世界は色彩に満ちている
200ⅹ年、帝国とモンサン・カンパニーの血で血を洗う戦争が、すでに十年続いていた。
本国からの無限に近い後方支援を受けて物量で押す帝国側と、中立の契約者を金の力で味方につけ、開発された新兵器や新魔法で対抗するモンサン側。
石版の世界はかつてないほどに荒廃していた。たくさんの丘や町が無人のまま放置され、人々は僅かな食料を手にする為に殺し合いを始めていた。そこにはもはや思想も宗教も何もなく、ただ憎しみと飢えだけが豊潤な大地の上にどっかりと居座っている。
涙も枯れ果てた民衆たちは皆思った。
どうしてこんな事になったの? 誰のせいなの?
その答えは、はっきりとしていた。
全部あいつが悪い。全部あのアフロが悪い。
すべての終わりの始まりはアフロのせい。みんなが犬死していったのもアフロのせい。
絶対にあいつを許さない。
「レオン殿、久しぶりだな。……顔色が悪いが?」
ソフィア・クルバルスの光の鞭を振るうような強い声に、オレは妄想から引き戻された。
「いえ、大丈夫です。お久しぶりでございます、ソフィア姫」
「うむ。少しはダンスを踊れるようになったのかな?」
ソフィア姫はオレの返答を待たずに、両脇に座っている大貴族を紹介した。
右側の物凄い鷲鼻の貴族の方は、ベンのパーティーで見た覚えがあった。左側の方は太っているという以外には特徴のない、温和そうな男だ。
モンサン博士も2人の秘書を紹介してから、円卓に座った。
1人は博士を呼びに来た男で、プラウドという名前の第2秘書だ。
髪の毛をポマードでべったりと張り付かせ、銀行の高級幹部のような冷たく傲慢そうな目をしている。
このプラウドという男が、博士に代わりモンサン・カンパニーの経営面を取り仕切っているらしい。
もう一人は痩せた中年の女性である。こちらは第3秘書で、政治家の様な見栄えのする笑顔でオレに挨拶をしてきたが、目がまったく笑っていない。
はっきり言って、この2人に好感を持つ事は難しいだろう。
オレは異なるグループの中間の椅子に座らされた。
先程モンサン博士の言った、オレに決めさせようというのはさすがに冗談と受け止められたらしく、円卓で議論が再開された。
オレは安堵のため息をつき、話の内容を集中して聞き始めた。
どうやら帝国側から持ち掛けられた、軍縮条約について話し合っているようである。
表面上は和やかな雰囲気を取り繕ってはいるが、博士以外の全員が放っている異常な緊張感は、場合によっては戦争すらありえる事を、オレに感じさせた。
こんな重要な場にオレが居てもいいのかどうか分からないが、博士が招き入れた事がすべてなのであろう。モンサン博士は、帝国側全員分の富を足したよりも、さらに多くの富を個人で所有しているのだ。
そのモンサン博士は話に完全に興味を失って、子供の様に爪をいじくり回している。
ソフィア・クルバルスと第2秘書プラウドの激しい言葉の応酬は、一流の役者による演劇のようだった。事実、演劇と同じような事なのであろう。
「プラウド殿、広大な土地が余っているこの石版の世界で、わざわざ争いを起こすなどというのは、愚か者のする事だとは思いませんか?」
「同意見でございます。しかしこちらの世界では、土地にはたいした価値がないことはソフィア姫もご存じのはず。では価値があるのは何かと言えば人々の知恵と意欲であり、ご提案の条約では向上心の強いモンサンの民衆をとても納得させられません。少なくとも、そのままではね」
「フフッ、土地には価値がない……確かにそうですな。寸土を得る為に10万の軍を動かす皇帝陛下が、こちらの世界の有り余る土地を見たら何と仰られるか」
「はっはっはっ、その時は私もご一緒したいものですなあ。ところで皇帝陛下といえば、先日我らカンパニーから特別製のオリハルコンの杖を献上いたしましたが、愛用していただいていると聞いております」
こんな感じの会話のやり取りが延々と繰り返されている。
全部オレの推測でしかないが、ソフィア姫の戦略は交渉を出来るだけ引き延ばす事のみに主眼を置いているようだ。
そして退屈し切ったモンサン博士が会談を終わらせたいというだけの理由で、帝国に都合のいい軍縮条約にサインする事を狙っているのだろう。
博士の性格と、博士の鶴の一声が絶対的であるという事を知り尽くしての作戦である。
一方、カンパニー側の代表である第2秘書プラウドは、姫の作戦を予測して事前にたっぷりと博士に言い含めて置いたのだろう。長話は歓迎ですよ、という余裕のある表情でソフィア姫の無駄話に付き合っている。
最初の数十分は一言も聞き漏らすまいと耳に全神経を集中させていたオレだが、同じ話の繰り返しにだんだんと退屈をし始めた。他にやる事もないので、話を聞くふりをしてソフィア・クルバルスの美しい顔を鑑賞する。
たまにモンサン博士をチラリと見ると、大きな背中を真っ直ぐに伸ばして、あきらかに別の事を考えている。博士は、自分が指導者としては能力がない事を知り、人に任すだけの度量があるのだ。
よく見ると、博士の巨大な親指の爪が割れて血が滲んでいる。
さっきナッツかたびらを千切ろうとした時に、怪我をしたのだろう。
オレが完全に油断していると、物凄い鷲鼻の大貴族が突然に声を上げた。
「確かにこれでは埒が明きませんな、ハッン。以前レオン殿と変換不能種子について議論した事があるが、公平かつ鋭い意見を言っておられた。博士が仰られたように、レオン殿の意見も聞いてみたいですなあ」
戦火の煤に汚れた少女が舌足らずな声で言う。
「おにい、なぜ人はすぐ死んでしまうん?」
「セーラ、誰かのせいにしたらアカン、生きなアカンのや」
再び始まった頭の中の戦争をなんとか終戦させて顔を上げると、円卓の全員がオレに注目していた。
オレは咳払いを一つしてから、ゆっくりと喋った。
「軍縮条約というのは結んだ所で、お互いが条約の隙間を突く兵器開発に心血を注ぐようになるだけで、あまり意味のないものだと思う。それよりかは両方が得になるような事業を、金を出し合って始めたらどうだろう」
浅い歴史の知識を絞り出すようにして適当な事を言ってみたが、これが思いのほか好評だった。
モンサン博士と鷲鼻貴族がオレの意見に喜んで、新事業についてアイデアを出し始めたのだ。
帝国とカンパニーを繋ぐ街道の敷設や、優秀な若者の交換留学などのアイデアが次々に出始める。特に交換留学に関してはモンサン博士がかなり興味を示し、具体的な事まで話し合いが進み始めた。
すると妙な事が起こった。
今まで激しい舌戦を繰り広げていたはずのソフィア姫とプラウドが、さりげなくではあるが共同戦線を張り始めたのだ。二人して新事業に難癖を付けて、アイデアをことごとく潰していく。
せっかく会話に参加していたモンサン博士が、落ち込んだように大きな背中を丸めていき、やがて元のように自分の世界に引き籠ってしまった。そして、いつの間にか話は、軍縮条約の事に戻っている。
……こいつら、戦争をしたがっているのか?
再びオレの推測でしかないが、ソフィア姫は軍縮の提案をモンサン側に拒否させて、戦争の流れを作りたいのかもしれない。経済と研究力ではカンパニーが勝っているが、軍事力ではまだまだ帝国に分があるというのだろう。
一方、軍縮条約にずっと反対し続けている第2秘書プラウドは、内心では条約を結ぶ事を強く望んでいるのだ。ただし出来るだけゴネて隙間だらけの条約を結び、稼いだ時間を使って大型新魔法でも開発するつもりなのだろう。あるいは帝国側の誰かに大金を積み、条約の提案をさせたのはプラウド本人なのかもしれない。
帝国側もカンパニー側も足並みが揃っておらず、また代表者たちはチームのことよりも自分の権力の増加を優先している様に思える。
ソフィア姫は自分はお飾りだと言っていたが、戦争を利用して一気に本物の王冠を手にするつもりなのだろうか。
もし戦争になれば、それはオレの妄想を越える泥沼の戦争になるであろう。
しかし、はっきり言ってしまえばオレはどっちでも良かった。
現代日本人のオレにとっては戦争イコール悪い事であるが、この世界の人達にとってはそうではない事を、ベンの親友であるオレはよく知っていた。
やるならやればいいのだ。
堂々巡りの議論が再開され、オレは心の中で溜息をついた。
これはでかい声を、どちらが粘り強く出し続けられるかの勝負でしかないのだ。
昔、似たようなゲームに半強制的に参加させられたことのあるオレは、話しを聞くのを止めた。
そしてテーブルの上に広げられている大きな2枚の地図を、惚れ惚れと眺めた。
1つはあちら側の世界の地図で、もう1つは石版の世界の地図である。
ここまで精密な地図を見たのは初めてだった。
オレは仲間たちの国を順番に探していき、その国の形を心に留めた。エリンばあさんの故郷は小さな島国で、フラニーの国は、国境のほとんどが陸に囲まれている。もしかしたらフラニーは海にいったことがないのかもしれない。今度、海に連れて行ってやるかな。
オレが熱心に地図を見ていると、モンサン博士が小さな声で話しかけてきた。
「レオン殿は地図に興味がおありですかな?」
「えーと、仲間の国を探していたんです。この地図は凄いですね。ちゃんと四色で塗り分けられている地図は初めて見ました」
科学雑誌好きなオレは、フェルマーの最終定理や、地図の四色問題等の数学の小噺を無駄にたくさん知っていたので、ついポロリとそんな事を言った。
「はて? 四色とは?」
「……いえ、なんでもありません」
「ふむ。どうも気になりますな、レオン殿」
モンサン博士が身を乗り出して、地図を覗き込んだ。
「確かにこの地図は四色で塗り分けられていますな。今まで気にした事はなかったが……」
モンサン博士が会議をそっちのけにして、地図を眺めはじめた。
博士のただならぬ様子に気が付いた第2秘書が、振るっていた熱弁をピタリと止めて博士を見る。
「ふむ? レオン殿?」
にこやかではあるが、博士の目は早く話せとオレをせっついている。
「えーとですね、地図を国ごとに色分けする時の話なんですが、隣り合った国が同じ色だと見分けにくいですよね? かといって数百ある国を全部違う色にする訳にはいかないので、じゃあ地図を塗り分けるのに何色あればいいのかという問題なんですが。四色だけあればどんな地図でも塗り分けられると、地図職人たちは言うのです」
四色問題と言われていた、かなり有名な話である。
オレの世界ではコンピューターを千時間以上使って証明がなされ、今は四色定理とよばれている。
しかし、あきらかに物理の法則が異なる石版の世界では、どうなのかは分からない。
博士は立ち上がりじっくりと地図を見下ろした。全員が博士に注目しているが、博士は気にもしない。
豊かな髭を撫で回しながら、口の中でぶつぶつと言っている。
「不思議ですなー。バルイド地方などは40近い小国が複雑に絡み合っているが、国境を接する国はちゃんと違う色になっておる。どんな地図でもと言われましたな、レオン殿」
「はい、そうです。飛び領地だけは別ですが」
博士が懐からペンを取り出すと、第3秘書の女性が光速に近い動きで立ち上がり、持ってきた大きな紙を円卓に広げた。博士は、四色問題を初めて知った多くの人がやる事と、同じ事をやり始めた。
紙に、蛇の様な細長い形の国や、歯車の様な国がいくつも噛み合っている空想の地図を描いていき、それを色分けしていく。しばらく考え込んだ博士は、四角い煉瓦を積み上げたような絵を描いていき、それも四色で色分けしていった。先程までのぼんやりとしていた博士は、もういない。
「レオン殿、これは数術的な証明はされているのですかな?」
「…………いえ、人間の力では、まだだと思います」
「ふむふむ」
モンサン博士が秘書2人をチロリと見ると、秘書達は知らないと言う風に首を振った。
博士は立ったまま物凄いスピードで古代文字の数式を書き始めた。たまに腕組みをしながら髭を撫で付けて、また数式を書き始める。割れた爪から溢れ出た血液が、数式の上にボタボタと垂れていたが、博士はそのことに気付かない。
円卓に座っている面々は、狂ったように数式を書き続けるモンサン博士をただただ見つめていた。
無言のまま30分ほど経った頃に、ソフィア姫が静かに口を開いた。
「モンサン博士、お邪魔して申し訳ありませんが、条約の話しを続けても?」
「…………はて? 何の話でしたかな?」
「軍縮条約の事です」
「軍縮? あーあー、わかりました調印しましょう、プラウド、準備を」
モンサン博士はそれだけ言うと、数式を書く作業に戻った。
博士の言葉を聞いた秘書2人が、椅子を蹴倒す様にして立ち上がり、プラウドが顔を真っ赤にして声を張り上げた。
「博士! 何を仰います!」
「……」
「博士! お考え直しを――――」
「研究中の私に、同じ事を2度言わせる気ですか?」
先程までの穏やかさとは打って変わり、爆発寸前のニトログリセリンのような声だった。
第2秘書プラウドは顔を青ざめさせて、床に膝を付いた。
「こ、これは失礼を、すぐに準備を致します」
「それがいいでしょうね」
かくして帝国とモンサン・カンパニーの間に、平和条約を含む軍縮条約が結ばれる事となった。
プラウドが調印の準備をする間、他の者は別室に移動する事になった。
秘書室の第13番秘書アルバに案内されて、細長い廊下を歩いて行く。
オレは早く帰りたいなと思いながら、一団の少し後ろをトボトボと歩いていた。
廊下の赤い絨毯は相変わらずフカフカで、心を落ち着かせるような静かな音楽が、遠くから聞こえてくる。
帝国貴族に両脇を挟まれていたソフィア姫が歩速を緩め、少しずつオレに接近してくる。
オレはトボトボと歩いていた足をさらに遅くして、ソフィア姫との距離を保とうとした。
しかしソフィア姫はさらに歩速を緩め、ついには立ち止まった。
仕方なく俯いていた顔を上げると、ソフィア姫が護衛のエルフに先に行けと手を振っている所だった。
「嫌われてしまったかな? レオン殿」
ソフィア姫はこの間と同じように、三つ編みにした栗色の髪の毛をカチューシャのように頭に巻いている。相変わらずの、人を狂わすような神々しい美しさだ。
「いえ、あなたの事を嫌いになれる男など、いないのでは?」
「フフッ、私もついさっきまではそう思っていたがな」
二人並んでゆっくりと歩き出した。
ソフィア姫は愉快そうに笑みをたたえている。
「今日のおぬしのダンスはなかなかであったな。そのおかげで最高とまではいかないが、かなり良い結果を得る事ができた。あのプラウドという男は油断が出来ん」
「……はあ、そうですか」
「フフッ、言いたい事は分かっておる。くだらん茶番劇を長々と見せてしまったからな。だが、あれが政治という物だ。今日はレオン殿に借りが出来たようだな」
ソフィア姫の肩が、わずかにオレにぶつかった。
その肩は想像していたよりもずっと華奢で、若い女の柔らかさを持っていた。
すっかり忘れていたが、ソフィア姫はオレよりも年下なのだ。
「まあ、何にしても良かったです」
「……フ、くだらん踊りだと分かってはいるがな。父上が男子を作る事をあきらめたその日より、ずっと踊り続けているのだ、今更止める事などできない」
第4帝位継承者の一人娘、ソフィア・クルバルス。
継承権を継ぐ可能性の高いこの娘は、国の法により結婚することが許されない。
オレは、気高く美しいソフィア姫を、少しからかってやりたくなった。
何故そんな気になったのかは分からない。毎日、からかって遊んでいるフラニーと、同じお日様の匂いがソフィア姫からしたからかもしれない。
「ダンスの下手糞な男とダンスを踊ったら、あるいはダンスが終わるかもしれん」
オレの言葉を聞いたソフィア姫は、立ち止まって目を丸くした。
そして高らかに笑い「面白い、おぬしはやはり面白い」と言いながら、皆の待つ部屋に入っていった。
サロンの様な場所でしばらく時間を潰していると、モンサン博士の秘書達がワラワラとやって来て、調印の準備が整った事を告げた。
帝国貴族たちが席を立ちドアに向かったが、オレはそのまま座っていた。
ふと視線を感じてドアの方を見ると、ソフィア姫がオレの事を見ていた。
ソフィア姫はすぐに視線を逸らし、サロンから出て行く。もう会う事はないかもしれない。
部屋に一人きりになったオレは、ランドセルから帰還の塗り絵を取り出した。
赤いクレヨンを使っていると、突然目の前から声をかけられた。
びっくりしてクレヨンを床に落とし、顔を上げると、そこには第2秘書プラウドが無表情で立っていた。
きっちりと整えられていた黒い髪の毛が、疲れの為かやや乱れている。
「レオン殿、モンサン博士より伝言でございます」
感情の籠らない冷たい声でそう言った。
「なんでしょうか」
「博士はまずお詫びの言葉を口になされました。招待したにもかかわらず、ほとんどお相手できず申し訳なかったと。次に地図の話をしてくれた事を感謝しておられました。最近面白い研究対象が見つからなかったが、楽しめそうだと。お礼にこれをお渡しする様に言われました」
プラウドは小さな巻物をオレに手渡した。
「その巻物はカルゴラ・シティーにあるゲートの、特別使用権です。優先的にゲートを使えるだけではなく、本来ならカルゴラの街に納める高額の手数料も免除になります。ゲートにとてつもない金額の出資をしているカンパニーですら、そう何枚も持っている代物ではございません」
「あ、ありがとうございます」
「いえ、博士からのお礼です」
プラウドは床に落ちていた赤いクレヨンを拾い上げた。
そしてプラウドは、受け取ろうと伸ばしたオレの手を無視して、歯の隙間から絞り出すような声を出した。
「調印の事はまあいいでしょう。後で何とでもなることです。しかし、もう一つの方は許し難い。博士には、やってもらわなければならない研究が山ほどあるのに……。あの様な何の意味もないパズル遊びに、博士を夢中にさせおって。……恨みますぞ、レオン殿」
握り潰されてグチャグチャになった赤いクレヨンが、プラウドの指の間からボトボトと床に落ちて、真っ赤な新しい国を床に描いた。
プラウドはそれだけ言うと、オレを残してさっさと部屋を出て行った。
オレはしばらく呆然としていたが、気を取り直して塗り絵の続きを始めた。
赤のクレヨンがなくなってしまったので、オレは替わりに茶色のクレヨンを手に取った。
その茶色は、ソフィア姫の髪の毛の色に少しだけ似ていた。




