生きる為には必要な
前話で少し登場したマッコイ・ショーテルズのキャラを微修正しました。またジパレイズの正式名称をジパ・レイズに変更しました。レイズ人、レイズ軍というような言い方をされる事が多いようです。
「覚悟はよろしいか」
マッコイ・ショーテルズと名乗りを上げたその人物は、高い擬態性能を持っている草のマントを脱ぎ捨てると、木と石で造られた粗末な槍を構えた。ギラギラと輝きを放つ両眼は骸骨の様に落ち窪んでおり、ぼろぼろの衣服と異常なほどに痩せた体はゾンビそのものだ。
「待ってくれ、オレは敵じゃない」
「その手には乗らんです」
白髪交じりの髪の毛は短く刈り込まれ、皮膚は年輪を刻んでいる。どうやら初老に差し掛かっている様だが、ゾンビの実年齢など分かるはずもない。すでに槍を伸ばして踏み込んでいる老人を、オレは困惑して見つめた。
しかし思いのほか速い。
オレは危うい所で槍を弾き飛ばしたが、敵はためらう事なく次の攻撃を仕掛けている。背中に手を伸ばして新たに掴んだ奇妙な武器。それは人を殺す為に作った物だとはとても思えない。
三日月よりも細く、フックの様に大きく湾曲してしているが紛れもなく両刃の剣だ。
この武器の名前は確か。
「マッコイ・ショーテルズの技で眠れ。敵兵よ」
そう、この武器の名前はショーテル。
相手の盾や防御を湾曲部分で丁度良く躱しながら、刃先で人間の命を刈り取るのだ。もちろん切れ味も申し分ないのだろう。
しかし今度は余裕を持って躱してから、相手の胸を押して草原に転ばせた。
「よせ! オレは敵じゃない、あんたはジパ・レイズ人なんだろう? オレの半分はレイズ人の様なものだ。あんたと戦う意味がない」
再び攻撃モーションに入っていた老人がピタリと動きを止めた。そして忘れられたダムの水面に小石を投げ入れたかの様に、無表情が僅かに歪む。
「…………ジパレイズ?」
「ああそうだ。オレの名はレオン・シュガーベル。オレはエリン・シュガーベルの家族に会う為にジパレイズにどうしても行きたいんだ」
老人の顔が壊れた様に痙攣し始めた。目がそっぽを向き唇が釣り上がり、顔の半分は怒っているのに逆側は泣いている。表情筋が何かの感情を表現したいのに、あまりに長い間それをして来なかったせいで上手く形作る事が出来ないのだ。
部屋に籠ってゲームをしていた頃に、オレは鏡で同じ顔を見た事があった。
「……その名は聞いた事があるぞ」
「そうだろう? さあ武器を下ろしてくれ、ここは何処なんだい?」
「ここは……」
ゾンビの様だった初老の男が急速に蘇り始めた。頬に血が巡り、胸が呼吸を始め、引き締まった体は太陽の光をきちんと受け止め出した。オレは辛抱強く、男の復活を待つ。
「ここは……」
「うん」
「ここはジパレイズの領土だ。自分が生きて守っている限りはな。儂がこの島に流れ着いた数十年前から、一兵たりとも敵の上陸は許しておらんぞ。もっとも誰も来やしないがな」
マッコイ・ショーテルズはそう言うと寂しそうに笑った。
オレは寂しい男達を山ほど見て来たはずだったが、誰もこの男には勝てそうになかった。
山の獣道を歩くマッコイ・ショーテルズの真っ直ぐな背中を追い掛けていた。ショーテルズは時々振り返り、オレが付いて来ている事を確認する。
しばらくして海の見える高台に辿り着くと、異空間に通じていそうな堅牢な扉が、ぴったりと白い岩盤に貼りついていた。ショーテルズは歯を食い縛って扉を引き開けた。中は熊が気に入りそうな15畳ほどの空間で、色んな道具や手作りの衣服が乱雑に散らかっている。
ショーテルズは素早く中に入ると口をぎゅっと結び、片付けを始めた。
オレは扉のそばで待ち、辺りを見回す。住居の周りには作物の枯れた畑や、家畜を飼っていたらしい柵や小屋があったが、どれもが長い間使われていない様だ。分厚い扉には大型獣の爪痕が残っている。
ショーテルズは部屋を片付け終わると藁の座布団をオレに差し出し、自分は剥き出しの床の上に座った。ショーテルズはよっこいしょと掛け声を発する事も無く、剣道の座礼をするかの様な物腰だった。
「あの石碑には不思議なものを感じ、洗濯がてら時折様子を見ていたが、やはり尋常ではなかったか」
ショーテルズは先程オレが話した事を思い出したのかそう呟き、お湯を沸かし始めた。
あらためて男を見ると年の功は50代ぐらいであろうか。真っ直ぐに背筋が伸びており無駄な動きが一切なく、凛とした佇まいにはエリンばあさんと共通のものを感じた。
「ここでお一人で暮らしているのですか?」
「そうだ。もう何十年も前の話だが、とある上陸作戦の為に乗っていた輸送船が撃沈され、この島に流れ着いたのだ。当初は3人いたが、自分以外は伝染病ですぐに死んでしまった。お主も気を付けた方がよい、すまんがお茶を切らしていてな」
ショーテルズは自作のコップにお湯を入れて差し出した。家の中はひんやりと涼しい。
アポロが洞窟内をうろつき、くんくんと匂いを嗅ぎまわっている。奥の方は食料貯蔵庫になっているようだが、やはりこちらも埃を被っている。壁に備え付けられた神棚らしき物にアポロが飛び乗り、そこに置いてある白い毛皮を嗅ぎ始めた。
「よせアポロ、降りろ」
「はっは、よい。お主の相棒は好奇心が強いのだな」
「何でも一度は首を突っ込まずにいられないんだ。そしてすぐに飽きるのさ、あの毛皮は?」
「うむ、あれは儂の相棒だ。この島にいる犬に似た魔物だが、襲ってきた母親を殺した後に見つけてな。赤ん坊の犬を数匹育てたのだが、あやつ以外は成長すると敵になってしもうた。あやつだけが何故だか儂に懐いてな。きっと頭が良かったのだろう、きゃつが生きとる間は毎日たらふく食わせてやったものだ」
「幸せだったろうな」
「さてな。相棒のシロとは十数年、一緒に暮らしたが二つ前の冬に逝ってしもうた」
シロが生きていた頃は畑は豊かに実り、乳を出す家畜をシロが守っていたのだろう。そして彼がいなくなった後に、孤独というハンマーがマッコイ・ショーテルズの心を打ち砕き、畑は枯れ、家畜達は死んだのだ。
ショーテルズはしばらく良き相棒の事を思い浮かべている様だった。
「さて、聞かねばならんが本国の戦況はどうかな? 半分はレイズ人と言いましたな」
「……そ、それは」
戦況。
戦争は続いている。いや戦争は何十年も前に終わり、ジパレイズ軍は解体されている。ジパレイズは平和条約を結び、長らく繁栄している。海で遠く遠く隔たれたドライフォレストとは比べものにならないぐらい技術が進み、そのぶん魔法が衰退している。帝国や、帝国に対抗出来る様な新興国と比較的距離が近く、関わりも深い。しかし戦争はもうとっくに終わっている。
オレが言葉に詰まっていると、ショーテルズが手の平を向けた。
「いや、待て。お主にとっては聞かずもがなであるな。もしレイズ軍が勝利を収めているのなら、この辺りの海域にも魔物狩りの軍船がたまには行き来する様になるだろうし、行方不明の兵を何年も放置する事などありえない。また、レイズ軍が負けるなどという事はもっとありえん。つまり未だ激しい交戦中という訳だ」
それはまるで言い聞かせる様に。
マッコイ・ショーテルズは自分に言い聞かせる様にそう言った。寂しそうに濡れた目に確かな狂気を孕ませながら。しかしそれは生き続ける為には必要な狂気。なくてはならない狂気だった。
「その様な御仁が居られましたか」
「ああ。言い出せなかったよ、戦争が終わったってことをさ」
エリンばあさんの歯を食いしばるギリギリという音を、監視塔に吹き付ける強い風が消していた。エリンばあさんは炬燵の上に紙を広げて、簡単な地図を書いた。
「恐らくその無人島があるのはこの辺りの海域ですじゃ。戦いが終わった時に結ばれた条約で、この海域はどの国も立ち入らない緩衝地帯になっておるはずです。変わっておらねば」
「ジパレイズまでそんなに遠くないんだな。マッコイさんは何度か船を作って脱出を試みたそうだが、モンスターに船を壊されて死にかけたと言っていた」
「この辺りは海の魔物が多く、軍船でも通常の装備では立ち入らない場所ですじゃ」
「やはり海は厳しいか。空を飛べたら話は早いのだけどなあ」
腕を組んであれこれと考えるオレの事を、エリンばあさんが優しげな目で見ている。
ドライフォレストで戦っていた頃はオレが負傷したり困難にぶつかる度に、フラニーがその小さな胸を苦しませていたが、エリンばあさんは違う。
ばあさんは一度頼んだ以上は、もう迷いも遠慮も罪悪感もなく、ただただオレに任せるだけだ。それらの感情は頼んだ時点ですでに考えつくされ処理されているのだ。ばあさんは覚悟を決めてオレに頼み事をした。エリンばあさんは、もしオレが死ねと命令したら一瞬の迷いもなくそうするだろう。
「ほっほっほっレオン殿、みなが畑に出て来ましたよ」
「ん……そうか。よし、今日は今日できる事をやらねば。マッコイさんの事は後だ」
呟く様にそう言って炬燵から立ち上がった。エリンばあさんも弓を掴み立ち上がる。
炬燵の中で眠っているアポロを引っ張り出そうとすると、アポロはがりがりと爪を立てて、外の世界に出る事に抵抗した。
エレメンタル・ウォーターバードの巣箱。
それは拡張された水晶玉の鑑定機能により判明した、世間には出回っていない防衛用のアイテムだ。完成した巣箱を置けば、強力な水鳥の精霊が住み着き丘を守ってくれる。また一度定住した水鳥は敵を倒したり親密になればなるほど育ち、その姿を変えていくというまるでポケ〇ンの様な設備である。
ほぼ毎日鉱石を食わせて掃除までしてやってるのに、まるで成長しないバッファロー・ウォールのおそ松とは雲泥の差である。水が苦手なアポロには申し訳ないが、このウォーターバードが丘の防衛体制の一翼を担ってくれるはずだ。鳥だけにとはもう言うまい。
しかしその栽培条件は厳しい。
まず複数の原料アイテムが必要なのだが、市場を駆け回ってもやっと2セット分しか用意する事が出来なかったのだ。最低でも10個は巣箱が欲しいと思っているので、しばらくは市場に張り付く必要があるだろう。そして、この巣箱はフラニーが天候操作を覚えた『ストーム・ロータス』並みの上位アイテムであり、当然ボスクラスの敵が侵入してくるだろう。
大丈夫。オレ達は強くなっているし、仲間も増えたのだ。
「よし、みんな聞いてくれ」
「ウォーターバードの巣箱を収穫するためには、侵入して来たモンスターのマナを肥料にする事が必須だそうですわ。価値の高い収穫物には個別の縛りや条件があるものが多いのです」
「うん、そうだ。ボス――――」
「ボス級の敵が予想されますわ。合成に必要なアイテムはどれも高価な物ばかりですが、相手が強そうであればその事は忘れる様に、というのがレオンが決めた今日の方針です」
「うん、無理はしない。撤退の打ち上げ花火に注意してくれ」
ランドセルの隙間に小学生の縦笛の様に刺さっている花火の筒をポンポンと叩いた。畑の上で体育座りをしているグリィフィスが手を上げた。
「レオンさん、敵は複数でしょうか?」
「それは――――」
「それは現時点ではわかりませんわ。ですのでフォーメーションは臨機応変でいきましょう」
「……うん、そうだ」
フラニーの横顔を見るとなぜだかやる気に満ち溢れてキラキラと輝いている。オレも少し喋りたかった気もするが、まあいいだろう。
城壁がなくなり見晴らしだけは良くなった畑の真ん中に、必要な原料と種を埋めて、景気付けにじょうろで水を大量に掛けた。久しぶりの本格的な畑仕事を前にして、寒空にも関わらず緊張でじんわりと汗が滲んでいる。
種が芽を出し、葉っぱを一枚二枚と広げ、真っ直ぐに伸び始めた茎がやがて茶色い幹に変わり始めた。
――――トランスフォーム・バードが侵入しました。
全員が捕食者の強烈な視線を感じて身構えた。グランデュエリルは宝剣赤い滝を、グリィフィスはつま先砕きのハンマーを握り締める。皆が空を眺めていたが、一番最初に敵を見つけたのはやはり監視塔のエリンばあさんだった。指差す方に目を凝らすと、小さな黒い点が旋回しながら徐々に高度を下げている。
眩しそうに空を見上げているグラの金色の鉢金が、刺すような光を反射させた。
「レオン見えてきたぞ、やたらとでかい鳥だ。とっつかまえて晩のおかずにしてやる」
「眩しいですね」
オレはランドセルから帰還の塗り絵を素早く取り出して、黒いクレヨンでデーゲームの野球選手の様に目の下に縁取りを施した。一瞬ぎょっとしたグランデュエリルがすぐに理解したのか、クレヨンを受け取り、同じく黒い線を自分と弟の目の下に引いた。ハービーの鉄籠に潜っていたフラニーが蓋をパカリと開けて顔を出し、意味があるのか自分に塗ってから、おぶさるようにしてハービーにも塗ってやった。
「あれはタカか?」
「いやレオン、ワシじゃないかな」
「ハヤブサの様にも見えますが……体の半分が機械ですね」
人が悠々と乗れそうな大鷲が旋回運動を続けている。はっきりとは見えないが、肉と鉄の混合生物らしい。
「なかなか降りて来ないな」
「やいレオン、首が疲れて来たぞ」
「首の筋肉を疲れさせるという地味な作戦なのか? いや、降りて来ないのならエレメンタル・ウォーターバードを収穫するまでだ」
「……レオンさん、あのモンスターのマナが必要なのでは」
「ああ、そういえばそうだった」
アポロと猪のカインが二人並んで一生懸命に空を見上げ、タカの動きに合わせて揺ら揺らと首を回している。オレは監視等のエリンばあさんに戦場手話で話し掛けた。
すぐにエリンばあさんが垂直に矢を撃ち込むが、高空の敵にはさすがに届かない。
フラニーがまた蓋を開けて立ち上がり、風魔法を使い始めた。突風が敵の翼を捕まえかけたが、トランスフォーム・バードは慌てず騒がず再び高度を上げた。
「ダメですわ。遠すぎて風が届きません。天候操作で嵐を起こしてみますか?」
「うーん、雨雲の上まで行ってしまいそうだな。それよりこの間のゴブリンを召喚出来ないか。あれは羽が付いていたから囮にしよう」
「やってみますわ」
フラニーが袖を捲り上げてエメラルドのタトゥーを剥き出しにしてから、魔法の詠唱を始めた。すぐに小さなブラックホールから汚いティンカーベルことカンシャノキモチが召喚された。痩せたちいさいおっさんに羽が生えているというみすぼらしいゴブリンだ。
「よしティン! 空にいるあいつを誘き寄せてくれ」
オレが指令を出すとティンは完全に無視してフラニーの方を見た。召喚者であるフラニーがご褒美の魔力を与えながら命令を出すと、ティンは羽をぱたぱたさせて舞い上がった。しかし10メートルほど飛んだ所で太陽の中にいる大鷲に気が付くと、オレの事を睨み付けてからブラックホールの中に颯爽と帰っていった。
フラニーが薄く笑ってから籠の中に潜り、そっと蓋を閉めた。
試しに鉄籠に耳を当ててみると「ティナ、ゴブリンのみんな、ごめんなさい。フラニーはみんなの感謝の気持ちを証明できませんでしたわ」というフラニーのぶつぶつと言う声が聞こえた。
オレは大きく息を付き、まるで降りて来る気配のないトランスフォーム・バードを見上げた。
「暇ですわねレオン」
「ああ暇だ」
「暇だぞ、レオン」
鳥葬という訳ではないが、皆が仰向けに寝転がって空を見ていた。いつまでも降りてこない鳥を見続けて、首が疲れたのだ。アポロやカインなどはすでに眠りについている。
やれることは大体試した。
仲間を少しずつ屋敷に退却させていくと、グリが一人になった時にトランスフォーム・バードは猛然と急降下して来たのだ。しかし待ってましたと屋敷から躍り出ると、トランスフォーム・バードは再び安全飛行区域に戻ってしまった。その後も何度か囮作戦に失敗していると、ついに敵は餌に食い付く事すらしなくなった。
鳥の姿をはっきりと見る事だけは出来た。どうもグリィフィスが言ったハヤブサというのが正解の様だ。頭には鉄の冠を被り、翼のギザギザ部分は白銀色の金属で縁取られ、巨大な爪は人間を吊り上げるクレームゲームさながらだ。そしてトランスフォームという気になる名前。
仮に地上で戦うことが出来たとしても、全員でかからなければ危険な相手だ。
そうこうしていると、若木のまま成長を止めていたエレメンタル・ウォーターバードの木が変色し始めた。
「あ。見てくださいレオン、枯れ初めていますわ」
「ちくしょう、失敗か。原材料を集めるのにどれだけの時間と金がかかったことか」
「はっはっレオン、そのことは気にしないと言ったのは自分だろ」
「ぐぬぬ、こういうパターンは想像してなかったぞ。ああ、トムさんやベンに融資してもらった大切な資金があのアホウドリのせいで」
「フッフッフッ、気にせんと言ったのは自分だろアホウレオン。アホウグランデュエリルはちっとも気にしてないぞ」
「まあまあレオンさん。今日は偵察という事にしませんか?」
すっかり若木が枯れてしまうと、トランスフォーム・バードは最後に糞を1つ垂れてからブラックホールに消えていった。
畑仕事が失敗に終わった後、みんなで夜遅くまで話し合った。
あのハヤブサをなんとか倒す方法を考えなくては、丘の防衛策は全部白紙に戻ってしまう。まだ支払いこそしていないが、エレメンタル・ウォーターバードと対を成す設備の取り引きも、サインをすればいい所まで進んでいた。今キャンセルしても金銭的な損はないが、信用はある程度失うだろう。そしてオレが信用を失えば、丘債を買ってくれた人達にも多少の迷惑がかかる。
経営者というのは実に面倒くさい。だが、やれと言われた事をやればお給料がもらえた頃を懐かしくは思うまい。自分達のことは自分達で決めたいというのが、ずっと夢だったのだから。
最初は気球を作るという案をみんなで考えた。それは無人島からの脱出とも繋がる話なのでかなり期待して色々調べたのだが、上手くいきそうになかった。作るのに数週間は掛かる上に、仮に飛ばす事に成功しても空中で柔らかい的になってしまうからだ。
なかなか良いアイデアが出なかった。
高射砲を買うか作るか。リハビリ中とはいえエリンばあさんの弓矢以上の物はそうは手に入らない。
誰か助っ人を呼ぶか。目的の収穫物が1つでいいのならそれでもいいが、必要なのは10以上だ。
グリィフィス1人で戦わせてみるか。絶対にだめ。
みんながうんうんと唸り出した頃に、オレが冗談半分で言ったアイデアにフラニーが食いついてしまった。オレは強く反対したが、何か心境の変化があったのか積極性が倍増しているフラニーがやると言い張った。いつからこんな頑固な子になってしまったのだろうか。
結局押し切られ、その案をやるという事に決まってしまった。簡単にその作戦を説明するとハービーがフラニーを空に飛ばし、敵に接近したフラニーが風魔法で地上に叩き落すというものだ。
オレとグリィフィスは寝る間も惜しんで2日で必要な物を作り上げた。
この頃忙しくて、ちっともユキに会いに行けない。しかしマッコイさんも放っては置けないし、丘が裸同然ではおちおち夜も眠れないのだから、今は我慢だ。
気持ちの良い正月晴れだった。
澄み切った空に、ひんやりとした清々しい空気。凧揚げをするには絶好の日和であろう。
準備は整っていた。畑にはすでに種が埋められており、敵というよりもパズルの難問のように思えてきたトランスフォーム・バードも侵入済みである。
「じゃあやるか。ハービー、フラニー準備はいいか?」
「はい」
ハービーが分厚い手の平の上にさらに革の手袋を嵌めて、長くて丈夫な縄を握り締めている。20メートルほど伸びたその縄の先には、昔ながらの四角い巨大凧が付いている。オレは新たに2つ購入した大地のアンクレットの1つをフラニーの足首に付け、飛行眼鏡と帽子を被せた。
「無理するなよ」
そう言ってからフラニーを持ち上げて、凧の中央部分にしっかりと胴体を括り付けた。風向きを確認してから、グリとグラが御神輿の様に持ち上げていた凧をオレも担ぎ上げた。合図と共にハービーが走り出し、縄がピンと張った時に凧を担いだオレ達も走り出す。
もちろん普通ならばそんなものが飛ぶはずもない。
しかしフラニーの風魔法があれば飛べるのだ。
そして凧は危険で一杯の大空に舞い上がった。
ハービーが少しずつ縄を繰り出して、翼を持つ者達だけが知る領域に凧を近付けていく。トランスフォーム・バードは太陽の中に入りながら、巨大凧の様子を伺っている様だ。最初はなかなか安定しなかった凧が、徐々に空の飛び方を学んでいく。フラニーが魔力回復薬を飲み干して、空ビンを投げ捨てたのが見えた。
「よし皆は散らばって待つぞ。落下してきたハヤブサの翼を狙うんだ」
ハービーが体の姿勢を変えながら、力強くロープを左側に回した。空を見上げると、凧に向けて降下してきたハヤブサの攻撃をかわした所だった。いつも2人で戦っているだけあって阿吽の呼吸である。ハヤブサは早くも弱点のロープに気が付き攻撃を仕掛けたが、フラニーの風魔法がそれを許さない。ハービーがすかさず縄を手繰り寄せて凧の高度を調節する。
縄を狙われないハヤブサの真下という位置がフラニーにとって有利なポジションの様だった。
敵は下にいる凧に鋼鉄の爪を伸ばすが、元から発生している上昇気流をフラニーが増幅させて、接近を許さない。たまらずハヤブサが高度を上げるとフラニーもぴったりと付いて行き、今度は乱気流で頭を押さえつけて、敵の翼に負担をかける。
フラニーの風魔法は切り裂いたり瞬発的に何かを飛ばしたりする様な、いわゆる攻撃にはあまり向いていない。フラニーの風を例えるならば目に見えない津波の様なものだ。無数の矢を失速させて地面に落とし、湖に渦巻きを作り出し、雨雲すらも吹き飛ばす。ハヤブサは、突然に姿を現した見えない荒波に溺れ始めていた。
高度を保つことが困難になったハヤブサが、平穏な空を求めて旋回運動を始める。
地上で縄を持つハービーがまるでハンマー投げの投擲の様に体ごと回り、凧を旋回させた。革手袋が摩擦熱でちりちりと焼けて、香ばしい匂いが鼻を付く。鳥と凧のドッグファイト。巨大な凧の四隅から白い煙の様な物が吹き出し始めた。
「す、凄い……フラニーの奴、雲を引いてやがる!」
ついに痺れを切らしたハヤブサが、強引に距離を取ってから嘴を真下の凧に向け、急降下突撃を仕掛けた。
しかしそれこそがフラニーの待っていた撃墜の瞬間。
上に向かって吹いていた強風を、一気に逆方向に切り替えた。
フラニーの振り絞った膨大な魔力が地上の仲間達の頬を撫でる。
すまんフラニー、明日はきっと魔力酔いだろう。
異変に気が付いたハヤブサが翼を広げて急ブレーキを掛けた時はもう遅い。凧の横を通り過ぎて落下していき、射程圏内に入ったエリンばあさんの弓に片翼をぶすりと貫かれた。制御を失ったトランスフォーム・バードは必死の減速も間に合わず、地面に叩きつけられた。
散開していた地上班が止めを刺すために一斉に走り出す。
また飛び立たれてフラニーの頑張りを無駄にする訳にはいかないので、呼吸も忘れてひた走る。
トランスフォーム・バードの機械部分がガチャガチャと変形し始めていた。飛び立つ事を諦めて、玉砕の覚悟を決めたのかも知れない。
しかし、ハヤブサがトランスフォームを終えて車輪の付いた猛獣に変形したのと、機械化イノシシであるカインの角代わりの槍が、敵を貫いたのはほぼ同時だった。青と白の戦闘化粧の仮面を被ったカインは、もずのはやにえの様に敵の亡骸を頭上に掲げ、勝ち名乗りを上げた。
「カイン、でかしたぞ! すぐに木の所まで運んでくれ」
カインはぶるりと首を振って、仮面を数式の描かれた物に変えると、エレメンタル・ウォーターバードの巣箱を収穫する為に必要なマナの滴る鳥の死体を、肥料として木の根元に埋めに行った。
オレは畑仕事の成功を確認し、ほっと安堵の溜息を付く。しかしこれからもうひと仕事しなければならないだろう。なぜなら凧揚げというのは、揚げる時よりも着地の時の方が数倍難しいのだ。
恐らく目を回しているフラニーと、次の栽培でも使う凧を傷付けずに回収する為には、いい大人達が必死になって走り回る必要があるだろう。
☆☆☆
キャスター付きの移動寝台に横たわったオレは、久しぶりに外に出ていた。
引き締まった顔の看護師さんと呑気に笑っているスナフキル。そして子供達がまるで護衛をするかのように寝台を囲んでいた。
ガラガラと音を立てながら丘の坂道を下っていく。
まだ丘に残っている住人の誰かが弾いているピアノの音が、冷たい空気の中を軽やかに通り抜けた。オレは左目に魔力を集中させて、新しい世界を眺めた。電信柱、放置された自転車、アスファルトから顔を出す雑草に、狡賢そうなカラスや小さな蟻一匹からさえも、青い糸が空に向かって伸びている。その青い軌跡を追っていくと、すべての物が別の世界と繋がっている。
そう、世界は一変していた。
やがて丘を下りきり街に出た。気持ち良さそうに散歩する人々は、自分の相棒が石版の世界で生きていることを知らないのだ。人が動物に繋がり、動物が無機物に繋がり、ブロック塀が立派な砦と繋がっている。休日の柔らかい日差しの中を歩く人々の多くは、向こうの世界にレイズ人の相棒を持っていた。
あちらの世界では国宝級の魔法書である老人が、身動きの出来ないオレの事を優しい目で見つめて、小さく頷いた。ケンタウロス族の若きリーダーである青年が大急ぎで走り去っていく。不規則な世界の繋がりを眺めているうちに、ぼんやりとだが繋がりの方向性のようなものが分かって来た。すべてのことにちゃんと理由があるのだ。
タケシ達とトレーニングに励んだ懐かしの公園に辿り着いた。家族連れがじゃれ合いながら羽子板をついたり、夢中になって凧を空に揚げていた。その凧の糸は、命を繋ぐ青い軌跡にそっくりだ。
オレはこれ以上ないほどの幸せな気持ちになり、仲間達の顔を順番に見回した。その時のオレは浮かれた気持ちになり、油断していたのだろう。前から気になっていた事をついつい試してしまったのだ。
スナフキルの胸から伸びる青い糸を追い始めたのだ。その糸は随分長く伸びていたが、どこにも辿り着くことはなかった。見たこともない、いや見ることさえ出来ない完全な暗闇の中に吸い込まれていった。
ふと気が付くとタケシやケンイチ達が必死の形相でオレの事を見下ろしていた。看護師さんがオレの喉から吐瀉物を吸引し、ナツミが鼻血を拭っている。オレはなんとかスナフキルと目を合わせ、彼に対する親愛の情を示した。まだ少年だった頃は、友達とこんな風に視線を交し合っていた事を思い出す。
ああ、みんなオレは大丈夫だよ。でもこれじゃあしばらくは外出はさせて貰えそうにないな。
家に帰ると、ユキと一緒に居てくれた竹美が真剣な表情でテレビを見ていた。
画面には防衛関係の偉い政治家だか役人が記者会見を開いていた。東京湾に落ちたミサイルに付いての話しの様だった。遺憾の意、鋭意調査中、柔軟な対応、そんな言葉が聞こえて来た。
その男が手を掲げてチラリと腕時計を見た時に、時計の裏側の地肌に痣か刺青の様なものがあるのが見えた。それは見覚えがあった。ちゃんと確認する必要はあるが、恐らくあの痣は『s』という文字になっているはずだ。オレが考え込んでいると、スナフキルがぼそりと言った。
「ねえレオン、あっちの世界ではまだ目的の場所に辿り着けないんだよね?」
「ああ、時間が掛かりそうなんだ」
「ふーん。テレビのって例の人達の1人?」
「……たぶん」
「世界の調整者に魂を売りし者だっけ。ねえ、あの人はこっちでボクが殺してあげようか。得意だしさ」
「……」
どうすればいいのだろう。これがゲームならば用意された敵をただ殺せばいい。
はっきりとした証拠を掴むかあいつが何か事を起こすまで待つべきなのか。それでは間に合わないのだろうか。
オレは頭を抱えようと手を伸ばした。だがもちろん手が動くことはありえなかった。




