メンテナンス
いつもにように監視塔で朝食を食べていた。
メニューは、ベンから交易でもらった『カルイモ』を蒸かしたものと、キリキャベツのサラダにベーコン。あとは牛乳とフラニー用のマジックパセリである。
厳しい戦いの前の、静かな朝の時間、オレの一番好きな時間だった。
食べ終わった後、オレは低いテーブルの横で寝転がった。
ばあさんは弓の手入れを始め、フラニーは新しく買ったぶ厚い帳簿を広げている。
軽く打ち合わせをしながら、寛いだ時間を過ごす。アポロはだいたい誰かの邪魔をしている。
銀鉱石の栽培を始めてからは、農作業(物理)などという気楽な事は言えなくなり、農作業(戦争)と言うのがふさわしくなっていた。
昼まで農作業をした頃にはクタクタになってしまので、午後は戦場の後片付けや補修を済ませた後、それぞれの軽い作業に別れた。
フラニーは自室に籠りフォレス麦を捏ね繰り回したりビーカーに漬け込んだりしていたし、オレはゴブリンマラソンをしたり、ベンにプレゼントする物を工作台で作ったりする。ばあさんは監視をしながら、弓の手入れをしたりアポロと遊んでやったりしていた。
「どうだい? 稼ぎの方は」
帳簿とにらめっこをしているフラニーに話しかけた。
「ええ、順調です。銀の相場も上がってきていますし、日々の収穫量も毎日あがっています。一昨日の工事の費用も今日と明日で取り返せるでしょう。ただ、自動魔法砲台の設置は……」
「やはり、止めたほうがいいか?」
「ええ、破壊された時のリスクが大きすぎますので」
先日、丘の防衛力強化のため大工と魔石職人に来てもらっていた。
まず落とし穴群の底にある竹槍を、ギザギザ付の鉄の槍に変えた。そして穴の側面に粘液を飛ばす魔石を数個ずつ埋め込んだ。穴に落ちたモンスターは火力の上がった鉄の槍に串刺しにされ、生き残った敵も、魔石がスプリンクラーのように飛ばす白い粘液に絡め取られるので、簡単には抜け出せない。
次に、落とし穴の間にあるトラバサミに数メートルの鎖をつけた。
パワーアップしたトラバサミは敵を待っているのではなく、自ら襲い掛かる。
一度食らいつくと、地面につながれている鎖を引きちぎらない限りは、トラバサミは噛みつく事を止めない。
他にも、爆発するマキビシを設置したり、城壁の上の大盾を頑丈な物に変えたりと、防衛力を上げていった。
そして、一番最初に丘に設置された落とし穴には、特に金をかけた。
竹美は落とし穴としての役目を卒業して、新たに衛生兵として生まれ変わっていた。
最前線に移動した竹美は、モンスターが触れてもまるで反応しない。
土に隠された小さな魔法陣にオレが触れた時だけ、ポッカリとその身を開く。
穴の底には落下の衝撃を吸収するクッションと、登るための梯子が設置されていた。
そして戦闘中に補給できるように、アロエと予備の装備品が常備されている。
さらに穴の壁には、回復効果のある壊れやすくて純白な魔石のタイルが張り巡らされてあった。
戦闘中、家から遠いオレが小休止できる避難壕のような物だった。
オレが入っている間は土のフタが出現するので、隠れる事も出来る。
無駄に金をかけてしまった堕天使竹美に加え、自動魔法砲台を設置して、戦場気分を満喫するつもりだったのだが、フラニーからストップがかかってしまった。
もし、あまり考えずに行動するオレと、基本的にオレのことを甘やかすエリンばあさんだけだったら、確実に経営破綻していたことだろう。
「よーし、あと五分したら始めようか」
「はい」
「了解ですじゃ」
オレ達は畑に降りる。
ハービーとオレでワンセット目の種を埋めていく。
モンスターが湧き始めるまで少しの間があるので、アポロのケツを追いかけ回したり、ハービーと相撲をとって遊んだりする。
ふざけてはいるが、すでにかなりの緊張感がある。
例えるなら開店直前のパチンコ屋のような雰囲気だが、賭けるものは金ではなく命だった。
ポツポツと湧き始めるモンスターを狩っていく。
数の少ないうちから全力で狩っていかないと、湧きのピーク時に処理しきれなくなってしまうので必死である。
まだ使った事はなかったが収穫物の全放棄、全員撤退の合図である打ち上げ花火の筒が、ランドセルの中からリコーダーのように頭を突き出していた。
「アポロ、シルバーゴーレムがそっちに行ったぞ、普通タイプの奴だ」
自動魔法砲台の代わりに人間砲台と化したオレは、石つぶてを投げ続ける。
上位モンスター達は一匹一匹は強かったが、相変わらず知能が低く、統制もまったく取れていないのが救いだった。
ハービーが光り輝く銀板を収穫しているのが、遠くに見える。苦労はするが見返りは大きい。
モンスターの群れとの戦いは相撲の押し合いと同じで、力が均等している間は派手な動きはなかった。
敵の押す力は種の量でこちらが調節できるので、新モンスターにさえ気をつければ常に横綱相撲が出来た。
順調に収獲していったが、そう甘くはないという事は、銀の輝きを見ればすぐに分かった。
――――石版の契約者『スナフキル』に侵入されました。
見えない壁の前に、マントで装備を隠した痩せた男が立っていた。
ぼさぼさの赤茶色の髪が、侵入者の顔に垂れ下がっている。
オレは2番フォレス麦を捨てる事を皆に伝え、アポロを呼び寄せた。
エリンばあさんが、自分の判断でモンスターに弓を速射し始める。
侵入者は、城壁の上にいるオレとアポロをぼんやりと見ていた。
やや小柄な侵入者は寝癖頭とも相まって、あまり強そうには見えなかった。
しかし装備品が確認できないというのは不気味だった。
魔法攻撃に備えて、大盾の後ろで侵入者の動きを待つ。
侵入者スナフキルはこちらを見る事をやめ、緊張感なく左右をブラブラと歩き始めた。
油断させようというのか、単にやる気がないだけなのかわからない。
「……アポロ、ハービーの加勢を頼む、オレの方も注意しといてくれ」
スナフキルを見ると、両足を投げ出すようにして座っていた。
オレは侵入者を横目で見つつ、フォレス麦に群がるモンスターに石を投げ始めた。
ばあさんはいつの間にか弓を撃つ事をやめ、その弓を侵入者にピッタリと向けている。
オレは投げ縄でモンスターを引き寄せて、狩り始めた。あいつにやる気がないのなら、ほっておけばいい。
鉱石の収穫を終えたハービーが、半分ほど食われてしまったフォレス麦の残りを収獲し始めた。
スナフキルは寝転がり、雲を眺めながら草の茎をしゃぶっていた。
やがてフォレス麦の収穫が終わり、モンスターも全部消滅させた。
オレとアポロとハービーは城壁から降り、ゆっくりと侵入者に近づいて行った。
距離が近くなるにつれて、オレの額から汗が流れ始めた。
遠くからはわからなかったが、ぼさぼさ頭の男から、ユグノー以上の威圧感を感じる。
十メートルほどの距離まで接近すると、侵入者は立ち上がり、マントの中から武器を取り出した。
細長いスナイパーライフルのような武器だった。
鉛の玉ではなくて、なにかの魔法を飛ばすのだろう。ライフルの先には銃剣がついている。
オレは軽く足踏みする事で、膝の武者震いを隠しながら話しかけた。
「お前、何しに来たんだ?」
「……そりゃ、もちろん、略奪ですよ」
スナフキルは、道を教えるような気軽な調子で答えた。
赤茶色の髪の下に見える顔は、少年のように若い。
「じゃあ、なぜ撃たなかった? それは遠距離用の武器なんだろ?」
「……もちろん撃とうとしましたよ、何回か。でも撃てませんでしたね、あんな化け物みたいなのがいたら撃てる訳ないじゃないですか?」
スナフキルは愉快そうに笑い、空に向けて小さく指をさした。
オレは三歩ほど後ずさり、振り返って監視塔を見た。
エリンばあさんが、さっきと同じ姿勢で弓を構えていた。
しかしよく見ると、つがえられている矢がいつもの矢ではなく、一本しかない真っ白な神木の矢だった。
……相変わらずオレは間抜け野郎のようだな、だが反省は後だ。
神木の矢を使わなくても、全員で戦えば恐らく勝てるはずだ。
しかし犠牲を出すわけにはいかない。
「で、どうするんだ? お前が帰還の塗り絵を塗っている間は攻撃しないから帰ったらどうだ? ちなみにオレ達は、侵入者に後遺症を与え損ねたことはないぞ」
「……ネコ……ペペ」
侵入者スナフキルは、アポロを食い入るような目で見ていた。
「ペペ……ペペだろ? 生きてたのか? ほらこっちにおいで」
「待て! それ以上近づくな、似ているのか知らんがこの猫はぺぺじゃないぞ」
制止を無視して接近してくるスナフキルに、鋼の爪を叩き付けた。
スナフキルは爪を躱し、後ろに飛んだ。目からは涙がこぼれ落ちている。
オレが戦う覚悟を決めた時、スナフキルが謝ってきた。
「……ごめん、あんまり似ていたからつい、戦争で生き別れたのは十年以上前なんだから、生きてるわけないよね?」
「くっ、侵入してくるのは変な奴ばっかりだな」
「ねえ、その猫、少し抱かせてくれないかな?」
「ダメだな、さっさと帰って、もう二度と略奪なんかしないと約束したら考えてもいいが」
「する! するする」
スナフキルは武器を地面に投げ捨てた。
予想外の行動にオレは戸惑った。
「いや、信用できない。……もう付き合っていられんからオレ達はいくぞ、どうせ収穫物は何もないからお前は好きにしたらいい」
まずエリンばあさんに監視塔から下りてもらった。
地面のスナイパーライフルを拾おうとしたら、すぐに飛び掛かるつもりだった。
ばあさんが城壁の上で弓を構えたの見てから、オレ達は少しづつ後退していった。
安全地帯の家にみんなが入り、最後にオレが入ってドアを閉めた。
ばあさんに礼を言ってから、昼飯の準備を始めた。
ご飯を作りながら、水晶玉で施設が破壊されていないかをたまに確認した。
お昼を食べ終わった後、二階の窓から侵入者を探すと、遠くの方で勝手に焚火をしていた。
目を凝らすと、焚火で魚を焼いている。
あの魚でアポロを釣ろうというのか。
なんだか憎めない奴だったが、侵入者に心を許す事など出来ない。
しばらくして、侵入者が帰ったというメッセージが出た。
外に出て、スナフキルが焚火をしていた辺りに行くと「猫に会いたいので召喚してください」と地面に文字が書かれていた。家に戻って水晶玉を覗くと、報酬なしでスナフキルが召喚待ちをしていた。
オレは水晶玉からそっと離れた。
オレは仰向けに寝転がり、歌を歌っていた。
もう3時間ほど歌い続けていたので、さすがにレパートリーがなくなってきていた。
ユグノーとの戦いの後、はじまりの庭に来たのは3回目だったが、今日も空振りに終わりそうだった。
オレは映画の主題歌を歌い、うろ覚えの演歌を歌い、なぜかはっきりと覚えている小学校の校歌を歌った。最後に誕生日を祝う歌を歌った。
昔、友達だった男の誕生日だったからだ。去年はたこ焼用のホットプレートを贈ったが、今年は何も贈らなくて済みそうだった。
「今日はずいぶんと粘りましたね」
背後から声がした。
オレは立ち上がり、背中の土を払う事も忘れてセムルスの顔を眺めた。
「フフッ、そんなにジロジロと見ないでください。好奇心に負けて、顔を見せてしまったのは失敗でしたね」
セムルスはいつもと同じ青い民族衣装を着て、綺麗な髪を一つに束ねていた。優しい笑顔を浮かべていたが、その笑顔は以前ほどはオレを惹きつけなかった。
「セムルスさん、あなたは何か知っているんだろう、この世界の事を? 教えてくれないか」
「フフッ、教えても構いませんが、そんなにたいした話ではありませんよ? それにお話したら、レオンはゲームを止めてしまうんじゃないですか?」
オレの心臓がドクドクと高鳴った。
どう答えるべきか言葉を探していると、セムルスが寛いだようすで地面に座り込んだので、オレもつられて座った。
「レオン、ちょっと別の話をしてもいいですか?」
「……」
「あなたの世界には『カクバクダン』という物がありますよね?」
「くっ……やっぱりあなたは……」
セムルスが厳しい目を向けてきたのでオレは黙った。
「想像してみてください、今レオンがカクバクダンの発射スイッチを持っているとします。人差し指か親指を曲げれば世界を半壊できるとします、レオンはどうしますか?」
「……どうもしないだろうな、ボタンは押さないだろう」
「では、スイッチを持っている人間を、そうですね百人ほど思い浮かべてください、レオンの周りにいる人たちで結構ですよ」
オレは学生時代や社会人の頃を思い出し、百人ぐらいの顔を順番に浮かべていった。
「フフッ、さあ、レオンの世界はどうなりましたか?」
「たぶん滅びるだろうな……いや、まず間違いなく滅びる」
「フフッ、それが答えですよ、レオン」
「何の話だか、訳がわからないぞ」
セムルスが話を切り上げるように立ち上がった。
オレも慌てて立ち上がる。
「レオン、今日のあなたの活躍はなかなかの物でしたよ、予想していたのとあまりに違ったので笑ってしまいましたが、ご褒美に私の本当の名前を教えてあげましょう」
「名前?」
「ええ、そうです。私の本当の名前は『世界の調整をする者セムルス』です。と言うとまるで神様のように聞こえますが、レオンの世界に無理やり当てはめれば、極めて優秀な技術者といった所でしょうかね。『指を切り落とす者』なんていう下品な呼び方をする輩もいますが。私も昔は真面目に仕事をしていました。コツコツと隕石を塗りつぶすような退屈な作業でした。レオンのおかげで今は毎日が充実していますよ……フフッ、それではまた」
「待ってくれ、もう少しちゃんと説明してくれ――――」
強い風が吹きオレは目を閉じた。
目を開くと、すでにセムルスの姿は消えていた。
どこからともなく声が聞こえてくる。
「ドライフォレストの王を倒しなさい。そうすれば、すべてがわかるはずです」
はじまりの庭を見回したが、セムルスの姿はどこにも見当たらず、ただ暗闇だけが忍び寄っていた。
◆◆◆
その町で一番高いビルの上に、ボサボサ頭の青年がいた。
青年はビルから下を見下ろした。
数万人の人間が見守るパレードの様子を、何所よりもよく見る事が出来た。
こんな絶好の狙撃ポイントが簡単に確保できるのならば、どの道、長くはない命だろうな、青年はそう思った。
青年はスナイパーライフルを構え、眼下をゆっくりと走るオープンカーに狙いを定めた。
この国の最高権力者の顔が、照準器の中に映った。
青年はゆっくりと引き金に指をかけた。
何十回となくやってきた単なる作業だった。
しかし青年はどうしても引き金をひくことが出来なかった。
最初は、家族を皆殺しにされた恨みを晴らすために始めた仕事だったが、今では金のためでしかなかった。
ずいぶん前から止めたいと思い、きっかけを探してはいたのだが、なぜ今になって急にこんな気持ちになったのか理解不能だった。
青年がためらっていると、権力者を乗せたオープンカーは通り過ぎてしまった。
やれやれ、今度はこっちの命がやばい事になっちゃったな、青年はそう思い、ライフルを放り投げた。




