強制退場
☆☆☆
やっと涼しくなった夕方に駅前を散策していると、露店商の青年がいた。
いつもは所狭しと敷物にシルバーアクセサリーが並んでいたが、今日はたった1つだけが真ん中に置かれているだけだった。それは悲しそうな顔をした虎の置物だ。青年はしばらくオレを引き止めたが、買い物があるんだよと言い、手を振って別れた。
スーパーマーケットで、スナフキルが喜びそうなぶ厚いステーキと空豆を買い、オレは鼻歌を歌いながら坂道を登った。数え切れぬほどに登ったその坂道は綺麗な夕日に染まっていたが、アパートに着いた頃には深い暗闇に変わっていた。
――――――――――――――――――――
オリハルコン製のギロチンに挟まれたロブ王の首に、白いオーラが発生していた。ハート家がドライフォレストに置いて王族たるが所以、スキル『支配者のマント』である。
初代英雄王ローベル・ハートは支配者のマントをその身に纏い、ただ1人ゴブリンの巣食う森に分け入った。その白いマントは凶暴なゴブリン数百体をまったく寄せ付けず、その日をもってゴブリン族は家畜となり、ドライフォレストの栄光の歴史が始まった。脅えながら細々と隠れ住んでいた当時の人々にとって、建国の父ローベルはまさに英雄そのものであった。
英雄王の血を引く子孫達の多くは『支配者のマント』を羽織って生まれて来たが、そのマントの厚さには個人差があった。ギロチンで愉快そうに遊んでいる現王ロブ・ハートは、英雄王ローベルやその息子である戦神ロンバルに匹敵する、いやそれ以上の立派なマントを持ってこの世に生を受けた。
ハート家では生まれてきた赤ん坊が固有スキルを持っている事が確認されると、少しずつ高さを上げて赤ん坊を落下させるという習慣があるらしい。数多い王子の1人として生まれたロブ・ハートは当時のドライフォレストで一番高い塔からの落下に易々と耐え、ドライフォレストの人民を熱狂させた。血の薄まりに頭を悩ませていたハート一族もこれには喜び、ロブの名が付いたもっとも高い塔を建設したという。
「アハッハ、次はこれこれ、何だと思う?」
「……」
ハーベストゴブリンの立ち姿をした金属製の像の前面部が、蓋の様に開いた。中は空洞で無数の棘が内に向けて伸びている。ロブ・ハートは恭しく一礼をするとアイアンメイデンの中に自ら飛び込んだ。
ガシャンと音を立てて蓋が閉まり、ゴブリンの銅像はロブ王を乗せたままこちらに接近して来た。
驚いて身構えたオレの横を、銅像はゆっくりと通り過ぎた。
床を見ると線路の様に魔石と魔法陣が敷かれている。オルゴールにそっくりな曲が流れだし、ガタゴトと進む銅像に向けて線路脇のギミックから炎が吹き付けられた。炎が止むと水がバシャリと掛かり、電撃、冷気、毒液の様な物が順番に浴びせられた。
最後に元の位置に戻って来ると、巨大な鐘突き棒がゴブリンの銅像を叩き割り、中から素っ裸になったロブ王がニコニコ笑いながら再登場した。無傷のロブ王はそこら辺に転がっていた服を着ながら、オレに話し掛けた。
「ねえ、びっくりした? 凄いでしょ、僕が考えて作らせたんだ」
オレはアポロと顔を見合わせた。
物理耐性に加えて、ありとあらゆる攻撃に対する完全なまでの防御。
革命軍から話は聞いていたが、実際に目の当たりにするとフラニーが言った事と同じ事が頭に浮かんだ。
あれは人外です。
スキル『支配者のマント』は、一応は魔力を消費するらしい。革命軍は隣国から取り寄せた最新鋭の魔力集積砲をまずぶち込み、それでも駄目なら人海戦術で削り殺すという作戦だった。隣国も人外の王には死んで欲しいので、魔力集積砲は国家戦略級のアイテムだった。
オレがロブ王を倒す方法は、考えるまでも無く1つしかない。それはオレの唯一のスキル技『異次元パリィ』だ。
プラチナプレート・ボアーやドライアドの少女フクタチにさえ、装甲をあっさりと越えて血肉を飛ばした異次元パリィである。ロブ王にもきっと効くはずだ。支配者のマントを通り抜けて、脳味噌でも青空に飛ばしてやればいい。もし通用しなかった場合は、その時にまた考えよう。
しかし現状ロブ・ハートは組み合わせた両手を後頭部に当ててのんびりと寛いでおり、まだまだお喋りを続けるつもりだ。
まずオレがすべき事は、こいつを怒らせて戦いに持ち込む事である。つまり煽りや挑発だが、それはあまり得意な事では無かった。オレは偉そうな奴や傲慢な奴が大嫌いだった。石版の世界で自分が力を手に入れてからは、自分が傲慢になっていないか、独善的になっていないかをいつも細かく振り返って確認していた。でも今は、この戦いに勝つ為には、出来るだけ口汚く一方的に罵る必要がある。
「えーと、じゃあ次はあれを見て貰おう――――」
「もういいよ。お前の話は革命軍から聞いた。死ぬ気も無いのに自殺を繰り返すつまらん野郎だってな。そんなに構ってほしいのか?」
ロブ・ハートのストーリーをオレは知っていた。
昔々、王族の間抜けな誰かが、まだ子供だったロブ王子を見世物にする事を思い付いた。王家の威信を回復する為にありとあらゆる方法でロブを痛め付け、それを民衆の前で披露したのだ。最初は槍の突撃や大型ゴブリンの拳撃だったが、要望に応えていくうちに徐々にエスカレートしていった。
どんな拷問にもニコニコと耐え切ってしまうロブ王子を見て、ドライフォレストの民衆は英雄王の再来だと涙を流して喜んだ。当時、豪商達が中心になって、王族の権力を剥奪する運動があったらしいが、ロブ王子の登場で風向きは確かに変わったという。
ロブの小さな体は決して傷つく事はなかったが、もちろん心は別だったのだろう。
14になった頃からロブは頻繁に逃亡や自殺を試み始めた。死ぬ為に食べる事を拒否すれば、薄っぺらい支配者のマントを羽織った親族の男達に、無理矢理に食わされた。作為的に剣の訓練をさせてもらえなかったロブは、自分を傷つける事ぐらいしか反抗の手段がなかったのだ。
そうやってロブ王子は長い間大人達に従わされ、見世物として利用され続けた。
成人したロブは言葉巧みに1人の大商人を騙して、訓練の必要がないほどの強力な武器を手に入れた。そして一族を少しづつ殺していき、やがてロブ・ハートは王になった。
オレの安い挑発を聞いたロブは怒るのではなくてしょんぼりと寂しそうな顔をした。まるで頑張って部屋を片付けたのに、家庭訪問に来た先先が玄関先で帰ってしまった子供の様に。絶対的な王様になった今も、民衆を喜ばす為に拷問されていた頃の記憶がなくならないのだろう。もしドライフォレストに大きな戦争がある時代に生まれていたら、英雄になるべき男だったはずだ。
オレはロブに対して同情心が湧き上がるのを感じた。こいつは憎み罵るのには、あまりにも孤独な男だ。
「そろそろ戦おうぜ」
「アッハッハ、戦い? 戦いなんて成立しない。そういう人は何人かいたよ。1つ前の近衛隊長がそうだったかな。国の為に僕と決闘したいとかなんとか。だから僕は言ってやったよ、どうぞご自由に痛めつけてくださいと」
「……」
「そいつは僕がお茶をしている間ずっと剣を振っていたけど、壊せたのはせいぜいカップぐらいだったね。次の日、何を思ったのか隊長さんは自殺しちゃったよ。アッハッハッ、戦いなんてならないってのに。よければあなたもどうぞ。みんなこう思っているんだよ、痛くないなら頭を叩いてもいいってね」
オレは渾身の力を込めた拳をロブの心臓に目掛けて、これ以上ないほど真っ直ぐに伸ばした。しかし得られたのはぶ厚いゴムを殴った様な虚しい手応えだけだった。ロブの体にも白いオーラにもかすり傷すら付けられていない。
「アッハッなんだその程度? 新兵訓練所を突破して来たというから期待していたのに。ハート家の墓所の方には行かなかったんだね。あそこには英雄王の亡霊が出るらしいから、引き返してアドバイスでも貰いに行ったら? 僕は待っててあげるよ」
ロブはそう言うと背中から取り出した銀色のステッキを、真横に向けて振り下ろした。直径10メートルほどのクレーターが当たり前の様に床に出来上がった。オレは攻撃をしたがるアポロを手で制し、低い声でゆっくりと話す。
「なあ、あんたはずっと死にたかったんだろ? 今なら実行出来るじゃないか」
「僕はもう自由ですからね、今さら死ぬ必要はありません」
「いや、嘘だな」
「……」
ロブ王が興味を引かれた様に顔を上げた。ちょっと前までの人を茶化すような楽しげだった雰囲気が変わり、部屋に閉じ込められていた青白い少年の顔が僅かに覗いた。
「お前は自由なんかじゃない。お前の心は今も拷問台に縛り付けられている。もうお前は終わっているんだよ。自分でも気が付いているんだろ? 自分がもうダメだってさ。人生の一番いい部分を誰かを憎んだり、無為に過ごしてしまったら、もう取り返しなんてつかないのさ。少なくても1人ぼっちじゃな」
「貴様に何が分かる」
「その杖で打ってこいよ。食べる事を止めてじわじわ死ぬのは辛いものな。お前は死にたいんだから、オレが手伝ってやるよ。痛みも無く一瞬で終わらせてやる。さあ来い!」
ロブ・ハートは目を吊り上げ口元に狂喜を孕んだ微笑を浮かべながら、オレの言葉を気持ち良さそうに聞いていた。それは死に憑りつかれた人間が高いビルや頑丈な縄を見た時に浮かべる表情だ。
ロブは背中に戻していた杖にゆっくりと手を伸ばし、確かめる様に何度も握り直した。
そしてついにオレの頭に向けて杖を振り下ろした。
このドライフォレストのあぜ道で何度も何度も繰り返した、敵の武器を弾くという練習。
完璧な腕の角度、完璧な手首の捻り、最適な速度に適切な魔力の投入量。それらを覚える為に一体どれだけの時間を費やしたのだろうか。
その収穫は、今ドライフォレストの王がもたらしてくれるだろう。杖を弾かれ尻餅を付いたロブの鎖骨の辺りに、小さなコインほどの異次元からの闇のオーロラが発生した。
ロブは闇のコインの存在に気が付き、スキル『支配者のマント』を全開にしたようだ。鎖骨を守ろうと白いオーラが色濃く寄り集まった。しかし闇のコインは何の抵抗も受けずに、するりとロブの体内に侵入した。
オレは魔力の追加投入を始める。
鎖骨からコインを心臓に向けて一直線に進ませようとした。ところが体の中に闇のコインが入った途端に、猛烈な反発があった。ロブは鼻から大量の血を噴き出して、自分の心臓を一心不乱に見つめている。成功済みの異次元パリィを押し止めるほどの、膨大な魔力とスキルパワーの集約。
今度はオレの鼻から血が吹き出し始めた。
まずいぞ。魔力勝負になれば、どう考えても向こうの土俵だ。
弾丸の様に飛び出していたアポロが、ロブ王の睾丸に喰らい付いた。心臓を守っていた白いオーラの防壁が少しだけ弱まり、殺人コインがじりじりと右心房に向かって行く。
ダメだ、間に合わない。
オレは闇のオーロラを急反転させて、首の方に向かわせた。ロブ王が一瞬遅れてそれに気が付き、脊髄や首の骨に防壁を張り巡らした。オレは無意識に自分の首筋に手を当てていた。太い血管は何所だ。
異次元パリィが終了し、ロブの首から取り分の血肉を持っていった。
「プグハッ、グルグルゴロ」
「ぐっ……」
ロブはまるでうがいをしている様に口から大量の血を噴き出し始めた。アポロが執拗に攻撃を繰り返しているが、消える事のない支配者のマントがそれを阻んでいる。
「……ダメか。浅いか。頼む死んでくれ」
オレは魔力回復薬を手早く使いながら、祈る様な気持ちで苦しむロブ王を見つめていた。しかし思いも空しく、ロブの吐き出していた血が徐々に少なくなっていき、やがて唇の端から流れ出るのみになってしまった。
「アハハハハッ、すごい! 凄いよ、あなたの名前は知っている。確かレオンと言うのでしたっけ。本当に死ぬかと思ったよ。痛い。痛いなあ」
「アポロ、戻れ」
「毒を飲んでさえ、支配者のマントが勝手に内臓を守ってしまうから、僕が感じられる痛みの種類は数えるほどしかない。痛い! それにしても痛い。こんな事なら治療アイテムも用意して置けば良かったな、アハッハ」
オレは重い絶望感をなんとか振り払いながら、考えを巡らした。もう一度ロブ・ハートに杖を振らせる方法が必ず何かあるはずだ。ロブ王は自分の咽喉の中に指を突っ込み、物珍しそうに傷口を触診している。
「ねえレオン、レオンが言った事は正しかった。僕は本当に死ぬ気なんてこれっぽっちもなかったんだね。レオンが出したのは受け技か何か? あれが体に入った時、アッハッハ僕は生きる為に必死で心臓を守ったよ。本性が出ちゃったよ。アッハッハッハ、生きてる事がこんなに素晴らしく思えたのは初めてだ」
ロブ・ハートは長年の悩みが解決したかの様に、晴れやかな顔をしていた。そして楽しくて楽しくてしょうがないという風に声高に捲し立て始めた。
「ねえレオン、レオンって呼んでもいいよね? さっき1人じゃダメだって言ってたけど、良ければその…………友達になってよ。レオンが側にいれば僕は生きている事が実感出来るんだ。そうだ! 近衛隊長になってよ、あっちに凄い武器や鎧が沢山あるからどれでも好きな物をあげる。さあ忙しくなるぞ」
「……何をするつもりだ」
「もちろん戦争ごっこだよ。戦争があれば僕だって本物の英雄になれたんだ。見世物の道化師じゃなくてね。ああ、その前に革命軍を片付けなくちゃね。近衛隊長には特別に教えるけど、ゴーレムとゴブリンを混ぜた新開発の凄いのがあるんだ。使い捨てだから勿体ないけど、まあいいか。また作らせればいいし、ゴブリンはただ同然だし」
オレはロブ王の豹変した様な躁状態を見て、背筋に寒い物を感じた。同情の余地はあるのかも知れないが、やはりこいつは狂っている。ロブは背中を向けて、せかせかと扉に向かった。奥の部屋は乱雑に散らかっていた今の部屋とは違い、綺麗な赤絨毯だけが敷かれていた。部屋の隅っこにプラチナに似た金属製のナイフが一本だけ、忘れられた様に転がっている。
「さあ近衛隊長、宝物庫に行くよ。ちょっと危険だけど大丈夫だよね、アッハッハ。近衛隊長は4代目の王のことは知ってる?」
「……知らん」
「うん。4代目の王はドライフォレストの内政の基礎を作った偉大な人さ。でも無能だった実の弟に嵌められて、売国の汚名を着せられて公開処刑されたんだ」
嫌な予感がし始めた。
「その処刑方法が傑作でね。4代目もなかなかの支配者のマントを持っていたから簡単には殺せない。それで弟は広場に王を縛り付けて、民衆に石やナイフを投げ続けさせたんだ。当てた物には報奨金まで出してね。兄である王が力尽きてやっと死ぬまで、三日三晩も掛かったらしい」
壁の何処かからナイフが飛び出し、ロブ王の頭にかつりと命中した。もちろん頭には傷1つ付かない。
「アポロ! 来るぞ」
次の瞬間に、数え切れぬほどのナイフと石が、その場にいる3人に向けて撃ち出された。ロブ王は雨あられと降り注ぐ石弾をへらへら笑いながら浴び続けているが、オレとアポロに取っては笑い事では無い。新兵訓練所の綱渡りで同じ様な事をした記憶があったが、こちらの方が投擲のスピードが早い。
「アッハッハッ、さすが新隊長です。毒ナイフと炸裂弾も追加しますよ」
緑色のナイフが激しく自己主張をしながら飛び始めた。掠れば死ぬであろう毒ナイフに気を取られ、裸の上半身に石が被弾し始める。さらに近くで爆発すれば躱す事の不可能な炸裂弾が、足を使って移動する事を強要する。炸裂弾に追われるように部屋を逃げ回っていると、オレは仕方なく、片側が安全な場所に行かざるを得なかった。
それは支配者のマントで投擲をことごとく弾き返す、ロブ・ハートの背中の陰だった。
最初はロブの攻撃も警戒していたが、そのうちにそんな余裕は無くなり、石とナイフを躱すだけで精一杯になった。ロブが背中越しにオレを見て「こっちの投擲は僕が引き受けるから任せて」と言い、ニヤニヤ笑った。
屈辱に震えながら躱し続けていると、ようやく石つぶてとナイフが収まった。荒い息を付きながらロブを睨み付けると、ロブは涼しい顔でまた奥の扉に向かう。
「さあ急がないと天井が落ちてきますよ」
「馬鹿野郎が」
次の部屋も全く同じ赤絨毯の部屋だった。しかしすぐに照明が落ち、自分の手の平が見えないほどの完全な暗闇になった。オレは足元のアポロにそっと触れて、無事を確認した。少し離れた場所からロブ・ハートの声が聞こえる。
「さてさて次の出し物ですが、80年ほど前にロットンという少年がいました。彼もまた優秀なスキル持ちでしたが、不幸な事に彼の父親でもあった当時の王様は支配者のマントを持っていませんでした。王の座を奪われてしまう事を恐れた父親は、秘密裏にロットンを処刑したのです」
オレの真後ろで巨大な何かが動いた。反射的に頭を下げると、生暖かい風がオレの後頭部をふわりと撫でた。
「ロットンは真っ暗闇の牢屋に閉じ込められて、処刑人の大斧で首を落とされました。彼の首が落ちるまでには38本の大斧が必要だったそうです」
漆黒の闇の向こうでカチリという機械音が鳴った。そちらに神経を集中させると、大気が微かに揺れるのを感じた。ダッキングで身を屈めると、大斧らしき重量物が上空を通り過ぎた。
「あっはっはっ、にーい」
またカチリと音が鳴り、闇の中で大斧を躱す。次は天井から、その次は斜め前の床から。
「さーん、しーい、ごーお、ろーく」
発射前の機械音と風の動きを頼りに、一つ一つ丁重に躱していく。タケシやケンイチ達と公園でトレーニングをしていた頃が、遠い昔の様だ。目隠しをしてアスレチックに入ったオレは、ナツミのカラーバットで頭を思い切り叩かれたのだ。ナツミのびっくりした顔を思い出したオレは、小さく笑った。
「アッハッハッ、サンジュウナーナ、サンジュウハーチ、おーわり」
オレは目を瞑り、体中の毛穴をピリピリと開かせた。同時に5本の大斧が飛んで来ている。それも発射音が無しでだ。4本の大斧を簡単に躱し、最後の1本をロブがいる場所に向けて弾き飛ばした。
照明が戻り、部屋を滅茶苦茶に破壊している大斧が浮かび上がった。
「やると思ったぜ」
「よく分かりましたね。最後のはおまけです」
光を浴びた左目が猛烈に痛み始め、つられて左耳も痛み始めた。左目に手を触れてみると、この傷を付けて死んでいった男の執念が残っているかの様に熱くなっていた。
ロブが退屈そうな表情を浮かべながら、また歩き出した。
「さあ、次に行きますよ」
「いや、もういいよ」
ロブ王はオレを憐れむ様な目で見つめた。その目は「まだルールが分かってないの?」と言っている。オレはアポロを抱き上げて、白と黒の毛に鼻を埋めた。
「なあロブ王」
「はい?」
「ゴブリン新兵訓練所はお前が作ったのか?」
「そうだよ。おかげで国庫がすっからかんになっちゃったけど」
オレは頭の中で血管がブチブチと切れるのを感じた。怒りのあまり、目に薄い涙が滲む。
「あれは訓練所じゃ無かったんだな。人を選別する工場ラインの様だとも思ったけれど、それも違った。あれは……あそこは……てめえが暇つぶしの為に作った、巨大な自殺機械だったんだろ。そんな下らねえ事に、オレの家族の兄弟の命を使いやがって、ちくしょう」
ロブ・ハートは何を今さらという風に鼻で笑った。
「傑作でしょう。必死に走るレオンの事を上から見てましたよ、アッハッハッ」
「なあ」
「なんですか?」
「最初に言ったな? そんなに死にたいならオレが殺してやると?」
「言いましたっけ?」
「あれは嘘だ。例えお前が死にたくなくとも、命乞いをしたとしても、オレはお前を殺す」
アポロのお腹をむにゅむにゅと掴み、歯茎を指でつんつんと突いた。尻尾を持ち上げてお尻の匂いを嗅ぎ、頬に何度もキスをする。普段なら嫌がったり怒ったりするアポロが、されるがままにぼんやりとしている。
「さあアポロ、いっちょやるか」
「……」
「俺たち2人が全力を出すんだから、勝てるに決まっているさ。ただ万が一ダメだった時はアンの姉ちゃんの所に行くんだ。手は打ってあるから。これは命令だぞ?」
「……」
オレは最後にもう一度アポロの獣臭い匂いを嗅いでから、両手で抱えていた相棒を自分の左胸に乗せた。そして後ろ足を心臓の真ん中に押し当てた。
「フフッ、そう言えば最初の強敵だった坑道の蜘蛛の時も、結局はアポロ頼りだったよな。あの時のオレは何もしていない様なもんだったしな。ただボスの周りを一生懸命うろちょろしていただけでさ」
「……」
「少しは成長出来たのかと思っていたけど、悲しくなるな」
キャット種固有スキル、ブラッディーアロー。
主人の血と肉を犠牲にして、強烈な一撃を放つ。
その威力は捧げる血が多ければ多いほど増していく。
さらに経験則から言えば、血を捧ぐ主人が強ければ強いほど、使い魔との絆が深ければ深いほど、その力は無制限に増していく。
誰かを守ったり、自分の意思や意見を通したいのであれば、それなりの物を犠牲にしなければならない。
これはついさっき敵から教わった事でもある。
ならば捧げてみせよう。一度きりのスーサイド・アタック。
「なあアポロ、大丈夫だよ」
「……」
「さあ、やろうぜ」
「……」
「俺たちの強さを見せてやるんだ」
「……」
アポロの巨大化した爪が、オレの心臓を貫いた。その爪はドクドクと血を吸い上げ、心臓はそれを助けるかの様に早鐘を打ち続け、やがて動きを止めた。アポロが光の矢となり敵に向かって飛んで行くのを待っていたが、アポロはいつもの様に飛んで行きはしなかった。シルバーアクセサリーの青年の、遠回しで不確かな予言がどうやら的中した様だ。
一匹の虎が現われた。
燃える様な赤い毛に黒の横縞が走っている。ふてぶてしくて頑固そうな面構え、どんな我が儘も必ず押し通す巨大な顎に山すら飛び越えるしなやか体。フレイムタイガーの末裔であるフレイムキャット。そんな事を誰かに昔言われた様な気がする。
アポロは悲しそうな顔で振り向き、オレを見つめた。
「アポロ、20秒で決めるぞ」
「アッハッハッ自分の心臓を潰しちゃったの?」
虎と化したアポロが雷鳴の様な唸り声で世界を震わせた。そして超高速でロブ・ハートの後ろに回り込んだ。オレも最後の酸素を使いロブ・ハートの正面に立つ。
アポロとオレが右フックを出したのは、同じタイミングだった。大木すら切り倒せそうな虎の爪と、光り輝く星銀の爪が、ロブのこめかみを両側から撃ち抜く。肩と腕の骨がびしびしと割れている事に気付いたが、どうでもいい事だった。なにせ、すでに心臓が止まっているのだから。
アポロの返しの左に合わせてオレも左を出し、次の右に合わせて右を出す。ロブの頭を叩き、胴体を叩き、鼻と後頭部を挟む様に叩いた。
最初は余裕を見せていたロブ王が、徐々に苦しげな呻き声を漏らし始めた。支配者のマントを越えて、打撃の衝撃が骨を軋ませているのだ。ロブが悲鳴を上げた。
「ひっ、やめろ。この程度で僕は殺せないぞ」
アポロが仁王立ちになり、ロブの頭にがぶりと噛み付いた。想像を絶する圧力が狂王の頭蓋骨を締め上げる。狂王は白いオーラを頭部に集中させたが、痛みで絶叫を上げている。
「それじゃあ、腹がガラ空きだぜ」
オレは、ロブの腹に右ストレートを連続で叩き込み始めた。ズダズダになっているオレの心臓がぶるりと震え、僅かだが体に血が回った。無駄に思えるほどロブの腹は硬かったが、30発ほど叩いた頃に手応えが変わり始めた。爪の先がじゃりじゃりとロブの肉を掘り始める。
「やめろ、やめてくれ! 助けてくれ、痛い、止めるんだ」
「止めない」
右ストレートがついに敵の内臓を掘り当てた。オレはにやりと笑ったが、次の瞬間に突然戦場が白黒に変わった。意識が遠のき、銀行のシャッターの様に瞼が容赦なく閉まり出した。腕をだらりと下げて棒立ちになったオレを見て、ロブ・ハートは歓喜の声を出した。
「終わりか? 僕は凌いだのか? アッハッハッ」
「いや、まだだよ。アポロ、合言葉は覚えているな?」
アポロが頭蓋骨を咥えたまま、ロブの右腕を爪と肉球でがっしりと掴んだ。
そしてロブの腕を大きく振りかぶらせる。
オレは半分眠りながら左腕を上げた。
「何をする? まさか、さっきの受け技か? ずるいぞ、僕は攻撃なんて絶対しないからな! してないからな!」
「お前の好きな強制ってやつだ」
「頼む、助けてくれ! 死にたくない、まだ死にたくない」
「アポロ、いくぞ! せーの、パーセーリ!」
ロブの拳がオレに向けて振り下ろされ、ギリギリでアポロが手を離した。
異次元パリィがきっちりと決まり、闇のオーロラが再びその姿を現す。
ロブはしつこく抵抗を試みたが、闇のオーロラは目的地の心臓に辿り着いた。
どの辺りを壊すのが一番いいのだろうか。
もう少し予習をして置けば良かったかな。まあいいか。
異次元パリィが、ドライフォレスト王ロブ・ハートの心臓に、ぽっかりと穴をあけた。
オレは絨毯の上に横たわり、何とか意識を保っていた。すでに体の感覚が無く、左目と左耳の痛みだけがしぶとくオレと世界を繋げていた。
アポロが、ロブの頭蓋骨を噛み砕き、不味そうに吐き捨てた。首のない死体が地面に転がる。
オレは笑おうとしたが、麻痺した唇が動く事は無かった。
戦って死ねるなんて幸せじゃないか。
オレの意識が深い深い暗闇に落ちていく。そしてメッセージが出た。
――――あなたは死にました。すべて終わりです。
☆☆☆
暗闇にオレの魂らしき物が浮遊している。死んだにしては悪くない気分だ。
意識の内側にメッセージが出た。
「あなたは死にました。すべて終わりです。ただし、あなたが大切にしているものを一つ犠牲として捨てる事により、もう一度ゲームを再開することができます。YESを選択する場合は、犠牲にするものを頭に思い浮かべてください」
オレは大急ぎで、淀みなく答えた。
「大切なものは自分だよ。自分」
一瞬の間。
「選択を受け入れました…………確認中です」
オレは少し違和感を感じながらも、ほっと安堵の溜息を付いた。ユキの事を考える前に自分の事を思い浮かべられたからだ。
「確認しました。復帰中です」
「そりゃ良かったよ。大人になってから初めて自分の事が大切に思え始めたけど、それが役に立ったみたいだな。預金通帳をユキより先に思うのはもう不可能だからな。……本当は自分の事が大切って訳じゃ無いのかも知れない。でもさ、エリンばあさんやフラニーはオレの事を大切に思ってくれるんだ。そしてオレは、ばあさんやフラニーや仲間達が、これ以上ないほどに大切なんだ」
「復帰中です」
「結局さ…………そう言う事なんだろ、『自分』っていうのはさ。はっはっ、よく分からないけどな。所詮アフロ頭で一生懸命考えた事さ。適当だよ。でもオレはそう思うよ。……戦って死んだオレの事をエリンばあさんは誇りに思ってくれるはずだ。さあ! どうなるんだ、早くしろよ」
オレは手持ち無沙汰でしばらく待っていたが、何も起こらない。
まさかこの暗闇の中で放置される事が死なのかと不安になり始めた頃に、よく分からないメッセージが出た。
「エラーコード0013818、緊急処置00292、修正再調整、4606続行」
「おいっ何して――――」
次の瞬間、オレは死んだ。完全な無に落ちた。しかし数秒後、あるいは数年後に再び生き返ったが、またすぐに死に、また生き返った。スイッチのオンとオフが何度も何度も繰り返された後に、やっとメッセージが出た。
「あなたの認識する自分という存在が2つ存在している為、復帰がスムーズに行えません。どちらかの自分を選択してください」
「ちくしょう何度も殺しやがって。どっちって言われても選べるわけねーだろ。ちょっと昔に聞いてくれたら、オレはレオンだって言ったけどな。いや、逆のがいいのか?」
ユキにも同じ様な事が起こったのだろうか。
いや、そんな話は聞いていない。恐らく死んだ時のユキにとっての自分は、現実側のユキだけだったのだろう。今のオレはどっちなのだろう。半分半分という気がする。
「せせせせ、せせ選択をしてください」
「ちょっと待てよ」
「ギガギギギセセセ、マママ、選択をイイイイ急いでください」
「ふざけんな! 意味が分からねーぞ」
「早く選択をしなさい! そうしないとバグで2つの世界が消し飛びかねませんよ!」
突然誰かの、いや恐らくセムルスの緊迫した叫び声が聞こえた。
その言葉に従った訳ではないが、いい加減暗闇にうんざりしていたオレは、自分の姿を思い浮かべた。
それはアポロと共に戦い、勝利の後で床に転がっている自分だった。
しかしその自分は体の感覚が無かった。
唯一感じたのは、左目と左耳の痛みだけだった。
「セセセセ選択を受け入れました。フフフフフ復帰中です」
――――――――――――――――――
アポロの怒り狂った鳴き声が聞こえた。たぶん背中に感じる重みはアポロのものだろう。次にギャンブル中毒のおっさんの柄にもなく必死な声が聞こえてきた。
「おい頼むからレオンのあんちゃんに近寄らせてくれよ、アポロ! みんなはお前のご主人を助けたいんだよ。生きてるのか死んでいるのかだけでも確認させてくれ」
「ニャアアゴオオオオ、フシャアアアアア」
「手遅れになっちまうだろーよ……お? あんちゃん! 動いたか、生きてるのか?」
「ああ、生きてるよ」
アポロが鳴くのをピタリと止めて、オレの顔を覗き込んだ。
「ただいま、アポロ」
「……」
アポロを抱き締めながら身を起こそうとすると、沢山の腕が伸びて来てオレの体を支えた。その腕はどれもぼろぼろで革命軍の印である緑色の布が巻かれていた。皆が首を伸ばしてオレの様子を窺っている。
「勝ったのか?」
「あんちゃんのおかげでな。王が死んだ瞬間に、血の契約を結んでいた近衛兵達にはすぐにその事が分かったから、戦争はそこで終わったよ」
「そうか」
ゴブリンの娘クレメンティーナが人を掻き分けて、こちらにやって来た。
「レオン!」
「言ったろ? オレに任せろってな」
「うん!」
ティナが抱き付こうと右手を伸ばしてきたが、オレは反射的にびくりと体を震わせた。
「レ、レオン大丈夫? 体中傷だらけだけど、左の目の色が……見えないの?」
「うーん見えない。いや少し見えるかな」
ティナは左目の前で手を振っている様だが、薄い影しか見えなかった。試しに左耳の前で指を鳴らしてみると、案の定何も聞こえない。
「大丈夫だよ、オレの方は。それよりおっさん、革命軍の中心メンバーを集めてくれないか」
「もう揃ってるよ」
オレは周りを見回した。そして全員に聞こえる様に大きな声を出した。
「みんなよく生き残ったな、嬉しく思う。それでだ。この先も色々大変な事があるだろうが、1つだけ約束してほしい。みんな酷い目にあったんだ。ゴブリンと人間としばらくは仲良くやってほしい。いや、もっとはっきり言おう。オレの目が黒いうちに人とゴブリンが争う様な事があったら、オレはすぐにやって来る。そいつらの敵としてな。これがオレの意思だが、どうだ?」
うんうんと皆が真剣な顔で頷き、ゴブリンのアンが隣の若い戦士と肩を組んで、キスをするマネをした。優しいさざ波の様な笑いが起こった。
「ありがとう。じゃあ、せっかくだから歓声でも上げようか?」
オレは喉が潰れるのもかまわずに勝利の雄叫びをあげた。革命軍の戦士達もぼろぼろと涙を流しながら、大地が裂けるほどの声を上げた。これからドライフォレストがどうなっていくのか分からないが、今日勝ったという事だけは確かなのだ。
随分長くかかり、回り道もしたが、オレの戦いはこれで終わりかもしれない。しばらくはエリンばあさん達と、のんびり大根でも育てようじゃないか。
ふと思い出したオレは、ランドセルからフラニーの絵が描かれたカードを取り出した。そして引き寄せたクレメンティーナにそのカードを渡した。
「たぶんその娘が、ティナに会いに行くと思うから、仲良くしてやってくれ。ちょっとばかり生意気な娘だけどな」
「はい。でもどなたなのですか?」
「オレの家族さ」
誰かが歌い出し、踊れる者が踊り出した。もうすぐ祭りの準備が始まるだろう。
☆☆☆
スナフキルがステーキソースで汚れた皿をキッチンで洗っている様だ。
いつも食べるばかりで片付けをしなかったスナフキルが、皿を洗うというのはなかなか愉快じゃないか。
呼び鈴が鳴り、スナフキルが手を拭きながら玄関に向かって行った。
ベッドで眠るユキを幸せな気持ちで眺めていると、スナフキルが戻って来た。
「レオン、子供達がまた来ているよ」
オレは黒目を左端に寄せてノーと言った。
「でも、もう三回も追い返しているんだから、会ってあげてよ」
心の中で溜息を付き、仕方なくイエスの印に右側を見た。他にする事もないのでぼんやりとしていると、スナフキルが子供達をぞろぞろとリビングに連れて来た。
タケシ、ケンイチ、ナツミにヨシヒコ。
オレの仲間達だ。
子供達は、ベッドに横になってピクリとも動かないオレの姿を見て、はっと息を飲んだ。ぶるぶると震えながら拳を握り締め、それでも泣くまいと唇を必死で噛んでいる。
これが見たくなくて、お前らを部屋にあげなかったんだよ。オレが幸せなのだと言っても、きっと子供達は納得してくれないだろう。好きな人と一日中、一緒にゴロゴロしていられるのだから、オレはけっこう幸せなんだぜ?
子供達は手に持っていた何冊ものファイルブックを開き、オレに見える様に掲げてみせた。
ドライフォレストが影響を与えた、現実側の国の事が書かれた雑誌や新聞の記事が、びっしりと並んでいる。
よく集めたもんだな。でも嬉しいよ。
新聞記事の1つには、新政府が地下で旧政府の生物兵器工場を発見して、国際機関に調査と破棄の依頼をしたと書いてあった。他にも沢山の記事があったが、すぐに目が疲れてしまい読む事が出来なかった。
スナフキルがひらがなの五十音が大きく書かれたホワイトボートを、キャスターを転がしながら持って来た。オレの視線を追い、スナフキルが替わりに話をする。
「よう」
「兄ちゃん、なんですぐに会ってくれなかったんだよ。一緒に戦うチームだろ!」
「すまん」
いきり立つタケシを、堪え切れずに涙を流したナツミがぎゅっと掴んだ。タケシは大きく深呼吸をして涙を拭ってから、明るい調子で話した。
「それで勝ったんでしょ? レオン兄ちゃんが戦って、世界を救ったんでしょ?」
「ああ、救ったよ」
子供達がやっぱりそうかと嬉しそうに歓声を上げた。オレはホワイトボードに視線をやった。
「みんなと公園でした訓練。役に立った。あれがなければ負けたかも」
「ほんとに! 僕達も兄ちゃんと世界平和の役に立てたの!」
「ああ、チームだもんな」
子供達が嬉しそうに飛び跳ねたが、1人不安そうなケンイチが俯きながら声を出した。
「でも……でも兄ちゃんはどうなるの、元にもどれ――――」
「言うな!」
タケシが大きな声を出し、肩をぶるぶると震わせて鼻水を垂らした。
オレは大丈夫だよと笑い掛けてやりたかったが、それをする事は出来なかった。




