1話「器量の大きさ」
馬車の中で少女は一抹の寂しさを含んだ慈愛の笑みを浮かべていた。
事の顛末についてはある程度予感していた。
始めからそれを知っていてもなお、少女は彼女と過ごす時間を大切にしてきた。
その間は楽しいことばかりだったし、大切な人の事も更に知ることができた。
辛いけど、それらの思い出があれば別れの悲しみを乗り越えられると信じていた。
なのに……。
少女は問う。
――何故、と。
これは少女が疑問を持つまでのお話。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「麗しゅうなられまして……。私らが顔を拝めるなんてとんでもない幸運ですなあ」
「いえ、私こそ皆さんと会えたことが幸運です。私はこうした時間を大事にしていきたいんです」
一歩引いたところでユウトはアリゼが街の住民と話す様子を眺めていた。
重大な物事を決定づける意志力とか、責任の重さに対する強靭な心は足りないかもしれない。が、誰かと触れ合い、それを大切にする心構えは十分立派だ。ここだけ見れば十分国を治める器があるといえるだろう。
ただ、それだけでは王にはなれない。王制の国で生まれたわけではないが、ユウトは漠然と思った。
「ユウト、丁度いいところに。聞きたいことがあるんだ」
物思いに耽っていると後ろから声が掛かる。すっかり元気になったリーチェだ。
「どうかしたか?」
「怪しげな商人を見かけなかったか? 話を聞き出そうにも影みたいにスイスイと消えるんだ」
「よく分かんないけど大変そうだな。悪いけど怪しい人物に心当たりはないよ」
「そうか……。で、ユウトはそんな所で何してるんだ?」
「お姫様の護衛」
リーチェが話し込むアリゼを一瞥する。
「成る程な。我々も今少々忙しい。アリゼ様の事は任せた。頼りにしてるぞ」
あのリーチェから頼りにしてるなんて言葉が聞ける日が来るとは思わなかった。プロメウヒ砦の一件で完全に信頼されたと見える。
「ああ。……といってもシリウスさんに比べたら心もとないけどな」
「分かりきってることを言うな。第一、ユウトは兄上とは違う」
「ほう。ってことは、俺を一人の男として見てくれてるってことだな?」
「ば、馬鹿を言うな! そんなこと一言も言ってない!」
「……少し顔が赤いけど熱でもあるのか? 顔逸らさないでこっち見ろって」
「う、うるさい! 時間を取らせて悪かったな。私はここで失礼する!」
リーチェは足音を鳴らしながら早足でその場を去って行ってしまった。
砦での一件は信頼関係以外にも変わったものがある。それが今のような彼女の態度だ。
からかっておいてなんだが、少々困ったことになってしまった。態度が軟化したのは嬉しい事だけど、そこに余計な事を付け加えなければこうはならなかったのに。
街の中心部に全長十メートルにも及ぶ大樹が立つ、碧の街・ナンディガンド。山脈地帯を挟んだ先にあるプロメウヒ砦に向かう際の休憩地として知られている。また、物資などもこの街から砦に運ぶので重要な補給拠点にもなっている。自然に囲まれた壮大で穏やかな街だった。
そこに訪れたのはつい先日。プロメウヒ砦への遠征を終えて王都に戻る途中だ。
行きの際にも寄ったのだが行きは宿で泊まったぐらいでのんびりしてる時間はなかった。逆に帰りは食料の調達や視察も兼ねて少ない日数ではあるが滞在することになっている。
リーチェの様子がおかしくなったのはナンディガンドに辿り着く数日前……プロメウヒ砦を発つ前日のことだった。
怪我も随分と回復したリーチェと共に彼女の母親・ミルカの部屋を訪れた。
「重ねて言うが今回の件、ご苦労だったねリーチェ」
「いえ、私は結局此度の件では何もすることが出来ませんでした」
「何、あまり気にしなくていい。ただでさえお前は大変な立場なんだ。よくやってくれたほうだよ。それに娘が生きて帰ってくれた……。それだけで私は充分だ」
ニコッとミルカは母親としての笑顔を見せた後、隣に立つユウトに顔を向けた。
「ユウト様には感謝しております。魔物の大量発生を解決するどころか娘の命を救っていただくなんて」
「娘さんを助けることが出来たのは私の実力ではなく運の力が大きいです。それに魔物の件も解決と言っていいのかどうか……」
「……確かに報告だけを見れば多少の心残りはございます。しかし当面の間脅威が去ったのは事実。そのことには変わりありません」
美しいが気品のある顔立ち。やはりリーチェの親だなと思った。
「ただ、一つ疑問があるのですが」
「今は仕事の話をしているわけじゃない。畏まる必要はないよ、リーチェ。で、何だい?」
「何故私とユウトの二人だけをこの場に呼んだのですか? アリゼ様がいるのでしたらユウトがこの場にいるのも納得なのですが……」
この日、公の場でユウト、アリゼ、リーチェの三人で似たようなことをした。にも関わらず、ミルカは何故か二人だけをこうしてプライベートで呼び出していたのだった。
「実は……ユウト様に私事なお願いがありましてね」
「私にですか?」
<魔界>で邂逅した魔族達のことだとユウトは想像した。あの場での一件を詳しく知る者はまだ少ない。事実を経験した自分達だけが引き受けられる何かがきっとあるのだろう。
しかし、ミルカの次の発言は斜め上のものだった。
「リーチェを……私の娘をよろしくお願いしたい」
「……え? 俺にリーチェを……? え?」
「母上、急に何を……」
ミルカは乾いた笑いをすると、ぽつりぽつりと語り始めた。
「戸惑うのも無理はありません。しかしユウト様、貴方はご存知のはずです。シリウスとリーチェの関係を。当時忙しさを盾にほとんど何もしなかった私が言えた義理ではないのですが、リーチェは随分長い間寂しい想いをしていたと思います。厚かましいお願いなのは重々承知しております。ユウト様にはシリウスに代わって傍に付いていただき、娘を見守っててもらいたいのです」
それは確かに過ぎたお願いなのかもしれなかった。赤の他人であるユウトがシリウスの代わりを務められるはずがない。
だがそれでも、二人のことを知る身としてはやれることはしてやりたい気持ちであったのも確かだった。全てとまではいかないが、一部でもシリウスの肩代わりになるのならばミルカの頼みを受け入れたい。
と思ったが、話はそれで終わりではなかった。
「そしてゆくゆくはリーチェを愛人として囲ってやってください」
ミルカの爆弾発言にユウトは呆気にとられ、リーチェはむせた。
「な、ななな……何を言ってるのですか母上!? あ、あああ愛人!? ユウトの!? どういうこと!?」
動揺しすぎて口調が変わっているが、誰もそのことに気づく様子はなかった。
「ユウト様は王家の正当な血筋を引いてるわけではありません。しかしアリゼ様の伴侶となればいずれお高い地位に就くのは確実……。それぐらいの地位をお持ちであれば、愛人の一人や二人を囲うのもおかしくありません。それに、女を一人でも多く侍らせていれば男としての器量も上がります。決して悪いお話ではないはずです」
「この国一夫多妻制じゃないですよね!? 現に国王だってエリナさん一筋ですし!」
実際はディオンがエリナに夫婦としての実権を握られているからではあるが、多少の誤差は考えないでおく。
「素晴らしいことでもありますが、それが絶対とは限りません。私は夫が他の女を娶っていたら許しませんが、娘がそれを望むのならば私は止めません」
「は、母上、ちょっと待……」
「安心しなさい、リーチェ。あの頑固親父は私がどうにかして説得しておくから」
その時のミルカは今まで一番頼もしい顔をしていたとリーチェは後に語る。
「ちがあああああう! 話を勝手に進めないで下さい! そもそも何故! 私が! ユウトと愛人に!? しかも決定事項!?」
「だってユウト様はアリゼ様とご結婚なされてるし、残された手は愛人しかないじゃない」
「残された手ってどういうこと!?」
完全に母と娘の喧嘩だった。親の前だとリーチェは少女らしい口ぶりになるらしい。
「そりゃあ貴女……大好きな異性と結ばれるための手段に決まってるじゃない」
その瞬間、ピタリとリーチェの動きが止まる。
「母上、誰が誰の大好きな異性でしょうか……?」
「え、だって貴女ユウト様のことが好きじゃないの?」
ミルカはキョトンとした顔で言葉を返した。
「な、ななな……! 私がユウトを!? そんなわけあるはずがない!」
「でも怪我が治って私に彼への感謝を述べる時の貴女は女の顔をしてたわよ?」
「気のせいに決まってる!」
「なら、ユウト様を正面から十秒見つめてみなさい」
「造作も無い!」
いきなり頬を両手で挟まれ、強引に顔を横に向けられる。リーチェが睨むようにしてこちらを見てくる。顔がかなり近い。おでこが今にも触れ合いそうだ。今の今まで愛人やらなんちゃらと話していたせいか、変に意識してしまう。
……のだが、先に根を上げたのはリーチェだった。見る見るうちにその顔を赤くし、綺麗な水晶体を右に左にウロチョロさせる。
「ああああ!!」
手を両肩に置き直し、ガバっと距離を離してくる。顔を真下に向け、身体を小刻みに震わせている。
「こ、これは直前まで変な話をしていたせいだからな! 決して好きとかそういうわけじゃないからな! か、勘違いするんじゃないぞ!」
と言い残し、リーチェは部屋を飛び出してしまった。この間僅か十秒にも満たない。
「……ミルカさん。絶対遊んでますよね……?」
「そう見えたのなら謝りますよ」
ミルカは満面の笑みを浮かべていたのだった。
……とまあ、このような事があって以来、リーチェはああなってしまったわけである。
魔族という新たな脅威も出てきたのに余計な困り種がまた一つ増加だ。
はあ、とため息をつくとそこに誰かと肩がぶつかった。
「あ、すいません」
「いえ、こちらこそ」
「……って、あれ? まさか話題のユウト様ですか」
ぶつかってきた相手が興味津々といった様子で話しかけてくる。
ユウトよりも少し小さめの背。前髪が長く、目元が隠れて顔はハッキリしない。細いわけでも太いわけでもない普通の体格でこれといった特徴は見つけられない青年だ。声からしてユウトより多少年は上だというのは分かった。
「ええ、まあ、そうですけど」
「本当ですか!?」噂のお人に会えるなんてツイてるなあ……って、すいません!」
勢いが余ったのか馴れ馴れしく両手で手を握りしめてきた。それに気づいた青年は慌てて手を放す。
「あはは……面白い人ですね」
頬をかきながらユウトは言った。
初めこそユウトに興味を示してくれる人は多いが、やはりアリゼの人気には適わず今のように一歩離れた所で見ているか隣で見守るのがユウトの役割だった。
だからここまで興味を抱いてくれる彼を珍しいと感じていたのだった。
「飛び入りでお姫様にプロポーズした人には勝てませんって!」
「……それを言われると弱いな……」
「馬鹿にしてるわけじゃないですよ。むしろ尊敬してるぐらいです。一夜にして有名人なわけですから。でも気をつけてくださいね」
「気をつけるって何に」
青年が心なしか微笑んだように見えた。
「敵に、ですよ。目立ってるってことはそれだけ人目に付かれてるわけですから」
「その辺はきちんと護衛してもらってるから心配する必要は……」
「僕が言ってるのは外ではなく内のことです。もし忠誠を誓う王家に突然よそ者が紛れ込んだ場合、本当に忠誠心が高い者がどんな行動を取るか……それが分からぬ御方ではないはず。そうですね、例えば――」
「ユウトさん! お待たせしてすいませんでした」
ハッと振り向くと膝に手をついて荒い息を繰り返すアリゼが立っていた。
「そ、そんなに急いで何かあったか……?」
「いえ、ユウトさんを長い間お待たせしてしまったので急いで戻っただけです。それよりもお取り込み中でしたか? もしそうだとしたらとんだお邪魔を……」
「あ、いや、気にしなくていいよ。ちょっとした雑談をしてただけだし。そうだ折角だしアリゼを紹介――ってあれ、いない?」
青年の方に向き直るがしかし、彼は忽然と消えていた。
結局彼が何者なのか、何を言いたかったかは分からずじまいだ。何だったんだろう、と思いながらユウトはある言葉を思い出す。
――話を聞き出そうにも影みたいにスイスイと消えるんだ。
「まさか、な」
「……ユウトさん?」
「……何でもない。暗くなってきたし宿に戻るか」
ナンディガンドの中ならどこにいても一望できる大樹をユウトは見た。鐘が鳴るように梢が揺れ、まるで何かが起きるのを知らせているかのように感じた。




