胸に咲いた黄色い花
白い馬の頭には小さな角が生えている。
毛長馬ではなくて、青い目のユニコーンだった。
ユニコーンにまたがっている女の姿を一目見れば、その人物が普通の人間ではない事が誰にでもわかった。数百人、数千人が時間をかけて作り上げた完全なる偶像だった。
神々しいまでの美しさ、気高さ。他人を嫉妬したことなど一度としてないのであろう。
彼女は金色の鎧を身に着け、腰にレイピアを下げていた。
三つ編みにした栗色の髪の毛を、カチューシャのように頭に巻いている。いわゆる王女編みという髪型だった。彼女は15人ほどのお供を引き連れて、ベンの屋敷に颯爽と入っていった。
オレは口を開けて見ていたが、丘に居る全員が立ったまま頭を垂れていた。
彼女が屋敷に入るとざわめきが広がり、興奮したような声があちこちから聞こえた。
オレは、隣にいた人の良さそうな中年の貴婦人に訊ねた。
「あのー、自分は遠い国の出身なのですが……今の方はどういう人なのでしょうか?」
「あのお方は第四帝位継承権を持っておられるクルバルス様の一人娘、ソフィア・クルバルス姫でございますわ。まさか今日お会い出来るとは」
中年の貴婦人は話好きのようで、聞いてもいないのにソフィア姫のストーリーを語り出した。
クルバルス家は軍人の家系であり、生まれた子息は必ず一度は辺境の地に行かせて経験を積ませるという。男子に恵まれなかったクルバルス家は、ソフィア姫が成人するのを待って石版の世界に送り出したという。
いつの間にかオレの周りに、オバサン達の輪が出来ていた。
ソフィア姫はその地位の高さと、そうそうたる従者の顔ぶれも相まって、こちらの帝国側のボスのような存在らしい。オバサン達は、男勝りなソフィア姫のエピソードをいくつか話した後に、従者の聖騎士やエルフのイケメン魔法使いについて熱く議論し始めた。
話がだんだん下世話になっていく。
このままクルバルス家に男子が生まれなければ、ソフィア姫が帝位継承権を継ぐことになり、それはつまり、ソフィア姫が生涯男を知らずに生きなければダメという事らしい。
オバサンの一人が、自分が15歳の時の初夜の話を始めた段階で、オレはそっとオバサン達の輪から離れた。
まだちゃんと始まってもいないのに、酒飲みすぎだろ……
チビチビと酒を飲んでいると、ベンとソフィア姫が屋敷から出てきた。
ソフィア姫は鎧を脱いで、純白のドレスに着替えていた。頭の王女編みの上に、上品な金のティアラを乗っけている。ソフィア姫は特設の観覧台の上にある、豪華な椅子に当然のように座り、周囲を護衛がガッチリと固めた。
ソフィア姫が腰を落ち着けるのを確認したグラックスが、大きなベルを鳴らした。
ベンが観覧台の一段低い場所に立ち、口上を述べ始める。
「皆様方、今夜はわたくしベントールのためにお集まりいただきまして、ありがとうございます。実は、さきほどソフィア姫より、今夜に限っては第三種簡易礼法にて接するお許しをいただきました」
ベンがそう言うと、百人以上になっている招待客がどよめいた。
「それでは皆様、ゆっくりとお楽しみください」
楽団が一斉に音楽を奏で始め、給仕たちが料理の蓋をあけていく。物陰から走り出た大道芸人達がジャグリングを始め、貴族の子供たちが親から離れて輪を作り始める。
パーティーが始まったようだった。
招待客が観覧台の周りに集まり、順番にベンとソフィア姫に挨拶をしている。
オレはその様子を見ながら、熱々の料理を食べ始めた。
ソフィア姫は絶世の美人ではあったが、なにか面白くないものを感じた。ベンの丘で、ベンのためのパーティーなのに、ソフィア姫は自分が主役の様に振る舞っているからだ。
まあ、ソフィア姫も自分の役割を演じているだけなのだろうが、面白くないものは面白くない。帝国貴族に会いたがらなかったエリンばあさんの顔を思い出した。
やや、ふて腐れて、肉料理を腹に詰め込んでいると、ハービーに肩をつつかれた。
オレは皿に料理を山盛りに乗せて、素早くカゴの中に入れてやった。
たらふく食ってやろうと思いテーブルを梯子していると、同じようガツガツ食べている見覚えのある男がいた。
「あのー、もしかしてダーマ・スパイラルさんですか?」
魔法銀の鎧を着て、討伐隊として侵入してきた男だった。
最初に侵入してきた後に、もう一度だけ侵入されていた。
今夜のダーマスパイラルは似合わない貴族の服を着ており、無精ひげを生やした頬をリスのように食べ物で膨らませていた。
「んぅ? ああ、あんたその頭、鉱石農場の人だな、よう久しぶり」
いきなりフランクに話しかけてきたダーマスパイラルは、ベトベトの手を貴族の服で拭いてから、握手を求めてきた。ダーマスパイラルはかなり背が高く、年齢はオレより7、8歳上だろうか。
「ダーマさんは挨拶しに行かれないんですか? みんな並んでいますけど」
「んん? 挨拶? いかねーいかねー、ベンにはさっき会ったしな、あいつら気持ち悪いだろう? ここはもう帝国じゃないのに、いつまでも引きずりやがってさ……グッ」
オレは通りかかった給仕から飲み物を2つ貰い、咽喉を詰まらせているダーマスパイラルに一つを渡した。
ダーマはゴクゴクと、酒を一気に飲みほした。
「プッハー? いい酒だな? ありがとなレオン、オレのが年上だからそう呼んでもいいよな。あんたの噂はちょこちょこ聞いてるぜ、かなり強いらしいな」
「強いのはオレじゃなくて仲間ですが」
「ほう……実はこう見えてもオレは討伐隊の副隊長をやっててな、よければあんたも参加しないか? 強い奴なら、いい金にもなるぜ」
「えーと、今は色々抱え込んでいるので……」
「そうか、じゃあ気が向いたら声をかけてくれ――――なあ、レオンあれ見ろよ、すげーぞ」
ダーマスパイラルが顎をしゃくった方を見ると、水着のような服を着た若い女がベンと話していた。
オレは、ダーマと酒を飲みながら観覧台の上を流れていく人々を眺めていた。
若い女がベンに挨拶するたびに、ダーマのおっさんはいちいち女に点数をつけている。
このしょうもないおっさんは、かなり高位の帝国貴族であり、向こうで何かやらかして石版の世界に逃げてきたらしかった。
再び楽しい気分になってきたオレは、酒の杯を重ねていった。
挨拶の列が減ってきた頃にベンにお祝いを言いに行き、仕方ないのでソフィア・クルバルスにも挨拶をした。近くで見たソフィア姫は、日本刀の様な張り詰めた美しさと迫力を兼ね備えていて、くやしいが、まともに見続ける事が出来なかった。
その後、観覧台から下りてきたベンに、何人か帝国貴族を紹介された。
ベンに恥をかかせまいと必死に対応したが、正直楽しい時間ではなかった。
物凄い鷲鼻の大貴族に「モンサンカンパニーの変換不能種子の乱用による市場独占について貴君はどう思う?」と質問された時は、本日二回目の大汗を掻いた。
ベンが呼び出されたので、オレは隙を見て貴族の輪から逃げ出し、大道芸人に野次を飛ばし続けているダーマのおっさんの横に滑り込んだ。ダーマのおっさんはかなり酒が進んでいるようで、呂律が怪しくなり始めていた。本当に討伐隊の副隊長なのだろうか。
「おおーアフロの兄ちゃん、またきたかー、あの芸人さっきから下手糞でよう、レオンも言ってやれよ、おい! ヘタクソ!」
「……」
「そうだ、お前の作ったナッツかたびらだったっけか? ちょっと見てきたんだが、ありゃなかなかいいなー、まあ、ダセーから鎧の下にしか着れねーけどな、かっかっか」
「ぐっ……そういうダーマさんは何を贈ったんだい?」
「オレか? あれだよ」
ダーマが指をさした場所には、高さ5メートルぐらいの細い矢倉が組まれていた。
矢倉の上には、腰ぐらいの深さの水瓶が置いてある。
「なんだろう?」
「ああ、レオンは帝国人じゃなかったな。そろそろやる頃じゃないか」
ダーマがそう言うと、銅鑼を叩いたような音がパーティー会場に響き渡った。
皆が雑談を止め、例の矢倉の方に注目し始める。
ベンの家畜小屋の扉が開き、十字の木の柱に縛り付けられた人間が、神輿の様に担がれて運び出された。
ボウドの言っていた罪人の処刑というのが、行われるのであろう。そして、あの罪人を捕えて提供したのが、ダーマスパイラルのおっさんだという事か。
半裸の罪人は、矢倉の上に引っ張り上げられていた。
処刑人たちは、木に縛られた罪人を水瓶の中に縦に入れてから、水瓶に土を入れ始めた。
パーティー客全員が顎を上に持ち上げて、ワクワクと眼を輝かせている。
矢倉の上に居る剣士ボウドが、罪状を読み上げていた。
罪人は下半身を水瓶に満たされた土に埋められており、両手を横に広げた裸の上半身だけが、観客に見えていた。罪状が全部本当の事なら、死んで当然の奴だった。
ボウドが罪人に話しかける。
「最後に何か言いたい事はあるか?」
「帝国の豚どもめ! 次に死ぬのはお前らだ!」
パーティー客全員が、一斉に大爆笑をした。
ボウドは罪人に猿ぐつわをかませてから、ビー玉ぐらいの虹色の種を、土の中に埋めた。
これから何が起こるのかなんとなく想像がついたが、正直言って嫌悪感ではなく、好奇心を感じていた。
数人の給仕がカゴを持って、人々の間を回っていた。
オレの所にも来たのでカゴを覗き込むと、中に20色ぐらいの色とりどりの布切れが入っている。
ダーマがピンク色の布切れを取り、腕に巻きつけていたので、オレは青の布切れを取って同じように腕に巻き付けた。みんなも色違いの布切れを腕に巻いていた。
矢倉の上の罪人が、くぐもった悲鳴を上げ始めた。
上半身を動かそうとしているが、木の柱にしっかりと縛られている。
悲鳴が最高潮に達した時、罪人のお腹の辺りからピョコンと芽が出た。
肉と皮を突き破り、流れ出た血液が体を濡らしている。
お腹を皮切りに、体のあちこちから芽が出はじめた。
肩、首、胸、頭から数十の芽が出ている。
芽はすくすくと茎を伸ばしていき、やがて色とりどりのつぼみを膨らませ始めた。
パーティー客たちは、自分の腕に巻いている布の色を、口々に叫んでいる。
若い女が熱に浮かされたような口調で、誰かに話している。
「ほらご覧になって、赤いつぼみが首の丁度いいところに付いていますわ! ほら、一番に花が開き始めましたわ!」
隣をチラリと見ると、さっきまで、はしゃいでいたダーマのおっさんが、急に沈み込んでいた。
あの罪人の戦う姿を知っているのは、ここではダーマのおっさんだけなのだろう。
十数個のつぼみのなかで一番最初に花を咲かせたのは、心臓の部分から生えている黄色の花だった。ボウドが矢倉の上から、大きな黄色の布を垂らすと、大勢の溜息と共にちらほらと歓声が上がった。
黄色の布を腕に巻いている人たちは、その布と交換に金時計のような物を貰っていた。
当選プレゼントの受け渡しが終わると、人々は何事も無かったようにパーティーの続きに戻った。
矢倉の上の罪人はもう話題に上る事もなく、そのまま綺麗な花を咲かせ続けていた。
すっかり仲良くなってしまったダーマのおっさんとその後も飲み続けていたオレは、さすがに酔いが回ってきた。ベンは忙しそうにあちこちを飛び回っているので、あまりオレにかまってくれなかった。
ダーマのおっさんは、ハービーのごつい肩に寄りかかって相変わらずハイペースで飲んでいた。
ハービーの背中のカゴを数センチ開けて、素早くデザートを差し入れてやる。
屋敷の方をぼんやり見ていると、ボウドとグラックスが慌ただしい様子で、裏手に向かって走って行くのが見えた。
気になったオレは、ハービーとダーマスパイラルを残して屋敷の裏に行ってみた。
するとボウドとグラックスが遠い海の方を見ながら、深刻な様子で話していた。
「何てことだ、こりゃ時間の問題だぞ」
「大金を払ったというのに、天文屋の無能さは許し難いです」
「よし、ゾマック様を呼んでこよう、評判の悪いあの老人をわざわざ招待したのは、こんな時のためだからな」
「……いえ、ダメです。すでに確認しましたが、ゾマック様は酔い潰れて客室で昏睡状態です」
「くっ、くそ、評判通りのくそじじいだな、そのまま死ねばいい。で、どうする?」
「どうしようもありません。会場を屋敷に移して、入りきれない客のためにテントを張ります」
二人は怒りながら、泣きそうな顔をしていた。
「……どうしたんだ?」
「レ、レオン様!」
「レオン様、これは失礼を――――」
「いや、いい。それで?」
剣士ボウドが絶望したように海の方を指差した。
海の上に、ぶ厚い真っ黒な雲がいつの間にか発生しており、さらにすごいスピードでこちらに迫っていた。その不吉な黒い雲を、オレは息を止めて眺めた。
「ずいぶんデカい雲だな、しかも早い……」
「ええ、30分はもたないでしょう」
「よし、ちょっとだけ待っていてくれ」
「レオン様?」
オレはハービーの所まで、走って戻った。
そしてハービーの手を引いて、物陰まで連れて行った。急に走ったせいで酒が回りクラクラしたが、構わずカゴからフラニーを抱え出す。
デザートで汚れているフラニーの口の周りを拭きながら、事情を説明した。
少し迷ったが、オレの丘のメンバーが誰もいなくなる訳にはいかないので、ハービーをあまり人のいない、ダンススペースの近くにあるテーブルまで連れて行った。
物陰に取って返し、フラニーの手を引いて屋敷の裏まで連れて行く。
ボウドとグラックスが足踏みをして、オレを待っていた。
「レオン様、いったい……」
「レオン様……その方は?」
「話は後にしよう。フラニーどうだ? いけそうか?」
フラニーはすでに強くなり始めている風に、金髪の髪の毛をグシャグシャにされながら、海の上の雲をじっと見ていた。
「……やってみます、いえ、やります」
フラニーは両手を組み合わせ、胸の前に突き出した。そして呪文の詠唱を始める。
「我は崇高なる知識を武器に暗闇を進む者、風の神よ忠実なるしもべである小さき者に、風の尖兵の力を貸し与えたまえ」
フラニーの体から、目に見えるほどの大量の魔力が溢れ出した。
剣士ボウドが一歩後ずさり「凄まじいな」と呻くように呟いた。
こちらに向かって来る雨雲を、風が散らし始めていた。しかし黒い雲は後から後からやってくる。
フラニーの闘いは5分ほど続いた。
オレ達は、歯を食い縛りながら、ただ見守る事しか出来なかった。
風の尖兵が、最後の雨雲を吹き飛ばすと、フラニーが手を下ろした。
倒れそうになるフラニーを三人同時に支え上げた。
そのまま抱え上げて裏口から屋敷に入り、客室のベッドにフラニーを寝かせた。
ボウドが感情をあらわに礼を言ってから、パーティーを取り仕切るために部屋を出ていった。
グラックスも涙を滲ませながら、フラニーとオレに礼を言う。
「本当にありがとうございました、大切なパーティーが台無しになってしまう所でした。今回はあきらかに私のミスです、考えが甘すぎたのです、なんとお礼言えばいいのか、こんなに無理をさせてしまって」
「フフフ、お気になさらずに……もし気が咎めた場合は……お礼はマジックパセリでけっこうですわ」
フラニーの声を聴いたグラックスがハッとした顔になったが、なにも言わず、頭を何度も下げ続けた。
フラニーが回復するまで側に付いているとグラックスが申し出てくれたので、オレはパーティー会場に戻った。
急いでハービーの姿を探していると、なぜだかパーティー客の集団がダンススペースの方に移動していた。姫様ご一行も観覧台から下りているようだった。
嫌な予感で一杯になりながら、人混みを掻き分けて、ハービーを放置しているテーブルに向かって走った。やっとテーブルまで辿り着き、ハービーの緑色の大きな体が見えたが、ハービーを見ているのはオレだけではなかった。
招待客のほぼ全員がハービーを遠巻きに囲み、ニコニコと見つめていた。
一ミリも感情の見えないハービーの見慣れた顔と、ハービーの足元に跪くベントールのふっくらとした顔が見えた。
本日三回目の大汗が、くたびれ始めた新品の服に流れ出した。




