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戦士達は挽歌で踊る

 戦士達は足を踏み鳴らし、腹の底から怒号を上げた。お調子者が祭りの歌を歌い出し、太鼓代わりの鉄槌が地面に叩き付けられる。踊れる者は踊り、そうでない者はそれを冷やかす。



 ゴブリンの大軍団の援軍が来る事がはっきりすると、決死隊の仲間達は歓声を上げた。厳しかった戦況が一気にひっくり返り、勝ち戦のムードが漂い始める。しかしオレは、喜ぶ革命軍の姿を複雑な心境で眺めていた。


 先程クレメンティーナが、王と近衛兵を一兵残らず殺し尽くせと命令を下した時、それを聞いた革命軍の面々は明らかに困惑した顔をしていた。いや、もっとはっきり言えば不快な表情を浮かべた者さえ少なからず居たのだ。


 フラニーがオレの丘に来たばかりの頃の話だが、ハービーを家に上げるとフラニーは露骨に嫌そうな顔をしたものだった。ドライフォレストの人々にとってはゴブリン族は家畜に近い存在なのだ。その家畜がドライフォレストの心臓であり少年達の夢と言われた近衛兵を殺し尽くす。

 命の危険がある今の状況では、革命軍は歓声をあげているが、危険が去った時にどうなるのかは分からない。ほぼ間違いなく何らかの遺恨が残るだろう。


 革命軍の敵はあくまで狂った王1人であって、近衛兵はむしろ可哀想な立場にある同じ町の市民ぐらいに思っているのだ。本隊同士の戦いにあっけなく差が開いてしまったのは、革命軍にそういう甘さがあったのだろうとオレは考えている。職業軍人は一度戦いになれば、甘さなどは簡易寝台か共同便所に置いて来る。


「なあアポロ……なんか嫌だよな。フラニーの国の人と、ハービーの兄弟が殺し合うってのはさ。近衛兵の奴らは悪い奴らじゃないと、オレも思ってるんだ。立場が違うだけでさ。まあ、今さらだけどな」

「ニャ?」

「どうしてこう現実ってのは複雑なんだろうな。もっと分かり易く悪い奴がいて、敵と味方がはっきり分かれていて、敵はどいつもこいつも残忍な悪代官みたいな奴で、頭からっぽにしてどんどん殺せばいいってのがオレの好みなんだけどな」


 幸運のカブで失敗が続いた時に、アポロについ愚痴ってしまった時の事をふと思い出した。アポロは真っ直ぐな瞳でオレを見上げている。


「……そうだな。悪い奴ならもうはっきりしているのか。……なあアポロ、オレ達だけで抜け駆けしちまおうか?」

「ニャ!」

「でもオレとアポロだけで勝てるのかな?」


 不安な声でそう言うと、アポロは急にオレに対する興味を失ったのかプイッと横を向いた。

 アポロに頼りない相棒だと思われるのが嫌で、毎日毎日走り続けて来たんじゃないか。

 オレは、心を決めて立ち上がった。そして、革命軍の副隊長とおっさんが居る場所に、ゆっくりと向った。


「副隊長、悪いがオレとアポロはここで抜けさせてもらう」

「何言ってんだあんちゃん! 戦況は変わったんだぞ、もう少し我慢すればゴブリンの援軍がやってくるんだ、いま賭け金を積み上げないで、いつ積み上げるんだい!」

「すまんが、オレにも色々と事情があってな。ちょっと王を倒しに行って来る」


 おっさんが出しかけた言葉を飲み込み、副隊長と目を合わせた。


「倒すってなあ、あんちゃん……王族のスキルと現王の不死身っぷりは説明しただろう。今の王がまだ王子の中の1人だった頃のあだ名は『自殺王子』だったてさ。あいつは自分で自分を殺す事さえ出来ないんだぜ。その為に、苦労して外国から取り寄せた魔力集積砲じゃあないか。考え直せ、あんちゃん。弾だけ持って行くって訳にはいかないんだぜ?」

「ハッハッ、弾ならオレにも取って置きのやつが1つあるんだよ。……すまんが行く」


 オレは踵を返して、今度はクレメンティーナの方に向かった。ティナは疲れているのか朦朧とした表情で壁に寄りかかっている。アンとスーラの肩をぽんぽんと叩いてから、屈み込んでティナの耳元に口を寄せた。


「クレメンティーナ、そのまま聞いてくれ。なるべくハーベストゴブリンを戦わせないで欲しい。あいつらの仕事は戦争じゃなくて、大森林に新しい国を作る事なんじゃないのか? 兎に角……オレに任せろよ。じゃあな、ティナ」


 それだけ言って立ち上がろうとすると、クレメンティーナがオレの手に何かを握らせた。綺麗な緑色の宝石が付いたバッジだった。

 オレはバッジを胸の辺りに付けてから立ち上がり、すでに横に控えていたアポロを連れて出発した。





 王の居城。それはロシアのクレムリンを半分に縮尺した様な場所であった。長方形の大きな建物や、塔が寄り集まった小さな宮殿があり、低めの城壁がそれらをぐるりと囲っている。あぜ道からここにたどり着くまでに、一体いくつの壁を越えて来ただろうか。だが恐らく、あれが最後の城壁だ。


 革命軍決死隊と別れたオレとアポロは、王に向ってひた走った。

 頭の中に入っている地図と敵の配置を思い出しながら、行きつ戻りつしながら進んだ。時には軍事施設や武器の生産工場らしい建物の中を通り抜けて敵の部隊を迂回し、崩れた城壁の隙間に体を捻じ込んだりもした。ひやりとする場面も何度かあったが、近衛兵に取り囲まれるという最悪の事態だけは回避して、王城まで辿り着く事が出来た。


 最後の城壁の上を巡回している近衛兵がいたが、タイミングを見計らって駆け登った。そして拍子抜けするほどあっさりと、王の間がある長方形の建物まで辿り着いた。


「王自身が一番強いのだから、ここまでくれば警備は甘い様だな」


 細かい細工が施された両開きの扉を、肩で押し開けて侵入した。入ってすぐに見えたのは、玄関マットの様に地面に埋め込まれた1枚の銀板と、そこに描かれた3本のフォレス麦の稲穂だった。何か意味があるのかなと考えながら部屋を見回すと、壁も床も白っぽい大理石で出来た殺風景な場所で、やたらと広く天井も首が疲れるほどに高い。

 反対側にある同じ扉を見たオレは、呻き声を上げた。


「……う、嘘だろ。前言撤回だ。どうやら警備は充分らしいぜ、アポロ」


 その怪物は日本風に言えばヤマタノオロチだった。ドライフォレスト風にいえば試作キマイラゴブリン改とでも言った所か。

 大型草食恐竜の胴体に5本の長い首が付いており、そのそれぞれに豹の頭、竜の頭、鋭いくちばしを持った怪鳥に醜い魚、前歯を剥き出しにした兎の頭が付いていた。頭も体もとにかくでかい。足元にある3本の稲穂が、急に不吉な符牒の様に見え始めた。


 揺ら揺らと蠢く5本の首を呆気に取られて眺めていると、アポロが前に踏み出した。我に返ってオレも続こうとすると、アポロが立ち止まり、強い視線をこちらに向けた。


「1人でやりたいのか?」

「……」

「分かった。でも危なそうならすぐ参加するからな」


 アポロは、オレでさえ身震いする様な残忍な顔で笑い、ヤマタノオロチに向かって行った。

 5つの頭達が迎え撃つ体勢を整えたが、低空を駆け抜ける小さなアポロにいささか戸惑っている様だ。首の1つである怪鳥が口火を切ってくちばし攻撃を仕掛けたが、大理石だけを虚しく破壊して、火花と共にくちばしの先がへし折れた。

 やはりキマイラゴブリンは見かけ倒しの未完成品だ。


 しかし、胴体に狙いを付けて飛び上がったアポロを、固い鱗をもった竜の頭が弾き返した。どうやら竜は守りのタイプらしい。魚と豹が連続攻撃を仕掛け、アポロは防戦に追い込まれた。


 じりじりしながら戦いを見ていたが、だんだんアポロがやろうとしている事が分かって来た。アポロは5つの首をからかい、あざ笑うかの様に回避行動を続けており、つられたキマイラゴブリンの攻撃がどんどん荒っぽくなっている。

 何にせよ新しく覚えた遊びは、飽きるまでしつこくやらずにはいられないアポロである。5本の首を紐の様に結んでやろうという作戦だろう。しかしそんな事が出来るのだろうか。


 最初は大人しくしていた兎の頭が徐々に本性を剥き出しにし始めた。魚や怪鳥を押し退けながら執拗にアポロを追い回す。自分の頭の激し過ぎる動きに胴体部分がバランスを崩し、たたらを踏んだ。


 頃合いとみたアポロが、キマイラゴブリンの体を駆け登った。

 そしてジェットコースターよろしく5本の首をぐるぐると駆け回る。

 怒り狂った兎と豹はもはや周りの事など気にもしていない。


 ギュギュムウという、ファスナーを閉めた時と同じ音が響き渡った。

 何とも間抜けな敗北音じゃないか。

 蝶々結びの様に絡まったキマイラゴブリンの5本の首を見たオレは、勝利を確信した。

 ニヤニヤしながらアポロが止めを刺すのを待っていたが、アポロはなかなか止めを刺さない。

 気持ちは分かるが、鑑賞している暇も玩具にする時間も今はないぞ。



 アポロがいない。



 オレの背中に冷たい物が流れた。

 走りながら大声でアポロに呼び掛ける。だが返事がない。


 目を凝らすと、やっとアポロの姿を見つけた。絡まり合った5つの首の丁度結び目の部分に、アポロの白と黒の頭だけが生首の様に飛び出ている。締め上げられているのか苦しそうだ。


「待ってろ、今行く!」


 アポロはチラリとオレの事を見ると、鼻の穴を広げ、踏ん張る様に皺を寄せた。

 強引に絡まりから抜け出した兎の首が、口を大きく開けてアポロに狙いを定めている。


 スポンという小気味の良い音が鳴り、アポロはシャンパンのコルクの様に垂直に発射した。アポロが一瞬前までいた場所に、兎の前歯が突き刺さり血が飛び散る。

 アポロはそのまま天井に着地を決めると、拝む様に両手の肉球を合わせ、最初はゆっくりと、次の瞬間には最高速で落下し始めた。アポロの得意技、急降下爆撃平泳ぎアタックだ。


 消しゴムに鉛筆を突き立てるよりも簡単に、アポロがキマイラゴブリンを貫いた。巨体がびくりと震え、地面を揺るがせながら崩れ落ちた。衝撃で割れた白い大理石の破片が放射状に舞い散る。

 オレはアポロに駆け寄り、汚れた毛を拭ってやった。先ほど広げた鼻の穴が元に戻らないままピクピクと震えている。


「はっはっは、ぜーんぶ計算通りだったって訳かいアポロさん」

「ニャ!」

「うそこけ! そんなはずがあるか! びっくりして心臓が止まるかと思ったぞ。まあ……お手柄だ、アポロ」


 今日の夜飯は楽しみにしておけよ、と言い掛けてオレは黙った。

 さっきアポロが行方不明になった時の、呼吸すら忘れるほどの喪失感が少し胸に残っていたのだ。アポロにぐりぐりと頬を擦り付け、鼻の穴を指でいじくり回す。


 相棒に先に死なれてしまったら、残された方はさぞかし辛いのだろうな。





 奥の扉を開けると1つ目と全く同じ部屋があった。

 唯一違うのは、床の銀板に描かれたフォレス麦の稲穂が2本だという事だ。


 イエローの薄い鎧を着た女が、直立不動で次の扉を守っている。


「よしアポロ、次はオレが行く」

「……」

「でもチャンスがあったら後ろから咬み付いていいからな。これは遊びじゃないしな」


 ユキに貰ったジーンズの埃を払ってから、敵に近づいていく。距離が迫るにつれて相手の研ぎ澄まされた集中力が肌に伝わってきた。黄色の軽装鎧と極めて細い剣は、明らかに生半可な武器ではない。しかしその2つの武器が霞むほど、その女は整った顔立ちをしていた。鎧の胸元をくすぐるブロンドの巻き毛、薄く濡れた二重瞼の目に桃色の唇。


 間違いない。こいつが近衛兵の中で最も強い、近衛隊長ダニー・ピエールだ。

 十歩ほどの場所で立ち止まると、ダニー・ピエールがどっちの性別とも取れる中性的な声を出した。


「フフッ、こんにちわ」

「ああ、邪魔するぜ」


 上目使いに見られたオレは、そのあまりの美しさについ目を逸らした。後ろに控えていたアポロがあくびをしながら寝転がる。しばらく待ってみたが、敵は誘いに乗っては来なかった。


「…………慎重だな」

「フフッ、私の必勝パターンの1つですよ。間抜けな男は美しさに見とれてぼんやりするし、真面目な武人の方は目を逸らさずにいられませんので。後は、剣を抜き打つだけです」

「ちゃんと目を逸らしただろ」

「真面目な武人には見えませんよ」

「悪かったな。兜は家に忘れたのかい?」


 ダニー・ピエールは涼しげに笑い、剣を抜き放った。名前は知らないが宝剣に相応しい輝きだ。


「お気になっていると思うので、教えてあげますが、私は男ですよ。女は殺せないなんていう甘い相手には見えませんが、一応ね」


 言葉が終わった瞬間にダニー・ピエールは高速で踏み込んだ。

 フェンシングの様に剣の先をちょこちょこと突き出し、人間の急所を的確に狙う。三連撃の後に、全く同じフォームから、今度は足の甲に向けて宝剣を伸ばした。

 ギリギリでそれを躱すと、尖った剣の先が音も無く大理石にするりと埋まった。


「避けてしまうのですね。今のは小枝よりも軽いこの剣でなければ出来ない技です。お聞きしてもよろしいですか?」

「何だ」

「なぜ王を殺すのですか?」

「……」

「革命軍の愚か者共と同じ様に、ロブ王が狂い、この国を滅茶苦茶にしたと思っているのでしょう? でも逆なのです。先に狂ったのは民衆達の方です」

「悪いが議論するつもりはない」


 オレは左右に飛びながら距離を詰め、綺麗な顔に向けて星銀の爪を走らせた。

 左を4つ出した後に、鼻を撫でる様に右のショートフックを打ったが、見事に全部躱された。

 再び距離が開く。


「私は幼い頃にロブ王の学友に選ばれました。ロブ王は優しいが故にお心の弱いお方。王になられた当時は、ドライフォレストは1つの絶頂期でした。民衆は傲慢で貪欲、王家の業績も忘れて好き勝手に振る舞い、挙句の果てに経済が破綻した後には、それを全部ロブ王のせいと喚き立てたのです。……フフッ、兜は忘れた訳ではありませんよ。必要がないだけです」


 ダニー・ピエールは自分の武器だけが届く間合いを堅守し、予備動作のほとんどない刺突を繰り返す。

 捌き損ねた一撃がユキのジーンズを突き破り、肉を浅く抉った。


「てめえぶっ殺す」

「おや……貫いたかと思いましたが、そちらも宝剣に匹敵する装備をお持ちのようですね。では――――」


 下に向けられていた宝剣が、オレのくたびれたハードレザーアーマーを指し示した。

 次のダニー・ピエールの攻撃は、フェイントを交えた15連撃だった。しかしオレはそのすべてを躱し切る。


「金が無くて安い鎧を着ている訳じゃない。上への攻撃を躱すのが得意なのさ、オレは」


 昔、深夜にやっていたボクシングの番組を、熱心に録画して見ていたおかげなのかも知れない。

 さて、悪いがあまりもたもたしている暇は無い。


 上半身を狙うダニー・ピエールと、顔面に拳を振り続けるオレの攻防が続く。


 敵の基本戦略は理に叶っていた。

 体をちょっとやそっとではびくともしない鎧で覆い、顔を無防備にさらけ出す。仕方がないので頭部に手数を集めるが当たらない。ダニー・ピエールの美しさは、人の根源に訴えかけて来るようなハイレベルな美しさであった。その芸術品に武器を向ける時、極め付きのサディストでもない限り、少しの躊躇いが生まれてしまう。ほんのコンマ1秒以下の遅れだが、勝敗が逆転するには十分な遅れである。


 相手を弱体化させる魔法の様なものだった。実際に何かしらの魔力を使っていてもおかしくはない。

 やたらと話し掛けて来たのも、人と人との決闘である事を意識させる為の、奴の術中だったのか。

 勝負は拮抗していたが、お互いに決め手がない。


 オレは覚悟を決め、ダニー・ピエールの刺突を右肩の端で受け止めた。痛みすら感じさせずに宝剣が肉を通り抜ける。古典的な方法だがもっとも期待値の高い戦法。肉を切らせて骨を断つ。

 左フックを敵の顔に向けて放つ。

 しかしこれは囮だった。敵の回避能力は、神々しいまでの美しさと比例しているかの様に高く、致命傷を与えられるかは五分五分といった所だったからだ。


 オレは殺す気のない浅い左フックを出しつつ、右の拳を僅かに下げた。

 狙いはダニー・ピエールが宝剣を握る右手の拳である。武器を床に落としてしまえば、こいつには何も怖さを感じない。オレは、敵が左フックを避けようとするタイミングを待ち、右手に力を込めた。


 しかしダニー・ピエールは僅かに顔を俯かせただけで、左フックを避けなかった。


 星銀の爪が世界有数の芸術品からすっぱりと鼻を削ぎ落す。ピエールは口元に薄っすらと笑みを浮かべ、オレの肩から引き抜いた剣先を体を擦る様にして斜めに走らせた。

 ハードレザーアーマーがまるでカブトムシの羽の様にパッカリと割れ、大量の血が噴き出した。ダニー・ピエールは目標を顎に変えて放たれたオレのアッパーカットを躱し、大きくバックステップをした。そのまま距離を取りこちらを観察する。


 オレは使い物にならなくなった防具を剥ぎ取って、床に投げ捨てた。傷口に手を触れてみるがそれほど深くはないようだ。だが何かがおかしい。


「フフフッ、その血は簡単には止まりませんよ。この宝剣の真の能力がそれです。動けば動いただけ血が噴き出します。もちろん治療させるような時間を与えはしませんので、勝負ありです」

「……そうか」

「残念です、好敵手でした。許されるのなら装備の力を借りずに勝ちたかったです」


 ダニー・ピエールは血の滴る口元を無垢な子供の様に釣り上げた。端正だった鼻が無くなり、2つの空洞が上を向いていた。しかしそれは決して醜くなどはなかった。


「ハハッ、まだまだオレも甘ちゃんだな。まさか躱さないとは思いもしなかったよ。もしオレがその顔で生まれていたら、間違いなく命よりも大切にするからな。美を切らせて、命を絶つか」

「フフッ、一度しか使えない技ですね」

「…………すまん。本当ならばオレの負けだ。すまん」


 スキル豚殺しが発動していた。

 もう抑える事も出来なかった。

 一歩踏み込むと、その衝撃で大理石が砕け散った。

 ダニー・ピエールは口元にまだ楽しそうな微笑を浮かべたままだったが、オレはこめかみに星銀の爪を深々と突き刺した。息絶え崩れ落ちるダニー・ピエールを、抱き寄せて静かに床に眠らせた。

 抱き寄せた時、ダニー・ピエールがやはり女性だったという事が、なんとなく分かってしまった。


 駆け寄るアポロを撫でながら、傷口に回復アイテムを当てた。




 しばらくの間じっとしていると、切り裂かれた胸の出血がようやく止まった。不思議な事に全く痛みを感じない。むしろ包囲を突破する時の戦いで、金のガントレットにやたらと殴られた左目と左耳が、酷く痛み始めていた。


 上半身が裸になってしまったので、好敵手の鎧を剥ぎ取る事を少し考えたが、気が進まなかった。どの道サイズが合わないだろう。

 ランドセルを背負い直すと、金具の冷たさと革の暖かさが同時に素肌をくすぐった。


「よし、行こうか」


 景気付けに扉を蹴り開けるとまた同じ部屋と同じ白い大理石、そして床の銀板のフォレス麦は1本。

 立ちはだかる敵は最終関門に相応しい、豪華な顔ぶれだった。かつてオレと死闘を繰り広げた最初の好敵手、ゴブリンチャンピオン、ユグノー。そのユグノーにそっくりな男達がいた。

 逞しい50人のゴブリン達は整然と並び、オレの事をじっと見ている。


 オレは少し前に戦った5人のゴブリン士官候補生や、最後の葉巻を吸って死んでいったゴブリン中将の事を思い出した。左目と左耳がやたらと痛い。しかしこれからやる事に比べたら、そんな痛みなど何も無いも同然だ。


 女王クレメンティーナから貰った緑の宝石が付いたバッジを、ランドセルの肩ベルトに付け直した。それを見た50人の戦士達が左右に別れて道を開ける。

 オレは膝を震わせながらその間を歩き始めた。

 少し進むとバタリという音が聞こえた。立ち止まって振り返ると、列の最初にいたゴブリンが床で息絶えている。血の契約に逆らった事で心臓が破裂したのだろう。もう1人が倒れ、またもう1人が倒れる。


 パンと手を叩く、乾いた音が鳴った。


 驚いて目をしばたたかせると、真横にいたゴブリンが「行けよ」という風に奥の扉に顎をしゃくり、からかうように笑った。そして再び手を叩く。

 他のゴブリン達もそれに合わせて手拍子を打ち始めた。ドンドンドシドシと足が踏み鳴らされ、軽快なステップを踏み始めた者もいた。


 オレは上気した顔でへらへらと笑い、太腿に星銀の爪を強く押し当てながら一歩一歩進んで行った。

 扉まで辿り着いた時にはすべてが夢幻であったかの様に、完全な静寂だけが漂っていた。オレはふりかえる事無く扉の中に入り、後ろ手で扉を閉めた。




 そこは赤い絨毯の敷き詰められた大きな長方形の部屋だった。

 ピカピカに磨き上げられた様々な機械類や道具が、乱雑に置かれている。用途が分からない物が多かったが、どれも処刑か拷問に使われる類の様だ。


 右側の機械装置から若い男の声が聞こえた。


「アハッハ、ねえ見て見て」


 アポロを手で制止しながら声の方を見ると、オレと同い年ぐらいの男がニコニコと笑っていた。

 その男はギロチン台に自分の首を当てながら、紐を引っ張ろうと手を伸ばしていた。

 ギロチンの刃に使われている金属は、恐らくオリハルコンだ。

 紐が引っ張られ、ギロチンの刃が落下した。ガシャンという音が鳴るが男の首が切断される事は無かった。首と刃の間に白いオーラの様な物が見える。


「ねえびっくりした? びっくりしたでしょう?」

「そんなに死にたいのなら安心しろ。今からオレが殺してやる」




 ――――ドライフォレスト王、ロブ・ハートが現われました。





次回『強制退場』です。よろしくお願いします。

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