ドライアドの少女の忠告
☆☆☆
オレは都心にある大きな図書館に来ていた。
夏休みが始まったのか、高校生らしきたくさんの男女が勉強に励んでいた。
いつもであれば、光り輝く彼らをしばらく眺めて、色々な妄想を膨らませていただろう。
しかし今日のオレはなるべく彼らを見ない様にして、自分の作業に集中した。
コンピューターで新聞や雑誌記事のデータベースを開き、強盗や通り魔による傷害事件をリストアップしていった。新聞紙があるものに関しては、実際に記事を読んでからコピーを取り、ないものはコンピューターの画面を印刷したりメモを取ったりした。
数時間かけてとりあえずその作業に区切りを付け、今度は法律事務所や興信所、陸運局などの住所と電話番号を紙に書きつけた。
夕方までにやるべき事を済ませ、冷房の効いた図書館から煮えたぎる外に出る。
オレは図書館の駐輪場に停めてある、レンタルスクーターにまたがった。
今から朝まで、工事現場の日雇いの仕事を入れていた。
金がいる。
場合によっては、昔作ったカードを使う事になるかもしれない。
――――――――――――――――
何度、家畜小屋に戻しても、ウリ坊のカインはおそ松の所に戻ってしまう。
やけになったオレはおそ松の前に、犬小屋を建ててやった。
フラニーは、その犬小屋と言うよりはイノシシ小屋を見て、少し寂しそうな顔をしていた。
まあ、そのうちフラニーにも懐くだろう。
オレはソファーにみんなを集めて、市場で買ってきた新アイテムを広げた。
「まずはエリンばあさんにこれを」
オレはばあさんに跪き、一言断ってからエリンばあさんのズボンの裾をめくり上げた。
そして、細い金のチェーンを足首に巻き付けた。金のチェーンには可愛らしい緑色の魔石がぶら下がっている。
「いろいろ迷ったんだけど、これがいいかなと思ってさ『大地のアンクレット』っていうんだ」
「綺麗ですな、若返ったような気分ですじゃ」
「うん。指輪やブレスレットは弓の邪魔になるかもしれないし、首には石版の欠片がすでにあるからさ、アンクレットにしたんだ」
エリンばあさんが嬉しそうに眼を細め、オレの肩を優しく撫でた。
オレは大地のアンクレットの効果を、ばあさんに説明する。
普段は少しだけ防御力を上げてくれるという事、そしてこれを買ったもう一つの大きな理由。大地のアンクレットは高い所からの強い着地の衝撃を、一度だけ身代りになって受けてくれるのだ。重力系の高位魔法が石に込められていると、店員が説明をしていた。
「右か左のどっちに付けるかは、ばあさんが決めてくれ」
「ええ、このままで大丈夫です」
オレは頷いて、次のアイテムに手を伸ばした。
「次はフラニーにこれとこれな」
「まあ、今日は何かの記念日ですか?」
「いや、たまたま重なっただけだよ」
まずは魔法銀のナッツかたびらを、フラニーに着せてみた。
袖は肩をギリギリ隠す程度の長さしかなく、逆に裾というか下の部分は長めに作ったので、短いスカートの様に太腿の付け根を隠していた。
目の焦点をぼかしてフラニーを見ると、黄色いショートワンピースを着ている様に見えた。
「うん。なかなかいいんじゃないかな? 華奢なフラニーだと、ダイヤモンドナッツがごてごてした感じにならないから、むしろ可愛いな」
「え! そ、そうですか。それより魔法銀の、魔力を増幅させるという効果がどうなのか、楽しみですわ」
フラニーが少し顔を赤くして、耳にかかる金髪をかき上げた。
「まあ、インゴット半分しか使ってないから、そこまでの効果はないかもしれん」
そう言いながら、つばの付いた赤いキャップをフラニーの小さな頭に、フワリと乗っけた。
びっくりしたフラニーが、キャップをいじくり回してからきっちりとかぶり直した。
「ああー、ヒンヤリして気持ちがいいです」
「だろ? カゴ用の暑さ対策に買ってきたんだ、氷魔法の魔石が付いている」
簡単に言っているが、魔石というのは実は結構な値段がするので、後でフラニーに怒られるかもしれない。
フラニーとエリンばあさんは、オレのプレゼントをお互いに見せ合ってから、女子特有の褒め合いをしていた。その間にオレは水晶玉で侵入の登録を済ませ、持って行く物の確認をする。
竜牙の槍に緑色の旗とユキにあげてしまったので作り直した日本の旗を、括り付けていた。
その竜牙の旗と、お詫び用の鉱石、いくつか回復薬を入れたランドセル。
抜かりのない事を確認して、ソファーに戻った。
「その小さな紙袋はなんですか?」
フラニーがソファーを指差した。
オレは紙袋を開け、中に入っている夏には場違いな茶色いマフラーを取り出した。
温かそうなマフラーを見たフラニーとエリンばあさんが、オレの顔を見つめる。
「スノーサイレンスの所に行くのですね」
「ああ、そうだ。今度はアポロを連れて行く」
それを聞いたアポロが最高のプレゼントをもらったかの様に、ニヤリと牙を剥いた。
エリンばあさんが口惜しそうにギラリと目を光らせる。もう10歳ほど若ければ、一緒に行くと言い張ったであろう。
「レオン、戦ってまで会わなければいけないのでしょうか、そのスノーサイレンスとやらに」
「ああ、そうだ。うまく言えないが……オレの存在に関わる事なんだ」
「レオンと同じ国の人とおっしゃっていましたわね」
オレがアポロを抱え上げると、ばあさんとフラニーが素早くアポロの爪の点検をしてくれる。
「オレの国は……みんなの世界とは……たぶん別の場所にあるんだ。ばあさんの故郷や、帝国やドライフォレストは繋がっている。だが、オレの国は違うんだ」
「それは島国という事ですか? 帝国とドライフォレストも地続きではないという事では同じですよ」
「いや、それとは違うんだ……オレにもよくわからない」
もがくアポロをきつく抱きしめて、二人が後ろ足の爪の点検に取り掛かった。
「レオン殿が特別なお方であられるという事は、薄々感じていました。毎日ともに戦えて、幸せですじゃ」
「……ばあさん」
アポロを床に下ろすと、侵入をしているというメッセージが出た。
ランドセルを背負い、竜牙の旗を右手に持った。
「レオン、まさかさっきのプレゼントは、お別れの記念とかではないですわよね」
「はっはっは、違うよ。もしそうならエリンばあさんに丘をあげるからな、フラニーにはランドセルをやろう。じゃあ、行ってくる。って言ってもすぐ帰ってくるかもしれないが」
アポロを再び抱き上げると、視界が完全な暗闇に包まれた。
――――♪♪ユキ♪♪ (^_-)-☆の丘に侵入しました。
何度、見てもそのメッセージはオレをドキリとさせた。
スノーサイレンスの丘は相変わらずの真っ白な景色であったが、雪はほとんど止んでいるようだった。
数を数えられるぐらいのわずかな雪の結晶が、地面に落ちる事無くいつまでも空中を浮遊している。
隠すように胸に抱えていたアポロが、オレの手を振り払って雪の上に着地した。
竜牙の旗を地面に突き立ててから、アポロを追いかけた。どんよりとしたグレーの世界の中心に向かって行く。
「アポロ、待てよ。雪は初めてのはずなのに、なんのリアクションもないんだな。大丈夫か? 一応、言っとくが雪ってのは水だからな、無理するなよ」
ズボズボと雪に足跡を付けながら歩いていき、やがて畑の土の上にびしょ濡れになったブーツを下ろした。畑はこの間のように賑やかではなくて、3体のカカシと農作業をする数体の木の人形、そして椅子に座っているドライアドの少女だけが居た。
オレは緑髪の少女に手を振ってから、農作業が終わるのを静かに待っていた。
しばらく駆け回っていたアポロが、オレの顔を見上げてから畑の上に座った。
農作業が終わり木の人形が塔に引っ込んだのを確認してから、オレとアポロは畑の中央に進んで行った。3体のカカシの無機質な視線がオレとアポロに集まってくる。
ボロ布を纏った日本刀のカカシと、ハンマーを持ったカカシ、そしてとんがり帽子を被り杖を持ったカカシが新たに畑を守っていた。
カカシ達との戦いは、簡単に勝負が付いてしまった。
日本刀に異次元パリィを決めると、風呂敷ほどの闇のオーロラが地面に潜り、1匹目のカカシを沈黙させた。
振り返ると、アポロがハンマーを持ったカカシの両腕をへし折って、さらに首を引き千切ろうとしていた。地中に鋼の爪を叩き込み、2体目の本体を破壊する。
3体目のカカシが杖を振りかざすと、畑の大部分に脛ぐらいの高さの炎の芝生が発生した。
こいつが畑の雪の片付けをしていたのだろう。
あるいは焼畑農業でもしていたのかも知れないな。
オレとアポロがカカシに迫ると、炎の芝生が折り紙のように折り重なって、カカシごとオレ達を包み込んだ。
炎が収まった時、ブーツが焼けて裸足になったオレと怪我一つないアポロ、そして命を失った魔道カカシが冷たい風に吹かれていた。その光景を悲しげに見つめていたドライアドの少女が、椅子から立ち上がった。
畑の真ん中までやって来た少女は、しゃがみ込んでアポロの頭をグリグリと撫でた。
綺麗な緑色の髪の毛を、頭の上に大きなお団子にして纏めている。
肌はほとんど白に近い、薄いグリーン。
収穫したジャガイモを入れる袋のような、粗い生地の茶色のワンピースを着ている。
どうでもいい事だが、少女が腕を曲げると肘の裏の皮膚が寄って、濃い緑色になっていた。
子供の乱暴な撫で方に辟易したアポロが、少女の手を逃れて、オレの足に絡みついた。
「よう、お宅のご主人は相変わらずかい?」
「……うん。お兄ちゃん、また来てくれてありがとう」
少女はにっこりと笑い、鋼の爪の一本を掴み、無邪気に腕をブラブラとさせた。
つられてオレもヘラヘラと笑ってしまう。
楽しい雰囲気を敏感に察したアポロが、自分も混ざろうとオレの肩に登ってくる。
うーん、この娘は可愛いな。
「やっぱり戦わなくちゃダメか?」
「うん、ユキちゃんのいう事は絶対だからね」
ドライアドの少女は手を離し、悲しそうな顔になった。
「大丈夫か?」
「ねえ、お兄ちゃん、わたしね、すごくすごく、強いの」
「ああ、わかってるよ……なりふり構わず、殺す気でいくからな」
少女は最後にもう一度オレの手を握ってから、10メートルほど距離を取った。
彼女が氷の剣を発生させた瞬間に、オレは地面を蹴った。
少女にはまだ躊躇いが残っているのか、動きが鈍い。
一方オレは、数日間の心を決める時間があった。
オレは連続攻撃を繰り出す。
なりふり構わないという言葉通り、徹底して少女の鼻を攻めた。
オレが息を継ぐ瞬間に、アポロがタイミング良く攻撃を仕掛け、呼吸を済ませたオレが再び鼻を攻め立てる。
躱し切れなくなった少女の鼻を、鋼の爪がチリっとかすめた。
追加攻撃の粘着性の炎が、少女の顔にへばりつく。
ドライアドの少女は自分の顔に氷を発生させ、炎を消し止めた。
彼女が首を振ると氷の仮面がズルリと畑に落ち、少女の右頬の皮膚がベロリと剥けていた。
茶色い瞳からは、すでに感情が抜け落ちている。
「アポロ、ここからだぞ」
少女が氷の剣で、オレの心臓や首の頸動脈を的確に狙ってくる。
オレは後退しつつ、必死に攻撃をさばいていった。
氷の剣の二段突きのあまりの鋭さに、オレは体勢を崩した。
少女が大きく振り上げた剣を振り下ろしてくる。
両手の鋼の爪をクロスさせ、剣をがっちりと受け止めた。
後ろに回り込んでいたアポロが、少女の細い首筋を狙う。
少女は剣から手を離し、横に転がった。
アポロの牙がガチャンと空気を噛み千切る。
少女は立ち上がり、また氷の剣を発生させた。
「ははっ、武器屋でも開けそうだな」
ドライアドの少女はさらに魔力を込め、手から伸びたツタを氷の剣に絡ませていく。
阻止しようと同時に飛び込んだオレとアポロが、横一線に薙ぎ払われた。
血の滴る自分の腕を見ると、腕に絡みついた緑のツタが体内に侵入しようとしていた。
傷口に爪を突き立てて、炎でツタを焼き切った。
氷の剣の追撃を躱しながら、アポロを拾い上げ、同じ様に炎でツタを焼き殺す。
強い。
長く戦う事は、不可能だろう。
勝負を賭けるしかない。
アポロが不意に大きくジャンプをして、少女の懐に飛び込もうとした。
剣の間に合わなかった少女は、氷の剣の柄の部分でアポロを弾き飛ばした。
距離を詰めようと走り出していたオレの方に、アポロが飛ばされて来る。
オレは剥き出しの足の甲でアポロを受け止めた。
足を後ろに引き、アポロにかかる衝撃を和らげる。
「アポロ、頼む」
アポロが、オレの足に爪を突き立てた。
人間の小指ほどの大きさになったアポロの爪が、ドクドクとオレの血を吸い上げる。
オレは、サッカーボールを蹴り出す様に、アポロを発射させた。
至近距離からの、スキル『ブラッディー・アロー』が少女に迫る。
少女が剣を投げ捨てて発生させた、厚さ1メートルほどの氷の盾をアポロはやすやすと貫通し、高速を維持したまま少女の胸に激突した。頭と頭がぶつかったようなゴツンという音が響き、少女の口から水鉄砲のように血が噴き出した。
ドライアドの少女は、それだけの攻撃を受けてもまだ踏み止まった。
強さと美しさを兼ね備えた少女の左側に、狡猾そうな男が体勢低く潜り込んでいた。
オレの渾身の左フックを、少女は右手で弾き飛ばそうとした。
でも、オレが待ち望んでいたのは、少女のその動きであった。
なぜならオレの鋼の爪では、少女の服の下のプラチナの鎧を、貫く事が出来ないからだ。
オレは左フックをピタリと止めて、少女の振り払われた右手に異次元パリィを決めた。
尻餅を付いた少女は素早く立ち上がり、大きく飛び退った。
しかし異次元からの使者に距離は関係がない。
ガムの包み紙ほどの闇のオーロラが、少女の体内に侵入していく。
オレは全魔力を出し切る気持ちで、オーロラを少女の心臓に向けて進ませた。
イノシシと違い、どこに何があるのか想像がつきやすい。
ドライアドの少女が、ハッとしたように自分の胸を見下ろしてから、地面に崩れ落ちた。
オレはしばらく凍り付いていた。
ピクリとも動かない少女から目を離し、アポロと視線を合わせる。
「勝ったのか?」
少女に目を戻すと、ドライアドの少女はすでに立ち上がっていた。
オレの事を見つめるその顔は、かすかに笑っている様に見える。
少女は茶色のワンピースを脱ぎ捨てた。
ワンピースの下のひびの入った鎧を脱ぎ捨て、他の物も全部脱ぎ捨てた。
生まれたままの姿になった彼女は、右足を高く上げ、畑に深く突き刺した。
次に左足を上げ、同じように膝まで土に埋めた。
オレの毛穴がざわざわと騒ぎ始める。
すぐに動いて何かしらするべきだとは思ったが、何をしても無駄という感じもしていた。
……ああ、ユキという女性は、オレと違って、たぶん頭のいい人なのだろうなあ。
畑から力を吸い上げ、体中にツタが絡まり出した少女を見て、オレはそう思った。
この石版の世界で一番特別な物は何か、一番価値のある物は何かと言えば、それは畑なのだ。
ドライアドの少女は畑を守るためには、これ以上ない存在だろう。
畑の上で戦う限り、彼女は誰にも負けない。
少女は土から足を引き抜いた。
そしてキリンの首ほどの氷の槍を、軽々と右手に発生させた。
女の子の顔を傷つけた報いなのだろうか。
そう考えながら、アポロをランドセルに入れていると、頭上から鐘の音が降り注いできた。
ぼんやりと塔の方を見上げると、どこからともなく声が聞こえてくる。
「フクタチ……もういいわよ、槍を下ろして、その人を通しなさい…………フクタチ、聞こえてるの?」
十秒ほどの静寂の後、ドライアドの少女がドカンと槍を放り投げた。
体を覆い尽くしていたツタの鎧がスルスルと退いていく。
すぐに少女の小さな胸が、丘の上で露わになった。
オレはなるべく少女の方を見ないようにしながら、脱ぎ散らかされた服を拾い集め、少女の側に放り投げた。彼女がゴソゴソと服を着始める。
「服、全部、着たよ」
オレはランドセルからアロエを取り出して、少女の傷ついた部分に塗っていった。
少女はくすぐったそうに身を震わせながらも、オレのせめてものお詫びを受けてくれた。
「フフフッ、言ったでしょ? わたしは強いよって、でもお兄ちゃんも凄く強かったよ」
「ああ、いい勝負だったよ、変身前まではな」
「うん。ユキちゃんはぜんぜん戦えないから、わたし、頑張って強くなったよー」
オレは、フクタチと呼ばれていた少女の頭を、恐る恐る撫で回した。
少女は歯を剥き出しにして、嬉しそうに笑った。
扉の横にある鉄の右腕が、自ら出てきてレバーを上に引っ張り上げる。
塔の扉がギシギシと音を鳴らし、開いた。




