3話「拷問?」
ウルカト城の地下奥深くにその部屋は存在していた。
重々しい分厚い鉄の扉。それを開けると得体のしれぬ、しかし生々しい匂いが鼻腔を刺激する。
部屋の隅に一つだけ置かれた小さなランプが不気味に内部を映し出す。すると四方を鋼色の壁に囲まれた室内、天井からぶら下がった鎖、部屋の中央に鎮座する鉄の玉座、そして玉座の辺り一帯に広がる黒い染み。
情勢の安定した今でこそ使う機会はほぼ失われたが、その部屋は今でもこのように呼ばれている。
拷問部屋、と。
久方ぶりに空気が入ることになったその部屋の玉座には一人の男が座らされていた。
「嘘をつかなければ痛い目には合わせぬ。ワシとて手荒な真似はしたくないのでな。大人しく全てを白状せい」
「しますけどこんなおぞましい椅子に座らされるような内容は一切ないですから! 冗談じゃ済まないですよこれ!」
「冗談でやっているように思えるかね?」
「お願いですから思わせるような方向に持って行って下さい!」
玉座に腰をかけていたのはユウト・ベルクシュトレームだった。
懇願のこもった全力の叫びをしかし、ユウトに嫌疑をかけている男――国王・ディオンは無視した。
「ワシはいささか異世界という単語に弱いようじゃ。よもやこんな嘘も見抜けんとはな」
「えーっと……陛下?」
「今のワシには全て見えるぞ! つまりお主は随分前からアリゼと逢引をしておって、二人の間に子が出来てしまった。泣く泣く己等の子を隠し、お主達は正式に結婚できる方法を模索した。その結果が民衆での愛の告白の正体じゃ! そうして周囲がその関係を認めた頃を見計らって自分達の子供を回収し、さも自然に私達の子供です♪なんて見せびらかしたわけじゃろう! 違うか!?」
「違うわぁ!!」
よく考えたものだ、とディオンのとんでも理論を聞いて思う。
事実関係だけ見れば確かに筋が通ってるような気もしなくないが、しかしユウトはディオンの語った予想が一から十まで空想であることを知っている。
「違うというなら、その証拠を見せてみい!」
「解放してくれたら見せますよ! 異世界から来たっていうね!」
今すぐにでも部屋に戻ってスマホでも見せてやりたいところだがこの部屋の玉座の肘掛けの先には半円の形をしたリングみたいな物がついており、これが拘束具として機能している。リングにはユウトの手首が通されて身動きを出来なくしていた。
「信用ならんわ!」
「じゃあ、こんなんはどうですか。俺は日本からやって来ました。日本……いえ、地球と呼ばれてるその世界では魔力が存在しない代わりに……」
途中だったがディオンが難しい顔をしていることに気づいて言葉を止めた。
「ニホン……。聞いたことがあるぞ。彼の者が言うには確か敵国だと」
「はあ?」
今、ディオンは日本は敵国だと、そう言ったのか?
どういうことだ。確かに昨今情勢が揺れ動いているのは知っている。しかしユウトが転移してきた時点では明確な敵国などいなかった。
つまりこの城にいるというもう一人の異世界人は……日本に恨みを持つ国の人間ということだろうか。
「まあ良い。それが証拠になるわけでもないしな。それに先住民に話を聞けば簡単に分かることじゃ。こうまでして口を割らないなら実力行使じゃ!」
ディオンは目を剥いてユウトに拳を振るおうとする。が、
「いい加減にしなさい」
それよりも早く、ディオンの脳天に拳が落ちた。
「え、エリナ!? いつからここに」
「あなたが訳の分からない御託を並べてる時からよ。あの後、ユウトと二人で話がしたいと言って地下室のある方へ向かうからまさかと思ったんだけど……付いて行って正解だったみたいね。大丈夫、ユウト。このお馬鹿さんに何かされてない?」
「いえ、今のところ実害はないです」
一応は国の頭を務めているディオンに向かってお馬鹿さんといえるエリナ。私生活ではさぞ尻に敷かれてるのだろう。
エリナは玉座の傍までやってくると拘束具に鍵を通し、ユウトを解放する。
自由になった腕を持ち上げてふう、と安堵をついた。
「まあでも、詳細な説明をせずに事実だけ述べたなら親馬鹿のこの人が暴走するのも分かるんだけどね」
「すいません。説明しようにもそんな雰囲気じゃなかったんでつい後回しにしようって思って……」
ユウト達が持ち帰ったお土産――あの謎の赤ちゃんのせいで謁見の間は混乱に支配された。収拾がつかないと判断したユウトはアリゼと共にそそくさとその場を離れたのだ。
「あの、アリゼとあの子は……」
「そちらに関してはレイナに任せているので心配しないで。それよりも遠征で一体何があったの? 流石の私もまだ困惑しててね」
「包み隠さず話します」
疲労から出たため息をつくと、ユウトは遠征での出来事を話し始めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ナンディガンドで発生していた異音騒ぎ。現象の原因であるそれは、ナンディガンドとプロメウヒ砦の間に挟まる形で存在している山中の洞窟にあった。
洞窟の奥で見つけた大きめのバスケット。蓋を持ち上げ、ユウト達の目に飛び込んできたものは、
「……あ、赤ちゃん!?」
スヤスヤと眠る生後三ヶ月程の幼児だった。
「えっと……」
確かにユウトはバスケットの中には生き物が入ってるかもしれない、と直感した。けどあくまで可能性であって本当に入ってるとは思わなかったのだ。しかも生き物と表しただけで人間の子供だなんて頭をかすめすらしなかった。
その場にいるユウト以外の人物たちも皆似たような様子だった。あのリーチェも口を開けてポカンとしている。
この中で唯一平静を保っているとしたら意もせずのんびり寝ている赤ちゃんだけだろう。
「い、異音の正体って本当に『これ』なのか……?」
「分からん。赤ん坊の泣き声は凄まじいが、それでもここから街に影響を与えるほどではないぞ」
そもそも異音って何だよ、と混乱しすぎたせいか事態の発端すら見誤りそうになる。
狼藉に狼藉を重ね、兵士達はザワザワし始める。周囲が騒がしくなってきたせいなのか渦中の中心地である異音の正体がゆっくりと瞼を開き始めた。
赤ちゃんの一連の動作にバスケットを持ったままのユウトと、そのすぐ隣に立っていたリーチェは身を固めて行方を見守る。
どんなに小さい子でも寝ぼけるようで、目を完全に開きらないまま辺りを見回す。次にユウトとリーチェを二往復ほど見つめ返した。そこでようやく赤ちゃんはつぶらな瞳を完全に覚醒させ、
「うえええええええええー」
突然泣いた。
「ちょ……ええ!?」
当然ながら慌てふためく二人。ユウトはまだしも近衛軍隊長のリーチェが狼狽える姿は隊員達から見ても不安になりそうなほど頼りなかった。
「ど、どうすればいい」
「私に聞くな! えっと、えっと……」
リーチェはオロオロと辺りを見回し、ユウトはバスケットを取り落とさないように必死である。
混乱の最中、一人の兵士が名乗りを上げた。
「恐縮ですがユウト様、ここは一つ私に任せてくれませんか」
「あ、あなたは?」
「フレドリックと申します」
「そ、そうか。フレドリックには確か子供がいたな」
「はい。これでも近所の父兄から抱きかかえマスター・フレドリックと呼ばれていました。赤ちゃんのあやしなら私の右に出るものはいません」
ツッコミたい所は多々あったが緊急事態なので全てスルー。バスケットをフレドリックの眼前に差し出す。フレドリックは「よしよ~し」と猫撫で声を出しながら赤ちゃんを抱きかかえる。すると、
「うぎゃああああああああー!」
より一層声を上げて泣き始めた。
「そんな……抱きかかえマスターである私にあやせない子がいるだと……」
「ショックを受けるのは分かるけど一旦降ろして! 物凄いことになってるから!」
間近で泣き声を聞くリーチェは耳を塞ぐほどの大声っぷりだった。これだけならナンディガンドの住人が迷惑してたというのもうなずける。
フレドリックがそっと赤ちゃんをバスケットに戻すとようやく声量は初期値に戻った。
「ほ、他! 他に赤ちゃんを抱きかかえたことのある人、試してみてくれ!」
それから代わる代わる赤ちゃんを抱きかかえたが誰一人として泣きやませることの出来た人物はいなかった。女性ならばと思い、リーチェも抱こうと試みたが結果は変わらなかった。
「最後はユウトだ……」
「こんだけやっても駄目なら駄目だと思うんだけどな」
一行は長い間高音を聞かされてげんなりしていた。むしろずっと鳴き続けている赤ちゃんの方が凄いというべきなのか。
バスケットをリーチェに預け、そろそろと手を赤ん坊に伸ばす。
ダメ元なのは分かっている。けど物は試しだ。ユウトはバスケットの中から勢い良く取り出し、胸に抱きかかえる。悲鳴が一際高くなるのを覚悟し、目をつむって首をそらしながら。
しかし、想像していたことは起きなかった。
「あれ……?」
見ると、さっきまで泣いていた赤ちゃんは「泣く」から「ぐずる」に移行していた。ユウトの胸に顔を埋めるようにしながら小さな嗚咽を上げている。
今までとは違うリアクションに皆がユウトに注目した。
「ゆ、ユウト様、そのまま優しく背中を撫でてあげてください!」
「え? あ、ああ、こうか?」
フレドリックの助言に従って背中をさすってやる。するとみるみる落ち着いていくのが分かった。
暫く続けていると安らかな寝息が聞こえてきた。
「お、落ち着いた……のか?」
「そのようですね。しかし……これは一体何なんですか」
フレドリックの疑問に答えられる者は誰一人としていなかった。
「……唯一分かることは、その子はユウトに懐いているということだ。ここにいたらまたいつ魔物がやってくるか分からない。とりあえず撤収するぞ」
リーチェの掛け声でようやく一行の時が動き出したのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ユウトさんにしか懐かない赤ちゃんですか」
「ああ。一体どうなってるやら」
ナンディガンドに戻った後、リーチェ含む近衛軍達は赤ちゃんの両親を探すために街へ散らばっていった。ユウトは赤ちゃんを連れて宿屋に戻り、帰宅を待っていたアリゼに事の成り行きを話したのだった。
「不思議なこともあるんですね」
「ほんとだよ。俺、赤ちゃんを抱くの初めてなのに」
アリゼと話している間にも街の住民が何人か訪れ(赤ちゃんを失くした親というわけではなく、少しでも力になれるかもしれないという善意によるもの)、ユウトの負担を減らそうとしてくれたのだが……そのどれもが駄目だった。触れようとするだけで泣きそうになるのだから溜まったものではない。
今のところ赤ちゃんは宿屋の主人が昔使っていたというベビーベッドの中でグッスリと寝ていた。
「繊細な子なんでしょうね」
と言うアリゼはベビーベッドの傍で赤ちゃんを見守りながら言った。本当は彼女も赤ん坊と触れ合いたいんだろう。
そうだな、と返事をしようとしたところで赤ちゃんが目を覚ました。ユウトがギクリと身を固くする。
このシチュエーションはついさっき経験したばかりだ。異端者を発見した赤ちゃんは鬼も逃げ出す癇癪を上げる――。
慌てて椅子から腰を浮かせベビーベッドに駆け寄る。
「うきゃきゃ」
が、赤ちゃんはアリゼの顔を見て初めて笑った。
「か、可愛い……!」
「あ、アリゼ。ちょっとま……」
静止をかけようとするが一旦スイッチの入ったアリゼは止められない。
アリゼの伸ばした腕に赤ん坊が収まり、その子は――泣くどころかより一層笑みを広げた。
「あ、あれ……?」
「ユウトさん、見てください。この子笑ってますよ」
アリゼは赤ちゃんを抱擁していた。泣き出す気配など一向にない。
気が抜けたユウトは一瞬腰を抜かしそうになる。
そんなユウトをよそに、アリゼの肩に顎を乗せた赤ちゃんはユウトに目を向け楽しそうに手を振りながら笑っていた。
結局、必死の捜索にも関わらず赤ちゃんのご両親に該当する人物は見つからなかった。
多くの人間がその子とコミュニケーションを取ろうと四苦八苦したが、やはりアリゼとユウト以外には笑顔を見せなかった。
ナンディガンドの滞在期間が終了する時、その子をどうするか議論が持ち上がった。しかし街に置いていくわけにも行かず満場一致で連れ帰ることに決まった。
幾つかの街や村に寄って赤ちゃんの機嫌を窺いながらゆっくりと帰路についた。
その際に判明したことは赤ちゃんの性別は女の子である、ということだけだった。
王都に着くまでの間、アリゼは彼女を溺愛した。その結果が謁見の間での発言に繋がる。
これが赤ちゃんを見つけてからのドタバタの軌跡だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「難儀な旅だったのね」
「はい。育児を経験してた方がいて助かりました。フレドリックさんには何てお礼を言ったらいいのか」
例えユウトとアリゼの腕の中に収まっていても泣く時は泣く。その度に解決策を提示してくれたのは抱きかかえマスターだった。
「とにかくその子は二人の間に出来た子供ではなく拾った子なのね?」
「そうなります」
「始めからそう言えばワシだって信じたものを」
さり気なく復活して澄まし顔をしているディオンを無言で睨んだ。
「これで満足したでしょ、あなた。経緯は分かったけど問題はこの後よ。ユウト、あなたこれからどうするの?」
「それは……」
正直言って何も思いついていなかった。
連れ帰ることになったのもユウトとアリゼ以外にあの子の面倒を見れる者がいなかったからだ。なし崩し的に一緒に過ごすことになり、今後のことを考えようとしても生まれたての子供の突発な行動に思案する時間は作ることが出来なかった。
想像以上にユウトは疲弊しているのだ。
「話を聞く限りあなたとアリゼにしか気を許していないのよね。そうすると今後もその子の世話をするってことでいいのかしら?」
「可能性としてはそれが一番高いかと」
「悪い、とは言わないわ。あの子にとっても良い経験になるでしょうね。けどね、子育てってあなた達が思っている以上に大変よ?」
「経験はしていませんが、予想は付きます」
「それともう一つ。その子はあなた達の本当の子供ではないわ。何時別れが来るかわからないの」
「重々承知しています」
「ユウトはね。けど問題はアリゼよ」
「アリゼの方ですか?」
ユウトは首をかしげる。
「ええ。……あの子の性格はユウトも理解してるでしょ? 来るべき時が訪れた時、あの子は果たして冷静でいられるかしら」
その時の事を想像すると、ユウトは何も言えなかった。
「まあとにかく。子供を育てるからにはきちんと責任を持たなきゃ駄目よ。それと同時にあなたはアリゼを支えてあげなさい。これが現時点最高の妥協案よ」
「……はい」
これから訪れる心労の日々に早くも心配が浮かび上がってくるのだった。




