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ロング・グッドバイ2

 フラニーが故郷に帰る前日に、丘の仲間達だけの小さいながらも華やかなパーティーが開かれた。

 晴天に恵まれた正午に、フォレスビールの乾杯と共にパーティーが始まる。


 屋敷のリビングには所狭しとご馳走が並べられ、飲み切れぬほどの酒が用意されている。皆が自分の持っている一番立派な衣装に身を包んでいるので、結婚式の様なやや厳粛な雰囲気になっていた。グリとグラは中世貴族風の凛々しい出で立ちで、フラニーとエリンばあさんはお揃いのグリーンのスカートを履いている。オレと動物勢はいつものままの格好だ。


 夜まで飲み通すつもりなので、ちびちびと酒を飲み、昨日のうちから用意した絶品料理を摘まんでいく。キッチンには後で焼くつもりの角無し牛一頭分の肉と、シメに食べるラーメン風の麺料理の下準備も整っている。抜かりはない。


 ビールを開けたグリィフィスが、貴族的なパーティーでの振る舞いを大袈裟に演じてみせて、皆の笑いを取った。フラニーと同じく、こやつも酒が入ると豹変するタイプとみた。

 場が徐々に温まり始めたので、オレは頃合いをみて仲間達の注目を集めた。


「オホン、さて皆に見て貰いたい物があるんだ。了解を取ったからすでに知っていると思うが、オレの国から持ち込んだ物だ」


 皆が手に持っていたグラスをテーブルに置き、ワクワクと目を輝かせた。

 オレはまず隣の部屋から小さな机を持って来て、その上にグリと作った物を乗せた。グランデュエリルとフラニーが机の側により、これは何だろうという風に覗き込む。


「ハッハッ、これが何なのかはさすがのフラニーも分かるまい」

「あら、本で見た事がありますわよ。このクルクル回る台の上で壺や茶碗を作るのでしょう? でもこの鉄の帽子の様な物は何でしょうか?」

「フッフッフッおしいな。おっと、まだ触らないでくれよグラ、後で使い方を教えるから」

「別に壊したりしないぞ!」

「ほっほっほっ、あたしも見た事がありませんですじゃ。レオン殿のお国の物とは楽しみですじゃな」

「……」

「フフンフン」


 オレはまた隣の部屋に戻り、一億マナを吹っ飛ばしてまで現実世界から持ち込んだアイテムを、もったいぶって背中に隠してからみんなに見せた。オレを取り囲んでいる仲間達が首を伸ばす。


「レオン? やはりお皿ですか? 黒いお皿?」

「やいレオン分からんぞ、早く教えろ!」

「レオンさん、私も早く知りたいです。この機械装置が何なのかずっと気になって、夜も眠れませんでしたし……」

「よし、やってみせるぞ。パーティーには欠かせない物だ」


 オレは厳選に厳選を重ねた数枚のレコードを見比べてから、そのうちの一枚を自作のレコードプレイヤーの上にそっと乗せた。始めに選んだレコードは、映画のテーマ曲がオムニバスに収録されている、レコードが廃れてしまった後に作られた物だ。

 しん、とした静寂の後に、針がレコードをこりこりと撫でる心地の良い音が聞こえる。


 そして軽快なウッドベースの音と、マッチを擦った様な摩擦音。


 その曲は、4人の少年達が死体探しの旅に出て線路沿いを歩いて行く、そういう映画の主題歌だった。やがて黒人シンガーの魂を絞り出す様な歌声が聞こえて来た。

 隣に居るエリンばあさんが、はっと息を飲む。


「レ、レオン殿……これは……これは……」

「オレの世界の音楽なんだ、凄いだろ?」


 フラニーが口をあんぐりと開けて、肩を震わせている。

 無感情なハービーが拳を握りしめたのが見えた。

 曲が終わるまで、もう誰も喋ることもなく、ただただ一心不乱に聞き入っていた。曲が終わると皆が一斉に騒ぎ出す。目に涙を滲ませ、熱に浮かされた様に瞬きすらしない。


「凄いですわ、レオン。涙が止まりませんわ」

「レオン! レオン! もう一回だ! もう一回聞きたい!」

「大丈夫、何度でも聞けるからさ。でもそろそろ次の歌が始まるんだ」


 言葉が終わると別の音楽が始まった。それはオレの一番大好きな映画の曲だった。

 オレはエリンばあさんに手を伸ばし、ダンスに誘った。

 エリンばあさんは照れた様に微笑んでから、嬉しそうにオレの手を握る。


 さあ踊ろうじゃないか。時間はまだまだあるのだから。






 オレ達は踊り続けた。


 明日の別れの事など忘れて、今流れる音楽と次のステップの事だけに気持ちを集中した。踊り疲れると酒を飲んで喉を潤し、すぐに即席のダンスフロアに駆け戻る。アポロと踊り、グリとグラと踊り、ハービーとカインと踊った。激しいダンスの後はチークダンスを、チークダンスの後はそれぞれの故郷の踊りを。


 レコードが2週目の中盤に差し掛かった頃に突然メッセージが出た。



 ――――狂い蜂がレベルアップにより高速乱れ蜂に変化しました。


「なんだと?」

「どうしました、レオン?」


 仲間達が踊りを止めて、オレの顔を見た。


「今日は農作業なんて、誰もしてないよなあ?」

「していませんよ」

「していません」

「……モンスターが畑にいる」


 全員が武器を引っ掴み、屋敷から外に出た。畑の向こう側の城壁が、1つだけ歯抜けになっている。


「まずいぞ!」


 アポロが咥えていた骨付きカルビを放り出し、全速力で駆け出した。グリとグラも後に続き、エリンばあさんが監視塔の梯子を駆け登る。

 うちの丘の城壁は、元はモンスターのバッファロー・ウォールで出来ているのだ。普通の城壁と違い強固かつ安上がりなのだが、同時に大量の経験値を持っているという欠点がある。その為、農作業中は常に注意をしているし、仕事が終わった後に取り残しの敵がいないかの入念なチェックをさぼった事は一度もない。

 またメッセージが出る。


 ――――高速乱れ蜂がレベルアップによりストライクパワー・ビーに変化しました。


 畑の端っこに辿り着くと、運動会で使う大玉のような蜂が、涎を垂らしながら無我夢中で城壁を叩いていた。オレとアポロで慌てて攻撃を始め、エリンばあさんの放った矢もそれに加わった。

 しかしストライクパワー・ビーはこちらの攻撃を顧みず、城壁への打撃を続ける。

 もう少しで仕留められそうな時に何枚目かの城壁が崩れ落ちた。通常は経験値を得る機会があまりないモンスターにとって、それは黄金色の蜜と同じ。


 ――――ストライクパワー・ビーがレベルアップによりアイアン・タンク・ビーに変化しました。


 空中要塞の様な巨大蜂が出現して、大砲代わりの針を城壁に向けて撃ち込み始めた。


「グリ! グラ! 屋敷に戻れ、防具なしじゃこいつは無理だ!」


 ハービーが投弾帯から飛ばした鉄球が巨大蜂に命中したが、僅かなへこみが出来ただけだ。その間にも一枚二枚と城壁が破壊されていく。オレは残っている城壁の上から加速を付けてジャンプをして、空飛ぶ鉄の塊に飛び付いた。星銀の爪をピッケルの様に体に突き刺す。


 同じく飛び付いたアポロが、黒板を引っ掻く様な不協和音を立てながら敵の胴体を削り、エリンばあさんの矢が羽の付け根の部分にざくざくと突き刺さる。

 悲鳴を上げたアイアン・タンク・ビーは大砲の発射を止めると、バッファロー・ウォールに体当たりをし始めた。骨が軋むような衝撃に耐えながら戦車蜂を削り続けていると、粘り気のある体液が吹き出し始めた。


 しかし動きの鈍り始めた戦車蜂が、もう数えるのも嫌になるほどの城壁を破壊した時に、変身を告げる爆発が起こり、オレとアポロは地面に吹き飛ばされた。


 ――――アイアン・タンク・ビーは『滅びし蜂の王』に変化しました。


 新たに出現した敵の姿を一目見たオレは、大声で撤退を叫んだ。

 装備を付けてこちらに向かっていたグリとグラが、一瞬ためらってから屋敷に引き返す。オレとアポロが殿を務め、ハービーとカインを安全地帯である屋敷に走らせる。


 変身を繰り返すたびに巨大化を続けていた狂い蜂が、今度は小柄な人間ぐらいの大きさに縮んでいた。まるで子供が蜂の被り物を着ているかのようだ。

 人間に近い顔、黒と黄色の可愛らしい臀部、2本の触覚の間に銀色の角が一本生えている。あまりに場違いだが、昔放送していた蜂が主役のアニメを微かに思い出した。しかし、オレの経験から言えばこいつは今までとは桁違いに強い。その小さな体が放つダイヤモンドの塊の様な威圧感に、オレの膝がかたかたと震え始めた。


 滅びし蜂の王は冷たい目でオレを見た。

 子供の頃から自分の発言が絶対であった者だけが、持ち得ることの出来る凍り付いた目だ。帝国貴族のお偉方の何人かが、同じ様な冷たい目をしていた。貴族であっても温かい目をしていたソフィア・クルバルスやベンの顔が走馬灯の様に頭に浮かぶ。

 これはやばいのかも知れない。


 しかし蜂の王はすぐにオレから視線を外し、辺りを窺い始めた。そして監視塔の梯子を下りようとしていたエリンばあさんの方を見ると、笑う様に口の端を釣り上げた。調子を試す様に背中の羽を何度か震わせると、一直線に監視塔に向かって飛んで行く。


「や、止めろ!」


 撤退中のエリンばあさんが蜂の王に気が付き、かなりの高さから梯子を蹴って宙に踊り出た。着地の衝撃を一度だけ吸収してくれる大地のアンクレットをばあさんが装備している事を、オレは走りながら神に感謝する。


 しかし蜂の王は唸るように羽音を鳴らせ、倍以上の速度に急加速した。そして未だ落下中のエリンばあさんを木の葉のように弾き飛ばした。接触の瞬間に、蜂の王を睨み据えたエリンばあさんが、空中で矢を放つ姿が見えた。


 エリンばあさんは何とか着地を決めたが、そのままバッタリと地面に倒れ伏す。

 丘のずっと向こうまで飛んで行った蜂の王は、高空でこちらに向き直り、久しぶりの自由を満喫するかのように旋回運動を始めた。


 オレはエリンばあさんを脇に抱え上げて、屋敷に向かって走った。アポロが衛星の様にオレを護衛し、グランデュエリルが屋敷のドアを開けて大声で何かを叫んでいる。

 安全地帯である屋敷の中に滑り込むと、グラがばたんとドアを閉めた。


「全員いるか!」

「はい、居ます!」


 エリンばあさんを床に寝かせ、服の左腕を引き裂いた。肩の辺りを針で刺されたのか、激しく腫れ上がっている。すでに意識もない。


「くそ! どうする! 落ち着け、まず落ち着け!」


 オレは自分に言い聞かせながら、考えを巡らせた。屋敷は安全地帯だし、治療薬や設備も整っている。落ち着けば、なんとかなるはずだ。そう思っていたオレの頭にパラパラと粉の様な物が舞い降りた。


 ミシリ、ミシリという音が振動と共に聞こえてくる。


「レオンさん! 屋敷が攻撃されています、そんな事が!」


 普通のモンスターは屋敷を攻撃する事が出来ない。なぜなら丘の設備は屋敷にある石版の力に保護されており、その中でも本拠地である屋敷は特別だからだ。しかし、石版に対抗出来る様な力を持っている者であれば、その限りではない。つまり滅びし蜂の王はそれだけの強さを持っているという事だ。


 体がずれる様な振動が起こり、屋根か何かが吹き飛ばされた。振動の発生源が一度止まり、今度はドアの辺りをドスン、ドスンと叩き出した。オレは予想外の事態に軽いパニックを起こしてしまった。


 どうする? ダーマのおっさんかユキに助けを求めるか? それが間に合うか? 何故だか知らんが敵の狙いはエリンばあさんの様だから、ばあさんとオレだけ残って他は裏口から逃がすべきか? いや、もう一度アポロに虎になってもらえば勝てるのか? どうする?


 誰かがオレの手を握りしめた。


「……レオン殿」

「ばあさん! 良かった!」


 仲間達がエリンばあさんを取り囲む。衝撃音はドカン、ドカンといよいよ激しさを増している。


「ほっほっ、このエリン、そう簡単には死にはしません」


 エリンばあさんは強気にそう言ったが、意識が戻っても瀕死である事には変わりがない。しかしエリンばあさんは立ち上がろうと、上半身を傾けた。


「ばあさん、動いちゃダメだ、蜂の毒が回ってしまう」

「ほっほっ、レオン殿、大丈夫ですじゃ。肩を貸して下され」

「動いちゃダメだよ」

「肩を……」

「グラ、ありったけの治療薬を持って来てくれ、グリはお湯を――――」

「肩を貸せと言うのが聞こえんのか!」


 エリンばあさんの一喝が大地を震わせた。オレは、エリンばあさんの負傷で如何に自分が動揺していたのかを、その声でようやく悟った。エリンばあさんは、すでに普段と同じ優しいエリンばあさんの顔に戻っている。


「ばあさん、頼む」

「ほっほっほっ、お任せあれ」


 オレは、ばあさんに肩を貸し、屋敷の中央に立たせた。

 エリンばあさんはふらつきながらも、オレの手を離すと、背中の矢筒から真っ白な矢を取り出した。ばあさんが弓隊長になった時に雷撃の弓と一緒に貰った神木の矢だ。


 エリンばあさんは数十年連れ添った相棒である神木の矢をひと撫ですると、弓につがえ、達人だけが可能なこれ以上ない静かな動きで弦を引き絞った。

 ばあさんの斜め後ろに立ったフラニーが、魔法の詠唱を始める。

 すぐに雨雲が丘を包み込み、雷鳴がエリンばあさんの機嫌を窺う様にゴロゴロと鳴り始める。


 かけっ放しにしていたレコードがエレキギターの電子音を響かせている。それは仮想空間での人類とコンピューターの戦いを描いた、SF映画のテーマ曲だった。人の心を揺さぶり扇動する激しい曲であったが、エリンばあさんの集中力には波紋1つ起こらない。


 雷が腹を空かせ、ドラムを叩き付けた様な雨が降り始める。その音に合わせ、エレキギターが唸り狂う。

 一気に過剰な魔力を使ったフラニーが、口の端から吐瀉物を垂れ流し、立ったまま白目を剥く。


 そしてついに、滅びし蜂の王が屋敷のドアとその周り一面の壁を吹き飛ばした。

 瓦礫の粉塵が薄くなった瞬間に、エリンばあさんが神木の矢を撃ち出す。

 その様子は、いつもの矢を撃つ姿と何ら変わりはない。


 蜂の王は自分に迫る矢を払い除けようと何気なく手を伸ばしたが、すぐに目を見開き、表情を凍り付かせた。避けようと体を捻るが、もう遅い。伸ばされた蜂の王の腕を捥ぎ飛ばした神木の矢が、頭部の角の根元に命中した。


 一秒後に、波動砲さながらの稲妻が脳天を直撃する。


 稲妻は地面を抉り、衝撃でオレ達を吹き飛ばした。直撃した本人は塵になっていても可笑しくはない破壊力だ。レコードプレイヤーが床に落ちたのか音楽が終わり、異様なほどの静けさが戦場を支配する。オレは再び意識を失ったエリンばあさんを胸に抱きながら、クレーターになってしまったドアの外に目を凝らした。


 黒焦げに成りながらも滅びし蜂の王は生きていた。

 腕が片方なくなり、矢が直撃したおでこがぐずぐずの肉となって角が無くなっている。

 アポロが止めを刺そうと走り出した。


「待て、行くな!」


 敵はまだ力を残している。オレはエリンばあさんをグランデュエリルに預け、蜂の王の目前まで進み出た。


「お前は、はじまりの庭にいた蜂だな?」

「……」

「セムルスの糞野郎と何らかの契約をして、ここに来たんだろう?」


 蜂の王は、半分以上は千切れてしまった羽を微かに震わせた。


「行け。それとも最後まで殺し合うか? 他人の手の平の上で殺し合うか?」


 滅びし蜂の王は少しの間考えていたが、やがて無機質な声で喋った。


「……われの名は……蜂の王クアラリム・ミーア……また会おう、麦を転ばす者よ」


 それだけ言うと蜂の王クアラリム・ミーアは空高く舞い上がってから、森の方に向かって飛び去った。

 ほっと息を付いて後ろを振り返ると、半壊した屋敷と真っ青な顔をしたフラニー、そしてぴくりとも動かないエリンばあさんが居た。






 エリンばあさんの容体は悪かった。


 グランデュエリルが蛇の毒にやられた時の高熱をさらに上回る熱を放ち、蜂の針に刺された左腕は2倍にも腫れ上がっていた。オレは迷わずはじまりの庭に行ったが、あざ笑うかのようにセムルスは姿を見せなかった。市場を駆け回り、解毒剤や治療薬を買い漁った。売り渋る商人を恫喝し、予約が詰まった腕のいい医者を泣き落として丘に連れて来た。しかしそのどれもが効果を見せなかった。


 エリンばあさんは、もうはっきりとした意識が戻る事はなく、熱に浮かされてうわ言を呟いた。オレの知らない名前を心配そうに呼んだり、大昔の部下に命令を出したりしていた。

 丘の仲間達は寝る間も惜しんで看病をしていたが、誰もが最悪の事態を考えずにはいられなかった。


 その夜、グランデュエリルが洗濯場に隠れてしくしくと泣いていた。オレは見ないふりをして、虫の息のエリンばあさんが眠るベッドの横に戻る。エリンばあさんは目を瞑ったまま、途切れ途切れにうわ言を言っていた。オレは心が抉られる様な思いで、じっとエリンばあさんの言葉を聞いた。


「レオン……レオン、ああ、レオン……あたしは、時としてレオンを息子の様に思ってしまうのですじゃ、よくない事、恥ずかしい事です、あたしも老いて心が弱くなったのか……レオン、許しておくれ。そなたは優しき子、強き子、だからこそあたしは不安なのですじゃ…………戦いの場に立てば、強き男は嫌でもリーダーになってしまう。そして人々を率いる者というのは、いざという時には部下や仲間に死ねと命令しなければならない。レオンにそんな思いはさせたくないのです、優しきレオンの心が潰れてしまうのが怖いのです……ああ、老婆の戯言を許しておくれ……」


 明け方、エリンばあさんの左手の薬指が、腐って抜け落ちた。






 もう何度倒れたのか分からなかった。

 オレはセムルスの住んでいる屋敷に続く、砂利道に居た。そこにはユキの人形軍団をあっという間に壊滅させた『庭守』がいる。

 倒れる度に立ち上がり庭守に武器を突き立てるが、庭守は鋼鉄の長い腕でオレを数十メートルも払い飛ばす。オレは敵としてすら認識してもらえなかった。ただの無力なうるさいコバエだった。


 また立ち上がり、決して勝てない相手に立ち向かう。もしオレが苦しみ痛めつけられる姿を見て、胸のすく思いをする奴がいるのなら、死ぬまでこれを続けてやろう。また吹き飛ばされたオレを、砂利道の尖った小石が受け止める。



 庭の方でドスドスという音が聞こえた。オレは血を撒き散らしながら、はじまりの庭に引き返す。

 庭の花壇の前に蓋の開いた宝箱が3つ置いてある。


 グリーン・プラチナの爪

 石版の台座

 庭師の治療薬


 宝箱にはそれらの物が入っていた。オレは庭師の治療薬を左手で引っ掴み、何も考えずに石版の台座を右手で掴むと、残りの宝箱がバタンと閉まった。丘に帰り、庭師の治療薬を自分で一口飲んでみてから、残りを全部エリンばあさんの咽喉に流し込んだ。






 一週間後、オレは畑に的代わりの案山子を並べていた。

 エリンばあさんの放った矢が、案山子を大きく逸れて畑の土に突き刺さる。不規則に飛び回る蝶でさえ撃ち落としていたエリンばあさんの弓が、これだけ大きな的を外すなど考えられない事だ。

 しかし、エリンばあさんは文句の1つも言わずに、黙々と弓矢を打ち続ける。撃ち続けるうちに、少しずつ少しずつ着弾点が収束していく。


 オレは外れた矢を拾い集めて籠に入れ、それを持って監視塔の梯子を上った。


 吹き曝しの監視塔の上で、少し痩せたエリンばあさんが、弓を引く動作を何度も繰り返している。ばあさんはオレの姿を見るとニコリと微笑んだ。オレもつられてニコリと笑う。

 エリンばあさんは指の一本欠けてしまった左手で自分の目を指差しながら、珍しく、おどけた様な口調で喋った。


「レオン殿、どちらが先に元の力を取り戻すのか、競争ですじゃよ」

「おう! 負けないぜ」


 顔を見合わせて、再び笑い合う。


「なあ、エリンばあさん……」

「なんですか?」

「ばあさんが寝込んでいる時に、エリンばあさんが熱に浮かされて喋るのをオレは聞いていたんだ」

「……そうでしたか、何を言ったのかは覚えておりませんですじゃが」

「それでさ、ばあさんは何か心配事があるんじゃないのか? あるなら言って欲しいんだ」

「……」

「エリンばあさんには、出会って以来ずっと助けられてばかりだった。フラニーの国の事はもう方が付いたし、何かあるならば言ってくれ」


 オレの言葉を聞いたエリンばあさんは、ずいぶん長い間、考え込んでいた。白い髪の毛を風に吹かれながら空を眺め、いくつもの雲が流れ去るまで考えていた。やがてポツリと呟いた。


「エリン・シュガーベル。それが昔のあたしの名前ですじゃ、もう名乗る事を許されない捨てた名ではありますが」

「うん」


 エリンばあさんに手を引かれて、監視塔に出したばかりの炬燵の中に入った。足にぐにゃりとした物体が当たったので覗き込むと、すでにアポロが我が物顔で眠っている。


「あたしの過去の事は、少しですがお話ししましたな?」

「うん。ばあさんは軍人だった。でもばあさんの国が戦争を止めて、軍が解体されていった。それでエリンばあさんは石版の世界に来た」

「そうですじゃ、何十年も前の話しになってしまうのですじゃが……」

「聞かせてくれ」


 エリンばあさんはお茶の準備をしながら、躊躇いがちに話し始めた。


「最後の長い戦争が終わり、軍が問答無用で解体され始めた頃に、あたしはある将軍を射ち殺しました」

「……」

「その男は戦争中に沢山の部下を無駄死にさせ、見殺しにして置きながら、戦後は要領よく立ち回り、国の主要な地位に居座っておりました。あたしはどうしてもその将軍が許せずに、射ち殺した後に自ら縄に付いたのです。本来ならそこであたしの人生は終わるはずでした」

「……」

「しかし生き残った戦友達があたしの助命活動をしてくれたのですじゃ。その中には高い地位の者もいた事と死んだ男の評判の悪さもあって、あたしは死罪を免れました。鞭で100、叩かれた後に、国を永久に追放されました。その時に戦友の1人だった参謀長がくれた石版の欠片を使い、こちらの世界にやって来たという訳ですじゃ」


 エリンばあさんはお茶を一口飲んで、弱々しく微笑んだ。言い出しかねるという様子だったので、オレは促がす。


「ばあさん、国の事が気になってるんじゃないのか?」

「…………あたしには歳の離れた優秀な弟が1人いました。あたしがシュガーベル家の名を汚してしまったせいで、弟はさぞかし苦難に満ちた人生を送ったはずですじゃ。蜂の王に刺され死を覚悟した時に、弟に謝れぬままにこちらに来てしまった事が、唯一の心残りと感じたのですじゃ」


 普段は疲れ知らずのエリンばあさんが、話しを終えるとぐったりと肩を落とした。オレは背筋を伸ばし、傲慢とも取れるほどの強い声で言った。


「よし、わかった。どんな手を使ってもオレがばあさんの思いを叶えてやるよ。エリンばあさんが故郷に帰れるならば連れて行くし、もしそれがダメならばオレがエリンばあさんの息子として、代わりに謝りに行くよ」


 エリンばあさんは、はっと顔を上げてオレを見つめた後に、慌てて顔を反らした。






 その数日後、フラニーがドライフォレストに帰る日がやって来た。

 しかし当初の予定とは違い、3週間ほどで丘に帰って来る事になった。そう申し出てくれたフラニーの言葉を、半壊した丘を抱えたオレは拒否することが出来なかった。

 フラニーは部屋着の様な軽い服装にフォレスビール麦の種籾とラッコ石だけを持って旅立つ。


「それではレオン、皆様、フラニーは行ってまいります」

「ああ、気を付けてな」

「あ! そうですわ、レオンのお守り召喚カードをお借りしてもいいですか?」


 ランドセルから仲間達の絵が描かれたカードの束を取り出して、フラニーに渡した。


「ありがとうございます、これで寂しくありませんわ……私のカードはレオンが持っているのですか?」

「いや、ゴブリンの女王クレメンティーナに預けてある。会って来るといい」


 フラニーは小さく頷くと、ドライフォレストに向けて旅立って行った。






 ☆☆☆



 もしまた元気に体が動くようになったら、昔の様に毎日働くのも悪くないな。

 そんな事をふと思った。単純作業の工場でもきつい肉体労働でもかまわないから、もう一度働いてみたい。毎月の給料をユキの住む家に持ち帰って、ユキの作った晩御飯を一緒に食べる。洗い物や掃除洗濯はオレがやろうじゃないか。


 しかし、今動かせるのは左目の瞼と、耳の鼓膜ぐらいだった。

 たまらなくなったオレは叫び声を上げようとしたが、空気の漏れる音だけが虚しくシューシューと鳴った。


「兄ちゃん、何か言った?」


 椅子に座り、本を読んでいたタケシが顔を上げる。


 スナフキルが用意してくれた色々な機械がベッドの周りを囲んでいた。寝転ぶオレに被さる様にして設置されているモニターがあり、その画面の文字を目で追うとカメラがオレの視線を捕え文章を作っていく。最後に決定ボタンを数秒間見つめると、オレにそっくりな合成音声がスピーカーから流れるのだ。


「いや、少しウトウトしていた」

「うん、看護師さんは外人のあんちゃんと2階で話してるよ」


 タケシは、オレを任された事がいかにも誇らしそうな口調で言った。身動きが出来ない辛さで心に溜まり始めている鬱屈とした感情が、そんな子供達の笑顔で掻き出されていく。


「タケシは何、読んでるの?」

「えーと柔道の入門書だよ。サッカーも続けてるけど、柔道も始めたんだ。ケンイチは空手を始めたし、ヨシヒコは親にすげーパソコン買ってもらって毎日いじってるよ。あいつ、ずるいよなー」

「はっはっ、じゃあスナフキルを投げ飛ばせるようになったら、タケシにもなんか買ってやるよ」


 そんな話しをしていると、コンピューターに組み込まれたオレの携帯電話がピリピリと鳴った。電話の発信者の名前を見たオレは、動かない体をびくりと硬直させる。

 妹からの電話だった。


 身を隠す様にじっと息を殺していると、着信音は15コールほどで一旦切れたが、またすぐに掛かって来た。オレは妹との会話で必要になりそうな定型文を、モニターにあらかじめ出してから、電話を取った。


「お兄ちゃん! 大丈夫! 心配したよ、やっと繋がったのに何ですぐ出てくれないの!」


 スピーカーから妹の怒った様な声が聞こえた。

 妹は今のオレの状況を何も知らないはずなのに、何故オレの事を心配するのだろう。妹特有のテレパシーか何かが発動したのだろうか。オレは混乱しながらも、慎重に返答を書いた。


「大丈夫って何が?」

「は? 何言ってんの! まさか知らないんじゃないでしょうね」

「……」

「どうせ部屋に引き籠ってゲームばかりしているんでしょう? ちゃんと世の中の事も見ないと女の子にモテないわよ、いいからテレビ付けて、どのチャンネルでもいいから」


 困惑してタケシに視線をやると、少し離れた場所にあるテレビのスイッチをタケシが付けた。大画面にはヘリコプターから撮影しているらしい東京湾の姿が映っている。普段と変わらぬ東京湾に見えたが、よく見ると船の残骸らしい物が海面に浮いている。タケシがテレビの音量を上げた。


「これは……何が起こったんだ」

「東京湾に何かが落ちて、船が爆発したの」

「落ちたって何が?」

「それがまだはっきりと分からないのよ。隕石だって言っている人もいるし、別の番組ではミサイルだって言ってる」


 ニュース番組のアナウンサーが声高に何かを言い、画面が海の様子から切り替わった。沢山のマイクと興奮した記者達が、事態の説明をすべき者が現われるのをじりじりと待っている。


「……ねえ、お兄ちゃん。わたし……なんだか怖いよ、ずっとテレビを見てるけど、いつもと雰囲気が全然違うんだもの。ねえ……まさか今の日本で戦争なんて起こらないよね?」

「………………ああ、大丈夫だよ。オレが何とかするから、心配すんな」





 ――――バトルフィールド『ジパ・レイズ』が開放されました。






『すべてを捨てて夢中でやった最後のゲーム』  第4部完  そして最終章へ






読んで頂いてありがとうございます。いよいよ最終章最終部に突入です。

戦いの場をエリンばあさんの故郷であるジパレイズに移し、新しい武器、新しいスキル、新しい仲間(?)。また石版の世界では、なんのかんので世界に均等を与えていた巨大な星が堕ちます。レオンは何を見て、どう戦うのか。そして再び大風呂敷を広げてしまった作者は完結させる事が出来るのか。

スローペースの投稿になりますが、よろしくお願い致します。


(レオンの登場しない幕間を1つ入れる予定です)

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