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初夏の夜の夢

 ベンの誕生パーティーは、何もかもが順調だった。


 特にソフィア・クルバルスという大物が出席したおかげで、招待客たちは自分が世界の中心にいるという感覚に酔いしれていた。


 テーブルに並ぶ料理はただの料理ではなく、ソフィア姫と共に食べるための料理。

 給仕たちのお盆の上にある酒はただの酒ではなく、ソフィア姫が飲んでいる物と同じ樽から注がれた酒。


 帝国貴族の三男として生まれ、他人の何倍も努力をし続けたベントールは、ついに新しいステージに辿り着いたのだ。今夜、ベンの名は知れ渡り、ベンは生まれ変わる。

 パーティーを取り仕切ったボウドやグラックスの手腕も、高く評価されるであろう。


 そんな世界の中心の、そのまた中心に一匹のゴブリンがいた。

 そのゴブリンは、人類では決して到達できないほどの体格を持ち、腰には新品の布が、肩には真紅の投弾帯が巻かれている。緑の肌と赤い投弾帯の美しいコントラストが、見る人をハッとさせた。


 ハービーは緊張しているのか、それとも感情という余計な物を持たずに生まれてきたのか、無表情で足元を見下ろしている。


 その足元には、今夜の主役ベントールが跪いている。

 ベンは笑顔を浮かべ、右手をハービーに差し出している。

 招待客たちは、今夜の主役が一番にダンスに誘った相手を、ニコニコと見守り、楽団は楽器を構えたまま雇い主のダンスが始まるのを待っている。


 だが、ハービーは動かない。


 ニコニコと見守っていた招待客たちが、ざわつき始めた。

 オレは屋敷の方をチラリと見てから、覚悟を決めて一歩踏み出した。

 姫様ご一行はダンスのために観覧台から下りてきて、30メートルほど先に立っている。


「ハービー、緊張してるんだよな、ほら、昨日少しダンスの練習をしただろ? あれだよあれ。ベンがリードしてくれるから、大丈夫だよ」


 ハービーよ、人間の言葉を理解しているんだろう?

 頼む、形だけでいいからダンスを踊ってくれ。

 頼む。


 だが、ハービーは動かない。

 宙に浮いているベンの手の平がフラフラと彷徨いだし、招待客が眉をひそめ始めた。


 オレはハービーのごつい肩を優しく叩き、懇願の目を向けた。

 このままでは、オレとベンの友情が終わってしまう。大勢の前で恥をかいたベンの社会的なダメージは計り知れないだろう。

 そもそも、なぜオレがこんな思いをしなければならないのだろう。

 責任は、ベンの悪趣味とフラニーの人見知りのせいであって、オレは悪くないはずだ。


 ……頼むハービー、動いてくれ、頼む……動け、動け、動いてくれ!


 しかしハービーは動かない。

 やけくそになったオレは、人目も気にせずに口笛を吹き、歯を打ち鳴らし始めた。

 招待客の半数が狂ったように歯を鳴らすオレを、口をあんぐりと開けて見る。


 ……あきらめるな、フラニーが口笛と歯で指示を出す音を思い出して、マネるんだ。


 するとハービーが動いた。

 そしてゆっくりと腰巻に手をかけ、脱ぎ始めた。

 フラニーが、新品の腰巻に履き替えさせた時の指示音が、オレの耳に残っていたようだ。

 あわてて口笛を吹きまくると、そのどれかが指示の取り消しになったようで、ハービーは直立不動に戻った。


 ……落ち着いて思い出すんだ。


 フラニーはいつもいつも細かい指示を出しているわけではない。

 例えるなら「みんながんばれ」とか「いのちをだいじに」のような広い指示を出し、後は知能の高いハービーが勝手にやっているようだった。

 オレは唇をびしょびしょに濡らし、高音を2秒ほど吹いた後、リズムを取って歯を5回打ち鳴らした。


 ハービーが、跪いているベンの手を握り、引っ張り上げて立たせた。

 オレは喜びで体を震わせながら、ハービーを見守る。

 しかしすぐにベンの手を離したハービーは、体全体から魔力を垂れ流し、スキル『ハーベスト・プレッシャー』を発動させた。そして今までの緩慢な動きが嘘のような素早さで、肩から外した投弾帯に石を詰めて頭上に構えた。


 ハービーの竜革の投弾帯は、30メートル先にいる、純白のドレスを着たソフィアクルバルスの方に向けられていた。

 ソフィア姫の護衛達が、姫の前に壁を作り、一斉に武器を抜き放った。

 オレは、ハービ―の腕に飛びつきながら、矢倉の上の罪人の事を思い出した。

 オレの胸には何色の花が咲くのだろうか。ハービーの事だけは何とか見逃してもらおう。


「全員、そのまま動くな!」


 ソフィアクルバルスが、透き通った声を張り上げた。

 その声は幼い頃から人に命令することが、当たり前の事であった者だけが出せる、特別な声だった。

 ソフィア姫は護衛の一人からレイピアを受け取り、スカートの裾を揺らしながら歩く。

 そしてソフィア姫を守ろうとナイフを構えている、一人の従者の前にピタリと立った。

 ソフィア姫は愉快そうに笑ってから、鞭を振るうような厳しい声を出した。


「馬番のお前が何故ここにいるのだ?」

「い、いえ申し訳ございません、どうしてもダンスが――――」

「馬番のお前に、投げナイフの所持など認めた覚えはないが?」

「そっ、それは」


 詰問されていた男が地面に膝をつけようと腰を屈め、膝が付く前に、右手に持っていたナイフをソフィア姫の脛に向かって斬り付けた。

 護衛の一人がナイフが届く前に男の右腕を切り落とし、他の護衛が男を取り押さえてから素早く止血した。

 エルフの魔法使いがナイフを拾い上げて検分する。


「ソフィア様、毒がついております。市場には決して出回らない、モンテスマ・スネークの毒でございます」

「……そうか、皆の衆、悪いがダンスは少し待っていただこう」


 ソフィアクルバルスは相変わらず愉快そうな顔で、皆にそう言うと、護衛と暗殺者を連れて丘の端に行ってしまった。

 オレ達とパーティー客達は、金縛りにあったようにそのまま5分ほど立ち尽くしていた。

 やがて、数名の護衛を連れてダンススペースに戻ってきたソフィア姫は、ベンの近くで大きな声を出した。


「私の従者に不届き者が紛れ込んでいたようだ、暗殺者の存在にいち早く気付いてくれたハービーと、その主人のレオン殿に感謝を捧げる。場合によっては護衛の誰かに犠牲が出ていたかもしれない。ベントールよ、すまなかったな、埋め合わせは後日しよう」

「はっ、もったいないお言葉」

「うむ。ではベンよ、ダンスを見せて貰おう」


 ベンが再びハービーの前に跪いた。

 オレは、ハービーはさっきの攻防で疲れてしまったという線で、押し切るつもりだった。

 カラカラの口を開きかけた時、聞き慣れた口笛と歯を鳴らす音が聞こえた。

 びっくりして振り向くと、青い顔をしたフラニーが、グラックスに体を支えられながら口笛を吹いていた。


 ハービーが、ベンの肉厚の手の上に自分のごつい手をちょこんと乗せた。

 ベンとハービーがダンススペースまで移動して、ダンスを踊り始めた。

 楽団のスローペースな音楽に乗せて、密着させた体をゆっくりと左右に揺らす。


 ベンが踊り始めるのを見て、招待客たちもペアを組んで踊り始める。

 グラックスとフラニーがダンスを踊るふりをして、ハービーに接近していった。


 ……すまん、フラニー。


 すっかり酔いの醒めたオレは、幸せそうに踊るベンをぼんやりと見ていた。

 いろいろあったが、そろそろパーティーも終わりだろう。

 あとはのんびりと酒を飲んで、アポロとエリンばあさんへのお土産を、こっそり包んでおけばいい。

 そう思っていると、ソフィア姫の従者の魔法使いが声をかけてきた。


「レオン殿、ソフィア姫がお呼びです」

「……」


 とても断れない雰囲気だったので、仕方なく姫様の呼び出しに応えた。

 間近で見るソフィアクルバルスは、やはり美しい。

 男の様な堂々とした立ち姿のソフィア姫には、ドレスやスカートは似合わないという気も少しだけしたが、王女編みにした栗色の髪の毛は、どんな王冠よりも彼女の価値を高めていた。


 オレが跪かずにソフィア姫を真っ直ぐ見ていると、護衛の何人かが渋い顔をした。

 ソフィア姫は愉快そうに口元を釣り上げて、オレをしげしげと観察している。

 甘くとろけそうな匂いが、ソフィア姫から漂ってくる。


「観覧台での挨拶の時とは、ずいぶん様子が違うな、それが本来のおぬしか」

「……どうでしょうか」

「今夜は色々と忙しかったようだの、多少の無礼は許そう。さて、暗殺者を見つけた礼に、褒美を出すが、なにか希望はあるかな」


 ソフィア姫は、薄いグレーの瞳でオレから目を離さない。


「えーと、特にないです……あー、じゃあハービーへのお礼の分もベンにあげてください」

「……そうか、いいだろう。では――――」


 ソフィアクルバルスがオレに手を差し出した。

 オレは意味の分からぬまま差し出された手に、自分の手を乗せた。

 ソフィア姫は女性とは思えぬ力でオレの手を引っ張り、ダンススペースに向かい始めた。

 慌てた護衛達が回り込んで、ソフィア姫の進路を塞ぐ。


「ソフィア様、そのようなお戯れを……お止め下さい」

「フフッ、今夜のパーティーの主役と、一番の功労者が、一緒に踊っているのだ、他の誰が私と踊れるというのだ? お前が踊ってくれるのか、クラウス?」

「そ、それは……」

「では、どけ。付いてこなくていいぞ」


 ソフィア姫がぐいぐいとオレの手を引っ張りダンススペースに入ると、海が割れるように人々が道を開けていく。中心に来たオレ達はダンスを踊り始めた。


 ソフィア姫と両手を組み合わせ、ステップを踏んでいく。


「おぬし……まさか踊れんのか?」

「……オレは踊れているつもりだったが」

「はっはっは、場所が場所なら打ち首ものだぞ」


 音楽が変わり、踊っている周りの人々が身を寄せ合った。

 薄い生地のドレスを着ているソフィア姫が、体を寄せてくる。

 オレよりも少しだけ背の低いソフィア姫の胸が押し当てられ、温かい熱が伝わってくる。甘い匂いで頭がくらくらした。


「さて、褒美だが……」


 ソフィアクルバルスが顔を近づけてきた。

 燃えるようなグレーの目が5センチほどの距離まで、迫ってくる。ソフィア姫が耳元で囁いた。


「おぬしの親友のベントールだが、モンサンとの影での関わり、全部、帝国側に筒抜けておるぞ」

「……え?」


 オレは顔を離し、ソフィア姫の顔を見た。

 ソフィア姫は涼しげに笑い、オレを左右に揺らした。


「フフッ、私はこちらの帝国側の盟主のように扱われているが、実はお飾りにすぎん。この事は公然の秘密だがな、従者の半分は護衛と言う名の監視だ」

「お飾りにはとても見えませんが」

「私を石版の世界に送ったのは父上の意思ではなく、分家の者どもの画策によるもの。父上は戦争以外の事には、興味を示さぬお方でな」


 オレは不機嫌そうにこちらを見ている護衛達を、チラリと見た。


「こちらに来てしばらくは、一刻も早く帝国に帰り、分家の連中を蹴散らす事ばかり考えていたが、カルゴラシティーのゲートを見て考えを変えたのだ……まあ、おぬしには興味のない話だな」


 なんだかややこしいし、オレには関係のない話である。

 ただ一つだけ、はっきりと分かる事がある。

 このソフィアクルバルスという本物のカリスマに間近に迫られて、こんな風に腹を割って話をされたら、ほとんどの人間は落ちてしまうだろう。


「ベンに伝えよ、何かをやるのなら、もっと音を立てないようにやれとな、トール家という後ろ盾も、そう何度も守ってはくれんぞ、とな」


 ソフィア姫は言い終わると身を離し、ダンスの終わりを告げる一礼をした。

 オレの体に残ったソフィア姫の体温と香水の匂いが、今度こそパーティーが終わった事を知らせていた。





 オレは牛車の荷台に寝転がり、星を見ていた。


 隣にはハービーが胡坐をかいて座っており、顔色の良くなったフラニーがオレのお腹を枕にして目を閉じている。

 牛車を操縦しているグラックスに声をかけた。


「悪いな、まだまだ忙しいだろうに送ってもらっちゃって、泊まる客も多いんだろう?」

「いえ、ソフィア姫がお泊りになるので、気を使って無理にでも帰られる方が多いのです。逆に助かりました」

「ソフィア姫か……ありゃとんでもない人だな、もう二度と会いたくないような、また会いたいような……」

「フフッ、レオン様のダンスもお上手でしたよ」

「あれがダンスというのなら、もう二度とダンスは踊らん……まあ、今夜は楽しかったよ、グラックスもありがとう」


 自分の丘に着いたオレは、スヤスヤと眠るフラニーを抱え上げ、グラックスに礼を言って別れた。

 フラニーの伸び始めた金色の髪の毛を優しく撫でる。

 フラニーも髪の毛を伸ばしたら、王女編みが似合うかもしれないな、オレはそう思ってから、大きな欠伸を一つした。







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