鐘、3つ
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今日は公園で、子供達と高鬼をしていた。
もちろんただの遊びではなくて、命懸けの訓練である。
高い所を探して走り回っていると、何かに気が付いた子供達がざわざわと騒ぎ始めた。子供達はオレを追いかけ回す事を止めて、公園の入り口の方にいる若い女性を、脅えた様に眺めている。
「タケシ、どうかしたのかい?」
「兄ちゃん、やばいよ。鬼コーチだ」
「コーチ?」
「うん。僕たちが入っているサッカークラブの監督の娘なんだけど、監督より厳しいからみんなに鬼って呼ばれているんだ」
こちらに向かって歩いてくる女性は、20歳前後であろうか。
浅黒い肌のナツミをそのまま大人にした様な、スポーティーな外見だった。くりくりとした真っ黒な目。引き締まった体にショートヘア。学生の頃に淡い恋をしたバスケ部の女の子に似ていた。
その女性は簡単に自己紹介をすると、オレの目を真っ直ぐに覗き込んだ。
「私はサッカークラブのコーチとして、親御さんから子供達を任せられています」
「はあ」
「地区大会が迫っているのに子供達がちっとも練習に来ません。それなのに、最近子供達の帰りが遅いと何人かの親御さんから苦情を頂きました。あなたはいったい何をしているのですか?」
滅びかかった国を救う為に動力源の麦を破壊して革命軍を城内に呼び込みつつ王を殺す為の力を得る為に日々訓練を続けている。
もちろん、そんな事を言ったら不審者と思われてしまうので、どう説明するか言葉を探していた。するとオレの背中に隠れていたタケシが、大きな声で言った。
「兄ちゃんは世界を救う為に頑張っているんだ。僕達もそれを手伝っている。いくらコーチでも邪魔はさせないぞ!」
コーチと呼ばれている女性は、当初はオレと話し合うつもりだったのだろう。しかしタケシの言葉を聞いた今では、完全に変質者を見る目でオレの事を睨み始めていた。
「子供達を返して下さい」
「……えーと」
タケシやケンイチが、オレの事を守る様に囲み始めた。それを見た女コーチは、ショックを受けた顔で立ち竦む。
「卑怯な手を使って子供達をたぶらかしたのでしょう。許せない」
「……うーん」
やや暴走しているんじゃないかとも思うが、いい歳した男が毎日の様に子供と公園で遊んでいるのを知ってしまったら、警戒するのも無理はないだろう。
女コーチはしばらくの間、子供達を説得していたが、レオンサポーターズの結束は二重結びにした靴紐ほども揺るがない。オレが、こっちはいいからサッカーの練習に行く様に促すと、子供達が不満の声を上げ、それを聞いた女コーチは怒りのボルテージをさらに上げる。
女コーチはポケットから二つ折りの携帯電話を取り出して、自分のお腹に強く押し付けた。そして、考えを廻らせながら、携帯電話をパカパカと開けたり閉めたり繰り返している。
考えているのは恐らく、警察か保護者の群れ、あるいは監督という人物だろうか。どれを呼び出されても非常に困る。オレは仕方なく、説得を試みた。
「……走り方を。子供達に走り方を教えていたんだ。ただそれだけなんだ」
「走り方ですか」
騒ぎ出そうとしたケンイチとヨシヒコを目で押し止め、女コーチに同じ事を繰り返した。
コーチは携帯電話をポケットにしまうと、何故だか準備体操をし始めた。そして自信満々の顔で、オレの事を睨み付ける。
「あなたの言う事はとても信じられませんが、いいでしょう。それならば私と短距離の競争をして下さい。私が勝った時は、もう2度と子供達と関わらないでください。子供達も目が覚めるでしょう」
「競争?」
「ええ、そうです。何か不都合でも? ちなみに私はサッカーだけではなく水泳と陸上もやっていました。女子200メートルの高校記録も持っています。今ならあなたの訂正と謝罪を受け入れますが?」
実物の脳筋という物を、初めて目にした思いだった。
気は進まなかったが、有無を言わさぬ女コーチとオレは競争をした。
もちろん、オレが勝った。
パラレルドーピング前のオレであれば、絶対に勝てなかっただろう。コーチはなかなか負けを認めずに合計4回ほど勝負をさせられた。オレが勝つ度に、残酷で容赦のない子供達が女コーチに向けて『それ見た事か、ハッハッハ』的な野次を飛ばしていた。
女コーチは四つん這いに地面に崩れ落ち、涙の滲んだ遠い目でオレを見上げた。
「あ、あなたは何者なの?」
「だから言っただろう、兄ちゃんは世界平和の為に――――」
「タケシ。ちょっと静かに頼む」
オレはコーチに手を貸して、立ち上がらせた。
「サッカーの練習のある日はちゃんとそっちに行く様に、オレから子供達に言おう。だから……何と言うか、オレの事は放って置いて欲しい」
「でも……あなたはまさか、本当に……」
何度も走ったせいか真っ赤な顔で息を切らす女コーチは、探る様な目つきで、オレの顔を見つめていた。
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オレの朝は早い。
誰よりも早く起きて、まずは畑の状態を確認する。一緒に寝ているアポロも畑までは付いて来るのだが、たいていの場合は土の上でもうひと眠りしているだけだ。
意外な事に、次に起きてくるのはグランデュエリルだ。
グラは朝から元気一杯で、日課の素振りを黙々とこなし始める。逆に、普段は真面目なグリィフィスは朝に弱く、なかなか起きて来ない。どうやらグリィフィスは毎晩悪夢にうなされている様で、真夜中に悲鳴を上げていることも少なくなかった。神官の血を色濃く受け継いだグリは、夢の中で魑魅魍魎と戦っているらしく、朝はげんなりとしているのが常だった。
早朝から元気溌剌の聖職者というのは、こちらの世界では無能の代名詞である。神官としての力が大きければ大きいほど、真夜中に支払う代償が大きくなるからだ。
4頭の毛長馬の世話をしていると、起き出したみんなも続々と手伝い始め、ハービーやカインにもご飯を食べさせる。桶に山盛りのガロモロコシを食べ尽くしたカインは、ハービーに鼻を擦り付けて甘える。するとハービーは無言のまま、ほんの少しだけ自分の桶をカインの方にずらしてしまうのだ。
「こらカイン。アポロじゃないんだから人の分を食べちゃだめだぞ。今、おかわりを持ってくるからな」
カインの成長は嬉しいのだが、体に合わせて装備一式を作り直さなければいけないのが、大変と言えば大変である。しかし、これ以上でかくなるなと言う訳にもいかない。
動物達の世話が終わると、オレとフラニーで朝食を作り始め、他の皆は部屋の掃除などをする。腹を空かせたアポロとグランデュエリルが、用もないのにキッチンにちょこちょこと顔を出す。
「なあレオンまだか?」
「まだだな」
「なあフラニーまだか?」
「まだですわね。今日はソーセージとパンとスープですわよ」
グランデュエリルがジュウジュウと音を立てるフライパンを覗き込んだ。アポロは静かに身を潜め、たまに落っこちる野菜の切れ端を狙っている。
「いい匂いだ。なあレオン、思い付いたのだが、いい匂いの単位を1グランデュルとするのはどうだ?」
「オレも思い付いたぞ、グラ。騒音の単位を1グーラとするのはどうだ?」
「ちっ」
たっぷりの朝御飯をみんなで食べた後は、リビングに敷いたふかふかの絨毯に寝転がり午前中の戦争の打ち合わせなどをする。徐々に緊張が高まっていく感じが、何とも言えず心地が良い。
そして農作業が始まる。
今の丘は成長途上のメンバーが多いのであまり無理はさせず、準備運動に銅鉱石から始め、鉄鉱石、銀鉱石と少しづつ戦闘強度を上げていく。フォーメーションは以前と同じ陣形に、盾役としてグラが加わり、グリは農作業の手伝いと工兵として補修に走り回っている。
稼ぎ頭の星銀のインゴットを育てる前には、いつものお祈りを欠かさない。
紫パンダの使う魅了の霧をグリとグラが食らうと、洗脳はされないまでも棒立ちになってしまう事がまだあったが、やはり紫パンダは楽な相手である。
農作業と片付けを終えて、余裕のある日は道の建設をする。
道は2車線分の幅にした。水捌けのいいしっかりとした土台を作る為に、土を6メートルほど掘り下げるのだが、ハービーとカインのコンビが居てもかなり大変な作業である。次は掘った場所に砂利を3メートルぐらい敷き詰めて、その上に段階的に小石、中ぐらいの石、大きな石と敷き詰めていく。最後に靴で踏み付ける敷石を出来るだけ綺麗に並べれば、とりあえずは完成だ。
道の真ん中をてっぺんにして緩いアーチ状になっているので、雨水は道の両脇に作った排水用の溝に流れ込む様になっている。
こつこつと道を作っていくのはオレにとっては快感だったが、そんなにのんびりもしていられないので、お金に余裕が出来たら市場で人を雇うかも知れない。
午前中で仕事は終わりである。
豪勢な昼食を食べた後は、各自が自由な時間を過ごす。ただし家事の当番の人だけは、少し仕事が残っている。
フラニーは部屋に籠って本を読んだり研究をしているし、グラは剣の稽古を、グリは工作室で何かを作ったり姉と一緒に剣を鍛えている事もある。アポロは、エリンばあさんの膝の上で深い眠りに付く。
午後に農作業をする事もたまにあるし、丸1日休みの日もあるが、大体こんな感じの生活をしていた。
オレが何もしなくても、仲間達が勝手に自分を高めてくれるというのは、非常に楽である。
グリィフィスと2人でナッツかたびらを作っていた時に、それは起こった。
監視塔のエリンばあさんが警鐘を1つ鳴らした。
少し間を置いて2つ目を。そして3つ目。
……3つだと!
その鐘の鳴り方は、慌てる必要はないが何か予期せぬ事態が起こった事を示していた。
オレは道具を放り出して監視塔を駆け登った。てっきりベンの丘で何かあったのだろうと思っていたが、上に辿り着くとエリンばあさんは海の方を見ていた。ばあさんが見ている辺りをオレもじっと見つめるが、何も見えない。
「船。いえ、筏ですじゃな」
数分間、無言で海を見ていると、オレにもぼんやりと輪郭が見えてきた。ガレー船と筏の中間の様な船が、こちらの海岸に向けてゆっくりと進んでいる。筏の上には20ぐらいの人影があり、忙しく動き回っていた。
「戦闘があった様ですじゃな。かなり損傷が激しく、コントロールを失っている様ですじゃ」
「穏やかじゃないな」
「恐らく、人間ではないと思いますじゃ」
監視塔から降りると全員が完全武装で待機していたので、事情を説明した。
「ちょっと様子を見てくる」
「レオン、私も一緒に行っていいですか?」
見た目は子供のフラニーが居れば、相手の警戒心を和らげるかもしれない。オレは毛長馬に乗り込み、足の間にフラニーを挟んだ。食料と水を入れた袋を馬のお尻に乗せ、アポロをランドセルに入れて出発した。
海岸までは毛長馬を走らせても1時間以上は掛かる。高い場所に出た時に浜辺を見下ろすと、すでに筏は漂着しており、筏から荷物を降ろしたり怪我の手当てをしている彼らの姿がよく見えた。
「うーん、ありゃ、なんだろう?」
「私も本でしか知りませんが、多分あれは『海コボルト』とか『ラッコ・コボルト』等と呼ばれている種族ですわ。半分は伝説や伝承上の生き物です」
「ラッコボルトか」
ラッコが二足歩行しています、としか言い様がない。
体毛は真っ白な者が多いが、グレーや茶色が混じっているラッコもいて、毛が乾いているせいか頭部はタンポポの綿毛の様に丸くてフワフワしている。
大きなラッコでも人間の子供ぐらいの背丈しかなく、不似合いな鎧を着ているラッコもいる。
大人ラッコが5匹ほどで、子供ラッコが15匹ぐらいだろうか。
「どうも難民のようだな、どんな奴らなんだ」
「えーと、あくまで本の知識ですが、かなり好戦的な種族で上位の物は攻撃魔法を使えると言われています」
「あの見た目で好戦的なのか。なんだか嫌だな」
放って置く訳にもいかないので、馬のスピードを落として近づいていった。
砂浜に馬を乗りいれると、ラッコボルト達は陣形を組んで待ち構えていた。
筏の板を使って急ごしらえの防御柵を作り、大人のラッコ達は弩の様な武器を構えて、子供達は石や貝を投擲する姿勢を取っている。かなり可愛いが油断は出来ない。
「フラニー、大丈夫か?」
「ええ、あれぐらいならば風で弾けます」
オレはゆっくりと馬から下りて、食料の入った袋を手に持った。
そして中のガロモロコシをひと齧りしてから、大きな声で言った。
「敵意はない。困っている様なので、来てみただけだ。この袋の中には食料と回復アイテムが入っている。よければ使って欲しい」
オレが砂浜を歩き出すと、服装からして族長らしきラッコボルトが、いつでも発射出来るように杖を構えた。頬にビリビリと魔力を感じながら中ほどまで歩き、袋を砂の上に置いて引き返した。
鎧を着たラッコが袋を回収して陣地に戻り、ひそひそと相談する様を、フラニーと一緒に眺めていた。
しばらくして鎧を着たラッコボルトと族長の2人だけが、こちらに向かってやって来た。鎧ラッコの方が口を開く。
「人語をハナスワ、私だけ、こちらにイルノハ女族長のチチリア様だ」
チチリアという族長は、袋からガロモロコシを取り出すとひと口食べた。そして懐から貝を取り出して、砂浜に寝転がり、お腹に乗せた石に貝を叩き付けて綺麗に割った。
差し出された貝をオレが食べると、戦士ラッコが大声を上げる。
「共に食事をしたワレラは友人。助けの手をありがたく頂戴する」
人語でそう言った後に、コボルト語で仲間に向けて同じ事を言った様だ。ラッコ達がわらわらとオレとフラ二ーを取り囲み、それぞれが寝転がって、割った貝を次々に差し出してくる。オレは貝の返礼に、ポケットからアロエを取り出して、怪我人に使うようにと言って渡した。
通訳を交えて、族長のチチリアと話をした。
彼らは戦争に敗れ、故郷の土地から逃げて来たのだという。逃避行の途中で敵に追いつかれてしまい、チチリアの父は討死。まだ若いチチリアが、一族を導いてここまで逃げて来たのだという。
筏が壊れて海を彷徨ったので、ここが何所だか全く分からないらしい。
族長はこの海岸に国を作りたいと申し入れて来た。
オレはとりあえず答えを保留して、明日また海岸に来る約束をした。
帰り際に4人の子供ラッコに取り囲まれて、魚の入った袋をお土産に貰った。
馬上でフラニーに話しかける。
「なんだか面倒な事になったな。どうせならモグラ・コボルトかウサギ・コボルトだったら、道路建設を手伝ってもらえたんだがな。ラッコじゃなー」
「失礼ですわよ、レオン。族長はかなりの魔力を持っている様でしたわ」
「エリンばあさんは何て言うかな。別に無人の土地だから住むのは勝手だろうけど、あんまり大きな勢力になられても困るし。好戦的というのがな」
「難しい所ですわね。あれだけ長い海岸線があるのに、まるでレオンに引き寄せられるようにやって来ましたわね――――ウイップス、失礼」
貝をたらふく食べたせいで、オレもフラニーもさっきからゲップが止まらなかった。ランドセルでこんこんと眠っていたアポロがようやく目を覚まして、のん気に大欠伸する音が背中から聞こえた。




