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パラレルユニバース・コスト

「寝込んでいる私では、泥棒等から金貨を守れませんので、心配した姉が持って行ったのでしょうか」


 グリィフィスは嬉しそうな顔で、ぼそりと言った。グリの所有スキル『不安な心』は、常に不安になってしまうというまるで呪いの様な効果があるが、グリはスキルよりも、もっと深刻な呪いを抱えていた。


 それは姉の呪縛。

 十数年の長きに渡り調教と洗脳を繰り返された、完全な下僕脳。悪い事に、グリィフィスはその事実に気が付きながら、喜んで受け入れている節がある。

 グリィフィスはどちらかと言えば美少年の部類であり、街を歩いていると、若い娘達が熱い視線を向けている事さえある。しかし当のグリィフィスは、姉が命令を発するのを聞き逃さないように、ぴったりとグラの背中に張り付き、また姉が転んだりチンピラに絡まれたりはしないかと、いつも胸をハラハラさせているのだ。


 だが、オレから言わせれば、姉の方がチンピラに絡んでいるのだ。


「……グリィフィス。グリの金はオレが守ってやるから、安心して寝てるんだぞ」

「?」


 オレは、大急ぎで外に飛び出して、待ち合わせのオークションの建物まで全速力で走った。





 待ち合わせの場所に辿り着くと、フラニーとエリンばあさんの二人だけで楽しそうにお喋りをしていた。興奮した様子のフラニーが両手を刀の様に振り回し、クルクルと舞い踊っている。


「ひと~つ、ヒトカケラの糞から生まれ、ふた~つ、臭い物よとフタを閉じられ、みっ~つ、その身に宿った英雄の魂。戦士糞虫、いざ参らん」

「………………フラニー。何だそれは?」

「あら! レオン来ていたのですか、早く言って下さいな。これは、今見て来たお芝居の決め台詞ですわ」


 フラニーが恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「へー、面白かったらしいな。グリィフィスが興奮して寝込むほどに」

「最高でしたわ! 糞虫と呼ばれて苛め続けられた虚弱体質の少年に、百年前の英雄の魂が乗り移るという話なのですが、小さな体で悪者をバッタバッタと――――」

「ちょっと待ってくれ、グラはどこだ?」


 早口で喋るフラニーを押し止めた。エリンばあさんが周囲を見回しながら答える。


「ガラクタを処分して来ると言って、何処かに行きましたのですじゃ。大きな背嚢を担いでおりました」

「グラの奴、エリンばあさんまで騙すとは。もう怒ったぞ」


 みんなに事情を話してから、お店の並ぶメインストリートの捜索を開始した。

 オレとアポロにカインとハービー、それにフラニーとばあさんまで加えた大包囲網である。やがて一軒の武器屋の前で、容疑者が網に引っ掛かった。うちで一番の鼻を持つアポロが、武器屋の前でサイレンの様に鳴き声を上げている。

 まだ金が使われていない事を祈りながら、その武器屋まで走ると、中からグランデュエリルの怒声が聞こえてきた。


「騙したな! こんな使えない武器を私に売り付けるとは、貴様、いい度胸だ」

「売る前に、呪いの事はちゃんと説明しただろう。そしたらあんたが、我がなんちゃら家は神官の家だから呪いなどは恐れんと言っただろう?」

「物には限度というものがあるんだ。こんな一振りも出来ない武器は不良品だ、金貨を返してもらおう」

「いや、お嬢ちゃんよ。そんな言い方されたら、乗れる相談も乗れなくなるってもんだ。金貨は返せんな」

「何だと、ゆ、許さん。勧善懲悪、戦士グラが成敗致す」


 オレは、素早くグラの首根っこを掴んだ。仲間達も武器屋に到着し始めたので、暴れるグラをみんなで押さえ付ける。

 弟の金を勝手に使った上に、変な物を売り付けられてしまったようだ。

 オレはまず、武器屋の主人に詫びを入れた。


「オレの仲間が騒いでしまい、すまなかった。謝罪する。それで、何があったのか教えてくれるかい?」

「……その娘さんが武器を買っていったんだが、少しして不良品だと怒鳴り込んで来たんだよ。確かに呪いが付いている武器だが、その事は売る前に説明したし、武器と一緒に鑑定書も付いている」

「なるほど」


 主人はまともな人物の様であり、怒りを抑えた口調で事情を話してくれた。

 オレは、グラの方に歩み寄り、許可を得てからグラの荷物を見せて貰った。手を突っ込むと、空っぽになった金貨の大袋が2つ出て来た。


 オレの額にじんわりと汗が滲む。グラは1本で4000タリアス近い武器を買ってしまったという事になる。グラは、すでに一級品のレイピアを持っているというのに、いったい何を買ったというのだ。

 見たい様な見たくない様な気持ちで、オレは武器を取り出した。


「これは……」


 それはハンマーだった。

 長さは1メートルぐらいだろうか。武器としては少し短めに感じるが、両手で持ってもかなり重い。柄の部分はがっしりとした木製で、ヘッドはノーマル銀の様だ。

 しかし、ヘッドの叩き付ける部分にダークパープル色の魔石がくっ付いている。その特大の魔石を振り下ろせば、敵は粉々に砕け散りそうだった。


 ガイドフ親方のハンマーコレクションを見た事もあるオレは、このハンマーが4000タリアス金貨では安過ぎると感じた。魔石だけみても、博物館にあっても可笑しくないクラスの質と大きさなのだ。仮に1万タリアスと言われても、全然驚かない。

 オレは武器と一緒にあった鑑定書を開いた。


『つま先砕きのハンマー   天才といわれた鍛冶師ロンバ・ベルウスが自分の為に作ったハンマーである。武器として類を見ない破壊力だけでなく、鍛冶仕事の際に大きな補正を受ける事が出来る。ただし、このハンマーには呪いがある。酒に酔ったロンバ・ベルウスが誤って自分のつま先を叩いてしまい、その怪我が元で無念の死に至った事が、呪いの原因だと言われている。恐怖に打ち勝ちハンマーを振り下ろすには、強い精神力が必要である。また所有する者の心に、いわれのない恐怖感を発生させる効果もある』


 なるほど。

 しかし、ハンマーに禍々しい気配はなく、強い呪いがある様にはとても思えない。

 さっきまで怒っていたグランデュエリルを見ると、今ではしょんぼりと肩を落としていた。エリンばあさんに慰められて、目を潤ませている。


「なあグラ、このハンマーは弟の為に買ったんだろ?」

「……ああ、そうだ。私は装備が揃っているからな。たまには弟にいい物を買ってやり、びっくりさせようと思ったのだ。……でも、失敗だった、私はなんて馬鹿なんだ」

「そんな事ないだろう。正直、グラの事を疑ってしまったよ。すまない。グリィフィスも喜ぶに決まっているさ」

「ううん、ダメだ。さっき路地裏で、チンピラ相手にハンマーを試し打ちしようとしたら、1回も振り下ろせなかったんだ。それで仕方なくレイピアで成敗したんだ」

「……そ、そうか。うーん、よし!」


 オレはハンマーを持って、店の隅にある試し切り用の藁人形の前に立った。

 とりあえず性能を確認しない事には、何とも言えないからだ。もしオレが使う事が出来るのならば、鍛冶仕事用にグラから買い取るという選択肢もあるだろう。


 つま先砕きのハンマーを両手でしっかりと握り、頭上に構えた。

 そして藁人形の肩を狙って振り下ろす。


 ……いや、これは振り下ろせんぞ。


 例えるなら、目を瞑った状態でしばらく歩いた時の恐怖に似ている。

 もう一歩進んだら、車に撥ね飛ばされるかも知れない。あるいは電柱に激突するかも知れない。想像力が最悪の事態を形作り、体を硬直させてしまう。


 店主も含めた全員が、オレに注目していた。グラも「ほらね?」という、悲しげな目で見つめている。

 だがオレには死線を潜り抜けて来たというプライドが、あると言えばある。

 しかし怖い。とてもとても怖い。


「ぐ、ぐぬぬぬ、があああ」


 気合と共にハンマーを振り下ろした。

 しかしハンマーは目標の藁人形を大きく逸れて、地面に向かっている。

 ハンマーは、オレが絶対やっちゃダメだと想像した通りの軌道を描き、真っ直ぐつま先に向かっていた。


 オレは、しゃちほこの様に体を反らす事で何とか両足を持ち上げて、自分による自分の為のハンマー攻撃を回避した。

 つま先砕きのハンマーは簡単に床を破壊して、オレはしゃちほこ状態のまま、床に出来た穴に落っこちた。


「ちくしょう不良品を売り付けやがって、ぶっ殺す――――――いや、スマン、今のは呪いのせいだから聞かなかった事にしてくれ」


 ハービーに床下から引き揚げてもらい、瓦礫をはたき落とした。グラはしくしくと泣いており、何故かフラニーが責める様な目でオレを見ている。


 さて、どうするか。


 聞けばグランデュエリルは3800タリアスで、このハンマーを買ったという。

 買ってすぐならば8割か9割で返品出来るという商習慣が、この世界にはあった。多少の損を受け入れて返品すべきだろうか。しかしこの武器のポテンシャルには、捨てがたい魅力がある。


 もし神官の血を引くグリィフィスが扱う事が出来るのなら、超掘り出し物の商品をゲットした事になるだろう。正直、あまり強くないグリが、一気に火力面ではトップクラスに踊り出る。仮に戦闘での使用が不可能だとしても、鍛冶仕事では使えるかも知れない。

 金属の加工はグリィフィスに任せて、オレはその後の工程やデザイン(パクリ)を担当すれば、効率も上がるし技術力も特化できる。


 1人ではガイドフ親方にはとても敵わないが、2人掛かりならば太刀打ち出来るはずだ。そうなれば友達は無くしそうだが、金は儲かるだろう。

 しかし、所有者の心に悪影響を及ぼすと、鑑定書には記されていた。


 考え込むオレを観察していた武器屋の店主が、口を開いた。


「お客さん。腹を割って話しますが、そのハンマーは数年間、埃をかぶり続けて捨て値にまで落ちた商品です。曲がりなりにも振り下ろせたのは、お客さんが初めてですよ。そいつは分解して売る事も出来ないんです、それぐらい呪いの力が強いのです」

「そうか」

「はい。一度売った商品ですが、どうでしょう3500いや3400まで値引き致しましょう。床の修理代もこちら持ちです」

「分かった、それで頼む。グラ、もしグリィフィスが使えなかったらオレが買い取るから、それでいいだろ?」


 交渉が成立した。

 落ち込んでいたグラも元気を取り戻し、赤く染まった目を擦っている。オレは、グランデュエリルの背中を優しく叩いた。


「グラ、見直したぞ。グリィフィスの喜ぶ顔を見るのが楽しみだ」

「へへ、そうか?」

「いい買い物をなされましたな、グランデュエリル殿」

「エリンおばあ様、さっきは嘘を付いてごめんなさい」


 グラがしおらしい顔で謝り、エリンばあさんがにこやかに笑う。より一層、結束の強くなったレオン隊は、意気揚々と武器屋のドアに向かった。

 皆に囲まれて機嫌の良さそうなグランデュエリルに、店の主人が声を掛けた。


「お嬢さん、ありがとうね。一悶着あったけれど、これに懲りずにまた来てくれよな。お嬢さんが最初に買おうとして、金貨が足りなかったプラチナのレイピアは、すぐに売れる様な商品じゃないからさ、次に来た時は買えるといいな」

「……」

「……」

「……」

「フフンフン」






 そして数日が過ぎた。


 オレはコンドミニアムの庭で、グリィフィスの練習を手伝っている。

 ザクリと背中を叩かれたので振り向くと、グランデュエリルが腰を落とし、両手を剣の様に構えている。ここで「何するんだ!」という感じで相手にしてしまうと、例の「ひと~つ、ヒトカケラの~」という決め台詞が始まってしまうので、オレは無視を決め込んだ。


 昨日みんなにせがまれて、同じ芝居をもう一度見に行っていた。


 初めて見たオレは、まあ面白い芝居だとは思ったが、時代劇によくある勧善懲悪ものである。

 しかしエリンばあさん以外は、お芝居と名のつく物は生まれて初めて見たらしくて、完全にドハマリしていた。グリにグラ、それにフラニーまでが、隙あらば戦士糞虫の決め台詞を言いたがっているのだ。


 グラは無視しているオレに舌打ちをすると、ハンマーの練習をしている弟の背中を叩いた。


「姉さん、どうかしましたか?」

「ひと~つ、ヒトカケラの糞から生まれ――――」

「おいグラ、邪魔をするな」


 オレは、グランデュエリルを引き剥がした。

 グリィフィスは不安そうな顔で姉を見た後に、何かに脅えた様にビクリと身を震わせた。そして再び頭上につま先砕きのハンマーを構える。


 一昨日コンドミニアムの工作台で、グリ用の靴をワンセット拵えていた。その靴は、つま先と足の甲の全体に15センチほどの鉄板が付いている、名付けて『超安全靴』である。

 もちろん、そんな物を履いていてはまともに歩けはしないが、練習用に作った物だ。


 グリは最初の一振りが出来るまで3時間ほど掛かったが、やはり邪気を払う神官の血を色濃く受け継いでいる様だった。練習を続けるうちに、つま先砕きのハンマーを振り下ろせる間隔が、少しずつ狭まって来ている。戦闘で使う事はまだまだ難しいが、練習を続ければ鍛冶仕事では使えそうである。


 買って来た鉄のインゴットを試しに叩かせてみると、まるでガイドフ親方が作った様な高品質の鉄の剣が完成したのだ。


「グリィフィス、このぐらいにして置こうか。そろそろゲートに行く準備をしよう」

「はい。いよいよですね」

「そうだな」



 ゲートの使用を間近に控え、誰もが緊張を高めつつあった。

 大丈夫だろうとは思ってはいても、もし上手く行かなければ交易の旅が丸ごと無駄になってしまう。


 かなり早い時間に、オレ達は出発した。

 交易品を積んだ馬車をグリィフィスが運転し、他のみんなで守る様に囲みながら道を進む。思えば、この馬車もずいぶんと頑張ってくれた。


「いくらなんでも早過ぎたかも知れんな。少し買い物でもして行こうか?」

「いえ、買い物は交易が終わってからがいいですわ、レオン」

「そうだな、フラニー」


 昨日、一昨日と買い物に繰り出していたが、やはり交易が成功する前に金を使ってしまう事に、抵抗感があったのだろう。グリィフィスの鋼製の防具と、フラニーの本を数冊買った他は、ほとんど金を使っていなかった。


 オレは、馬車の中にある大量の金貨やインゴットに思いを馳せながら、ゆっくりと町の中心部に向かって行った。




 カルゴラシティーの真ん中にあるドーム状の建築物が、旅の終着点のゲートがある場所だ。

 約束よりも早い時間にドームに辿り着いてしまったのだが、実はそれが丁度良かった。なぜなら最初の門を潜ってからゲートに行くまでに、何重もの厳しいチェックがあったからだ。


 研究員と名乗る複数の人達が、荷物の確認と身分の確認を時間を掛けて丁寧に繰り返した。


 それが無事に終わると、今度は小さな教室の様な部屋に座らされて、ゲートの基本事項について長い説明があった。その説明には、覚えて置くべき重要な事も沢山あったのだが、何故だかオレはぼんやりと聞き流してしまった。


 最後に誓約書のサインを求められた。

 カルゴラシティーの非戦中立を認める事と、カルゴラに敵対した者とは一切の取引を中止して協力もしないという事。その2つを誓約する事が、ゲート使用の条件であった。

 ただの紙切れにサインするだけであったが、ゲートを利用した帝国貴族達は全員がこれにサインしたという事になる。


 一応フラニーに誓約書を確認してもらった後で、オレは自分の名前を紙に記した。

 サインが済むと、研究員達は最終準備をする為にオレ達を部屋に残して出て行った。


 片肘を付いてぼんやりするオレの事を、フラニーが心配そうに見つめている。


「レオン、どうかしたのですか、さっきからぼんやりして?」

「うーん、ちょっとな……」

「ちゃんと説明を聞いていましたか?」

「まあ、フラニーが聞いていたから大丈夫だろう」

「そうはいきませんわ、レオン」

「うーん、だよな。じゃあ簡単に説明してくれるかい」


 オレは尚も考え事をしながら、フラニーの説明に耳を傾けた。


 すでに知っている事も含んでいたが、要点は大体3つぐらいだ。


 まず、あっちの世界各地には、石版の神殿とか石版の祠等と呼ばれている遺跡の様な物がある。契約者達はそこで契約を結び、こちらの世界に送られてくるのだ。

 例えばベンは、帝都にある石版の神殿からやって来た。


 次に、生命のない物質を転送する方法である。

 例えばベンがやるのであれば、自分の石版に触れて、契約した神殿を思い浮かべれば物を神殿に送る事が出来る。また帝都の神殿で、ベンの顔を知る者がベンの事を思い浮かべれば、逆方向に送る事も出来る。

 しかし、それをするには桁違いのマナが必要なので、実際にやる人間はほとんどいなかった。


 だが、石版の代わりにゲートを使用すれば、少ないマナで物のやり取りが出来るのだ。



 最後に、誰が名付けたのかは知らないが、転送の際には『パラレルユニバース・コスト』という物が発生する。

 どちらかの世界にしか存在しない物を送るには、ゲートといえども高コスト高エネルギーがかかる。

 両方の世界に存在する物ならば、安く送る事が出来る。

 そして、それ自体は存在していないが、似た物ならばある場合も、低コストで転送が出来る。


 つまり両方の世界に存在して、尚且つ石版の世界では安く、帝国等では貴重な物を送るのが儲けが大きいという事に、一応は為っているのだ。


「分かりましたか、レオン」

「ベンから聞いた事と大体は同じだな。まあ、他のややこしくて細かい事は、フラニーに任せたぞ」


 そんなやり取りをしていると、研究員がオレ達を呼びに来た。

 馬車ごと引き連れて、廊下を歩いて行く。


「レオン様。交易品の送り先は、最適の場所を、私共で決めさせて頂いても宜しいでしょうか?」

「うん、頼む」

「かしこまりました。帝国に半分を、残りの半分を南側の数国に転送する事になると思います。星銀のインゴットは、パラレルユニバース・コストの面でもAランクの商品でございますので、十分な利益が出ると思います」


 廊下を抜けると、まるで野球のドーム球場の様な広い場所に到着した。


 ゲートと呼ばれてはいるが、実際に門があるという訳ではなさそうだった。屋根の内側が全面鏡張りになっており、照明はかなり薄暗い。そして、直径50メートルぐらいの巨大魔法陣が地面に描かれてる。


 研究員に手伝ってもらい馬車の荷台から交易品を降ろした。

 オレは必要以上に緊張していたが、馴れた様子の研究員たちは粛々と作業を進めている。

 垂直に立てられていた細長い跳ね橋が下ろされて、魔法陣の中心部に向けられた。研究員が星銀のインゴットを抱えて橋を渡り、魔法陣に触れない様にそっと中心に置いていく。星銀のインゴットの山が出来上がると、跳ね橋が元に戻された。


「それでは転送します」


 他の研究員達より一段階上の恰好をした男が、巨大魔法陣の脇にある墓石の様な物に近づいた。よく見ると、それは大きな魔石である。研究員が魔石に手を触れると、魔法陣が一瞬だけピカリと光った。大袈裟なエフェクトやファンファーレ等は何もなくて、ただそれだけである。むしろ研究員達は作業に馴れ切っており、まるで5時のチャイムを待ち侘びている工場ライン労働者の様な気怠さを見せていた。


 それでも魔法陣の上にあった星銀のインゴットは煙の様になくなっており、再び跳ね橋が下ろされて、次のインゴットが運ばれていく。


 オレ達は手伝う必要もなかったので、手持無沙汰にゲートの転送を眺めていた。

 何度か研究員が入れ替わって魔石に触れ、ピカリ、ピカリと計5回ほど光った。旅の苦労を思えば拍子抜けするほどの呆気なさで、オレ達のゲート貿易は終わりを告げてしまった。グリとグラも、やや白けた表情で魔法陣を見つめている。


「うーん。もうちょっと、こう、露骨な過剰演出みたいのが欲しかったかな」

「思ったよりも、あっさりとしていましたわね」

「でも嬉しいです。何かあったらどうしようかと、昨晩は眠れませんでしたし」

「ほっほっほっ、特別な事ほど簡単に終わってしまう物ですじゃな。……何故だか終戦の日の事を思い出しましたのう」

「……」

「ニャー」

「ひと~つ、ヒトカケラの糞から生まれ」

「フフンフン」



 オレは、片付けを始めようとした研究員に話しかけた。


「あの、もう1回出来るかな……オレがやってみたいのだけれど」

「もちろんで御座いますよ。故郷の国に転送を望まれる契約者様は多いですから」


 オレは、馬車から金貨の大袋を持って来て、研究員に預けた。


 再び跳ね橋が下ろされるのを、ぼんやりと見つめる。

 するとエリンばあさんが、オレの腕を優しく突いた。


「レオン殿、この金貨も一緒に送ってくだされ」

「え?」


 エリンばあさんが、自分の分け前をオレに手渡した。

 オレは断ろうとしたのだが、エリンばあさんの眼差しがそれを許さなかった。オレはエリンばあさんに礼を言い、大袋を研究員に渡した。


「じゃあ、レオン。少し減っていますが私の金貨もどうぞ」

「……フラニー」


 足元を見ると、アポロがジーンズの裾を咥えていた。


「アポロの分け前もくれるのかい?」


 オレは、馬車からアポロの金貨が入った小さな袋を取り出した。

 一度アポロが食い千切ってしまったので、継ぎはぎだらけのその袋を、研究員に渡した。

 金貨が魔法陣の中心に置かれ、跳ね橋が上げられる。


「レオン様、どうぞ」

「ああ」


 オレは魔石に手を触れた。

 そして、自分のアパートの部屋を思い浮かべた。

 やはり何の演出もなく、ピカリと光が走る。研究員がびっくりした顔でオレに話しかけた。


「レオン様、どこに転送なされたのですか? 今まで無かったほどのエネルギーが消費されましたが」

「まずかったかな?」

「いえ、モンサン博士がお作りになられたゲートは、歴史を変えるほどの素晴らしい物ですから、何も問題はありません」

「……そうか、それなら良かった」


 別の研究員が折り畳まれた紙を持ってきた。受け取って紙を開くと、転送した商品のリストと利益が書き付けられていた。本来ならば高額の手数料を引かれてしまうのだが、博士の友人であるオレは丸ごと貰う事が出来る。


 リストの一番下に合計金額が書いてあった。

 それは、10万タリアス金貨、つまり1億マナを僅かに上回る金額だった。





 ☆☆☆



 駅前の広場にシルバーアクセサリーの青年が、戻って来ていた。

 オレは青年に軽く挨拶をしてから、危険を感じさせる新作が、敷物に並んでいないかを素早くチェックする。


 大丈夫そうだな。


 アパートに帰るために、いつもの緩い坂道を登って行く。

 オレが住んでいるこの坂道は昔から静かな場所であったのだが、最近はより寂しさを増していた。注意して観察すると、新聞受けに新聞が山の様に溜まっている家や、空き家らしい一軒家が沢山あるのだ。


 今も坂の途中に引越しトラックが止まっており、家から荷物が運び出されている。

 オレはダンボールを担ぐ屈強な若者達と擦れ違い、坂道を登る。

 見事な夕焼けが、アスファルトや電柱を真っ赤に染め上げていた。



 曲がり角を曲がると電柱の陰に、少年が足を投げ出す様にして座っていた。オレはびっくりして立ち止まった。


 ぼさぼさの赤茶色の髪の毛、日本人にはない真っ青な目。

 少年の様な幼い顔をしているが、背格好はオレと同じぐらいだった。

 身に纏っている雰囲気は、まるで世を捨てた仙人の様に老成している。


 男は夕焼けの中で、嬉しそうにニコリと笑った。額には乾いた血がこびり付き、傍らには砲身の長い銃が転がっている。男はクシャクシャに丸まっていた赤い布を広げて見せてから、綺麗に畳んで自分の膝の上に乗せた。それは、ちょっと前に坂道で遭遇した、大男が着ていた赤いスーツの上着だった。


「アノね、自分のことは自分でカタを付けてからと、思ったんだよ」

「……」

「ねえ、レオンのダンナ。日本語で上手く言えるか、わからないけどさ……聞いてくれるよね?」

「……ああ」

「ボクは一度、完全に死んだから、イロイロなことを見たし、知っているんだ。たぶんレオンが知らない事もね。向こうとこっちは、合わせ鏡の様に繋がっている。でもその事を知っている者は、とてもとても少ない」


 男は電柱にしがみ付きながら、立ち上がった。座っていた場所に、多量の血が染み込んでいる。


「だ、大丈夫なのか?」

「うん、それでね……なんて言えばいいのかな? ボク達はね一種の『バグ』なんだ、たぶん誰かがワザと仕込んだバグなんだよ。それで……そのバグを悪い事だと思っている奴らが、いるんだ」

「……」

「それでね……ボクが言いたいのは、レオンのダンナが誰かに襲われたとしても、それはボクのせいじゃないからね? フフッ、だからボクが黄金イモを埋めちゃった時みたいに、怒らないでくださいよ?」


 そこまで言い終えると、男は崩れ落ちた。オレは慌てて肩を組んで支え上げ、すぐ先の自分のアパートに向かう。


「ねえ、ダンナ、大切なコトを忘れてませんか?」

「何だ? ペペなら……猫はいないぞ」

「そうじゃなくて」

「分からない」

「ボクの名前を呼んでくださいよ?」


 男は、先を急ぐオレを止まらせた。そしてオレの両肩を掴み、少年の様な顔を真っ直ぐにオレに向けた。掴まれた肩が、強い力で締め付けられている。


「…………久しぶりだな、スナフキル」

「うん。ありがとう。ボクが存在していた事を知っているのは、もうレオンのダンナだけなんだからね?」

「そうだな、すまなかった。認めるのが怖かったんだ」


 クスクスと笑うスナフキルを引っ張って、アパートのドアを開いた。スナフキルをベッドに座らせて、押し入れにあるはずの救急セットを探す。


「ねえ、ダンナ、あれはなんだろう?」


 オレは振り返り、スナフキルの見てる場所に目を向けた。

 壁の隅っこに、見覚えのある大きな袋が3つ。そして継ぎはぎだらけの小さな袋が1つあった。

 オレは茫然と壁際まで歩き、小さな袋を拾い上げた。


 袋を掴んだ拍子に継ぎはぎが破れ、中の金貨がバラバラと床に零れ落ちた。まるで目覚まし時計の様なけたたましい音を立てて、金貨が部屋中に散らばった。

 1つを摘まみ上げたスナフキルが目を丸くして、金貨をしげしげと眺めた。そして嬉しそうに声を立てて笑い出した。

 間抜け面をしていたオレも、つられてゲラゲラと笑い出す。


「ダンナ、フフフフッ、これはいったい、どういうことなのさ、フフフフッ」

「さあな、クククククック、何なんだろうな?」


 3つの大袋を開けると、ビスケットぐらいの大きさの金貨が溢れんばかりに詰まっていた。

 微かにお日様の匂いを感じたオレは、何故だか胸を抉られる様な悲しみを覚え、金貨の袋をそっと閉じた。



 その日、寂しくも楽しかった、オレの1人きりの生活が突然に終わりを告げた。






 ――――――――戦士レオン、いざドライフォレストへ!







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