共棲関係
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金にまかせて買った大型ワゴン車には、思い付く限りの改造が施されていた。
様々な通信や傍受設備、高性能のコンピューターに全方向カメラ。まるで映画の中で特別捜査官が乗っている様な仕上がりだ。カモフラージュの為にホットドックスタンドの機能も兼ね備えており、もし可能ならばマシンガンと大砲も付けたことだろう。
しかし、その車に乗っているのはジェームス・ボンドではなくて、指一本動かすことも出来ずに横たわっている禄に特技もない男だ。オレはベッドに寝転がりながら、秋葉原の街を眺めていた。
車の内側に張り巡らされたモニターのおかげで、魔法の絨毯に寝転がって浮遊しているかの様な錯覚を味わうことが出来た。それはとても気持ちがいい。スナフキルは、オレの視線の動きだけで車が運転出来るようにしたかったらしいが、さすがにそれは無理だったようだ。
久しぶりに見た秋葉原の街は随分と様子が変わっていた。
ゴミ臭さや乱雑さが幾分和らぎ、変わりに小奇麗な格好をした少女たちが街を占領していた。無くなってしまった駅前のバスケットコートのことを思い出すと、胸がぎゅっと締め付けられる。この街は、もう新しい人の為の新しい街になっているのだろう。散策することが出来たらどんなに素敵だろうか。
スナフキルが駅前広場の近くに車を止めて、外に出て行った。
広場には選挙カーが止められており、先日のテレビに出ていた防衛大臣が演説をしていた。その男の繋がりを示す青い糸を追っていくと、どこかの見覚えのない沼地にいる醜悪なモンスターにリンクしていた。そのモンスターを殺せば、マイクに向かって捲くし立てているこの男も死ぬのだろう。だが夢の中で見た殺さなくてはいけない標的は何十人も居た。レオン1人ではとても全部は無理だし、取りこぼしがあれば何万という人が死ぬのだろう。だからこっちのオレ達も戦うんだ。
正義、悪、人の命、スナフキルだけに手を汚させる事。
もう細かいことをあれこれ考えるのはやめだ。とにかくやれるまでやろう。
「スナフキル標的を確認した。やってくれ」
まるで音無しの映画。音は聞こえなかった。
演説をしていた男が頭を打ち抜かれ、静かに崩れ落ちただけだった。暗殺に慣れていない群集達は、何かのパフォーマンスかと思ったのか次の動きをじっと待っている。しかし、何も起こりはしない。1人の人間が、非人間化されただけなのだ。考えることしか出来ないオレは、考えた。
これからオレとスナフキルのやることは『S』の字を持つ者を探し、繋がりを確認して、殺していけばいい。こっちで処理することが出来れば、あっちのレオンはその分の敵をスルーすることが出来るかもしれない。なんだかまるでゲームの様だが、これはゲームではないはずだ。
スナフキルが車を運転し、看護師さんは何も言わずにオレの横に座っていた。
四輪駆動が力強く丘の坂道を駆け上り、アパートに到着した。アパートの周りは建物がすっかり取り壊されており、冷たくも気持ちの良い風が通り抜けていた。この辺りの土地はほとんどオレ達の物になっていたので、風だって半分ぐらいはオレ達の物かもしれない。
自分では何も出来ないので移動寝台を車から降ろす仲間達をぼんやりと見ていると、表玄関のガラスのドアが割れんばかりの勢いで開かれた。竹ぼうきを両手で握り締めた竹美が血相を変えて、何かを喚き散らしている。スナフキルが部屋に向かって走り出し、竹美が後を追った。オレはただ見ていた。
ユキになにかあったのか?
オレは歯軋りしながら起き上がろうとしたが、起き上がることは出来ない。看護師さんが、増築したスロープを使ってオレを運んでいく。部屋に入るとオレが尋ねる前に「ユキちゃんは大丈夫よ!」と竹美が金切り声を上げた。スナフキルが部屋の片隅で真下の床を見つめている。
看護師さんに頭を傾けて貰い、オレは床に視線を向けた。
それはネズミの死骸だった。普通のネズミではない。兎ほどの大きさがあり、鍵爪の様な前歯が口から飛び出している。竹美がやってくれたのか、緊急時に心臓に突き刺す為の極太のアドレナリン注射器が、ネズミの臀部に突き刺さっている。
看護師さんがユキの眠るベッドの横までオレを運び、ユキの状態を確認し始めた。荒い息の収まらない竹美が、オレとユキの感覚のない手と手を握り合わせてくれた。ユキの手が冷たいのか暖かいのか誰かに聞かなければそんな事すら分からない。
「竹美、無事か?」
「ええ、平気よ。でも一体何なのよ、あの大きなとんでもなく大きな、嘘みたいにいやらしいネズミがとつぜんあっちから現れてそれで私は――――」
「ありがとう」
「え?」
竹美は、オレが言葉を入力するのを辛抱強く待ってくれた。
「逃げずにユキのことを守ってくれたんだね、ありがとう」
「と、当然よ。仕事だし、ユキちゃんとはすっかり友達だもの。でも特別ボーナスをくれてもよくてよ」
「……ありがとう」
そばにやって来たスナフキルと目を見合わせた。どういう事かはっきりとは分からないが、これで終わりではないだろう。なぜならネズミはすべての始まりなのだから。
――――――――――――――――
「こちらエンデヴァー号、レオンの管制下に入りましたわ」
「オーケー、エンデヴァー。風速は屋敷方向から6フラニゲップ、そのまま待機せよ」
「ラジャー」
「エレメンタルウォーターバードゼロゼロ4便、テイクオフまで3、2、1、ゴー」
仲間達が一斉に走り出し、エンデヴァー号という名の巨大凧を空に打ち上げた。精霊水鳥の巣箱の収穫も4回目となり、冗談を言えるほどにこなれて来ていた。最終的な収穫目標を15個としたのでまだまだ先は長いが、もはや安定飛行に入ったと見てよさそうだ。
ハービーとフラニーが空中戦を繰り広げている間は、正直言って下界の民は暇である。あまり他の事をする訳にも行かないので、オレは寝転がりながら新しい丘の一変した風景をしみじみと眺め回した。
まるで森林浴に来たかのような心地良さ、風が吹くたびに遠慮がちに笑う声が聞こえてくる。
オレの丘は、高さ2メートルほどの凛々しい若木たちで周囲をぐるりと囲まれていた。その数は合計で60本を越えている。これは手持ち資金の半分以上を投入して市場で購入した『防衛トレント』の若木たちだった。彼らにより浄化された空気がオレの喉を潤している。
そしておそ松のすぐ隣には、若木数本分の金貨で1本だけ購入した、防衛トレントの成木が埋められている。成木の方は高さが5、6メートルで太さも腕が回らないぐらいだが、トレントの寿命と成長力からすればまだまだ大人になったばかりという所だ。ちなみにその大人トレントの性別は、おそ松の為を思って女性である。若木たちは男女半々だ。
崩壊してしまったバッファローウォール城壁の代わりとなるのが、この防衛トレント達なのだ。気持ち悪い顔がずらりと並んでいた丘の風景は、今ではやや角張ってはいるが優しげな顔をした若者達に取って代わっていた。やはり防壁には顔がないと何か物足りないのだ。この防衛トレントというのは、言わば知性ある城壁である。
非常に防御力や耐久力が高く、見ていて分かるほどの自己再生能力まで持っているので、ほとんど修復の必要がない。自力で移動する事こそ出来ないが、長い枝で敵を薙ぎ払ったり、隣の木と手を継ぎ合わせてバリケードを作る事も出来る。さらに若木のうちは分からないのだが、成長するにつれて個体差が出てくるようで、攻撃特化のトレントや防御特化のトレント、またレアではあるが補助魔法を覚えるトレントすらいるらしい。
成長を見守りつつ、植え替えによる隊列変更なども楽しめるという、素晴らしい防衛設備である。
しかし、これだけ至れり尽くせりの防衛トレントであるが、実際に採用している丘はあまりない。用意してもらった商人によると、1、2本の採用ならば普通にあるらしいがこれだけの大量運用はどうやらオレが初めてらしい。
何故なら防衛トレントには、火に即死レベルで弱いという致命的な弱点があるからだ。
決して安くはない若木を大切に育てた挙句に、たった1本の火矢でやられてしまったら、ティッシュが何枚あっても涙が止まらないぐらいの大損である。また上位の侵入モンスターは知性が高い奴も多いので、何の遠慮なく弱点を攻められてしまう。
以前に水魔法の使い手が20本ほどの運用を試みたらしいが、防衛設備のはずのトレントを守る為に自分が最前線に立つ嵌めになり、アホらしくなって売却したという。しかし弱点を克服することさえ出来れば、最高のコストパフォーマンスを誇る防衛設備になるはずだ。
オレはニヤリと笑い、防衛トレントの枝の上に乗っかっているエレメンタル・ウォーターバードの巣箱を眺めた。巣箱と言っても犬小屋ぐらいの大きさがあるので、若木にはまだ重そうだが致し方ない。現在3つ収穫した水鳥の巣箱のうちの2つに、可愛い可愛い小鳥が住み着いていた。
水色のスズメの様な彼らは、巣箱から顔を出して不安げに上空の敵をチラチラと見ているが、戦わない様に指示を出しているので飛んで行くことはない。現時点の力では、恐らく数秒で殺されてしまうだろう。
しかし手の平で包み込めそうな小さな体だが、魔力であればすでにかなりのものを持っている。一瞬でバケツほどの水球を作り出して敵に飛ばすことが出来るのだ。またエレメンタルという名前が示す通り、この子達の体は水と光の混合物の様な不思議な物質で出来ている。
水鳥達の仕事はトレント達を火の脅威からしっかりと守る事である。そしてトレント達は敵から丘を守り、丘は彼らに生活の場と必要な物を与える。完璧な共棲関係が成り立っているように思える。利害関係が一致していてこそ仲間意識も生まれると言うものだ
可愛い水鳥達には毎日の水やりもお願いしているので、若木たちともすぐに仲良くなるだろう。
いざとなればフラニーが雨を降らすことも出来るので、防衛トレントが燃えてしまうリスクはかなり軽減出来ているはずだ。大丈夫、軽減出来ているはずだ。ただし、トレントも水鳥ももう少し成長するまでは戦力として当てにはならないが、それも楽しみのうちと思えばいい。仮に何か問題が出て来たとしても、まだ資金が底を付いている訳ではないし、対処も可能なはずだ。絶対そうだ。突飛な事に挑戦して失敗するというパターンには今回はならないはずだ。
「やいレオン、何をぼんやりしているんだ、そろそろフラニーがトランスフォーム・バードを撃墜するぞ」
「お、おう」
「ふん、お見通しだぞ。どうせ丘のことが心配なんだろう?」
「……ちっ、グラの癖に人の心を読むな」
散開陣形を取る為に背中を向けて走り出そうとしていたグラが、ふと足を止めて言った。
「たぶん大丈夫だと思うぞ。うちの不安な弟が新しい丘のことでは全然不安がってないからな」
「……」
深く考えずにグラは言ったのだろうが、それは的を得ているのかもしれない。
もし、丘の経営が失敗して路頭に迷うのならば、スキル『遠回しで不確かな予言』を持つグリィフィスが、シルバーアクセサリーを通して警告をしてくれるという気がする。でも、タケシやケンイチに駅前までちょくちょく見に行って貰ってるが、燃え盛る木の置物や、翼の折れた鳥のネックレスなどはなかったはずだ。
グラのくせに良い事を言うじゃないか。
フラニーが風魔法で撃墜したトランスフォーム・バードが、丁度オレとグランデュエリルの中間に墜落した。ぼんやりしていた訳ではないが、敵が視力の無い左手の方に高速で流れていった為に、オレは3歩分出遅れてしまった。グラが好スタートを切って走っているが、敵はダメージが薄かったのか再び飛び上がろうと羽を広げている。一番遠くにいたアポロが光速で敵に寄せているが、さすがに間に合わない。
舞い上がるハヤブサの下腹にグラが跳躍して一撃を与えたが、空に逃げ出すことを許してしまった。エリンばあさんの弓矢も何本か刺さったが、しぶといハヤブサは安全な空域まで上昇していった。フラニーはもう弾切れで再撃墜は無理だろう。いや、むしろフラニーがあぶないのか。
背筋にひやりと冷たいものが走る。のどかだった丘の風景が、突然に残酷な戦場の埃にまみれ始める。
「レオン、たぶんやったぞ!」
ポニーテールを振りながら駆け寄って来たグランデュエリルが、得意げに細身の剣を空に掲げた。宝剣赤い滝が付けた傷は簡単には塞がることがなく、それが大きな傷であれば体が空っぽになるまで滝の様に血が流れ続ける。
オレは血に濡れた宝剣とグラの自信ありげな顔を何度か見返してから、黙って空を見上げた。内心では、フラニーを逃がす為にウォーターバードに囮になれという命令を出すべきか迷いながら。
機械ハヤブサの腹部から血が流れ出ていた。まるで燃料タンクの蓋を外したかの様にだだ漏れである。地面に染み込んだ敵の血に火を付けて、走る炎の線で敵を爆破するという、映画の様な作戦を一瞬だけ想像したが、そんなことをするまでもなくハヤブサが落下し始めた。
今度は抜かりなく止めを刺し、4つ目の巣箱の収穫に成功した。
凧を無事に着陸させると、いの一番にフラニーが言った。
「グラ姉様ありがとうございます、ハヤブサのダメージが軽すぎましたわ。魔力の出し惜しみをした私のミスです」
「フヘヘ、ほーら抱っこだ、フラニー」
グランデュエリルは褒められたのが嬉しかったのか、それとも姉様と呼ばれたのが嬉しかったのか、照れた様に笑いながらフラニーをお姫様抱っこにして、休ませる為に屋敷に運んでいった。2人は仲良さそうにくすくすと笑い合っている。
最初の頃は自分よりも強い子供の存在に戸惑う事も多かったグラであったが、普段は姉として、戦いの時は従順な妹のようにフラニーの言う事を聞くという、気持ちの良い関係が出来ている様だった。
エリンばあさんを加えた女性陣の3人が炬燵を囲っているのを見ると、微笑ましいと同時に何故だか底知れぬ不安を感じるが、たぶんそれはオレの被害妄想だろう。
その後はガロモロコシや一番フォレス麦等の食料品を栽培し、トレント達に呼び寄せた雑魚モンスターと戦わせて経験を積ませていった。しばらくはこのパターンの畑仕事が続くだろう。朝早く起きて、午前中は農作業をして、たっぷりの昼飯を食べてから午後は土木作業をしたり各自の修行をしたりするのだ。
片付けをしているとグリフィスがオレのことを呼びに来た。一緒におそ松の隣に居る大人トレントの所まで歩いていくとフラニーやエリンばあさん達がすでに集まっていて、何やらうんうんと頭を捻っている。
とりあえずレディー・トレントと呼ぶ事にした成木の防衛トレントは、幹の真ん中よりやや下部分に四角いながらもはっきり女性と分かる顔がついていて、喋る事は出来ないが、年中不満顔のおそ松と違って感情表現をする事が出来た。そのレディー・トレントは寂しそうな顔をしながら、緑の生い茂った枝の1つを伸ばして、地面をがりがりと擦っていた。
フラニーの頭越しに地面を覗き込むと、象形文字の様なものが土に書き付けられている。レディー・トレントは知能が高いという個体差を持っており、それが気に入って購入したのだが、文字が書けるとは商人も言ってはいなかった。フラニーが後ろに立っているオレに寄り掛かり、頭を逸らす様にしてこちらを見上げた。
「レオン? これは絵ではなく文字なのでしょうか?」
「いや、オレも分からないんだ。誰か読めるかい?」
みんながプルプルと頭を振った。レディー・トレントは言葉が分かるのか分からないのか、オレ達のことを寂しげに見下ろしている。エリンばあさんがレディー・トレントの茶色い幹を優しく撫でた。
「うーん、市場にある図書館に行けば、もしかしたら翻訳辞典があるかも知れないな」
「では書き写して置きますわ」
「紙とペンを取ってきます」
「いえ、私が」
「いえ行って来ます、アポロ君が踏み荒らさないように見張りをお願いします」
グリィフィスが笑いながらそう言って、屋敷に走って行った。レディー・トレントは相変わらず切実な様子で同じ一文を繰り返し書き続けていた。よほど重要な事なのだろう。トレント族に迫る危険を伝えたいのかも知れないし、生き別れになった家族の行方を捜して欲しいのかも知れない。
オレは新しいクエストの予感で、胸をワクワクと弾ませた。
市場の図書館にそれらしい本があったので、フラニーの喜びそうな本と合わせて5冊ほど借りた。返却期限を守らないと図書館から宣戦布告されるという噂があるので、オレはしっかりと日付を書き留めておいた。アポロと一緒に活気に満ち溢れている屋台通りを散策していると、少年がオレを呼び止めた。
「レオンさん、探しましたよ。たったいま到着したキャラバン隊が『さまよう流木』をバザーで2つ売っています」
「ほんとか!」
「はい、仲間が手付金を渡して張り付いています」
オレは少年と一緒に走り出した。この少年は市場の比較的貧しい地区に住んでいる少年グループのリーダーで、ウォーターバードの巣箱を収穫する為の希少アイテムを確保する為に、彼らを雇っていたのだ。
中央広場に到着すると、口の達者な少年がターバンを被った色黒の商人にしきりに話しかけていた。すでに限界まで値下げ交渉が進んでいたので、オレは支払い済ませてアイテムを手に入れた。これで停滞することなく次の農作業が出来る。オレは上機嫌で、少年たちを安くて美味い食堂に連れていった。
「さあ、何でも好きなものを食べていいぞ。他の仲間たちも呼んできな」
交渉上手の少年が仲間達を呼びに行った。その間にリーダーの少年に報酬の金と新たに手付金を渡し、市場に数え切れないほどあるお店の入荷情報などの報告を受けた。
とても有能な子供達である。
もう少し付き合いが長くなったら購入代金を丸ごと預ける事を考えていたし、望むのならばオレとベンの市場の店でそれなりの待遇で雇ってもよい。やがて7、8人の少年と2、3人の少女がぞろぞろと店にやって来てオレに挨拶をしてから料理を注文し始めた。料理人達が大忙しで鉄鍋を振るい始め、食欲をそそる香ばしい匂いが店内に漂う。
晩御飯を食べれなくなるとフラニーが激怒するので、オレとアポロは串肉だけを軽く摘みながら退席のタイミングを見計らっていた。次々と運ばれ始めた料理を眺めるアポロの目が完全に座っている。リーダーの少年が、隅っこのテーブルでいつまでもメニューを広げている銀髪の少女に声をかけた。
「おいシブル、まだ注文してないのか。お前は本当に何も決められないんだな。ほらこっちのテーブルに来い決めてやるから」
銀髪の少女が音も無く立ち上がり、こちらにやって来た。遠くからだと幼く見えたが、オレの隣に座った女は10代の終わり頃であろうか。長い銀髪と虚ろな目、白よりももっと白いミルクの様な肌の色。少年が女の為にいくつかの料理を注文した。
「シブル、これでいいか?」
「わからない」
「じゃあこれを頼むからちゃんと食べるんだぞ」
「わかった」
少年が謝るように顔を向けた。
「こいつアンシブルって言う名前でシブルって呼んでいるんです。変な奴なんで挨拶しなくてすいません」
「うん、いいよ」
「ぼろ布一枚で自分達の縄張りに転がっていたんで、面倒を見てるんです。シブルは魔法が使えて自分の身は守れるけど、まともに喋れないし、自分では何もしないし何も決められないんです。ほっとくと食べる事すらしないし、たぶん病気なんです」
「そうか」
何気なく横を見ると、銀髪の少女が真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「私はアンシブル」
「よろしく、レオンだ」
「私はアンシブル、すべてのことが出来る」
「うん」
「私はアンシブル、でも何も決める事が出来ない。アンシブルはただ見ているだけ」
「……おう」
「あなたは無力な人間、でもあなたは決める事が出来る。あるいは決めたと思う事が出来る」
「……」
「おい、シブル! 変な事言ってないで食べろよ。すいません、たぶん何か酷い目にあって心が弱っているんだと思います。シブル、いいから食え」
「……アンシブル、食べる」
シブルという少女はそう言うと、まるでロボットの様に一定のリズムでスプーンを動かし始めた。ふとテーブルの下を見ると自分の膝がカタカタと震えていることに気が付いた。オレはもう一度シブルという少女をまじまじと見つめてから、食事の代金を支払って店を出た。
不思議な少女のことを考えながら歩いていると、また誰かに声を掛けられた。
オレを呼び止めた若い男は眼鏡にスーツ姿で、どこかで見覚えがあった。確かモンサンカンパニー第2秘書プラウドの部下で、奴隷市場に一緒に行った男だ。
「こんにちはレオン様」
「……こんにちは」
「実はお願いがありまして。市場にあるモンサン所有の屋敷にプラウド様が滞在中でして、プラウド様がぜひレオン様にお会いしたいと申しております」
「悪いが今日はお腹一杯なんだ」
プラウドの三白眼とポマードの匂いを思い出して、オレは隠そうともせずに顔をしかめた。
「では明日ではいかがでしょうか?」
「悪いけど明日は忙しい」
「実はプラウドから是非招待する様に強く言われておりまして、そこを何とかお願い致します。失礼ですがこれは馬車代の代わりでございます」
眼鏡の男はそう言いながら、ワインでも入っていそうな長方形の箱を開き、中をオレに見せた。箱の中には、とどまる事のない急騰を続けているマジックパセリがずらりと並んでいた。その一箱分のパセリで馬車がまるごと数台は買えてしまうだろう。そもそも金があっても買える商品ではすでになくなっていた。
プラウドのせせら笑う様な顔が浮かんできて癪に障ったが、フラニーの空を飛ぶ度に魔力酔いで真っ青になってしまう顔がそれを掻き消した。様子を伺っていたプラウドの部下が、さりげなく背中を押してくる。
「これは単なる馬車代でございまして、何かを意味するものではございません。またプラウド様は市場の消防警備団の副団長でございまして、公益の場である市場を守る為の意見交換を名のある戦士や丘の経営者達と頻繁に行なっております。これが立場や利害を超えての話し合いであることは、公開されている議事録が証明しております。明日はその形でご招待致します」
現代のビジネスマンさながらの熱心さと媚びの入り混じった口調で、若い男は淀みなく言った。まるでスーツを着ていた頃の自分を見ているようで嫌になったが、マジックパセリの魅力はあまりにも大きかったし、むしろちょうどいい機会なのかもしれない。
「わかった、明日だな?」
「ありがとうございます。お待ちしておりますレオン様」
丘に一度帰り、借りてきた本をフラニーに渡してから、急ぎベンに会いに行った。
恐らく明日、オレとベンは帝国側とモンサン・カンパニー側のどちらの陣営に付くのか、旗の色をはっきりさせることになるだろう。石版世界で力を持っている独立系の丘の多くが、いよいよ態度を明確にし始めていた。経済力では7対3でカンパニー側が有利で、軍事力でも帝国が差を詰められて5対5までになっている。カンパニー側の切り札はゲートを握っていることであり、帝国側の強みは背後にいる皇帝の圧倒的な存在感と経験豊富な戦争屋の数が揃っているという事である。
トップに立つモンサン博士とソフィア・クルバルスを比べると、光り輝く不動の太陽とダイヤモンドのお月様といった所か。
ベンとの打ち合わせを済ませてまた丘に帰ると、フラニーが翻訳作業を終えていた。
悲しそうな顔のレディー・トレントの周りに皆が集まってから、フラニーが咳払いを1つした。何故だかフラニーは気まずそうな顔をしている。
「えー、古代低地トレント語の翻訳が済みましたので、読み上げますわ。レディー・トレントはこう言っております。それと……少しですが私の方で意訳させていただきました。やはりトレントと人では言葉の選び方に――――」
「やい、フラニー。前置きが長いぞ」
フラニーがもう一度咳払いをしてからメモ用紙を掲げた。
「で、では読み上げます『隣の壁の人が気持ち悪いので、別の場所に植え替えていただけないでしょうか?』とレディー・トレントは仰っています」
「……」
「……」
「……」
「よし! 解散! 新クエストは無しだ。晩飯にしよう」
おそ松はいつもの様に不満そうな顔で虚空を見つめており、レディー・トレントは立ち去るオレ達を見て再び古代低地トレント語を地面に書き付け始めていた。
◆◆◆
少年は自分の部屋でカレンダーの23という数字を、かれこれ2時間も見つめていた。そうせずにはいられなかったからだ。
いつから23という数字に取り付かれ始めたのだろうか。少年が通っている中学校には数字が満ち溢れていた。黒板の日付、出席番号、教科書のページ数。
少年は23という数字を見つけるたびに身動きが取れなくなり、何時間でも数字を見つめ続けた。その数字はあまりにも魅力的で、少年は真っ白なノートに数字を書き付けるのが何よりの楽しみになっていた。
生活に支障が出始めていたので、親しい友人にそのことを相談してみた。
友人はハンバーガーを食べながら「それはきっと強迫性障害という病気だから、酷くなる前に治療した方がいい。秘密にするし、なんなら一緒に病院に行こう」そう言ってくれた。でもその時には、すでに鞄の中には23の数字で埋め尽くされたノートがぎっしりと詰まっていたのだ。
少年はもはや23という数字の事以外はどうでもよくなっていた。カッターナイフで自分の腕に23という数字を彫り付けると、はっきりとその数字の意味が分かった。
それは僕の突撃番号なんだ。
少年は窓を開けて、マンションの8階のベランダに出た。その時には、もう頭の中にはっきりとイメージが見えていた。飛竜に乗ったもう1人の自分が大空を飛んでいる。もう1人の自分は国と家族を守る為に命を捨てる事を覚悟していたが、同時に押し潰されそうな恐怖も感じていた。そして迷い。
やがて攻撃目標の敵の船が見えて来た。少年はベランダの鉄の柵を握り締めて、眼窩に見える大型艦船をしっかりと見つめた。両手がぶるぶると震えている。
やろうよ、僕たちはやれるよ、戦えるよ、さあ。
少年は鉄の柵を乗り越えて、狙いを定めて宙に躍り出た。
少年は風の中で最後の言葉を呟いた。
大丈夫。きっと本物の勇者が現れて、僕らの国や家族を救ってくれるから。彼がやってくるまでは僕らが戦線を支えるんだ。
薄暗い部屋の中から一部始終を眺めている少女が居た。銀色の長い髪の毛と、ミルク色の白い肌。少女は独り言を呟いた。
「私はアンシブル、私はすべてのことが出来る。でも何も決める事が出来ない。アンシブルはただ見ているだけ。誰かが決断をした時に、私は恍惚感を得る。それがアンシブルの唯一の感情」
少女はそれだけ言うと霞の様に姿を消し、実態のない電子の世界に帰っていった。
注釈、『アンシブル』とは複数のSF作家の本に登場する一種のSF用語で、宇宙間超光速通信技術、またはそのシステムネットワークの事を指します。作品により差異はありますが、アンシブルは数百万のコンピューターやシステムの集合体で、通信だけでなくネット上のすべての情報を記録分析します。一部の作品ではホログラム等で美少女に具現化、擬人化したりもします(wiki参考)
話しは変わりますが、もう1人のアポロが活躍する童話作品を投稿してみました。題名は『船乗り猫のアポロ』です。こちらの方も是非よろしくお願い致します。




