モンサン・バードリーの長い腕
モンサン・カンパニーのボスからの手紙は、お茶の誘いだった。
細かい事は何も書いておらず、ただ日時の指定と来れるか来れないかの返事の方法だけが、簡潔に書かれていた。家のみんなに手紙を見せベンとも話した後で、オレは誘いを受けるという返事を送った。
約束の日。
午前中の農作業を終えて昼飯を食べた後、監視塔の上で寝転がって時間を潰していた。
何か作業をしようと思ったのだが、約束の前というのはやはり落ち着かないものである。
エリンばあさんが横でゆっくりと弓矢の手入れをしながら、オレの愚にもつかない話しに相槌を打ってくれる。
「そういえばベンの丘がまたでかくなってるねえー、ありゃもう村っていうより町だな」
「ですじゃな。ここからだとベン殿の丘の様子が良く見えますが、みな活き活きと働いておりますじゃ」
「そっかー」
テーブルの上で、死んだように眠るアポロをチラリと見た。
「レオン殿は、住民を呼ぶ事に興味がないようですじゃな」
「うーん、面倒くさそうなんだよな。鉱石農場として必要が出てきたら呼ばざるを得ないけど」
エリンばあさんが弓の手入れをする所作は、一つ一つがとても美しい。
「あたしはいくつかの丘で働いて来ましたが、契約者の多くは王様のように振る舞いたがるものですじゃ。後宮のような場所を作り、たくさんのおなごを囲う者を珍しくはありません。レオン殿がそういう事を望むのならば、あたしは反対しませんよ。子をなす事は、重要なことゆえ」
「うーん、ハーレムか。面倒くさそうだなあ。それにエリンばあさん以上の女性なんて、見つかるとは思えん」
「ほっほっほ」
気持ち良さそうに眠る、アポロの鼻の穴を指で塞いでみた。
そして眠ったまま口をアグアグと開けるアポロを見ながら、アポロの嫁さんを探すというのはありかもしれないな、と思った。
「どんな人なんだろう。モンサン・スタン・バードリーというのは」
「良くない噂も、良い噂も両方聞くお方ですじゃ」
「うーん、気が重くなってきたなあ。このまま寝ちゃおうかな」
「ほっほっほっ」
約束の時間ピッタリに水晶玉に登録をすると、すぐにオレは召喚された。
城壁の外側に召喚されたようでクリーム色の高い壁が、目の前にあった。
門の前に居た軽装の兵士が、すぐに駆け寄って来る。
「レオン様ですね、私はモンサン博士の356番秘書のリテスと申します。ご案内させていただきます」
「レオンだ、よろしく。ちょっと待ってくれるかな」
オレはクリーム色の城壁から背を向けて、モンサンの丘から見える風景を見回した。
荒地というのだろうか。
丘の回りは草原ではなくて、痩せた土地が広がっている。大きな岩石がゴロゴロと転がっており、低い繁みがちょぼちょぼと地面に張り付いている。
そして荒地の向こう側には見間違えようのない砂漠が続いていて、かなり遠くの方に蜃気楼のような都市が見えた。指を差しながら、リテスという兵士に訊ねる。
「あの、薄っすら見えている都市はなんだろうか?」
「はい、あそこがカルゴラシティーでございます。ご覧になるのは初めてでございますか」
「ああ。ここから見えるんだな」
「ええ、カルゴラシティー付近では、ゲートに影響が出る石版の所持や使用が禁止されていますが、モンサン博士の丘はカルゴラに最も近い丘のうちの一つです」
「……そうなのか」
オレが色々と考えを巡らしている間、リテスは何も言わずに待っていてくれた。
リテスに頼まれたので鋼の爪を外してランドセルにしまってから、大きな門を潜った。
門の中に入ってすぐに城壁内部の階段を上り、城壁の上に出る。
そして、渡り廊下の様な橋を渡り、対岸のもう一つの城壁に辿り着いた。
2枚の城壁の間にはカーブを描いた細長い畑がある。ドーナツ状の畑と城壁が都市全体を、グルリと囲っているようだった。
「変わった畑に思えるが……」
「ええ、この畑には仕掛けがありまして、いざという時にはあっという間に水堀にする事が出来るのです。博士の使う畑は『馬小屋』の中にあります」
「馬小屋?」
「失礼しました、馬小屋というのは博士の研究所兼、宮殿の事です。博士がお若い頃、ずっと馬小屋で研究していた事にちなんで、我らモンサン人は今でもそう呼んでおります」
「なるほど」
部外者のオレに何の躊躇いもなくリテスは教えてくれる。
話しながらリテスの後に続いて歩き、二つ目の城壁から巨大な町に下りた。
……モンサン人ときたか。
たぶん大きな水源もあるのであろう。ぶ厚い城壁に自給自足能力を兼ね備えたこの城塞都市は、その気になれば百年でも籠城出来そうだった。
町の外側は細い道が入り組んでいたが、そこを抜けると碁盤の目の様な規則正しい道に変化した。
道の両側には3、4階建のクリーム色の建物がびっしりと並んでいる。
しかし、この町は所々に違和感があふれている。
まず家のドアが不必要に大きくて、ハービーでもすんなり通れそうなほどである。
そして、なんというか町全体が丸っこいもので統一されているのだ。家や家の柱、街灯や店の中にあるテーブルなどの目に付く物すべてが丸みを帯びており、角張った物を見つける事すら難しい。
次におかしいのが異常な数の喫茶店だった。
少し進むごとにお茶を飲めるような店か、お茶を売っている屋台が途切れる事無く立ち並んでいるのだ。最初は単にお茶好きな住民なのだろうと思ったが、やはり多すぎる。
一番不自然なのは、道や広場のあちこちに色々なタイプの椅子が置いてあるのだが、子供以外は誰も座っていないのだ。普通の木の椅子にパラソル付の高級ソファー、ロッキングチェアに縦長のベンチ。そのどれもが誰も座っていないというだけでなく、ピカピカに磨き上げられている。
「リテスさん、気を悪くしてほしくないのだが……」
オレは疑問に思った町の様子を、案内の兵隊に聞いてみた。
すると極めて明快な答えが返ってきた。
「家のドアが大きいのはモンサン博士が非常に背の高いお方だからです。博士はそろそろ初老と言ってもいいご年齢ですが、背筋は相変わらず真っ直ぐのままであります。店が多いのは博士がお茶が好きだからであり、椅子がたくさん置いてあるのはモンサン博士が散歩中に休息できるようにです。博士の研究の半分は散歩をしながら行われます。この町ではモンサン博士の研究が、どんな事よりも優先されるのです」
モンサン・スタン・バードリーがまだ若く、丘も村ぐらいの大きさでしかなかった頃から、モンサン博士は歩きながら物を考えたという。何時間も徘徊をし続け、疲れれば地べたに座り込み、思案に夢中になり始めるとありとあらゆる場所に頭を頻繁にぶつけるせいで、常にたんこぶを作っていたという。
博士のことを支え続けた初期の住人達が、徐々に町を丸く作り変え、自分の家の前に博士が小休止するための椅子を置き始めたのだと。
「なるほど。そいえばリテスさんは、何番目かの秘書だと言っていましたね」
「ええ、356番秘書です。この町の住人は本業の他に、必ず秘書としての番号があるのです」
番号か。
なんだか強烈な身分制度のようだな。そう思っていると、オレの心を見透かしたようにリテスが話した。
「番号と言ってもその大きさが何かを意味する訳ではありません――――おい、肉屋、ちょっとこっちに来てくれ」
リテスが広場に居た男を呼びつけた。
肉屋と呼ばれた男は薄汚れたエプロンを付けており、不機嫌そうな顔でこちらに近づいてきた。
「なんだ、リテス。オレは忙しんだよ」
「暇そうじゃないか、こちら博士のご客人だぞ」
リテスが少し得意げにそう言うと、肉屋はあきらかに態度を変えてオレに頭を下げた。
「肉屋、お前何番だ」
「はい、私は30番秘書でございます」
「おしかったな、肉屋のくせに30番か。もう少しで29番だったのにな。後で店に行くから角無牛の良い所を残して置いてくれよ」
リテスが不躾に手を振ると、肉屋は舌打ちをしてから去っていった。
たぶん友達なのだろう。
「レオン様、失礼いたしました」
「いや、よく分かったよ。ありがとう」
「秘書としての番号は、モンサン博士に尽くしたいという気持ちの現われでして、まあ正直な所、形だけの物です。権限の発生する一桁台だけは話が別ですが、おっとそろそろ馬小屋に到着します」
リテスと一緒に空堀の橋を渡り、小さめの城壁を抜けると、タージマハルのような宮殿が見えた。
「すごいな、これが馬小屋か」
「ええ、なかなかでございましょう。一部を除いては、住人なら誰でも入る事が出来ます」
綺麗に整備されており、塵一つ落ちていない宮殿への道を進んで行く。
「博士はずいぶんと、住人達に慕われているようだね」
オレがそう言うと、リテスは苦笑いをしながら答えた。
「いえ、まあそうですが……普段の博士は温厚で素晴らしいお方ですが、何か夢中になれる研究対象が見つかると、人が変わってしまうのです。モンサン博士の研究を少しでも邪魔するというのは、この国では死罪に等しいのです」
「ふむ」
「ええ、この国で子供が一番最初に教えられることは、散歩中のモンサン博士にこちらからは絶対に話しかけてはならないということです。特にぶつぶつと言っている博士には絶対に関わってはいけません。もし邪魔をすれば、私たちは子供と言えども容赦はしません」
それは恐ろしいだろうな。
街中を時限爆弾が徘徊しているようなものである。
リテスとオレは馬小屋と呼ばれている宮殿の中に入った。宮殿の中は何所からか射し込んでいる光りで非常に明るく、敷き詰められている赤い絨毯はくるぶしまで埋まってしまいそうなほどフカフカだった。いくつかの廊下を曲がり階段を上がった。
「レオン様、私はここまででございます。正面のドアにお入りください」
「うん。ありがとう」
リテスと別れ、ドアに向かう。リテスの朗らかな性格とモンサン博士に対するざっくばらんな物言いに、別れるのがおしいほどの親しみを感じていたし、それは博士に対する好感にも繋がっていた。
秘書番号は形ばかりと言っていたが、あの兵隊は助力者としての仕事もきっちりとこなしたようだった。
ノックをしてからドアを開けると、中ぐらいの部屋に若い女性が立ったまま、オレを持っていた。
「13番秘書のアルバと申します。レオン様、どうぞお座りになって下さい」
オレが言われるがままに革張りのソファーに腰を掛けると、アルバという女性が深々と頭を下げた。
赤い髪のアルバは、スーツの様な服を着ている。
「レオン様、大変申し訳ありません。レオン様とのお約束の時間が来ているのですが、一つ前の会合が予想外に伸びております。少しお待ちいただけないでしょうか?」
「……構わないよ」
オレがそう言うと、どこからともなく現われたメイド達が、ソファーの前のテーブルに果物やお菓子を山の様に並べお茶をいれてから去って行った。
「なにかありましたら、私に申し付け下さい」
13番秘書は申し訳なさそうに言ってから、少し離れた机に座り書類仕事を始めた。13番秘書の使っているテーブルも、やはり角がちゃんと丸くなっている。
お茶を飲みながら十分ほど待っていると、秘書が一言詫びて、入口のドアから出て行ってしまった。
部屋に一人きりになったオレは、その隙にテーブルの果物をバクバクと食べまくり、さらに高そうな菓子を布に包み始めた。すると、奥の黒光りしている重厚なドアが何の前触れもなく、ガチャリと開いた。
オレはそちらの方を見ずに、さも当然の事をしているかのような素振りでお菓子をランドセルにしまった。ソファーがずしりと沈み込み、隣に誰かが座った事が分かる。
オレは心臓の鼓動が静まるのを待ってから、隣を見た。
ソファーの隣には、アメリカ大統領リンカーンのような豊かな髭を生やした大男が座っていた。
大男は黒いスーツを着ていて、なぜか上着の下にナッツかたびらを着込んでいる。
男はテーブルの上の何かをじっと集中して見ており、オレに気付いているのかどうかさえ分からなかった。
大男は、はっとしたように顔を上げてから、ナッツかたびらを引っ掴み、ナッツの一つを引き千切ろうと手に力を込めた。しかしナッツかたびらは、そんなに簡単に千切る事は出来ないので、男の顔が徐々に赤くなりはじめる。
訳がわからずに固まっていると、入り口のドアから秘書のアルバが部屋に戻ってきた。
大男を見たアルバは一瞬ぎょっとした後に、豹のような素早さで動き出す。
アルバは引き出しからペンチの様な道具を取り出してから男に近寄り、ペンチを奪い取ろうとする男の長い腕を巧みに躱して、ナッツを一つだけ千切り取った。そしてダイヤモンドナッツを男の手に握らせた。
おそらくモンサン・バードリーであろうと思われる大男は、ダイヤモンドナッツをしばらく凝視した後に、ヒョイと口に放り込んだ。そして、金属が付いたままのナッツを静かにしゃぶる。
「うむ。やはり素晴らしい。ベン君の作ったダイヤモンドナッツの事は知っていたが、それをこんな風にすることは思いつかなかった」
海の底から響いてくるような深みのある低い声である。
「レオン殿、待たせてしまって申し訳ない。だから皆に言っているのだ。古代数術や精霊学の知識ばかり詰め込んでも無駄だと。発明とはまさにこのような事なのだと」
大男はゆっくりとした調子で、脈絡のない話し方をした。
秘書のアルバは机に戻って書類仕事を再開していたが、ほとんどの注意力をこちらに向けているのがビリビリと伝わってくる。
重厚なドアが再び開き、別の男が部屋に入ってきた。
「モンサン博士。部屋にお戻りください」
「あの人たちを何とか追い返せないのかね? 向こうの要求を飲んだらいいじゃないか?」
「博士、そのことについては何度もお話したはずです」
「君、次のお客様を待たせているのだよ」
モンサン博士を呼びに来た男は、石ころを見るような目でオレの事をチラリと見た。
おもむろに立ち上がったモンサンが、オレに笑いかけてから手を引っ張った。
「レオン殿よければ、私の部屋にお入り下さい」
モンサンはそう言って、ぐいぐいとオレの腕を引っ張った。
奥の部屋はかなり広く、テレビで見た社長室のような雰囲気である。
真ん中に大きな丸テーブルがあり、4、5人が座って厳しい顔でこちらを見ている。
円卓に座っている面子を見たオレは、頭がクラクラとするのを感じた。
そこには第4帝位継承者の一人娘ソフィア・クルバルスと、服装から大貴族と思われる帝国貴族が二人座っていた。後ろには護衛であるエルフの魔法使いが立っている。
オレの事に気が付いたソフィア姫が微かに笑う。
機嫌が良さそうに笑っているモンサン博士が、長い腕をオレに向けて無邪気に話し始めた。
「このレオン殿は帝国側でもカンパニー側でもない、言わば中立国でしょうな。いつまでも話し合っていても埒が明かないので、いっそレオン殿に決めてもらいましょうか、ふぉっふぉっふぉ」
……おい、止めろ。




