決まってるじゃない?
自分の手の平が、かろうじて見えるほどの暗闇の中にオレはいた。
最初の数時間はまさか閉じ込められたとは思っておらず、それよりも襲い掛かってくるかもしれない敵の存在に注意していた。
三回目の簡素な食事をした時に、初めて自分が閉じ込められていることに気付いた。
食糧袋には数週間は不自由しないだけの量が入っていたが、重要な物が二つ入っていなかった。
眠る時に外して入れておいた鋼の爪と帰還の塗り絵が、いつの間にかなくなっていたのだ。
オレは冷たい石の上に仰向けになっていた。
そうやって寝転がってぼんやりと思考を彷徨わせていると、自分が眠っているのか起きているのかすらあやふやになってしまう。
ユキという女性はどうしてこんな酷い事をするのだろうか。
気づかぬうちにオレの方が何か怒らせるような事をしたのだろうか。
ユキと出会ってからの行動を始めから思い出そうとしたオレは、ブンブンと頭を振った。
もう何度も何度も考えたが何かあるはずがない。
無駄なだけだ。
オレは立ち上がり、黒い煉瓦の壁を叩き始めた。
最初の数日間は薄暗い石の牢獄を隅から隅まで調べてみたが、何も見つけられなかった。
なにかやる事がないと気が狂ってしまいそうなので、オレは壁をしらみつぶしに攻撃してみる事にしたのだ。壁を叩き始めてからすでに数日、あるいは数時間が経っていたが拳から血が流れた以外はなんの成果もなかった。
実は、ほぼ確実にこの牢獄から抜け出せる方法が一つだけあった。
それは自分で自分の命を絶てばいいのだ。
死にさえすれば、侵入者であるオレは自分の丘に帰る事が出来る。
帰還の塗り絵を塗るよりも簡単なぐらいだ。
しかし実際にそれをやるにはいささか問題があった。
鋼の爪をとられてしまったので手段がないのだ。まさか壁に頭を打ちつけて死ぬわけにはいかないし、せめて引っかけられるような場所があれば着ている服をロープのようにするという方法があるのだが。
ふと気付くと、オレは一時間ぐらい自殺の方法について考えを巡らしていた。
……いかんいかん、それは最後の手段だ。オレはこの塔の攻略をまだあきらめた訳じゃないぞ。
オレは再び根気よく黒い壁を叩き始めた。
暇つぶしに色々な事を思い出してみる。
牢獄に何十年も閉じ込められた後に、世界を変えた指導者がいたはずだ。
だが、名前が思い出せない。
チェ・ゲバラは違うし太公望も違うだろう。
クライド・バロウも違うしウッド・チャックも全然違う。
あれはたしか……
「ネルソンマンデラ!」
拳を叩きつけた壁の煉瓦がピキリと音を立てた。
はがき大の黒い煉瓦には、乾いた血がこびりついている。
オレはその黒い煉瓦を集中して、殴り始めた。
5分ほどしてあきらめかけた頃に、煉瓦がボロリと割れて床に砕け落ちた。
目の高さに出来た四角い穴を覗き込むと、ホテルのルームナンバーの様な4ケタの数字と小さなボタンがあった。1234となっている数字は、ダイヤル錠のように回転させて番号を変える事ができる。
しばらく考えた後で、オレは適当な数字に変えてから小さなボタンを押してみた。
レジスターを開けた時の様な、チーンという音がした。
空間が揺らぎ明るい光が満ち溢れたが、不思議と眩しさを感じなかった。
周りを見渡すと、そこは図書館だった。
きちんと管理されている図書館だけが持つ神聖な雰囲気が、暗闇で荒んでいたオレの心に染み込んでくる。
オレは少しの間、自分の状況も忘れて図書館を散策した。
かなり大きな図書館である。本がぎっしりと詰まった棚がずっと向こうの方まで続いており、無限に近い活字たちが次に読まれる時を、待ち侘びながら息をひそめている。
ジーパンやスーツをきた人間が、図書館にはたくさん居た。
試しに手を触れてみると、まるでお化けのように何の抵抗もなく手の平がすり抜けた。
オレはまず出口を探すことにした。
本棚の間を歩き、なじみ深い恰好をした男女の幻をすり抜けていく。
エプロンを着た図書館司書に付いていくと、貸出カウンターに辿り着いた。
カウンターの横にある大きな振り子の置時計の上に、館内図を見つけた。
出口の場所を覚え歩いていくが、なぜか出口に辿り着く事が出来ない。
カウンターまで引き返しもう一度館内図を見ると、さっきとは微妙に変化しているようだった。
出口を探して一時間ほどウロチョロしているとレジスターのなる音が聞こえ、オレは暗闇の牢獄に戻された。
すぐにダイヤル錠に駆け寄り、適当な数字を並べボタンを押す。
また図書館の同じ場所に移動した。
どうせ閉じ込められているのなら、こちらの方が百倍はマシだった。
再び探索を始めると、自習室を発見した。
一生懸命に勉強をしている数十人の若い男女の顔を確認していくと、一番後ろの席にユキが座っていた。彼女は制服の上に紺のセーターを着ており、数学の解答をノートに書きつけていた。
鉛筆の擦れるコリコリという心地の良い音が、自習室の静けさを際立たせている。
制服を着たユキには触る事が出来ず、話しかけても反応がなかった。
試しに耳元で大声を出してみたが、聞こえていないようである。誰かの咳払いが聞こえた気がしたが、誰かはわからない。制限時間の終わりを告げるチーンという音が鳴った。
オレは数日間、図書館を探索する事とユキの隣の椅子に座る事で時間を過ごした。
一定時間で牢獄を行き来しなくてはならないのが面倒くさかったが、オレは不思議とこの生活が気に入り始めていた。自習室には若くて綺麗な女の子が沢山いるし、その中でも群を抜く美しさのユキはいつもオレの隣に座っている。
図書館の本は触る事が出来て、開いてみるとちゃんと文章が書いてあった。
本があれば退屈する事はない。これらはユキが読んだ本なのだろうか。
ユキは数学の勉強を飽きる事無く続けていた。
こんなに綺麗な女の子が同じクラスにいたら、毎日が楽しいだろうな。
あるいは逆に辛いのかも知れない。
いずれにしても年を取ったオレには終わってしまった事だった。ほとんど始まる事もなく、あっという間に終わってしまった。
ユキにはこれから楽しい事が一杯あるはずなのに、なぜこんな事をしているのだろう。
ユキはノートに数式を書き続けていたが、たまに一人言のような一文を書きつけていた。
最初に見つけた時は、ここを抜け出すヒントなのかと思い胸が高鳴ったが、そういう訳ではなさそうだった。数式の中に紛れ込ませた文章は、解答の一部のようだった。
「お母さんは今日も遅いのかな」
「どうしよう」
「私は狂っているの?」
「誰か、助けて」
こんな感じだった。
レジスターの音が鳴り、また暗い牢獄に戻された。
オレはすぐにダイヤル錠をいじり、図書館に戻った。そういえば、もうずいぶん長く何も食べていない。
いつものスタート地点から自習室に向かっていると、貸出カウンターの横にある高さ1メートル以上の置時計が、ふと目に入った。時計の針は6時42分ぐらいを指している。確か前に見た時も同じ時間だった気がする。オレは腕組みをして、しばらく時計を見つめていた。
振り子の部分は動いているが、時計の針が動いていない。
オレは壁にくっついている振り子時計を両手でずらし、背中の蓋を開けて内部の機械装置を露わにした。歯車が複雑に絡み合い金属製の細長い棒がピクピクと動いている。30分ほどいじくり回してみたが、とても直せそうもない。
ここは図書館なのだから時計や機械修理の本が当然あるだろう。
そう思い機械工学の棚まで早歩きで行ってみる。
それらしき題名の本を見つけて中を開いたが、真っ白なページだけが永遠と続いていた。
表紙の裏側に子供の描いたような鉄腕アトムの落書きと、写真のようなミシンの絵だけが描かれていた。
本をあきらめて振り子時計に引き返していると、百科事典のようなぶ厚い本が一冊だけ半分飛び出ていた。気になったオレはその本を引き抜いてみた。
すると本を抜いてできた隙間の奥に、ポロシャツの襟のような物が見えた。
3、4冊の本を纏めて引き抜くと、青白い顔の男の死体がオレの事を凝視していた。
本を元に戻し、逆側の棚の本を引き抜いてみると、そこにも見知らぬ女の死体があった。
オレは小走りでそこを立ち去り、振り子時計の修理を始めた。
学生時代にパチンコ屋でアルバイトをしていた頃に、パチンコ台の簡単な修理をしていた。機械というのは見かけほどは複雑ではないはずだ。
そう信じて修理を続けていると、歯車がカチリとはまる音がした。
正面に回り込んで時計の分針をじっと見ていると、わずかだが確かに動いている。
そのまま時計を見続けていた。
時計の針が6時45分を指した時に、突然鐘の音が鳴り響いた。
そして閉館時間が迫っているというアナウンスが流れた。
人々が一斉に本を片付け始め、貸出カウンターに列が出来はじめる。
オレは大急ぎで自習室まで走った。
コートを羽織り鞄を肩に下げたユキが、自習室から出てくる所だった。
ユキはやや疲れた表情で本棚の前を歩き、オレはそれにピッタリとついて行く。
ただの壁だったはずの場所が出口になっていて、ユキと一緒にあっさりと外に出る事が出来た。
外に出たユキは寒そうに身を縮め、コートに首を埋めた。
外は暗く、雪がチラチラと降り始めている。
オレがキョロキョロしているうちにユキが先に進んでいた。
慌てて追い駆けて、横に並んで歩く。
ありふれた都会の大通りを、ユキは慣れた様子で歩いて行く。
駅に向かっているのだろうか。
途中、工事現場に道を阻まれたユキは右に曲がった。
曲がった道を進んでいると、また別の工事現場に行き当たった。
ユキの幻影は、少し迷ってから別の道に入った。
その道は人気のない薄暗い道だった。
凍り付いたアスファルトをコツコツと鳴らしながら、ユキは足早に歩いていく。
前方に車高の低い外車が、ポツンと駐車していた。
ユキが車をチラリと見たので、オレもつられて車のナンバープレートを見る。
白い息を吐きながら歩くユキが、無人と思われていた車の横を通り過ぎようとした、その時。
突然、車のドアが開き、若い長髪の男がユキの後ろに立った。
肩越しに後ろを振り返ったユキが、驚愕に目を見開く。
「やめろ!」
重そうな警棒がオレの伸ばした手をすり抜けて、ユキの後頭部に直撃した。
操り人形の糸が切れた様にユキが崩れ落ち、車のタイヤに倒れ込む。
長髪の男は恍惚の表情を浮かべ、血を流すユキを見下ろしていた。
必死になって男の顔を殴りつけるが、拳がスカスカと空を切る。
男が警棒をもう一度振り上げた時に、曲がり道の向こうから携帯電話が鳴る音が聞こえた。
舌打ちをした男がユキの頭を蹴り付けてタイヤからどかし、車に乗り込み去っていった。
フラフラとユキの側に膝を付くと、場違いなレジスターの音が鳴り、オレは再び牢獄に戻された。
その後オレは、ユキが撲殺される場面を23回ほど見た。
最初に見た後すぐに、車のナンバープレートをダイヤル錠にセットしてみたが、図書館の閉館の鐘が鳴る場面から再び寸劇が始まった。そんな物を見たくはなかったが、ダイヤル錠を解除する数字が必要だった。図書館や道路や車の隅々まで調べ、見つけた数字をセットしてみたが、どれも外れだった。
あれから何日経ったのか、もう分からなくなっていた。
オレは冷たい床の上に寝転がり続けていた。
もうオレに出来る事は何も残っていなそうだったからだ。
オレは静かに目を閉じ、もう一人のオレが行動を起こすのをじっと待ち続けた。
☆☆☆
車のナンバープレートから男の名前と住所を探し出した。
実在する長髪の男を初めて見た時、オレは煮えたぎる怒りをなんとか押さえつけた。
すべてがオレの妄想であるという可能性を、どうしても否定できなかったからだ。
すでにオレは狂っていて、自分に都合のいい情報だけを探し出し、妄想を膨らませているだけなのかも知れない。オレは何もせずに、長髪の男の尾行を始めた。
その日の男は様子が変だった。
いつもの友好的な笑みが影を潜め、変わりに残忍そうな顔を剥き出しにしていた。
高級車に乗り込んだ男は乱暴にドアを閉め、夜の街を徘徊し始めた。
オレは距離を取ってスクーターで追いかける。
男はいつものように、道行く女を品定めするようにノロノロと車を走らせていたが、急にスピードを上げて細く暗い道に回り込んだ。
ショートパンツを履いたよく日焼けした女が、イヤホンで音楽を聴きながら、暗い道を歩いている。
長髪の男は車の座席を倒し姿を隠している。
女が車を通り過ぎた瞬間に、男が静かに車から降りた。
そして女の頭に向けて、どす黒い警棒を振り上げた。
「おい」
忍び寄ったオレが声をかけると、男は驚きで飛び上がった。
慌てて警棒を隠し、周囲を確認する。
何も気付かなかった女が立ち去るまで、オレは無言で男を睨みつけていた。
長髪の男は隙があればオレに襲い掛かろうと、腰をかがめている。
オレは自分でも驚くほどの静かな声を出した。
「お前は誰なんだ? セムルスの手先なのか?」
「は? なに言ってんだ?」
恐怖に脅えていた長髪の男が、オレの事をジロジロと観察し始めた。男が徐々に落ち着きを取り戻し、薄ら笑いを浮かべ始めた。
「お前いきなりなんなの? なんか文句でもあるの?」
「……」
「お前さ、ちゃんと鏡で自分の顔見た事ある? どう見ても変な薬やっているようにしか見えないぞ、せめて髭ぐらいは毎日剃ろうよ、ハハッ。ねえ、用がないんならもう行っていいかな。文句があるなら一緒に警察行ってもこっちは構わないよ。一応、言っとくけどこっちは真面目な大学院生だからね、あんたはなんなの?」
オレが黙り込んでいると、男は鼻で笑い飛ばしてから車のドアに手をかけた。
オレは両手に着けていた軍手の上にメリケンサックをはめ、男の鼻を軽く叩いた。
男が振り下ろしてきた警棒を躱し、左フックを顎に叩き込む。
数えるほどしか喧嘩をした事のないオレが、全く無駄のない動きで男をアスファルトに沈めた。
意識を半分刈り取られた長髪の男は、ぼんやりとオレを見上げている。
オレの背負っているナップザックには、薄いファイルが入っていた。
そのファイルには、ここ数日の男を撮影した写真といくつかの通り魔事件の新聞切り抜きなどが入っている。男を縛り上げて脅した後に、ファイルと警棒を残し警察に電話するつもりであったのだ。
しかしそのファイルがナップザックから取り出される事はなかった。
オレは男の顔面が変形するまで殴りつけ、意識を失った男の後頭部に殺す気の一撃を入れた。
息を切らしながら立ち上がったオレは、血の飛び散った車のタイヤを見た。
ユキの幻影の中ではタイヤには何も書かれていなかったが、目の前にあるタイヤには製造番号らしき4ケタの数字があった。タイヤの擦り減り具合を見たオレは、獣のようにニヤリと笑う。
立ち去る前にうつ伏せで眠る男を見ると、乱れた髪の間からうなじの部分が見えた。
うなじには『S』というアルファベット一文字だけの入れ墨があった。
オレは考える事を止め、その場から走って遠ざる。
少し離れた電柱の陰で着ていた服を全部脱ぎ、メリケンサックと共に用意していたゴミ袋に入れた。
新しい服に着替えながら、オレは思った。
もう、後には引き返せない領域までオレは来てしまったのだ。
――――――――――――――――
目を覚ましたオレは暗闇の中で上半身を起こし、しばらくの間ぼんやりとしていた。
アポロやエリンばあさんの存在が遠くに行き始めていた。一刻も早く帰らなければならない。
立ち上がり、タイヤにあった番号をセットしてボタンを押した。
部屋の真ん中の天井から、細い螺旋階段がズルズルと下りてくる。
何も考えずに階段を上ると、電話ボックスほどの小さな部屋に辿り着いた。
石の扉があり、今度は6ケタのダイヤル錠がある。
オレは階段を下り、眠りについた。
たぶん短い眠りで済むだろう。
☆☆☆
そこは閑静な住宅街だった。
オレはメモに書いてある住所を見て、目的の場所に間違いのない事を確認した。
その家は、門から玄関まで20メートルはありそうな立派な家だった。
門の前でまごまごしていると、看護師の服を着た女性が家から出てきた。
看護師は特に怪しがる様子もなくオレに軽く会釈をし、車のほとんど通らない静かな道を歩き去っていった。
唾をゴクリと飲んでインターホンの呼び鈴を押す。
「はい」
「こんにちは、ユキさんにお会いしたくて来たのですが」
「……少しお待ちください」
インターホンがプツリと切れた。
オレは自分の顔を撫で回し、きちんと髭が剃れている事を確かめた。
やがて家から、40代の痩せた女性が出て来た。
面影が14歳のユキにそっくりである。
その女性とオレは、門を挟んで向かいあった。
「ユキに会うために、いらっしゃったのですか?」
言葉は丁重だが、厳しい顔つきをしている。
オレは追い返されないうちに、慌てて手に持っていたケーキ屋の箱を掲げて見せた。
「あの、お土産にバームクーヘンを持ってきたのですが……」
それを聞いた女性が急激に顔を崩し、目を潤ませた。
「まあ、ユキの大好物ですわね、きっと喜びます」
女性はいそいそと門を開け、オレを招き入れた。
家の中は塵一つないほどに綺麗に掃除が行き届いている。
ユキの母親は、2階に続く階段を上りながら「最近は来てくれる人が少ないので、ユキも喜びますわ」と嬉しそうに言った。
ユキの部屋は、想像通りの女の子らしい可愛い部屋だった。
ピンクのカーテンに小さなミシン、ぬいぐるみや壁に掛けられている学校の制服。
やはり塵一つなかったが、すべてそのままの状態で保存されているようだった。
オレの顔をじっと見ていた母親がお茶をいれてきますと言い、部屋から出て行った。
オレはベッドで眠るユキを見下ろした。
ユキはピクリとも動かず、沈黙を続けている。
ユキは安らかとはほど遠い歪んだ顔をしており、皮が骨に張り付いていた。
切開された咽喉に、呼吸用のチューブが突き刺さっている。
半永久的に眠り続けているユキに、オレは陽気に話しかけた。
「よう、聞こえるかい、ずいぶん酷いマネをしてくれたもんだな、アポロが無事じゃなかったら、ただじゃ済まさないからな」
部屋を見回すと液晶テレビの下に、オレが使っているのと同じゲーム機があった。
電源が入っている事を示す小さな光が、まるでユキの呼吸に合わせるかのように、チカチカと点滅している。テレビの後ろの壁に、日めくりカレンダーがぶら下がっていた。
ユキはきっと、一日一日を大切に生きる為にそのカレンダーを使っていたのだろう。
しかし日めくりカレンダーは、数年前の日付のまま時を止めていた。
堪え切れなくなったオレは涙をボロボロと流し、沈黙を続けるユキの横に跪いた。
そして薄い掛布団をそっと捲り上げ、ユキの手を握り、自分の頬を擦り付けた。
――――――――――――――――
ダイヤル錠に、日めくりカレンダーの日付を入れてボタンを押すと、最後の扉がゆっくりと開いた。
射し込んできた強烈な光に目を焼かれ、大粒の涙が零れ落ちる。
目が慣れるまでの数分間をじっと堪えた。ずいぶん長い時間、待ち続けていたのだから、最後の数分ぐらいは我慢しよう。
最上階のユキの部屋は、今までの陰鬱さが嘘のように光りに満ちていて、二回りほど広かった。
天井に大きな丸い窓があり、久しぶりに浴びる太陽の光が差し込んでいる。
オレは部屋を見回した。
そこら中に花壇や植木鉢があり、空中庭園のように草花で溢れている。
壁際には沢山の本棚や2人分のベッド、作りかけの布の挟まった織機などがあった。
畑から見えた小さな窓の側に、二人ようのテーブルセットがあり、女性が座っている。
オレは植木鉢を倒さない様に注意しながら、テーブルまで近づいて行った。
「よう、ずいぶん酷い事をしてくれたじゃないか、別に怒ってはいないがな」
本物のユキは少しだけ背が伸びていて、顔つきもだいぶ大人びていた。
たぶん16歳ぐらいなのだろう。
「ごめんなさい、まさか本当にここまで来れるとは思っていなかったの」
ユキはブルブルと肩を震わせていた。
「アポロは無事だろうな?」
「無事よ、フクタチとすっかり仲良くなっているわ……あなた本当に私の妄想じゃないの?」
「……それを完全に証明するのは不可能なんじゃないかな、向こうの世界に限ってもそんな事は不可能だ」
ユキは夢を見ている様な表情で、オレの顔を見つめている。
「そうね……あなた、私に会ってきたんでしょう、私まだ綺麗だった?」
「ああ、綺麗だったよ、おっぱい触ってやろうかと思ったよ」
「フフッ、馬鹿ね」
「ああ」
「あなたもゲームの中で死んだ事があるのでしょう? 一番大切なものがどうとか聞かれた?」
「聞かれたよ」
ユキは椅子から立ち上がり、体全体を魅せつけるように一周して見せた。
光の中でオレを挑発するように、ニコリと笑う。
「私は一度だけ死んだの、でもその一度で十分だったわ。だって私はこんなに美しいんだもの。それに自意識過剰な14歳の女の子だったのよ。私の最初に思い浮かべた大切なものは……」
ユキは腰に両手をかけ胸を張った。
そして寂しそうに笑い「自分に決まってるじゃない?」そう言った。
『すべてを捨てて、夢中でやった最後のゲーム』第三部完
いつも感想ありがとうございます。
迷いましたが、一応区切る事にしました。読んでいただいて本当にありがとうございました。
第4部は少し内政をした後に、ドライフォレストの完全攻略を主人公が目指します。なにとぞよろしくお願いします。




