奴隷市場
「さあ、どうぞ」
プラウドは羽織っていた毛皮のコートを颯爽と脱いで、寝間着姿のオレに差し出した。
ポマードの匂いで胃がムカつき、いっそのことコートに向けて吐き出してやろうかと思ったが、我慢してコートを押し戻す。
今ではプラウドの物になった星銀の手斧が、朝の光をチカチカと反射して、さらに吐き気を誘う。
コンドミニアムのドアが開き、エリンばあさんが顔を見せた。
重い空気を察したエリンばあさんがギロリと目を光らせると、さしものプラウドも半歩たじろいだ。
「プラウドさん、すまないが星銀の手斧をしまって貰えないだろうか」
「そういえばこの武器は、レオン殿の物だったらしいですなあ」
「ああ」
プラウドは勿体を付ける様に手斧を撫で回した。
後ろのドアが今にも開かれそうな気配を見せていて、仲間の体を刻んだ時の嫌な記憶が、脳裏をよぎる。
「まあ、いいでしょう。理由も聞きませんよ。その代りと言っては何ですが、奴隷市の視察を付き合ってもらうと言うのはどうでしょうかな」
「……分かった」
プラウドが星銀の手斧を外して、部下に仕舞わせた。ガチャリとドアが開き、グランデュエリルとフラニーがお喋りしながら姿を現し、グリィフィスも後から出て来た。
「やいレオン、まだパジャマなのか、私は早く買い物に行きたいのだ」
「なあ、ちょっといいか」
オレは、エリンばあさんと手を繋ぎ、皆を部屋に押し戻した。
「すまんが、ちょっと予定が出来てしまってな。オレも一緒に行きたいから、買い物は午後からにしてくれないかな」
「絶対に嫌だ。私は一刻も早く買い物がしたい」
「そう言うなってグラ、午前中は劇場に行ってはどうかな? 昨日、前を通ったけど面白そうだったぞ」
「む……劇場か、どんなのだ?」
「たしか『剣と魔法の冒険活劇、一寸の糞虫に英雄の魂』とか言うのだったな」
「ふんっ、安っぽい題名だな。でも剣と魔法か……よし、買い物は午後からにしよう」
「ああ頼む。どこか適当な場所で待ち合わせて、昼飯は一緒に食べよう」
出来るだけゆっくりと着替えを済ませ、劇場には入れそうもないハービーと動物達を引き連れて、外に出た。
待ちくたびれて消え去っていてくれれば、という淡い期待も空しく、プラウドはいつの間にか用意された椅子の上で、上機嫌に葉巻を吹かしていた。
「さあレオン殿、行きましょうか。馬車を2台呼び付けて置きましたので」
護衛の戦士と秘書らしき眼鏡の男を引き連れて、プラウドは大股で歩き出した。
観光用の馬車に無理やりハービーを押し込んで、膝の上にカインを乗せた。
オレも乗り込むと、何も言わずに馬車は出発した。
砂漠の真ん中にありながら、豊富な水に恵まれた美しい街カルゴラ。
水路を走る小舟や、自宅の屋上から釣り糸を垂れているカルゴラの住民等を眺めながら馬車に揺られていると、やがて刑務所の様な物々しい建物に到着した。
馬車から降り、プラウドの後に続いて番兵の横を通り抜けた。
「かっかっ、レオン殿も何か買われてはいかがですかな」
「いや。プラウドさんは買うのかい?」
「そうですなあ。少年少女を1ダースほど買っていきましょうかな」
「……」
オレは俯いて、色々な感情を押し殺した。そんなオレの顔をプラウドの三白眼が覗き込んでいる。
「かっかっかっ、冗談ですよ、レオン殿。モンサン博士は奴隷がお嫌いでしてなあ。たかが性欲の為に、今の地位を捨てる訳には行きませんからな。昔は、奴隷と言えばカルゴラのメイン商品でありましたが、博士の影響で随分こじんまりとした規模になりましたよ」
「……そうか」
話しながら奥に進んで行くと、鉄格子で仕切られた大部屋が見えてきた。
大部屋の中には、あまり使い道がなさそうな人間達が、不衛生に押し込まれている。絶望と言う名の腐臭と熱線の様な視線を感じながらさらに進むと、今度は小さな牢屋が並んでいる通路に差し掛かった。
小部屋には、筋骨隆々の戦士や身綺麗にしている庶民風の女達が、退屈そうな顔で無為な時間を過ごしている。そこを通り抜けると床が大理石に代わり、まるでデパートのショーウィンドウの様なガラス張りの部屋が30ほどあった。
どうやら入場料を取って人を入れているらしく、思い思いの恰好をした自由人達が興味津々でガラスの中を覗き込んでいる。
「レオン殿。申し訳ないが、私はここの所長と話があるので、少し失礼致しますよ。用事が済んだらお茶でも飲みましょう」
プラウドはそう言うと護衛の戦士だけを連れてどこかに行ってしまった。
オレはアポロを肩に乗せ、奴隷達を見て回った。
高級奴隷達は魔道具の首輪を付けられて、深海魚の様に自分の内側の世界に引き籠っている。
先程までの奴隷達は誰もが諦めきった虚ろな目をしていたが、ショーウィンドウの高級奴隷達はまだ目に光が残っている者が多かった。地獄を見るのは、これからという事なのだろう。
高級奴隷は、愛玩用の若い女が多かった。
獣人族、エルフ、ドワーフを始め、世界各地の色んな肌の女が首輪に繋がれて、自分が売られてしまう日を待ち続けている。オレは一人のエルフの前で足を止めた。
そのエルフの少女からは、ぶ厚いガラス越しでも感じるほどの膨大な魔力が噴き出ていた。
尖った耳。フラニーと同じ金色の髪。小枝の様な細い手足。
ずっと床を見つめていた少女は、鼻を鳴らすカインに気が付いて、小さく笑った。視線をカインからハービーに移し、最後にオレの事を真っ直ぐに見つめた。桜色の唇が小さく動き『助けて』と形作る。
オレはそうしていられる限界まで少女を見つめていたが、それは対して長い時間ではなかった。
「レオン様、中庭の方に売り物の使役獣達も居ますよ」
眼鏡の秘書の言葉に従い、オレは外に出た。曇り空の下に、多種類の使役獣や使い魔達が人間と同じ様に檻に入れられている。
かなり広い庭の中央に人が集まっており、楽しそうな歓声が響いていた。
近づいてみると立札がある。
『ルシフェルの使い魔ブラッドデビルモンキーに石を当てて、賞品を手に入れよう』
オレにとっても因縁深い赤猿が、がんじがらめに鎖で縛られ、鉄の板に張り付けになっている。人混みを掻き分けて目を凝らすと、赤猿は尻尾を切られ体中に深手を負っていた。
観光客らしき男が金を払って石を買い、下手糞なフォームで投石を始める。
急所に当てると商品が出るらしく、群衆は野次を飛ばし、石が頭をかすめると嬉しそうに歓声を上げた。
彼らもブラッドデビルモンキーに、酷い目に合された事があるのかも知れない。
オレは背を向け、その場所から離れた。
石が命中したのか大きな歓声が起こり、係員が「石以外の物を投げないでください」と大声で注意していた。
用事が終わったらしいプラウドがやって来て、中庭の隅にあるオープンカフェで、向かい合って腰を下ろした。
プラウドは相変わらずの慇懃無礼な態度で得々と話していたが、オレの機嫌が急激に悪くなっている事に敏感に気が付くと、おもねる様な口調に変化させた。
このプラウドいう男は、良くも悪くもビジネスマンなのだろう。オレに利用価値があるのならば、上手くあやして使おうというのがこの男の行動規範なのだ。破格の値段で星銀の手斧を競り落としたことも、単なる嫌がらせではないはずだ。
プラウドはしばらく当たり障りのない話をした後で、テーブルに身を乗り出した。
「レオン殿。モンサン博士は、あなたとベン・トール殿の事を非常に気に入っておられます。単刀直入に申しますが、こちらの陣営に付きませんか?」
「……」
「すぐにどうこうという話では御座いませんが、いずれすべての契約者達は、どちらの側に付くのかはっきりさせざるを得ない日がやってくるでしょうな」
プラウドは熱いお茶を、美味そうに一口飲んだ。
モンサン博士には、人を惹き付けずにはいられない魅力があった。それは多くの人々がアインシュタインやダ・ヴィンチに対して、畏怖に近い好感情を、無条件で抱いてしまうのと同じ事だった。この人のそばにいれば、歴史が変わる瞬間に立ち会えるという確信に近い予感。
プラウドの様な男でさえ、博士の為ならば自分の利害を捨てるかもしれない。
「オレは、ベン・トールが付く方に付くとずっと前から決めているんだ。オレを口説き落としたいのなら、ベンの事を口説いてくれ。もっともベンは帝国貴族だが」
「なるほど。それはいい事をお聞きしましたな。ところで帝国とカンパニーの違いを2つお教えしましょう。1つは、カンパニーがゲートという切り札を握っているという事です。カルゴラは自治都市という事になっておりますし、カルゴラの住民の多くは今もそうだと信じているでしょうな。しかし実権は、すでにカンパニーにあるのです。2つ目は、カンパニーは帝国と違い、旗色を明確にする者に具体的な報酬を約束出来るという事です。例えば――――」
庭の向こう側で爆音が起こり、プラウドは演説を中止して振り返った。
蜘蛛の子を散らす様に群衆が逃げまどい、破裂音と共に血煙が巻き上がっている。惨劇の中心部には血だらけのブラッドデビルモンキーが鎖を引き摺っていた。赤猿は自分を縛っていた鎖を1つ1つ引き千切っては、群衆に向かって投げ付けている。
先程、石を投げていた観光客の男に鎖が直撃し、肉爆弾の様に弾け飛んだ。
体長2メートル、返り血の目立たない赤い毛並み、高レベルの戦士を瞬殺する圧倒的な膂力。
勇敢に立ち向かった10人ほどの警備兵を惨殺したブラッドデビルモンキーは、逃げ出す為にこちらに向って走り出した。たまたま通り道に居た人間達が、草を払い除ける様に殺されていく。
「おい! 逃げるぞプラウド」
椅子を蹴倒して立ち上がっていたプラウドは、驚愕の表情で硬直している。
プラウドを守る為に立ちはだかった護衛の戦士が、3回ほど剣を振った後で呆気なく崩れ落ちる。
……クソ。
オレは、地面に転がっていたお茶のカップを引っ掴み、ブラッドデビルモンキーに向けて投げ付けた。
進路上のプラウドを、今まさに殺そうとしていた赤猿の頭にコツンとカップがぶつかった。
「カインは下がれ、こちらからは手を出すな」
赤い毛並みのルシフェルの使い魔は、残忍な顔でオレの事を認識した。ポタポタと垂らしている大量の血は、自分の血も含まれているようだ。
「カップをぶつけた事は謝る! 逃げ道はあっちだ。早く止血しないとお前は死ぬぞ」
赤猿はキョトンとした顔をして、オレが指差した高い壁の方にクルリと首を回した。
次の瞬間、赤猿はオレの目前にほぼ瞬間移動している。
そして超高速の連続攻撃が始まる。
オレには動き出しの一瞬しか猿の手は見えなかったが、全神経を回避行動に集中させた。
ブラッドデビルモンキーは、かなりダメージが深いのであろう。
オレは、突然に音がなくなった世界で、1つ1つ攻撃を躱していく。
途中、赤猿に飛び付こうとしたアポロが、まるで見えないバリアに阻まれた様に跳ね返された。
ハービーが至近距離から鉄球を飛ばしたが、投弾帯から球が離れた瞬間に、すでに赤猿は鉄球の軌道上から体をずらしている。
世界に少しずつ音が戻り始めた。
そのピシピシという音は、オレの防具に攻撃が掠り始めた音だった。
ハービーが2球目の鉄球を発射させた。
赤猿は真横にいるハービーをろくに見てもいないのに、完全に鉄球の軌道を見切っている。
ブラッドデビルモンキーの1メートルほど手前で、ハービーの鉄球が破裂した。
……鉄球が破裂だと?
ハービーが飛ばしたのは鉄球ではなくて、昨日渡した金貨が詰まっている袋だった。
散弾銃の様に金貨が放射状に散らばり、赤猿にぶすぶすと着弾する。
ブラッドデビルモンキーは思わぬ攻撃に驚いたのか、オレへの連続攻撃を中止して、あっという間に塀を飛び越えて逃げてしまった。
奴隷市場の中庭には、ほとんど原型を留めていない無数の死体だけが残された。
阿鼻叫喚の中、オレはまずアポロの無事を確認した。
次に、背伸びをしてハービーと肩を組んだ。
「助かったよ。ちょっとびっくりしたけどな、ありがとう」
「――――レオン殿」
振り返ると、物凄い形相をしたプラウドが、オレの事を睨み付けていた。
「レオン殿。私は、借りは必ず返さなくては気が済まないタチでしてね。どっちにしてもです。今日の事は忘れませんよ」
それだけ言うと護衛の死体には目もくれずに、プラウドは立ち去った。眼鏡の秘書が慌ててプラウドを追い駆ける。
庭に目を戻すと、散らばった金貨に、生き残った人々が群がっていた。地面に散らばる肉片を掻き分けて、嬉々として金貨を拾い集めている。
一掴みの金貨で、数か月の生活が約束されるのならば、オレだって金貨を拾い集めるだろう。心が卑しいとかそういう問題ではないのだ。ただ金があるかないか。余裕があるかないかというだけの話だ。
オレは、とても金貨を回収する気にはなれず、何も言わずにそこから立ち去った。
馬車に置いてけぼりにされてしまったので、オレ達は歩いて帰るはめになった。
防具がぼろぼろになってしまったので、宿に一度戻らなければならない。しかし道が分からないので適当に進んでいると、ほとんど人気の無い道に入り込んでしまった。
オレは、ハービーをからかいながら、静かな道を歩いて行く。
「なあハービーよ、やっぱり君は人間の言葉が全部分かっているんじゃなかろうか」
「……」
「ほら! 今、右頬がピクリと動いたぞ! ついに動かぬ証拠を掴んだぞ」
「……」
「動いたことが動かぬ証拠とは面白いだろう。ハービー笑ってもいいんだぞ」
「……」
「…………まあ今日はありがとな。アポロ? どうした」
アポロが毛を逆立てて、立ち止まっている。
「そこの空き地がどうかしたのか?」
草が生い茂っている空地の中に、アポロが入り込んだ。
後を追って、オレも空地に入る。
「お、お前は」
瀕死のブラッドデビルモンキーが、草むらの中で仰向けに身を隠していた。
もう動けないのか、濡れた目でオレの事をぼんやりと見ている。
赤い毛に、どす黒い血が浸み出しており、体には金貨が何枚か埋まっている。
何故そんな事をしたのか分からない。
反吐の出る様な動物愛護精神が発揮されたのか。あるいは、助けられなかったエルフの少女の代わりに、何かを助けたくなったのかも知れない。
「街を出るまでは、誰も殺さないと誓え」
「……」
「誓え」
ブラッドデビルモンキーは微かに頷いた様に見えた。
オレは高ランクのアロエを数個、ブラッドデビルモンキーに投げ与えた。
それで助かるかは分からなかったが、もし助かったとしたらブラッドデビルモンキーは、またどこかで人を殺すであろう。あるいはオレの丘にやって来るかも知れない。
その時は、また倒せばいいだけの話だ。
随分と遠回りをして、やっとコンドミニアムに辿り着いた。
着替える為に防具を脱ぎ掛けると、ふと人の気配を感じた。
不審に思い探し回ると、グリィフィスが自分の部屋で横になっていた。
「どうしたんだグリィフィス、大丈夫か?」
「あっ、レオンさん。お帰りなさい。大丈夫です」
「どうしたんだ?」
「お恥ずかしい話ですが、生まれて初めてお芝居を見たので、ちょっと興奮し過ぎてしまった様です。少し休めば落ち着くと思います」
「……そうか。みんなは?」
「しばらく看病してくれましたが、私が大丈夫と言ったので待ち合わせの場所に行きました。レオンさんも、行ってください」
オレは、水や果物をグリィフィスの部屋に補充した後で、出かける事にした。
「じゃあ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい」
「うん。そういえば、ちょっと思ったんだが、分け前の金貨はちゃんとあるよな」
「はい、そこの棚にしまってあります」
念の為に棚を確認すると、当然の様に分け前の袋がなくなっていた。
……グラ、オレは、信じてるぞ。信じてもいいんだよな?




