レェロン
「フフフッ、ベン様の丘での戦いとは全然違う。今日、私は初めて、本物の戦士に成れたという気がするんだ。フッヘッヘ、大蛇を突き刺した時の手応えが、まだ手に残っているんだ。レオンにも見せたかったな。そうだ! 弟よ、レイピアの手入れを頼むぞ。忘れないうちに、あの時の突きを練習しなくてはな、フッフッフ」
陣地に戻ったオレが見た物は、空を見上げる様に倒れ、弟に抱きかかえられているグランデュエリルだった。
グランデュエリルは熱に浮かされた様に、言葉を発し続けている。
グリィフィスが、喋るのを止めさせようと姉に懇願するがグラは、興奮状態のまま喋るのを止めない。
グラの鎧の胸の部分に、小さなひび割れが出来ている。試しにグラのおでこを触ってみると、思わず手を引っ込めてしまうほどの高熱があった。
「グラ、まさか……モンテスマ・スネークに刺されたのか?」
「んー? はっはっ、何て顔をしてるんだレオン。蛇の角に刺されたけど、鎧が守ってくれたぞ。弟の貯金を全部つぎ込んで買った甲斐があったというものだ……チクリとだけ胸に刺さっただけだ」
グラの周りを囲っていた仲間達の顔が、暗く沈んでいく。
旅の間、モンテスマ・スネークの毒だけは注意に注意を重ねて進軍してきたのだ。蛇の角から分泌している毒液は、ほんの一滴でも致命傷になりかねない。
オレ達は手分けしてグランデュエリルの鎧を脱がせ、鎧の下の服を切り裂いた。
グラのお椀の様な右の胸が、どす黒い紫に変色していた。
胸を中心にして、放射状に毒が広がっている。
もちろんグランデュエリルは、自分が毒に冒されたことに気付いていたのだろう。
しかし、血清はなく、治療手段もないことを知っていたグランデュエリルは、何も言わず戦い続けた。何も言わず戦い続け、勝利の余韻を味わった後で、地面に倒れたのだ。
そのグランデュエリルは呂律が怪しくなり始めていた。
「エィィンばあ様、何度も助けられちゃっちゃね、フダニー、凄かったぞ。魔法の天才ってのはいるもんなな、だな」
グラは嬉しそうな顔のまま、瞼が下がり始めた。意識が混濁し、口の中で何かを唸っている。
グリィフィスは泣きじゃくりながら、傷口にアロエを塗っている。
エリンばあさんと視線を合わせると、同じ事を考えているのが分かった。リーダーのオレは、ばあさんよりも先に、一歩踏み出した。
右手の星銀の爪を見るが、これではやりにくいだろう。
……クソバカヤロウ、そういう事かよ。
オレは寄せ集めた木材に火を起こしてから、爪を外した。そして、フラニーから受け取った皮袋の水で、戦利品の星銀の手斧を念入りに洗い始めた。エリンばあさんとフラニーは、グラの傷口を洗う。
手斧の刃先を火で焼き、もう一度水をかけ、また刃先を焼く。
オレがやろうとしている事に気が付いたグリィフィスが、ヨロヨロと立ち上がった。
「や、止めろ! そんなこと、僕は許さないぞ!」
無視して手斧を焼き続けていると、グリィフィスが掴みかかって来た。
「止めろと言っているんだ!」
「……グリィフィス、分かっているはずだぞ。姉さんが助かる可能性があるとしたら、これしかないんだ」
「嫌だ! 嫌だ!」
グリィフィスはそう言ってぼろぼろと涙を流したが、オレを掴んでいた両手を静かに離した。
やがて手斧の消毒が終わり、オレはグランデュエリルの傍らに膝を付いた。
自分を責める気持ちで、崩れ落ちてしまいそうだった。
そもそもなぜオレはここに居るのか?
なぜ旅などしているのだったか?
余計な事はせずに、丘で野菜でも育てていれば良かったのではないか。
旅の途中、グランデュエリルは「レオン、私は戦士だ」と言った。
昔、エリンばあさんは「あなたと共に戦えて、幸せですじゃ」と言った。
まだ子供のフラニーでさえ「私は強くなりたいのです。そして役に立ちたいのです」と言った。
オレは。
オレは何か言っただろうか。何も思い出せない。
真剣になったり熱くなることは恰好の悪い事で、生きる意味など探さずに、ただ軽い楽しみだけで日々を生きていく。そんな風にずっと生きて来たのだ。そんな男が何か言えるはずもない。
オレは、グランデュエリルの毒に冒された乳房を、手斧で切り落とした。
「おーい、レオン、ドカンといくぞー」
ダーマのおっさんの能天気な声が、丘に響き渡る。
オレは、他人の畑の収穫物を黙々と引き抜いていた。
ダーマ・スパイラルの火炎魔法は凄まじく、しかも半無限に撃ち続けられる様だった。大玉ころがし並の火球が、侵入モンスターを順番に焼き殺していく。
意識のはっきりしないグランデュエリルを馬車に寝かせて、大急ぎでニバル山脈を越えたオレ達は、真っ直ぐダーマのおっさんの丘に向かった。到着した時はダーマのおっさんは不在だったが、有能な家臣団が何も言わずとも必要な事は全部やってくれた。
オレは、長期滞在とグランデュエリルに対する最高水準の治療のお礼に、おっさんの農作業を毎日手伝っていた。おっさんの多彩な火炎魔法は、ボス級の敵を一撃で消滅させるほどの威力があったが、その代償なのかコントロールに不安があった。
今も、おっさんの発生させた炎の壁が、オレとアポロを半分巻き込んでいる。しかし、オレは文句も言わず収獲をし、おっさんの撃ち漏らした敵をアポロと一緒に片付けた。
ダーマのおっさんは非常にご機嫌で、ケラケラと笑いながら魔法を撃ち続けている。おっさんの、がさつさや懐の深さが、今のオレにはとてもありがたかった。
「おーし、レオン。今日はこれぐらいにして晩酌にすっか!」
まだお日様は高かったが、かなりの収穫量だった。モンスターがいなくなると、ダーマ・スパイラルの家臣団が10人ぐらいぞろぞろとやって来て、オレとアポロを取り囲んだ。
「レオン様、お疲れ様です」
「レオン様、後は私共にお任せを」
「濡れタオルをどうぞ、さっさ、アポロ殿も」
家臣団は誰もがラグビー部員の様なごつい男達ばかりで、ほぼ全員が耐火特化の防具に身を包んでいる。オレとアポロがやっている事を、普段は彼らがやっているのだろう。家臣達の鎧の多くは煤がこびり付き、眉毛が完全になくなっている者さえいた。
彼らにとっては命懸けの農作業を、代わりにしているオレとアポロは、アイドル並の扱いを日々受けていた。
家臣を取りまとめているケネスという男が、ダーマのおっさんと話している。
「ダーマ様、いくら特別な火属性を持つレオン様とフレイムキャットとはいえ、ダメージがゼロではないのですから。もう少し自重してくださいませ」
「いやー、今日も気持ち良かったぜ。やっぱり魔法はぶっ放さなきゃだよな?」
「ダーマ様、西側の風車がまた壊れたので、修理が必要です」
「んなことは、わかってるって、オレが壊したんだからよー。お、レオン、お疲れ」
相変わらず無精ひげのおっさんが、オレを手招きする。
「なー、レオンよ。いっその事、オレの領地に引っ越してこないか? 最高の待遇を約束するぜ、あいつら使えねーから全員、首にすっからさ。な? アポロもな?」
ダーマのおっさんは、一生懸命に畑を片付けている家臣達を一瞥した。おっさんは口は悪いが家臣達を大切にしているようで、家臣達はおっさんの命令ならば迷わず死ぬだろう。
「遠慮して置くよ。こんな所で暮らしたら、酒で体をやられてしまうからね」
「そんなことないだろうがー。あ! そう言えば、エルフ殺しっていう酒を貰ってきたから、今夜は楽しみにして置けよ」
「うーん。そうだ頼みがあるんだが、おっさんの水晶玉を少し貸してもらえないだろうか?」
「ああ、いいぜ」
快く了承してくれたおっさんの後に付いて行く。
おっさんの丘は、中世の地方貴族の領地といった感じである。大きな屋敷兼、砦は、最初は落ち着かなかったが、今ではすっかり住み慣れた場所になっていた。ダーマのおっさんはメイドや執事に無造作に武器やマントを渡し、顔も見ずにいくつかの指示を出す。いくら金持ちになったとしても、こういうマネはオレには出来そうもない。
「なあ、レオン。そういえば、海路に巨大オクトパスが大量発生しているらしいぜ。何隻も船が沈んだらしくてな。うちの隊長が、ただでさえ忙しいのに討伐に駆り出されて、お冠なんだとさ」
おっさんと世間話をしながら、長い廊下を歩いた。
途中、屋敷の中庭で、家臣達と剣の訓練をしているグリィフィスを呼んだ。
前を歩くおっさんの背中を見ながら、横を歩くグリィフィスに話しかける。
「なあ、グリィフィス。もしかしてグリィフィスは、何かスキルを持っているんじゃないか?」
「えーと、残念ながら持っていません。子供の頃に、何度か鑑定アイテム等で見てもらいましたが、ありませんでした。もしあれば、家の再興に役立ったかもしれませんが、祖先の血は薄まってしまいました」
「ベンの丘に来てからは、見てもらった?」
「いえ」
「……」
おっさんの書斎に三人で入り、水晶玉の前に並んで立った。
水晶玉の鑑定を開いてもらい、グリィフィスに手を触れさせた。
三つの頭が水晶玉を覗きこむ。そこにはこうあった。
――――――グリィフィスタフェス・ウェシパシアン・グラックス 所有スキル『不安な心』、このスキルは常に発動し続けます。発動中は些細な事が不安で不安で仕方がなくなります。スキル『不安な心』は、愛する者に危険が迫った時に限り、一時的にスキル『遠回しで不確かな神の予言』に変化します。
三人は全く別の心持ちで、しばらく水晶玉を眺めていた。やがてダーマのおっさんが、堪えきれなくなった様に忍び笑いを漏らし始めた。
「グフッ、クックックッ。レオン、こんなスキルは聞いた事がねーぞ、こりゃスキルって言うより呪いじゃねーか。ギャハハハハッハ、いやスマン、しかし、遠回しで不確かって、ギャハハ、糞の役にも立たんスキルだなーおい!」
「おっさん、ちょっと黙っててくれないか」
オレは、体ごとグリィフィスに向き合った。
グリィフィスは、驚きのあまりポカンと口を開いており、この事実をどう受け止めればいいのか分からない様子だった。
オレの方も何を言えばいいのか、よく分からない。
「なあ、グリィフィス。この旅に、グリィフィスが居てくれて良かったよ」
「……はい。ちょっと混乱していますが、レオンさんにそう言ってもらえて嬉しいです」
照れながら握手を交わすオレ達を、ダーマのおっさんが気持ち悪そうに眺めていた。
生死の境を彷徨ったグランデュエリルは、家臣ケネスの手配してくれた医者の付きっ切りの治療のおかげで命を取り留めた。一度、体調が上向くと十代という若さもあってか、みるみる健康を取り戻していった。
失われた場所が戻る事はなかったが、グランデュエリルは全く気にする様な素振りを、オレ達には見せなかった。
すぐに旺盛な食欲を示し、医者の制止を振り切ってグリィフィスやダーマさんの家臣達と剣の訓練をする様になった。グランデュエリルが屈強な指導教官から初めて一本取って、はしゃぐ様子を見たオレは、旅の再開を決定した。
グランデュエリルがオレの部屋を訪れたのは、いよいよ出発を明日に控え、皆が早々に寝静まった夜中だった。
オレはかなり広い部屋を一人で使っていた。何故だか眠れずに、熟睡するアポロを眺めていた所、遠慮がちにドアが叩かれた。
「おー、グラか……」
「ね、眠れなくてな。ちょっとだけいいか?」
オレはドアを開きグランデュエリルを部屋に入れた。
ブラッククロコダイル・ブーツの件で詰め寄られた時の事を思い出し、オレはクスリと笑った。
あの朝のグラは完全武装であったが、今夜のグラは寝巻を着ている。
その寝巻はかなりゆったりとした作りで、胸の辺りに可愛らしいフリルが、さりげなく縫い付けられていた。
家臣長のケネスという男は、いちいち優秀な男である。
グラは部屋を見回した後に、ベッドの端にちょこんと座った。普段はポニーテールにしている赤い髪の毛は、解かれて背中に垂らされており、洗い立てなのか僅かに湿っている。
オレはベッドのそばに椅子を引き寄せて座った。
グラは後遺症のせいで舌が回らない事が時々あったが、しばらくすれば完治すると医者は言っていた。
「なあー、レェロン、私のせいで旅が遅れてしまったな」
「ああ、そうだな、おかげで毎日おっさんに、こき使われているよ」
「フフッ、優しくない男だなレオンは」
グランデュエリルは髪の毛をいじくりながら、じっと床を見つめている。
「そうだ! レオン、今日私は教官から2本も取ったんだぞ、スゴイだろう!」
「ああ、見てたよ。凄かったな」
「ああ……そうだ。…………うん」
「……」
「……」
しばらく沈黙が流れる。グラは伏せていた目を上げて、脅えた様にオレを見た。
「そ、そうは言うがレェロンは、家臣が3人相手でも勝つじゃないか……レオンは本当に……」
「うん?」
「普段はふざけてばっかりだが、戦いの時は本当に強い。まるで獅子の様に勇敢で、戦いぶりは獰猛な獣の様だ。フフッ、獅子にはもう、うんざりだけどな」
ライオンの様に獰猛な獣。たぶん褒め言葉だろう。
オレは、腰の辺りにドロドロとした熱が湧き上がってくるのを感じた。
さて、どうするか。
グランデュエリルは、オレに抱かれる為にこの部屋にやって来たのだ。
男は、例え抱きたくなくても抱かなければならない時がある。
パートナーにそんな言い訳は許されないが、色んな事が重なって、本当にそういう状況になってしまう事があるのだ。
しかし、隣の部屋には姉思いの弟が眠っている。
いや、それもいい訳か。
どちらが正解かを考えるのは止めて、オレはしたい様にする事にした。
「さあ、明日は早いから、もう寝た方がいい」
オレは立ち上がり、ドアを開けてそう言った。
グランデュエリルは、頬を張られた様にビクリと体を硬直させた。肩をブルブルと震わせて、その顔は明らかに傷ついている。グラは目を細め、ドアに向かって歩き出した。
オレの横まで来た時に、オレは言いたい事を言った。
「なあ、グラ」
「ん」
「相談なんだが、この旅が終わったらグラとグリの二人で、オレの丘に引っ越して来ないか? もちろんベンとグラックスが許してくれて、グリとグラにその気があればの話だが」
「…………」
「返事は、旅が終わってからで構わない」
グラはじっと目を瞑り、少しの間立ち尽くしていた。そして「考えるまでもない」と言った。
「考えるまでもない、お断りだ。ただ弟は、お前の事をずいぶん慕っているようだ。もし弟がどうしてもと言うのならば、付いて行ってやってもいい」
グラは不機嫌そうにそう言うと、ドアを乱暴に閉めて廊下を歩いて行った。
☆☆☆
都心から一時間半ほどの駅のそばで、露天商の二人をやっと見つけた。
もう一人のオレは、ハンナの村に辿り着くまで、あと数日はかかりそうだった。
駅から出ると冷たい空気と共に、壮大な山の景色が飛び込んで来た。
その山は観光地でもあるので、沢山の人で賑わっている。
青年はキルトのひざ掛けを体に巻きつけて、横にいる女性と笑い合っていた。傍らには飲み物とお菓子が、遠足のおやつの様に並んでいる。
オレが、シルバーアクセサリーの並んだ敷物の前に立つと、若い男女は非常に驚く。
「こんにちは。たまたま用事があって来たのだけれど、びっくりしたよ」
「はい、僕たちもびっくりしました。ちょっと事情があってここでやっているんです」
「ふーん、あっちには戻ってくるの?」
「はい、もう少しここに居ますけど」
オレのカバンには、返すつもりで持ち歩いていた銀製品が入っていた。
でも、彼らを探し回っているうちに、だんだんオレは気が変わって来ていたのだ。
オレは敷物を見回した後で、思い切って言った。
「あのさ、いきなり変な事を言ってしまうのだけれど、聞いて欲しいんだ」
「はい?」
「これから二人には、凄く大変なことが起こると思うんだ。でも……オレが、いやあいつが、二人の事はきっと守るし、もし守れなければ、必ず逃がすから、だから信じて一緒に戦ってほしい」
青年とその恋人は、最初は不思議そうに、やがて真剣な顔でオレの事を見つめていた。
オレ達は何も言わずにしばらくの間、見つめ合っていた。そして、お互いが小さく頷き、オレはそこから立ち去った。
十歩ほど歩いた後に、ふと気になったオレは二人の方を振り返った。
青年はお菓子の袋を手にしていた。
そのお菓子はリング状のポテトスナックだった。青年はスナック菓子を、1本だけ立てた人差し指の爪の先に引っ掛けて、何かに憑りつかれた様な虚ろな目で指をじっと見ていた。
オレが見ている事に気が付くと青年はハッと我に返り、照れ笑いをしてからスナックを指に嵌め、ニコニコと手を振って見せた。




