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アンダー・ザ・ボードウォーク

「おそ松、すまん」


 フラニーのいない丘。半壊した屋敷に大きな穴ぼこ、そして丸裸同然になってしまった城壁達。オレの丘には、蜂の王との戦いの爪痕がくっきりと残っていた。バッファロー城壁の8割ほどは跡形もなく消滅しており、残った城壁も修復が困難なほどに損傷していた。


 ネームド・バッファローウォールのおそ松だけは、一番右端に居た事が幸いしてほとんど無傷に近かった。オレはおそ松以外の城壁を自らの手で介錯した後に、長男のおそ松に銅鉱石を食わせてやった。


「もう直せなかったんだ。お前の兄弟達は最後まで丘を守ってくれたんだ。1人ボッチにさせてしまってごめんな。すぐに新しい友達を探してやるからな」


 おそ松の不満そうな大きな顔を優しく撫でてやった。

 最初はあんなに気持ち悪かったこの顔も、馴れてしまえば家族同然である。むしろツルリとした普通の城壁の方が、のっぺらぼうの様でなかなか愛着が湧いて来ない。1人ぼっちの間は、ちょこちょこ鉱石を食わせてやるとするか。

 そんな事を考えていると、猪のカインと一緒にクレーターを埋める作業をしていたグリィフィスが、おずおずとこちらにやって来た。


「あの、レオンさん」

「どうした?」

「それが……穴を埋めていたらこんな物を見つけてしまいました」


 グリはそう言うと15センチほどの白い角を、摘まむ様にして取り出した。エリンばあさんが神木の矢の一撃でおでこから抉り取った、蜂の王の一本角である。その角は、触ると痺れそうなほどの神々しい威圧感を未だ放ち続けている。


「あの化け物の角か。クアなんとかミーアとかいう」

「ええ、たしかクアラリム・ミーアでしたか」


 オレはこの角を武器に作り変える事を想像して一瞬だけ胸をわくわくさせたが、すぐに暗い表情になった。グリィフィスの考えている事もたぶん同じだろう。


「……まさか取り返しに来ないだろうな」

「考えたくはないですが、その可能性はあると思います」

「ちくしょう、どうするか。とりあえず草原の向こうに簡単な祠でも作って、わざとらしく祭っておくか?」

「わかりません。でもそれがいいかも知れませんね」

「そうだな。もし取り返しに来た時に、アイスピック代わりに使っているよりかは幾分マシだろう」


 しばらくそうしておいて何事も無かったら、こっそり爪にでもしてしまおう。

 しかしまたやる事が増えてしまったな。屋敷の修復に防御設備の再建設、それに鍛冶場や道路の事もおろそかには出来ない。そして何よりもオレとばあさんは強さを取り戻す事が最優先なのだ。


 フラニーよ、早く帰って来ておくれ。


 うちの丘には銭の計算が出来る奴が、フラニー以外誰もいないのだ。

 今はグリ坊に手伝ってもらいながらオレがやっているのだが、早くも400タリアス金貨ほどの謎の誤差が出ていた。

 勘定が丘の事だけならオレでもなんとかなりそうなのだが、市場にある店の儲けや仕入れにベンやラッコ・コボルト達との取引までが加り、たったの数日で帳簿が泥沼にハマり始めていた。


「なあグリィフィス、例の400タリアスの事なんだが」

「はい」

「フラニーが帰って来る前に、なんとか粉飾して辻褄を合わせなければならない。怒られるからな」

「……そうですか。すいません、兄が数術等が得意なので、私はなるべく別の勉強をしていたので」

「いや、それはいいんだ、一緒に勉強していこう。しかし2人で知恵を絞って、今そこにある誤差をなんとか解消しないと身の危険が生じる」

「……はあ。では、蜂の王の祠を建設する際の材料費を、水増しすると言うのはどうでしょうか?」

「いいぞ! それだ!」


 正直者のグリィフィスはあまりの心苦しさからか、自分の心臓をギュッと握りしめた。オレは励ます様にそっとグリの肩を叩く。

 大丈夫だ。万が一の時は全部オレが責任を取ってやるから。






 一段落して屋敷で休息している時に、見たくもないので先延ばしにしていた『石版の台座』というアイテムの鑑定をしてみた。形状は石で出来た墓石の土台の様な感じで、石版を斜めに鎮座させる事が出来る。水晶玉にはこう出ていた。


『石版の台座。乗せる事で石版の機能拡張をします。いくつかの場所が新たに開放され、また一度踏破した拠点等に移動する事が可能になります。さらに付随の水晶玉の鑑定機能が強化され、合成に関する情報を一部見ることが出来ます』


 早速、石版を台座に乗せてみると、交易の時に通った宿場町やペジラ砦、ライオンと戦ったハンナの村などが一気に転送可能になっていた。また未知の場所である、なんちゃら神殿やドルド族の遺跡などの複数の場所が開放されていた。

 ジパレイズにもまだ行っていないのに、未消化クエストがよりどりみどりになってしまった。

 しかしどこに行くにも必要なのは、強さと力なのである。


 しばらく石版の前で考え込んでいると、アポロが暇そうにうろちょろしていたので、何とはなしに抱き上げて水晶玉の上にペタンと乗せてみた。すると驚いたことに初めて見る文章があった。


『仰向け眠り――――上位キャット種固有スキル。主人との親密度が極めて高く、尚且つ高レベルの上位キャット種が稀に獲得するスキルです。安心し切ったあられもない姿で眠るキャットは、その間に体力や披ダメージが驚異的なスピードで回復します。

 ただし主人以外の者が、仰向け眠り状態のキャットを起こしてしまうと一時的な狂乱状態になり、増大した攻撃力で眠りを妨げし者を殺戮します』


 アポロは早速というか、水晶玉の上で仰向けになって眠りに付こうとしていた。オレは大股をおっぴろげたアポロを茫然とした気持ちで眺めた。


「アポロの奴、最近ベッドでも炬燵でもやたらと仰向けで寝ているとは思っていたが、スキルを覚えていたとは。承認した覚えもないのに、さてはオレの丘を乗っ取る気か? おい、起きろアポロ」

「ニャム」

「まったく、迷惑なスキルを覚えたもんだな。これじゃあまるで猫地雷かブービートラップじゃないか。仲間が起こしてもバーサク状態になるんだろうか? みんなに注意しとかないとな。……スキル修得おめでとうアポロ、嬉しいよ」


 アポロを水晶玉の横に降ろすと、体をグニャンと曲げながら再び仰向けで眠り始めた。口が半開きになり、だらしなく舌の先端が飛び出している。オレは指をぐいぐいと押し込んで、アポロの舌を中に押し戻した。


「一度、仲間全員を水晶玉で見た方がいいかも知れんな。一番可能性がありそうなのは、ハービーかな」


 善は急げとハービーを屋敷に連れて来て、水晶玉を触らせてみると、ハービーの名前の下に二つ名がある事が判明した。


『二つ名、建国の勇者達  彼らは新しい国を1から作る為に、女王の元に集います。開拓、建築、土木、農作業を行う際に、大きな能力アップ補正を受けます』


 オレは、女王クレメンティーナが大森林に建設しているであろう新しい国を思い浮かべた。

 その国の実現の為に死んでいった数々の男達の顔を不意に思い出し、心臓を鷲掴みにされた様に体が痺れた。ゴブリン中将や士官娯楽室の陽気な若者達。彼らに新しい国を見せてやる事が出来たら、どれだけ喜ぶだろうか。

 ハービーの鋼鉄の様な肩に、すがる様に顔を押し付けた。

 いくらなんでも不意打ちすぎるだろう。


 しかし感激に浸っていると、暇そうにうろちょろしていたグランデュエリルがのこのことやって来た。


「やいレオン、何してるんだ。ハービーといちゃついて」

「うるさい、あっちいけ」

「ん、水晶玉か。……二つ名、建国の勇者達だと! やいハービー! この私を差し置いて二つ名だと!」


 グランデュエリルが騒ぎ出し、ハービーの鉄球の様なお尻に軽く膝蹴りをかました。逆に膝を痛めたグラが、ハービーに飛び乗ってポコポコと叩く。


「レオン、私も鑑定してくれ」

「せっかくハービーと話していたのに。ほら、水晶玉に触ってみろよ」

「よし。どうだ?」

「なんもなしだ」

「二つ名かスキルがあるんじゃないのか?」

「いや、なんもなしだ。久しぶりにフルネームで呼んでやろう。グランデュエリル・ピアニスアウグ・グラックス・ナンニモナシ・ウルサイムスメ」

「おい、私の名前に変なものを付け足すな。それにしてもなんだアポロは。こんな所で変な格好で寝たら風邪引くぞ」


 そう言いながら仰向けで眠るアポロに手を伸ばしたので、オレはグラの手首を素早く掴み、険しい顔をした。するとグランデュエリルが顔を青ざめさせて、しどろもどろになった。


「レ、レェロン。もしかして怒ってるのか? ハービーと……大切な話しをしていたのに、私が邪魔したからだな。えーと、えーと……ごめんなさい」


 完全に勘違いをしたグラが、この丘に来て初めてと思われる謝罪の言葉を口にした。

 急にしおらしくなったグランデュエリルを、このまま苛めてやりたいという嗜虐的な気持ちが湧き上がったが、もちろんそんな事はせずにグラの手を離した。そして天を仰いでいるアポロの肉球をそっと水晶玉に触れさせた。


「いや、これを読んでくれ」

「ん、んん。スキル? アポロが覚えたのか?」

「そうだ。スキル、猫地雷だ」

「なるほど。それで私が起こすのを止めたんだな…………」


 グラはそれだけ言うと俯き、オレのケツをかなり強く蹴飛ばしてから無言で去っていった。オレは傍らにいる建国の勇者を見上げた。


「なあハービー、なんでオレ達がケツを蹴られなきゃならんのだ?」

「……」


 ハービーのがっしりとした緑色の顎が、頷く様にほんの1ミリだけ下にさがった。







 数日後、屋敷は張りぼてながらもとりあえず修復が終わり、クレーターは平らに均され、おそ松も孤独に馴れ始めた様だった。オレとエリンばあさんは肉体の一部を失った精神的なダメージを、2人で乗り越える事に成功し、厳しい訓練が始まった。


 農作業は食料以外は一時中止しており、他の仲間達は街道の敷設と鍛冶場の建設に集中してもらっている。フラニーがいないとやや効率が落ちるとはいえ、カインの土魔法と二つ名効果で補正がかかるハービーのコンビは、まるでシャベルカーとブルドーザーだった。


 グリィフィスは、つま先砕きのハンマーの素振りを毎日欠かさず、それが終わると釘を口に咥えながら鍛冶場建設を着実に進めている。グラは相変わらずトレーニングだけは人が変わった様に熱心に打ち込んでいるが、それ以外の時間は気分によって弟を手伝ったりハービーを手伝ったりしていた。


 丘のことであるが、オレは大々的な改装を考え始めていた。


 これから価値の高い収穫物に挑戦していくにあたって、今までと同じバッファローウォールが中心の防衛体制ではやっていけないと判断したからだ。しかしそれを実行するには莫大なお金がかかるので、やはりフラニーを交えた仲間全員で会議をする必要があった。

 場合によってはローンを組むか、丘債の発行を考えていた。ベンやダーマのおっさん、あるいは道具屋のトムさんやラッコ・コボルト等の親しい仲間達に丘債を買ってもらい、いずれは相互に保有する関係にまで持っていきたい。


 丘債を発行する事でオレにとって誰が大切なのかを、また誰がオレを大切にしてくれるのかを世界に示す事が出来るのだ。


「うーん、しかし面倒くさそうではあるな、友情に金銭をあまり絡めたくないという気もするし。しかし……」


 しかし世界情勢は刻一刻と緊張を増しており、その行き着く先が戦争である事は間抜けなオレでも肌で感じ始めていた。

 なんにしても銭勘定の得意な大蔵少女フラニーが帰って来るまでは、話しは進まないだろう。






 丘から毛長馬でしばらく行った場所に、蜂の王を祭る祠を建てた。

 日本風の小さなお社にしてみたのだが、オレには見慣れたそれもグリの目には斬新に映ったようだ。


「レオンさん。これなら材料費の安さもまるで分かりませんよ」

「そうか?」

「はい。さすがのフラニーさんもデザインの秀逸さの方に目を奪われるはずです」


 グリィフィスも徐々に不正を働く事に馴れ始めている様だ。

 まあ、帳簿を誤魔化す件は半分冗談でやり始めたのだが、始めてしまった以上は最後までやり遂げなければならない。


「グリのアイデアと行動力によって帳簿も修正出来たよ。午後にラッコ・コボルトの海岸に視察と取引に行くが、誤差を出さないように気を付けなければ」


 オレが不在の時に女族長のチチリアが丘を訪ねて来たらしく、今日はオレの方から出向く事になっていた。ベンから預かっている荷物や、ベンが材料を出してうちの丘で加工した製品等がすでに馬車に積んであり、それらをラッコ族に渡し、代わりに海産物を受け取る。他にも金貨を支払って、彼らが船に積んできた魔石を譲ってもらう。

 またラッコ・コボルト族は海底の鉱脈から魔石を採掘する技術を持っているので、やはりベンとオレが先行投資をする話しが進んでいた。


「私もご一緒致しましょうか?」

「いや、アポロとカインを連れて行ってくるよ。グリィフィスは鍛冶場の方を頼む。そろそろ溶鉱炉の注文をしないとな」


 鍛冶場を完成させたら収穫物を銀からプラチナに変え、ある程度加工してから売却すれば、今までとは桁違いの儲けが出る。そして金があれば強い装備や防衛設備を買う事が出来るので、より価値の高い作物を栽培出来る。

 一度このラインの上に乗ってしまえば、あとは勝手に金が増えていくだろう。

 なんだか非常につまらなそうではあるが。





 午後にラッコ・コボルトの海岸に向けて出発した。

 馬車をがたごと揺らしながら草原を進んで行く。膝にアポロを乗せ機械化イノシシのカインは、背中に立てた竜牙の短槍に緑の旗を翻しながら並走してもらっている。

 チチリアに貰ったラッコ石をフラニーに貸している事を、伝えるべきかどうか考えながら進んで行くと、気持ちの良い潮風が顔を撫で始めた。


 見通しの良い場所から海岸を見下ろしたオレは、はっと息を飲む。


 ラッコ族は水上要塞を完成させていた。沢山の水上バンガローと船が縄や桟橋で連結されており、物見台や備え付の大型連弩が海をじっと睨んでいる。海岸線には綺麗なボードウォークがあり、休息中のラッコが板の上でお日様の光をたっぷり浴びている。

 きちんと計算して作られた防御設備の様で、オレへの信頼の証しなのか全部の武器が海の方に向けられている。勝手なイメージでしかないが、赤壁の戦いの曹操軍の水上要塞を思い出した。


 砂浜に降りると、すぐに出迎えのラッコ達がわらわらとやって来た。人数が増えており、最初に会った時は子供だったラッコ達も逞しく成長していた。女族長のチチリアが通訳を連れてやって来る。冬に備えてなのか体毛がフワフワと伸びており、チチリアの白と金色が混ざった毛並は威厳に溢れている。


 チチリアは素早く砂の上に寝転がると、お腹の上で貝を叩き割ってからオレに差し出した。上目使いでじっと見つめながら貝を差し出されては、断る訳にもいかないのでツルリと喉に流し込む。


「オヒサシブリです、レオン殿」

「せっかく訪ねて頂いたのに留守にしていて申し訳ない。人の言葉を覚えたのですか?」

「ええ、まだ少しですがダンナ様と……レオンドノと直接シャベレル様に」


 忠実そうな通訳ラッコが無言で俯いている。馬車の積み荷を降ろしてもらっている子供ラッコ達が騒いでおり、アポロはカインの鞍の上に背筋を伸ばして座り、まるで現場監督の様な偉そうな顔で働くラッコ達を眺めている。ざあざあと優しい波の音が聞こえる。


「そうだ、子供達にお土産があるんだ」


 オレは馬車の奥から袋を取り出して、市場で見つけた中ぐらいのボールをいくつか取り出した。そして子供達の前でリフティングを披露してみせた。子供達が歓声を上げ、我も我もとボールに殺到する。

 族長チチリアも楽しそうな顔をしていたので、オレはパスの出し方や、砂に木の棒を2本立ててシュートの打ち方等を教えていった。

 子供ラッコだけでなく、鎧を着た大人達も夢中になってボールを追い回した。本来、好戦的な種族であるラッコ・コボルト達には、丁度いい遊びなのかもしれない。目端の利いた子供ラッコが、魚を入れる為の網袋にボールを入れて、上手い具合にリフティングの練習をしている。


「レオンドノ、面白いアソビですね」

「はっはっ、いやすまない。仕事を済ませなければな」


 水上にあるチチリアの屋敷に入り、事務的な事を処理していった。屋敷の作り1つ見てもラッコ・コボルト族の技術力の高さが窺い知れる。特に魔石と建築技術に関しては偏っていると言ってもいいほどの高水準だった。

 海の上でお腹の上に乗せた石に貝を打ち付けていた彼らは、陸に上がっても石に対する興味を失う事がなく、貝を割り続けた太い腕にはトンカチがよく似合った。


「スコシ歩きませんか?」


 仕事が片付くとチチリアに誘われて、太陽の光を反射するボードウォークを散策した。その板張りの道は半分が海にせり出しており、残りの半分が砂浜に乗っかっている。

 通訳ラッコが少し距離を置いて後ろに付いてきて、向こう側の丈夫な縄に連結された筏船に関心を払うふりを、律儀にずっとしている。オレはついついご機嫌になり、鼻歌を口ずさんだ。


「それにしても壮観な眺めだ。うちの屋敷の補修をお願いしたいぐらいだよ、はっはっ」

「ミナ、ガンバリました」

「でも火事だけは気を付けてな。船が一隻燃えたら全部燃えてしまいそうだ」

「レオン殿はオヤサシイ」


 スタート地点では高さ1メートルぐらいだった板の遊歩道が、岩場を越えた辺りから砂浜が低くなり始めた事で、ゴール地点では高さ3メートルぐらいになっていた。


 族長チチリアに手を引かれて、オレは砂浜の上に降りた。

 なんだかチチリアの雰囲気が変わっている事に気付きながら、手を引かれるままに道を支える柱が並ぶボードウォークの真下の空間に入り込んだ。


「レオンドノ、大切なお話しがあるのですが」

「うん」

「レオンドノはお怪我をなされたようで」

「ああ。片目と片耳がダメになった」

「……そうですか」


 ボードウォークの陰がオレとチチリアの顔色を隠している。目を凝らすと、チチリアの悲しそうな瞳が見えた。


「メスとしては言いたくない事ですが、族長として言わなくてはなりません」

「ああ」

「あなたが我らラッコ・コボルト族の盟主として、相応しい力を保っているかお示しクダサイマセ」


 チチリアの小さな体から強烈な殺気が放たれたのが分かった。チチリアは背中に背負っていた杖と剣を通訳ラッコに渡すと、低く身構えた。オレはしばらく考えてから、星銀の爪が入っているランドセルを肩から外し、通訳に渡した。通訳ラッコは2人の武器を受け取ると、少し離れてクルリと背中を向ける。このボードウォークの作る薄暗い空間は、向こう側のラッコ達からは完璧な死角になっている。


 チチリアが魔力を集中させて解き放った。

 しかし何も起きない。


「肉体強化か」


 地を這う弾丸の様に白い毛玉が加速し、オレの膝に高速タックルをかました。タックルを決めたチチリアは、オレの股ぐらに腕を伸ばすと、そのまま抱え上げて真上に放り投げた。

 遊歩道の裏側に背中が激突し、受け身も取れずに砂浜に落下した。


 パラパラと落ちてくる木片を振り払いながら、オレは戦いの血がたぎるのを感じた。

 繊細で距離感が重要なパリィ技はまだまだ使えないが、それ以外の攻撃はエリンばあさんとの特訓で7割ほどは力を戻している。


 チチリアは距離をとってから、再び魔力を集中させた。体が一回り大きくなり、高速タックルを繰り出す隙を窺っている。オレはタックルの対処法を考えた。素早く下半身を後ろに引いて上半身で敵を押し潰すか、あるいは出会いがしらに膝で撃退するか。そのどっちかだろう。

 実は一回目のタックルの時に膝が出かけたのだが、チチリアの可愛い顔を見て膝が止まってしまったのだ。チチリアが追撃しなかったのはそのお返しだろう。


 しかし次のタックルが殺す気のものである事は、一目瞭然だった。


 オレは薄暗い板の下で毒蛇のように身を屈め、チチリアに向けて逆にタックルを仕掛けた。

 今まで強敵と戦う時は、基本的に受けて受けて受け潰していた。だがこれからは少なくともパリィが元通りになるまでは、攻めて攻めて攻め潰す。

 このタックルは受けから攻めへの転身の第一歩だ。

 ドライフォレストの戦いで痛感した火力不足を解消し、さらに受け技を取り戻せば、もっともっと強くなれる。


 チチリアは思わぬ敵の攻勢に一瞬戸惑ったが、すぐに砂を蹴り上げて煙幕を張った。


 オレがチチリアならどうするだろう。

 砂埃で視界を塞ぎ、上空に飛んで相手の攻撃を空振りさせてから、無防備の背中に一撃を加える。

 いや火力に自信があるのならば、そう思わせて置いて前に出るはずだ。


 オレは奥歯をギリギリと噛みしめて砂の煙幕に向けておでこを付き出した。

 砂煙がふわりと揺れ、チチリアのラッコの頭が姿を現す。

 おでことおでこがトラックの正面衝突クラスの威力でぶつかり合った。チチリアの柔らかい毛がおでこをくすぐった後に、衝撃が背骨からお尻の先までを駆け抜ける。


 しかし覚悟を決めていた分だけ、オレの方がダメージが少ない。

 砂浜の上にチチリアを押し倒し、マウントボジションを素早く取って、チチリアの両手を自分の両手で地面に張り付けにした。


 大嵐の船上にいるかの様に激しく揺れる脳味噌に耐えながら、抗うチチリアを抑え付けた。

 やがて砂埃が収まった頃に、チチリアが諦めた様に力を抜くのが分かった。

 すっかり傾いたお日様が、男女の情感を揺さぶり掛ける様な橙色の光で、アンダー・ザ・ボードウォークの薄闇を追い払っていた。


 女族長チチリアが何故だか恥ずかしそうな顔になり、そっと顔を背けながらラッコ語で何かを呟いた。

 強い視線を感じたオレは、チチリアの上に乗ったまま横を見る。


 10名ほどのラッコ達が口を半開きにした唖然の表情で、オレとチチリアの乳繰り合いを眺めていた。

 通訳ラッコが大袈裟に咳払いをすると、我に返ったラッコ達が一礼してから足早に立ち去り始める。


「おい! 違うぞ! 通訳さん、呼び止めてちゃんと説明してくれ」

「ゴホッ、ゴホッゴホッ」


 通訳ラッコは急に咳が止まらなくなったようで、苦しそうに呻き始めた。

 昔、誰かが歌っていたのをふと思い出す。

 渚の遊歩道の下は、日差しを避けて男女が愛し合うのには最適な場所だと。しかし人とラッコは愛し合えないはずだ。



 オレはたぶん、試合に勝って勝負に負けた。




 みんながいる方に歩いて戻ると、ボールを追いかけ回して疲れたらしいアポロとカイン、そして数匹の子供ラッコ達が砂まみれのまま板の上で眠っていた。

 アポロは当たり前の様に仰向けで眠り、マネをしたのかカインも天に蹄を向けて眠っている。

 ぼろ雑巾の様な物をアポロが枕替わりにしていたので、屈み込んでよく見ると、それはぺしゃんこになった買ったばかりのボールだった。






 ☆☆☆


 息苦しい。体が動かない。

 東京の街の片隅にオレの横たわるベッドが放置されている。街は至る所が燃え、アスファルトが溶けガラスが散乱している。人の姿はない。いや正確に言えば、生きている人間の姿は無い。


 これは夢か。


 あまりにも生々しいこの感覚は覚えがある。誰がオレにこれを見せているのかもはっきりと分かる。

 オレはベッドで身悶えながら、滅んで行く街の様子を見させられた。


 無傷の高層ビルが1つだけあった。


 ガラス張りのそのビルに目を凝らすと、生き残った人々が十数人ほど中にいて燃える街を見下ろしている。なんだかそいつらは、様子がおかしい。冷たい表情で人間の肉が燃える様をじっと眺めているのだ。

 そして。


 そして、そいつら全員の体の何処かには『S』という文字が刻まれていた。それはユキの頭を叩いた長髪男の、首にあったものと同じだった。

 間違いない、あいつらはセムルスの手先だ。あいつらには自由意志がもうないのか、何らかの契約をしたのかは分からない。

 しかしあいつらは、オレの国が焼野原になるように日々行動するNPC(ノン・プレイヤーキャラクター)のようなものなのだろう。


 つまりあいつらか、あいつらと繋がっている何かを殺していくというのが、新しいステージのルールという事だ。





 目を覚ますと、看護師さんの下に新しく付いた、畑中という女性がオレの横に居た。彼女は参考書らしき本を読んでおり、ページを捲るごとにオレとユキの方に目をやった。

 視線があったので「ユキを見たい」と言うと、彼女はオレの頭をそっと傾けて隣のベッドに向けた。


 オレはベッドから起き上がる自分を想像した。


 ベッドから起き上がり、3、4歩だけ歩いてユキのそばに行く。そしてユキに軽口を叩き、そっと抱き締める。たったそれだけの事が、今のオレにとっては宇宙を飛び回るよりも難しいのだ。


 ちくしょう、ちくしょう。


 オレは子供の頃に出会った、病気を抱えた同級生の顔をいくつか思い出した。

 彼らの多くはやたらと怒りっぽく、厭味ったらしく陰気だったので、どうにもオレは好きになれなかったのだ。もし今、彼らと会う事が出来たなら心から謝りたい。そして尊敬してるよと言ってやりたい。

 ずっと健康だったオレは、体の不具合がどれだけ心に影響を与えるかをまるで知らなかったのだ。


 あの子達はあんなに幼い頃からずっと戦い続けていたのだ。そして半分は成人する前にこの世を去ってしまった。オレだって負けるもんか。





 昼過ぎにタケシがやって来た。

 いつも元気溌剌なタケシの顔色が、何故だかすぐれない。


「どうしたんだ、タケシ?」

「うん……それがサッカークラブのコーチのことなんだけどさ――――あ、コーチ勝手に入っちゃダメだよ!」


 ドアがガチャリと開き、セーター姿でコートを抱えたコーチが部屋に入って来た。髪の毛を少年の様に短く切っており、おでこに大きなガーゼを貼っている。コーチはオレの憐れな姿を見ると、グッと体に力を込めた。何かを言おうとして止め、また何か言おうとして止めた。


「よう」


 オレがコーチに声を掛けると、畑中さんが椅子をそっと持って来た。コーチは両手をきつく握り締め、立ち尽くしている。そして唐突に言った。


「あの……私、記録が出たんです」

「うん?」

「私、毎日走っていたんです。あなたに会えるかと思って。でも、あなたがちっーとも走りに来ないから、ついつい走る時間が長くなって、そしたら……現役じゃなくても出れる陸上の大会にたまに出るんですけれど、凄い記録が出ちゃったんです」


 コーチは一気にそれだけ言うと、ドカリと椅子に腰を下ろした。タケシは普段は見ないコーチの態度を見たのか驚いており、竹美は参考書を読むふりをして聞き耳を立てている。


「はっはっ、やったじゃないか」

「やりました! いえ、やってません!」

「おでこのガーゼはどうしたんだい?」

「これは、知らぬ間にぶつけたようで、たんこぶです」


 オレがくすくす笑うと、タケシもつられて吹き出した。コーチは、タケシのほっぺたをつねってから、やっと少しだけ笑った。


 コーチのクリーム色のセーターの胸の辺りから、青色の毛糸の様な物が飛び出ていた。

 妙に思って左目で見つめると、魔力を消費する時のお馴染みの感覚に襲われた。さらに見続けているとその青色の毛糸は次第にくっきりと姿を現し、空に向かって伸びている事が分かった。


 その青色の軌跡に集中すると周りに見えている物や家の天井が消え去り、どんどんと空に向かって伸びていく。さらにそれは宇宙に到達し、すぐに宇宙も越えてしまい、訳の分からない空間を横断した後にどこかの大地に近づいていった。


 衛星写真を見る様に上から見下ろしていると、大地が拡大していき、やがて見覚えのある海岸に辿り着いた。青い糸は僅かに光りながら一直線に進み、砂浜を歩くラッコ・コボルト族長チチリアの胸に吸い込まれた。

 吐き気を感じたオレは、そこで青い軌跡を見る事を止めた。


「あの、どうかしましたか?」

「いや、何でもないよ。フフッ、そのたんこぶはきっとすぐに治るよ。明日、市場で一番高い薬を買って海岸に届けるからさ」


 コーチは、オレが何か冗談を言ったと思ったのか目をキョロつかせて少し微笑んだ。



 たぶんこれはバグで300回死んだ時に、オレの身に何かが起こったのだろう。セムルスが言っていた予測不能の事態なのかも知れない。


 オレはアパートの一室に引き籠り続けるより他には無いが、もしも一人ぼっちではなくて、頼りになる仲間がいるのならば、神にも等しい力を手に入れた。なぜならオレは、2つの世界の繋がりを見る事が出来るのだ。






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