2話「異音の正体」
「奇妙な音が聞こえる?」
「はい。多くの方がそう仰られていました」
椅子に腰掛けたアリゼの前に甘すぎず苦すぎずといった絶妙な味付けのコーヒーを置く。最初は砂糖とミルクをそれぞれ別皿で用意していたが彼女と同じ時間を共有しているうちに好みの味付けを覚えてしまった。
謝辞の篭った笑顔を見せてくれた後、アリゼは街の住人から聞いた話をより詳しく話し始める。
「ある時期から――そうですね、丁度プロメウヒ砦の魔物騒ぎが起き始めたのと同じ頃に山の方から奇妙な音が響いてくるらしいです」
「奇妙な音ってどんなだ?」
「一言で表せないから奇妙な音なんだそうです。時には金属を擦り合わせるような音だったり、時には鳴き声のようだったり……音が一つではないようなんです。共通してるのは聞こえてくる方角と、街に響くほどの大きな騒音の二つだけらしくて……」
「なるほど、それは奇妙だ」
部屋の隅に置かれた明かりが外からの微風によって仄かに揺れた。
日が暮れた後、ユウトはアリゼと共に宿泊中の宿に戻った。晩飯も食べ終え、就寝まで部屋でお休みという時にアリゼが昼間得たという住民の噂話をこうして話してくれている。
なお、蛇足だがアリゼと部屋を一緒にして欲しいと言い出したのはユウトだ。行きの時はリーチェとの一件でぎこちない空気だったため、大人しく別部屋で我慢していたのだが、仲直りした今は寝食を共に過ごすようにしている。
「でも街の人達はその音の正体を確かめたりはしなかったのか?」
「試みる気概はあったそうです。しかし魔物騒動の影響で砦方面へ向かうこと、すなわち山への侵入を禁止する戒厳令を敷いていたみたいです」
「……そりゃあ厳重すぎやしないか?」
「はい。ですが多数の魔物達の魔力によって山中の魔物達も活発化してる可能性があったので、念には念を入れたようです」
ナンディガンドとプロメウヒ砦を結ぶ山脈の危険な魔物はある程度排除してあるという。なので比較的大人しい魔獣が殆どだ。しかし魔力が高まると野生の本能が鋭敏に刺激され、活動的になる他、獰猛な性格に変わり得ることもある。その危険も考えてプロメウヒ砦は――恐らくはミルカが――ナンディガンドを守るためにそのような命令を出したのだろう。
「なるほど。そりゃ確かめようがないわけだ。でも気になるな」
「私も同じことを考えてリーチェに相談しに行ったんです。そしたら、元々ミルカさんから話を持ちかけられていたらしく、明日にでも調査に行くらしいです」
なんでも、魔物騒ぎの最中は防衛軍は奇妙な音に構っている暇はなかったらしい。実害が出ているならともかく、騒音だけならば後回しになるのは仕方ない。
そんな中、援軍の近衛軍がやって来た。本来なら原因の調査という依頼で、魔物騒ぎの根本な解決までは望んでいなかったらしい。だから戻り道の最中に簡単にでいいから確かめて欲しいとミルカさんに頼まれたそうだ。
色々な偶然が重なった結果、魔物騒ぎは解決を迎えてしまったわけだが、何があろうとナンディガンドには数日滞留するつもりだったので異音の調査も引き続き行うことになったとか。
「近衛軍が出るなら問題はなさそうだな」
「ええ。これで街の住民が安心して暮らせると思うと私もホッとします」
この辺の考え方は実に王族らしいとユウトは思った。
「でも、一体何なんだろうな。アリゼは何だと思う?」
「一番可能性が高いのはやはり魔獣だと思います。様々な音を出す魔獣は聞いたことがありませんが……」
「となると新種ってことか? でも中には悲鳴のような声……というか音があるんだろ。そういうのも魔獣は出せるのか?」
「うーん……どうなんでしょうか」
アリゼは目線をカップの中に落として思案顔を作った。そんな彼女を見ていると、つい悪戯心が湧いてくる。
「もしかしたら魔獣なんかじゃなくて……山間で亡くなった人間の怨霊――幽霊かもしれないぞ」
声の抑揚を殺して無情な声を発する。
部屋は明るすぎでもなければ暗すぎでもない。夜闇にランプ一つといった感じで怪談話をするにはうってつけの雰囲気だった。
「そ、それは……」
明らかな動揺を見せながら怯えるアリゼ。そんな彼女に「冗談だ、冗談。流石にそれはないだろ」と笑いかけながら頭を撫でる。
……というプランをユウトは練っていたのだが。
「ゆ、幽霊ですか!?」
何故かアリゼは部屋の明かり以上に瞳を輝かせながら身を乗り出してくる。
予想していなかった反応に逆にユウトが戸惑った。
「えーっと……アリゼ……?」
「幽霊がいるってことはもしかしたら人魂とかもあるんでしょうか! ああ、とても怖いです。とても……!」
表情と台詞が一致してない。憧れの有名人を目の前にしたようにキラキラと輝いている。
ここはユウトにとって異世界だ。懸念していたのは幽霊という概念がこちらの世界にあるか否かぐらいだった。どうやらその懸念は無意味だったようだが……代わりにまるで違う事実を引き出してしまったらしい。
アリゼ・ベルクシュトレームは怖い話が好き。
聞いてない。そんなの聞いてない。
「あの、ユウトさん。調査には頼りになるリーチェもいるんです」
ショックで呆然としていたユウトにお菓子をねだるような子供のような朗らかさでアリゼが話しかけてくる。
「お、おう」
「ですから私が付いて行っても守ってくれますよね」
「ちょ、アリゼ、それはまずいんじゃ」
「分かっています。分かっていますけど、幽霊がいるのならば背に腹は代えられません!」
「いるって確定したわけじゃないから!」
「可能性があるなら十分です!」
ああ、なんということだろう。引き出してはいけない領域を引き出してしまったことをようやくユウトは悟った。
それからユウトはねだるアリゼに対し、自分が暮らしていた日本の怪談話を語って話題を逸らす努力をしたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――で、何故ユウトがここにいる?」
「いやまあ、昨夜色々とありまして」
アリゼに知ってる限りの怪談話を聞かせてる間は大人しくなっていたものの、お陰で熱は更に上がってしまったのかリーチェ達に付いて行くと言ってきかなかった。そこをどうにか粘って、アリゼの代わりに俺が行って確かめるから、と無理矢理アリゼを納得させた。
そんな経緯があって、現在ユウトはリーチェ達と共に件の異音調査のため山道を歩いているわけである。
「前回のことで懲りなかったのか?」
「それはまた別問題だ……。アリゼを止めただけでも感謝してほしいくらいだよ……」
遠い目をしながらユウトは呟いた。
「まあ、前みたいに無茶したりはしないよ。といっても前も事態が事態だったしな」
「分かってるなら良い。ただでさえ以前のあれは近衛軍の落ち度となっているのだ。これ以上失態を重ねるわけにはいかない」
といっても魔族の突如出現があったから仕方ない……という考えはユウト個人にしか通じないのだろう。だから厳然と語るリーチェの横顔にこれ以上口を挟むことが出来なかった。
「さあ、着いたぞ。音のする方向から察するにこの奥だろう」
ユウト達が辿り着いたのは洞窟の入り口だった。中はゴツゴツした岩肌が露出しており、人の手が入ってないのがわかる。
ただ、その岩肌から仄かに光が発生しているため、完全なる暗闇の世界というわけでは無さそうだ。
「魔光石が埋まっているようだな。ランタンは必要最低限で良さそうだ」
奥を覗いたリーチェは以上のことを部下に伝えた。
魔光石とは魔力に反応して発光する石のことだ。基本的に石灰のような白い鉱石となっている。その多くがこの洞窟の岩盤に埋め込まれているのだが、中には水晶のような形をした純魔光石などもあるらしい。
産出量はかなり多いらしく、また魔力さえあれば数百年は光り続けると言われるほど燃費が良い。
この世界で用いられる明かりは魔光石を加工したものがほとんどだそうだ。
これさえあれば電気いらずで資源の節約になるな、とユウトは考えたものだった。
「普通、こういう場所ってのは奥の方が暗くなるもんなんだが……ここではむしろ奥に行くほど鮮明になってる。これはやっぱり魔光石の関係か?」
「ああ。奥のほうが魔光石が眠っているということだろう。無論他にも理由はあるけどな」
「他?」
「魔力が強くなっている、ということだ。魔力が強ければ強いほど、そして魔光石自体が大きくなれば大きくなるほど煌々と輝くからな。それがどういうことか分からないお前ではあるまい」
「魔力の反応が強くなる。……すなわち、魔力を持つ何かが奥に潜んでるってことだよな?」
「正解だ。これはここに限った話ではない。魔光石が眠る鉱山には魔物が付き物でな。例に漏れず、魔物達が我々を待ち構えている。だから絶対に私達の前に出るんじゃないぞ。いいな?」
リーチェはニッコリと笑いながら釘を刺した。だが笑顔に込められた威圧感は半端ない。
ユウトは無言でひたすら首を縦に振った。
こうして一同は洞窟に足を踏み入れる。魔物の多くは先の通路に集中してるらしく、入り口が見える段階ではその影すら見当たらない。
入り口の光が遠ざかっても進めば進むほど洞窟内は明るくなっていく。
「こりゃあアリゼが来てたとしてもガッカリしただろうな」
何せ肝試しの必然のお供である暗闇がないのだ。これでは怖いものも怖くなくなる。
「何か言ったか、ユウト」
「いや、別に。この様子じゃ幽霊や人魂なんて出るわけ無いなあと思っただけ」
「…………」
「リーチェ?」
「ゆ、ゆゆ幽霊などこの世に存在するわけなかろう!」
と、力説するリーチェは誰が見ても分かるくらい怯えきっていた。
「……そうだな。そんなの、この世にはいないさ」
その証拠として人魂というのはプラズマで発生する自然現象なんだよ、と言いたいユウトであったが、この世界にそもそもプラズマなんて概念があるのかも分からない。下手にあれこれ言うよりも、彼女の心配を取り除いてやるほうが先決だと判断した。
ただ、姿無き者に怯える近衛軍の隊長に少々の不安を覚えたのは確かだった。
暫く歩くと一行は一際広い空間に出た。
ドーム状の空間だ。魔光石が鋭利な槍の穂のような形で幾つも壁から突き抜けており、そのどれもが光り輝いている。おかしいのは魔光石がなくて岩肌が露出しているはずの壁は何か黒い苔のようなものに覆われていることだった。
奥には先に続く道が続いている。きっとあの先に異音の正体があるな、とユウトは直感的に思った。
「全員、得物を構えろ。お出迎えのようだ」
リーチェの言葉が合図だったかのように、黒い苔が一斉に赤い光点を発して動き始めた。
それを見てユウトは青ざめた。何故ならその黒い苔の正体は全長三十センチ超の巨大な蜘蛛だったからだ。
超常現象は何ともなくてもこういう現実的な脅威は駄目だった。ただでさえおぞましい生き物が蠢く姿を見てリーチェの後ろで身を縮ませる。
「後ろからも来るぞ! 決して気を抜くな!」
一方のリーチェは何とも感じてないようだった。勇ましく隊員を鼓舞し、眼前に迫った蜘蛛を斬りつける。緑色の血液が一刀した部位から噴出するが意に止めない。
そこから先は近衛軍は獅子奮迅の勢いだった。くれどもくれども現れる蜘蛛の魔獣達を見事な連携プレーで片付けていく。
最初はこの空間の壁一面を埋め尽くすほどの数いた魔獣達も気がつけば数えられる程になっていた。
お陰で萎縮していたユウトもすっかり立ち直り平然としていた。リーチェの頼もしさに改めて感心していた。
ふと何気なく奥に続く通路を見た。魔獣との戦闘を行った事で位置もこの空間に訪れた時とは変わっている。ここからだと上手く通路の先が見えたのだ。
奥はここ程ではないにせよ小さな空間が出来ていた。部屋の中ほどで小さな段差があって、その左側には大きな魔鉱石の水晶がある。そして段差を登った先の地面の真ん中には宝箱よろしく、蓋付きのバスケットが鎮座していた。
その場違いなものの存在に一瞬眉を顰めるが、それがすぐに異音の正体なんだと判断する。
事が落ち着き次第確かめねばならないものを確かめて気を抜いた所でユウトは見た。
奥の空間で蠢く蜘蛛の姿を。バスケットにゆっくり近づき、獲物に赤い瞳を向ける姿を。
異音の正体は分からない。だが、生物の発する音も出していたと街の人達は語ったらしい。
もしかしたらあの中には生き物が……?
周りを見る。リーチェ達は目の前の蜘蛛たちを倒すのに精一杯で、今すぐあの場に駆けられる者はいない。
傍観しているユウト一人を除いては。
「――ユウト!?」
隙を見てユウトは飛び出した。蜘蛛の数は減っているので突破は余裕だった。
万が一のためにと渡された護身用の剣を鞘から抜く。
今にもバスケットに襲いかかりそうな蜘蛛をリーチェと比べると非常に情けない斬り方で一刀両断した。
「はあ、これで一安心か」
バスケットにゆっくりと近づく。出口の方を見ると、リーチェと数名の隊員がこちらを仰天の目で見ていた。
少し焦ったけどこれにて一件落着――。
「後ろだ、ユウト!」
「え?」
必死なリーチェの叫び。
振り返ると、真後ろの壁にもう一匹蜘蛛が張り付いていてこちら見ていた。
視認するのを待っていたかのように、蜘蛛はシャッと飛び出して――
「やれやれ、世話が焼けるね、キミは」
ユウト目掛けて襲いかかってきた魔獣を一人の兵士が切り払った。
「た、助かった……。ありがとうございます」
「礼はいいよ。それよりもここにはまだ数匹残っている。ボクが片付けておくから、キミはそれを持って彼女たちと合流するんだ」
「ああ、すまない」
ユウトはバスケットの取っ手を掴むとリーチェ達のいる出口へと走っていく。去り際に後ろの彼が言った。
「……彼女によろしく伝えといてくれ」
「勝手な行動は慎めと言っただろ!」
「わ、悪い。つい無我夢中で……」
リーチェ達の元に戻ると、蜘蛛は既に掃除されていた。そして案の定説教を受ける。
勝手な行動をしたせいで危険な目に遭いかけたのは事実だ。言い訳のしようもなく、シュンと項垂れる。
それを見たリーチェがごほん、とわざとらしく咳をして、
「……まあ、無事だったのならそれで良い。異音の正体と思われる物を保護したんだろう?」
彼女は手に提げたバスケットを見つめた。
「ああ。確証はないけど、多分これだと思う。リーチェの配慮があったからこうして持ってこれた」
「私の配慮?」
「ほら、一人突っ走った俺のために隊員を一人送り込んでくれただろ? そのお陰で俺は奇襲を受けずに済んだんだけど……」
言葉尻が徐々に萎んでいく。
リーチェが訝しげな顔を作った後、隊員を見回して、目があった隊員たちも首を横に振るだけ。
なんだか様子がおかしい。
「なあ、ユウト、その隊員とは誰のことだ? 私はそんな指示をした覚えはないし、他の隊員達も見ての通りだ」
「いや、でも……」
改めてユウトも隊員を見回すが、該当の人物は見当たらないように思えた。そもそも彼の後ろ姿しか見えなかったため、どんな顔をしていたのかも分からない。
「なあ、もしかしてだけど、ユウトが見たそれは」
リーチェが声を震わせながら言う。
「……幽霊だったりはしないか?」
「…………」
静寂が場を包む。普段なら一笑する場面でも、状況が状況だけにユウトも何も言えなかった。
「そ、そんなことよりこれだ、これ! 街に迷惑かけてたこいつの正体を確かめよう!」
「そ、そうだな! その通りだ!」
わざとらしく話題を逸らして場を取り繕う。
ユウトはバスケットにかかった蓋をゆっくりと持ち上げ、中に入ってる『それ』を見た。
「こ、これは……!」
『それ』を見た一同は驚愕の声を上げた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ウルカト王国の国王であるディオン・ベルクシュトレームはこの日を心待ちにしていた。
理由は単純。公務のために遠征に出していた娘のアリゼが今日帰宅するのだ。
どんな立場になっても人の親なのは変わらない。愛しい娘と会える喜びから浮き足立っているのが誰の目から見ても明らかだった。
「アリゼ様のお帰りです!」
近衛兵の一人が知らせる。
ついに来た。ニヤケが出ないようにディオンは気を引き締める。
最初に姿を見せたのはリーチェだった。
「ただいま戻りました。魔獣異常発生の件、我々近衛軍の活躍により解決に導きいたしました」
「調査と依頼しておったはずだが解決までしたのか。流石よのう。詳しい話は後で聞こう。して、アリゼとユウトの様子はどうじゃ?」
「それが……」
傅いた姿勢のまま、リーチェは何とも言えぬ表情を見せる。
「何かあったのか……!?」
「いえ、そういうわけではないのですが……。陛下には大変失礼な言葉を申し上げますが、その、見て頂いた方が早いかと」
リーチェがこのような言い回しをするのは珍しい。
不安を感じながらリーチェに下がってよい、と言った。
彼女と入れ替わるように件の二人が前に躍り出てくる。アリゼの隣を歩くユウトは困惑顔で、対照的にアリゼは見たことないほどの笑顔だった。
そしてそんなアリゼは腕に何かを抱えていた。
帰りの挨拶をするよりも先に思わず訊ねてしまった。
「……アリゼよ、お前が腕に抱えているそれは何だ?」
ディオンの問いにユウトが慌てた。アリゼに静止をかけようと口を開けるが、彼は間に合わなかった。
「これは……この子は私達の子です」
そしてアリゼは手に抱えた『それ』――生後三ヶ月程の赤ちゃんをディオンに見せつけた。
瞬間、謁見の間が驚きの悲鳴で満たされ、親であるディオンは座ったまま卒倒した。




