいけない、そんな風に長年やってきた私や……あるいはレオン殿の様な人間は新しい世界に適応できんでしょうな。しかし、私はモンサン・バードリーという男が思い描いた世界を実現させたい。そして念願叶った後にまだ私が生きていたのならば、私は一杯飲んで仕事の成果を眺めてから、別の世界に去るでしょう。しかし、未来の子供達に、帝国だけではない他の選択肢を与えられた事を私は生涯、ほこりに思えるはずです。レオン殿、どうか我らに力をお貸しください!」
歌舞伎役者が大見得を切った後のように、部屋がしんと静まり返った。プラウドの力強い言葉は、鍛え上げられたオレの腹筋を素通りして、五臓六腑にダメージを与えた。剣や魔法は装甲で防げても、言葉は貫通属性を持っているのだ。モンサン博士がキリストなら、プラウドは伝道者パウロか。
その言葉が響いたのには理由があった。
あちらの世界に嫌気がさしてこの世界にやって来たオレは、さいきん心に小骨が引っかかっているのを感じていた。丘債の発行、効率の良い経営、フォレスビールによる古い酒の駆逐、そういう事をする度にいよいよ違和感は高まる。これでは向こうと同じではないかと。
ゲームの世界が現実に近づいている、そんなの全然面白くないよと。
オレの心に揺らぎを見透かしたように、プラウドが指をパチリと鳴らした。
眼鏡を掛けた秘書が、ビリヤード台そっくりのテーブルをがらがらとそばに移動させ、覆っていた布を丁重に剥ぎ取った。テーブルの上には魔力の最大値を増加してくれるマジックパセリが軍隊の整列の様に並んでいる。しかしいつもの見慣れたマジックパセリとは何処かが違う。何と言うか荒々しい感じがするのだ。
「これは変換不能処理を施していない生のマジックパセリです。これの作り方はカンパニーでも2人しか知らされておりませんし、高度な鑑定アイテムでも解読不可能です。まさに神の技ですからな。こんな物があっては世界のバランスが成り立たない。凡人が魔法使いに、魔法使いが大魔道士に成る事が容易になってしまう。帝国がカンパニーに勝てない大きな理由でもあります」
「……」
「マジックパセリの製法の譲渡。これがレオン殿がカンパニー側で戦う場合の報酬です」
頭の中で銅鑼を打ち鳴らされた様な思いがした。
魔力増加アイテムはいくつかあるが、マジックパセリは物が違う。他の物は元から持っている才能を超えてしまえば急激に効果が薄くなるが、マジックパセリにはそれがない。つまりエリンばあさんが雷を何度も打てる様になり、フラニーが台風を5つ同時に発生させられる様になり、オレは異次元パリィの闇のオーロラを自由自在に操れる様になるということだ。
「随分とオレは高評価なんだな」
「失礼ですがレオン殿のことを調べましたよ。しかしあなたがどこから来たのか何者なのか丸っきり分からない。手掛かりすらない。またカルゴラシティでゲートを使われましたな」
「ああ」
「あなたが金貨を何処に送ったのか、なぜ桁違いのエネルギーをゲートが消費したのかもさっぱり分からない。博士でさえも分からない。あなたの様な男は今まで2人しかおりません。1人は大昔に絶対中立地帯である市場を作り上げた長髪の男。もう1人はカルゴラ砂漠で大盗賊団を組織して、西方地帯を地獄に陥れた男。高評価の理由は十分なのですよ」
プラウドは言うべき事はもう全部言ったという風に肩の力を抜き、手の平を組み合わせてじっと黙り込んだ。あとはオレが返事をするだけだ。遠くで鐘のなる音が聞こえ、微かな風が頬を撫でた。アポロがおもむろに眠りから醒め、机の上で仁王立ちになった。
「プラウドさん、あんたの言葉には心を動かされたよ。それにモンサン博士の思う世界はオレが思う理想の世界に近い。しかし、オレはモンサン・カンパニー側で戦う事は出来ない」
「……」
「理由の1つは地理的な条件だ。オレとベンの丘は辺境と言ってもいい場所にあるが、帝国の版図のちょうど真下部分にある。もしカンパニー側に付けば、オレとベンは戦争の間はずっと丘で防衛戦をする事になるだろう。オレ達はそれを望まない」
「カンパニーは機動魔法部隊と魔法障壁工兵を迅速にそちらに送る準備があります。これは帝国ユニーコーン騎兵と重砲に対抗する為に開発された部隊です。あなた達を捨て駒の様な扱いには決してしません」
プラウドは食い下がったが、もうオレの心は決まっていた。
「理由のもう1つはソフィア・クルバルスだ。あの女は軍神だよ。戦場で人に命を捨てる覚悟をさせるには、理想の世界だけでは弱いんだ。もっとわかり易くて目に見えるもの、問答無用の説得力が必要なんだ。モンサン博士は戦場には立てない」
「……」
「宣言する。レオン・シュガーベル、ベン・トール、及びラッコ・コボルト族は辺境同盟を結成した。辺境同盟は帝国貴族ダーマ・スパイラルと盟友関係がある。よってダーマの丘が攻撃された場合、理由の如何を問わず辺境同盟は援軍を送る」
アポロが尻尾を膨らませて、にゃあと一声鳴いた。プラウドがびくりと背筋を伸ばした後で、鼻から息を漏らした。
「つまりレオン殿は帝国側に付くが、戦力の指揮権は100パーセント辺境同盟として保持するということですな。果たしてそれを帝国側が許しますかな。下手をすれば見せしめとして、両方の陣営から攻撃されかねませんぞ」
「許させるさ。オレ達が戦う戦場はオレ達が選ぶ」
アポロが一度振り返ってオレの顔を見てから、もう一度にゃあと鳴いた。プラウドは表情を隠しながら、頭を高速回転させているようだったが、何度か首を振った後で溜息を付いた。
「カンパニーにとってダーマの丘は放置が許されない場所にある。敵ですな……レオン殿は」
「そうなるな」
「残念です。どちらの立場を取るにしろ、あなたはなるべく非戦の道を選ぶような気が何となくしておりましたが」
「世界を2つに分けて戦うって時に、激戦地に行きたくない戦士はいないぜ」
「かっかっ、そうですな」
プラウドは可笑しそうに笑った後に、なぜそんな簡単な事に気が付かなかったのだろうとおでこに手の平を当てた。そして眼鏡の秘書に指示を出し、生のマジックパセリを鞄に詰めさせた。
「レオン殿には奴隷市場で命を助けられた借りがありましたな。もはや返す機会はありそうにないので、このマジックパセリを持って行ってください。丁重に栽培と変換をすれば数百は収穫出来るはずです」
「敵の力を増してもいいのかい?」
「私は借りは必ず返す男です。それに戦争の帰結は変わりませんよ」
「ありがたく貰おう」
「ええ……それでは前哨戦でお会いしましょう」
話が終わり、立ち上がったオレとプラウドはどちらからともなく握手を交わした。
◆◆◆
人気の無い坂道を十人ほどの若者がぶらぶらと登っていた。プラスティックの破片の様な桜の花びらが、整備したての道路の上をころころと転がっている。その集団の頭目と思われるつなぎのジーンズを着た女性が、前を歩いていた痩せた筋肉質の男を蹴飛ばして文句を言った。
「なあ堀越、何であたし達がこんな所にいるんだ?」
「すいません美緒キャプテン。でも教授が行けば単位をくれると仰いまして。それは半ば脅しでありました故」
「あたしは単位は足りてるんだよ、堀越!」
「まあ、そう言わずに。自分は単位が必要であります」
その教授の単位が欲しい者たちが、つなぎの女性を宥めながら背中をぐいぐいと押して坂を上らせた。
彼らは某大学の、伝統と栄光に輝く人力飛行機サークルの主なメンバーだった。昔は常勝チームだった飛行機部だが、ここ数年の鳥ヒューマンコンテストでは思うような活動が出来ず、それゆえ新キャプテンの女性は雪辱に燃えていた。
「しょうがない堀越だな。あたしは忙しいというのに」
彼女は実際に忙しかった。彼女にはサークル活動以外にもやりたい事や胸に秘めた計画が沢山あったが、もう何年もしないうちに社会に出なければならない。時間はあまりにも限られている。就職という離陸に失敗すれば、野望の実現どころか生活が危うい。
人っ子一人いない不思議な町だった。丘の頂上に近づいたのか坂の傾斜が緩くなり、心地の良い微風が吹きぬけている。彼女は無意識のうちに、人力飛行機を飛び立たす為の計算式を頭の中に思い浮かべた。ここから飛び立ち東京の空を一周したら、さぞかし気持ちが良いだろう。
美緒が空を見ようと顔を上げると、遠くの方に少年二人が立って居た。サッカーのユニホームに野球の金属バットというあべこべの格好だったが、それより注意を引いたのは少年達の足元で死んでいる大きなネズミだった。1人が慣れた様子で死骸を袋に入れて立ち去り、もう1人がこちらに駆け寄って来る。サークルの仲間達がぽかんと口を開けていた。
「なあ、今のなんだ」
「ネズミだろ」
「兎ぐらいあったぞ」
「目の錯覚だろう、坂道だしな。来るぞ」
少年はそばまで来ると礼儀正しく挨拶をしてから「ご案内致します、ええと、少しだけ戻らないとダメです」そう言ってから坂を下り始めた。全員が呆気に取られていたが、美緒が口をぎゅっと結んで少年の後を追い掛けると、ぞろぞろと若者たちも歩き出した。50メートルほど元来た道を下ると、少年はちらりとこちらを振り返ってから、角を曲がった。
「おい、こんな道さっきは無かったぞ」
「無かったか?」
「いや、あったろ」
「嫌な予感がする。帰った方がいいんじゃないか?」
美緒が構わず進んで行くので、サークルの仲間達もおずおずと薄暗い曲がり角に足を踏み入れた。
人力飛行機のパイロット兼漕ぎ手である堀越は、無性に腕立て伏せをしたい欲求と戦いながら、心細い目で美緒キャプテンを見た。どんな時も余裕綽々でつなぎの前ポケットに手を突っ込んでいるキャプテンが、身構えるように握り拳を露出している。それほど目の前の光景は異常だった。
少年に案内されてアパートの玄関をくぐり、広いフローリングの部屋に通されたのだが、そこにはベッドが2つ並んでいた。1つにはお人形さんの様に白い肌の美少女が、喉に管を通された姿で眠っており、もう1つのベッドでは機械やモニターに囲まれた男性が、微動だにせず堀越達を出迎えた。その男が機械を使って話した事もやはり異常だった。
「仮の話と思って聞いて欲しいが、無人島に1人の男が閉じ込められている。その男は普通の人間の数倍の体力を持っている。無人島から脱出したいが、とある理由で船を使うことは難しい。男は人力飛行機で3、4日の距離にある場所まで行けるのではと考えている」
荒唐無稽な話しであったが、誰も口を差し挟まなかった。中年の看護師とどう見ても本物にしか見えないライフルを持った外国人が、向こうの壁際で楽しそうにお喋りをしている。
「男は季節に詳しく、海に晴天が続く時期を知っている。島には木材や布、金属も少しはあり、男はそれらの加工技術を持っている。また道具と例えばチェーンやワイヤー等を少しであれば島に持ち込む事が出来る」
「……」
「君たちにやって貰いたいのは、条件に叶う人力飛行機の設計とそれを作る所を実際にオレに見せる事だ。アパートの隣に急ごしらえだが大きなガレージを建てたから、そこでやって貰いたい。資金はいくらでも用意するし、望むだけの報酬も出す」
外国人の男がふらりとやって来て、無造作に鞄を開いた。中には一万円札の束がぎっしりと詰まっていた。ごくりと喉を鳴らす音がいくつも響いた。言っていることは訳が分らないが、体が動かないこの男は本気で言っているのだ。堀越を始め人力飛行機サークルの面々が、美緒キャプテンの顔色を伺った。美緒はつなぎのポケットに両手を突っ込むと、きっぱりと言った。
「お断りします。次のコンテストに向けての活動も始まっていますし、あたし達はやる事が沢山ありますから。失礼ですがお金持ちの道楽には付き合えません。自宅の庭にストーンヘンジを造らせた金持ちの話を聞いた時は、信じられませんでしたが、本当にそういう事はあるのですね、失礼致します」
美緒が踵を返して出口に向かうと、ベッドの男はとある名前を口に出した。
ぴたりと美緒の足が止まり、怒り狂った表情で振り返った。その名前は軽々しく出してはいけない名前だった。その名前の持ち主は美緒やそこにいる何人かの仲間達が、新入生として人力飛行機部に入った時のキャプテンの名前だった。先輩は太陽の様な明るい男で、当時のエースパイロットだった。
そして飛行中の事故。半身の付随。
幾人かが辞めて行き、世間の風当たりが強くなり、人力飛行機部は廃部すれすれまでいった。
フローリングの床をメンバー達が一歩ずつ歩み寄り、美緒を中心に陣形を取った。もうへらへらしている者は誰も居ない。
「彼に会って来たよ。君たちがオレに協力をしてくれるなら、見返りとして彼の体の自由を取り戻す事を約束する」
「そんないい加減なことを――――」
美緒は言葉を詰まらせて、隣のベッドの少女を見つめた。
先程までは寝巻き姿だったはずの少女が、セーラー服を着ており、喉のチューブも無くなっている。
ああ、なんて綺麗なコなんだろう、と美緒は思った。堀越に肩を掴まれ、促された方を見ると、部屋の壁が消えてなくなり丘の景色が広がっていた。そして木製の人力飛行機が坂道を滑走し、空に向けて今まさに飛び立とうとしていた。
美緒はごしごしと目を擦ったがその幻は消えず、飛行機はどこまでも飛び続けた。




