幕間『落とし穴と少年飛行兵』
幕間ですが、本編と関係があります。
派手な格好をした女が、とある駅前のロータリーに降り立った。
何をするでもなくたむろしていた男子中学生達が、颯爽と歩く女を欲望剥き出しの目で追う。
その女の名前は畑中といった。
自分ではいつもより控え目な格好をしているつもりであったが、ここは歌舞伎町ではなく普通の住宅街なのだ。女は仕事の面接を受ける為に、この街に来ていた。
見かけの割に根が真面目である彼女は、約束時間の一時間以上も前にこの地に来ていた。
不測の事態に備えて、面接場所の建物を前もって確認して置きたかったからだ。
住所と簡単な地図が描かれたメモ帳を片手に、公園を通り過ぎ、坂道を登って行った。
ずいぶん人気のない坂道で、何故だか漂っている薄い霧が物悲しさに拍車をかけている。
女はチラリと自作の地図を見直した。書き間違えてしまったのか、曲がるべき道がなかなか現われない。やっぱり早めに来て正解だったわね、と彼女は内心思った。かなり不幸な生い立ちであった彼女は、人生というのはどこに落とし穴があるのか全く分からないという事を、嫌というほど知っていた。
それが故に『用心は怠りなく』というのが彼女のモットーだ。
しかし用心し過ぎる事に疲れ果てて、酒とホストに逃げていた時期もある。彼女は、昔の荒んだ生活には戻るまいと、決意も新たに坂道を登って行く。
しかし、いくら坂を登っても目標の建物が見つからない。住所を何度も照らし合わせながら行ったり来たりを繰り返したが、目的の場所に辿り着けないのだ。
彼女は気が進まなかったが、道を尋ねる為に一軒屋の呼び鈴を押した。そこが不在だったので隣の家に行ってみたがそこも不在、その隣に到っては表札すらなかった。
「ついてないわね」
少し不気味さを感じながらも歩き回っていると、いつの間にか坂道の始まりまで戻って来ていた。電話を掛けようかとも思ったが、大きく溜息を付いてから一旦駅前に引き返す事にした。喫茶店でしばらく時間を潰してからもう一度近くまで行ってみて、それでダメなら電話を掛けよう。
◆◆◆
大空を舞う赤茶色の飛龍の背中に、2人の少年が乗っていた。2人ともよく痩せており、飛行服や飛行眼鏡等の必要最低限の物しか装備していない。飛龍の手綱を握っている背の高い方の少年が、ぶっきらぼうに言った。
「まったく、なんで自分達が行かなきゃならんのだ」
「ハッハッ、そう言うな。昔の様な大人が数人乗れた大型飛龍はもういないのだから、仕方なかろう」
少年達はその幼い顔とはやや不釣り合いな、大人びた話し方をした。
飛龍は僅かに翼を動かしながら、大空と海の間を悠々と滑空している。長身の少年が振り返り、後ろに座る仲間の顔をチラリと見た。
「しかし納得がいかん。なあ例の噂、聞いたか………」
「ああ聞いたよ。この作戦が元老院もギルド連合も通さずに、マーシム将軍の独断だって話しだろう?」
「そうだ」
先日、我がジパレイズ領土の離島に、隣国より攻撃があった。
海賊掃討中の大砲誤射と相手国は主張したが、それは明らかな嘘であった。人が死んでいるにも関わらず延々と話し合いを続ける元老院に、業を煮やした軍が独断に走ったとしてもおかしくは無い。
「マーシムの親父ならやりかねんが、ローム老が止めるだろう」
「まあ、そうだな」
「なあ……そろそろ昼飯にしないか?」
飛龍の後ろ側に乗っている少年はそう言うと、小さな背嚢から包み紙を2つ取り出した。高速で飛行中であるにも関わらず美味しそうな匂いが漂い、少年達の咽喉がごくりと鳴った。
「その包み紙は、まさか『肉汁亭』の包み紙か?」
「ああ餞別に貰った特別製の最高級ハンバーガーさ。……食べても大丈夫か?」
飛行兵は厳しい体重管理が求められており、なかでも長身の少年は人一倍の摂生が必要だった。
「見た以上はダメだと言われても食うぞ。くそ! 堪らん匂いだ」
少年は慎重に手綱を片手に持ち替え、肉汁滴るハンバーガーを受け取った。そしてもう1人の少年と視線を交わしてから、大きな口を開けてかぶりついた。
駅前に戻った女は、他に適当な場所が無かったのでハンバーガーショップに入った。カップのコーヒーを受け取って席に着くと、隣に中学生らしい少年が2人座っていた。その少年達はこちらをチラリとも見ずに、ずいぶんと熱心に話し込んでいる。やがて少年達はハンバーガーを手に取り、うんうんと頷き合いながら美味しそうに食べていた。
女は少年達に仄かな好感を持ちながら、テーブルに参考書を開いた。
彼女は看護学校に入る為の勉強をしていた。手始めに簡単な介護の資格に挑戦してみたところ無事に合格する事が出来たので、自信を付けた彼女は働きながら勉強を続けていくつもりだった。
お金は少しだが蓄えがある。彼女は夜の仕事をしていたが、辞める前の最後の半年は、ほとんどお金を使わなかったからだ。
やがて面接の時間が来たので、彼女は履歴書等をもう一度確認してから席を立つ。
ふと隣のテーブルを見ると、少年達はいつの間にか消えていた。
彼女は緊張しながら坂を登って行ったが、さっき来た時はちっとも見つからなかった曲がるべき道が、今度はあっさりと見つかってしまった。多少混乱したが考えるのは後にして、新しい坂道を登り始める。
やはり人の気配が無かったが、途中でサッカーのユニフォームを着た子供とやっと出くわした。
その男の子は鋭い目で女の事を見ると、手に持っていたトランシーバーを口に当てて、誰かとやりとりをした。それが済むと女が声を掛ける間もなく、子供しか通れない建物の隙間に走り去って行った。
「……妙な町ね」
その後は誰とも出会うことなく、目的の建物に辿り着いた。想像していたのとは違って、2階建の小洒落たアパートだった。呼び鈴を押すとすぐに2階に通されて、事務所の様な部屋に案内された。
面接担当者の顔ぶれを見た彼女は、困惑を隠せない。
1人は看護師の女性だ。きびきびとした無駄のない動きと落ち着き払った物腰から、ベテラン看護師の気品の様な物が溢れ出ている。こちらはいいのだが、もう1人の少年の様な顔した外国人の男が、意味不明である。背中にスナイパーライフルのおもちゃを背負い、だらしなく椅子に座りながらコーラを飲んでいる。
彼女はなるべくそちらを見ない様にしながら、看護師の質問にハキハキと答えていった。
一通り面接が終わると看護師さんが姿勢を正して、ここは特殊な場所だからそれなりの覚悟がない方はお断りしたいと強い声で言ってきた。女も負けじと姿勢を正して、覚悟のほどを示す。言うだけならばタダだからだ。もちろん嘘を言った訳ではないが。
看護師と外人の男が目を合わせて頷き合い、全員で下の部屋に移動する事になった。
アパートの1階は家具のあまり無い、だだっ広い部屋だった。光りに満ち溢れ、植木鉢が所々に置いてある。
靴を脱いで中に入ると、部屋の中央にベッドが2つだけ並んでいる。片方には男性が横になっていて、周りをよく分からない機械が取り囲んでいる。もう1つのベッドには女性が寝ている様だ。
彼女は眠っている少女の顔を見て、思わずハッと息を飲んだ。歌舞伎町でありとあらゆる種類の女を見て来たが、これほど美しい女の子を見たのは初めてだったからだ。しかし、その女の子の咽喉には、呼吸器が痛々しく突き刺さっている。必死で動揺を隠そうとしていると、誰かの視線を感じた。
「こんにちは」
隣に寝ている男性が喋った。いや、正確に言えばスピーカーから声が流れて来た。
彼女は慌てて頭を下げて、挨拶をした。
「こんにちは、よろしくお願いします」
「うん。オレはね……レオンっていうんだ。子供達もそう呼んでいるから、あなたもそう呼んで欲しい」
「はい! レオンさん。私は畑中といいます。畑中竹美です」
ここは特殊な場所だから。
先程、看護師さんに言われた言葉の意味が、彼女にもおぼろげながら分かり始めていた。
食事を終えた2人の少年はハンカチで唇を拭い、空を飛ぶことに意識を集中した。話したい事は山ほどあるはずなのに、何故だか言葉が出て来ない。飛龍の翼が風を切るヒュウヒュウという音が、こんなに寒々しく感じたことは今まで無かった。やがて操縦をしている長身の少年が、耐え切れなくなった様にぽつりと言った。
「なぜお前が死ななきゃならん?」
「……」
皆が固唾を飲んで見守っていた回転抽選機から、親友の突撃番号が書かれた安っぽい玉が転がり落ちた瞬間を思い出し、手綱を持っている両手がぶるぶると震えた。仲間達が親友におめでとう、おめでとうと言い、親友も自分が英雄に選ばれたことが嬉しそうであった。しかし、どいつもこいつも自分の与えられた役を演じているだけじゃないか。
「何がおめでとうだ。馬鹿野郎どもが」
「……」
「なあ、ずっと考えてたんだけど、このまま逃げてしまおうか。お前と飛龍の3人で、何とかやっていけるだろう」
そう言われた少年は、戦友の背中に掴まりながら静かに考えた。
正直なところ、逃げる事を考えなかったと言えばそれは嘘になる。だが、うちの軍は小さな小さな家族の様な軍隊だった。ローム老とマーシムの親父があちこちで踏ん張っていたが、長年の平和により予算が減り続けていた。ここ数年間で急速に隣国との関係が悪化するまでは、軍人は何所に行っても白い目で見られ、ただ飯ぐらいと陰口を叩かれていたのだ。
そして自分は、幼い時に下働きから入隊した生え抜き中の生え抜きなのだ。
逃げる訳にはいかない。自分は軍人としてやるべきことをやる。
「なあ、お前がそう言ってくれて嬉しいよ。でも、逃げない。やるさ」
「……ああ、分かってる。すまん、言ってみたかっただけだ」
少年は手を伸ばし、硬い表情で飛龍を運転している戦友の脇の下を、思いっきりくすぐってやった。
「や、やめろ! 馬鹿野郎、海に墜落しちまうぞ!」
「はっはっはっ、一度、やってみたかったんだよ、これを。はっはっはっ訓練中にやったら懲罰房行きだな」
そんな事をしているうちに、目的の場所が近づいて来た。
そこは隣国の一番外側にある小さな軍港で、そこの船着き場には大砲誤射事件を起こした軍船が停泊しているのだ。油断し切っているようで、空を警戒をしている様子は全くない。
「どうだ、行けそうか?」
「ああ、雲もあるし、問題なく攻撃目標の上空まで行ける」
「そうか……じゃあ、そろそろ飲むぞ」
「……」
少年は、懐から厳重に封印がされている小瓶を取り出した。その中には人間の生血に反応して爆発する、特殊な魔法液が満たされている。しかもそれは特定の血液型だけに反応して、大魔道士でも困難なほどの大爆発を引き起こす。軍船などは木端微塵に消し飛ぶだろう。
少年は一息で魔法液を飲み干して、心の中でカウントを始める。
近隣諸国を震え上がらせた、爆血兵の再来である。
飛龍は上空でゆっくりと旋回していた。
さすがに敵も気が付いたのか、地上が騒ぎ始めている。
「よし、今だ! 行ってくれ!」
「おう!」
飛龍が翼を折り畳み、敵の艦船に向けて急降下を始めた。人間爆弾と化した少年は、風の中で誰かの名前を呟いた。それは親友の名だったのか家族の名だったのか、それとも思い人の名前だったのかは、風の神様にしか聞こえなかった。
飛龍から飛び降りた少年は見事に敵艦船を破壊し、その短い生を終えた。
竹美は、ベッドでレオンが寝ている事を確認してから、テレビのスイッチを押した。
レオンがテレビをあまり好まないので、起きている時はなるべく付けない様にしていた。別に文句を言われる訳ではないが、お給料を貰っている身である。
出来れば昼ドラが終わるまでは眠っていて欲しいわね、竹美はそう思った。
テレビを見ながらも、視界の中にはちゃんと2人の姿がおさまっている。竹美は仕事について3日目で、この技術の体得に成功していた。
何やら玄関の方が騒がしい。
嫌な予感がしながら振り向くと、予想通りタケシとケンイチという子供が部屋に来ていた。ケンイチというがさつな方が、挨拶もなしに生意気な口をきいた。
「竹美、レオン兄ちゃんはテレビが好きじゃないんだぞ!」
「知ってるわよ! ほら、今はスヤスヤ寝てるでしょう、騒がないでちょうだい。起きちゃうじゃないの」
テレビはニュースを流していた。14歳の少年がマンションの屋上から飛び降りて、死んでしまったらしい。見覚えのある地名が出ていたので少し考えると、そのマンションはここからすぐ近くにあるという事に気が付いた。
びっくりしているとテレビがパツンと消えた。
「ちょっと、見てんのよ!」
「竹美、暇なら勉強すればいいだろ」
「う、うるさいわね。あんたらこそ学校はどうしたのよ? あと、汚い靴下でべたべた歩かないでちょうだい。私が掃除すんのよ?」
「畑中さん、学校はお昼で終わりでした」
「あら、タケシ君は偉いわね、ちゃんと喋れて」
「タケシ、こっちのが古株なんだから竹美で十分だ」
竹美は「何言ってるの! 古株は私の方よ。だって私が来たのは2番目なんだからね!」そう言い掛けて、はっと口を噤んだ。
「どうしたんだ竹美、大丈夫か?」
「んん……何でもない」
何で自分がそんな事を言おうと思ったのか、竹美には訳が分からなかった。
でも1つだけ分かるのは、まるでずっと住んで居た場所の様に、この場所が好きで居心地が良いという事だ。
沢山の感想ありがとうございました、嬉しかったです。
竹美は、本編ではモブキャラ扱いになります。それと現実側はレオンが寝てしまったので、三人称(?)が少し増えるかもしれません。




