7話「雷の降る夜に」
「こりゃあ……中々止みそうにないな」
ユウトは窓ガラスに当たっては散る雨の粒を見ながら呟いた。
「もしかしたら明日も一日雨模様かもしれないな、こりゃ」
「ただでさえもう一日が終わろうとしているのに……これでは無駄な一日が増えてしまう」
「……今日の一日は無駄だったか?」
わざと哀愁を醸しだして言ってみると予想以上に効果があったらしく、リーチェはあきらさまに狼狽した。
「あ、いや、そういうわけではなくてだな……。折角一週間の日にちを貰ったのだから、アリゼ様の期待に応えられるように鍛えあげたいというだけで、別に……」
「分かってるよ。冗談だ。悪い悪い」
「……貴様というやつは」
ジロリと目を細めて睨んでくる。苦笑して誤魔化した。
どうにか雨が本格的に降る前に屋敷に戻ってこれたユウト達は買ってきた物資を適切な場所に運び入れた後、多少の休憩を挟んで晩御飯を食べることにした。本日の料理担当もユウトである。若い女性騎士のためにも特に栄養バランスに気を使って献立を選んだものだった。
そして出来上がった料理を二人して平らげ皿を片付けた後、しばし団欒タイムに突入というわけだ。
「まあ、自然界に文句を言っても仕方ない。明日も雨天だったら大人しく掃除に励むとしよう」
「ああ、それがいい」
「その時はレイナから培った技術を大いに発揮してくれ。……さて」
リーチェが椅子を引いて立ち上がる。
「自室に戻るのか?」
「ああ。万が一晴れだったことも考えて、ユウトも明日遅れないようにするんだぞ?」
「分かってるって」
リーチェに返事をした瞬間、窓から刹那的に天明が差し込んだ。「おや?」と振り向くと同時に空から地を割るような音が響いてきた。
「ついに雷まで降ってきたか。今夜は荒れるな。雨が侵入してこないように窓はしっかり施錠しろよ。……って」
「雷怖い雷怖い雷怖い……」
「……リーチェさん?」
またも振り向いて今度はリーチェの方を見ると、彼女は頭を抱え込みながら縮んで丸くなっていた。その大きなダンゴムシは立て付けの悪い窓が強風に晒されるようにガタガタと震えていた。
リーチェが近衛兵隊長らしからぬ女の子らしさもきちんと持っているのは理解したつもりだったが……まさか雷にまで弱いとは予想外だった。この分だとお化けとか幽霊の類も駄目だったりするかもしれない。
どうするのが正答なんだろう……。もう一度雷が落ちて、「ひぃっ!」と怯えた声を上げた誉れ高き守護神を見ながら答えを探し求めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
雷に震えるリーチェをどうにか宥めて部屋へと連れて行った。短い道のりながら「すまない」「駄目だな私は」「雷怖い」といった内容の囁きを繰り返していた。彼女としてはみっともない部分を曝け出しすぎて既にプライドがズタボロ状態なんだろう。いつしか心の中で「なんかゴメン」と謝っている自分がいた。
割り当てられた部屋に戻るとベッドにボスンと倒れ伏した。
「はあ、少しだけ先が思いやられるな」
不遜、尊大、高貴……そんな言葉が似合う若き女騎士の女らしい部分を見たいと願ったのは確かだ。だがしかし、誰がここまでやれといった。
まあでも、自分に対して心を開いてくれた嬉しさと、彼女は決して高みの存在ではなく身近な人物であることが分かっただけ良いのかもしれないと勝手に納得する。
ユウトは最後に大きく息を吐くと、ベッドの傍に置かれているランプの灯りを消して仰向け状態になった。天井を少し眺めた後にゆっくりと目を閉じる。
異世界に来てから就寝の時間は自然と早くなっていた。元の世界と違って夜更かしするような要素がないからだ。同時に身分が身分なだけにだらしなく昼間まで寝ているわけにもいかないので、起床も早い時間となる。以前のように夜更かしして昼間に起きて、みたいなだらしない生活からは完全に脱却した。異世界は健康にも良いものらしい。
闇に覆われた世界の外で一際大きい雷鳴が轟いだ。
隣の部屋にいるリーチェは大丈夫だろうか。毛布の中で身体をくるめていたりして。……もしかしたら、明日の朝は悄然としているかもしれない。
なんて考えていると、コンコンとノックをする音が聞こえた。
「すまない、ユウト。中に入っていいか……?」
「うん……?」
ドアが開け放たれる音がしたので目を開ける。たった今心配していた少女が寝巻き姿で何故か枕を抱えて立っていた。
「なんだ、さっきの雷で怖くなって、同時に寂しさに襲われでもしたのか?」
軽口を叩きながら、明かりを点けてむくりと上半身を起き上がらせる。
普段のリーチェなら、怒って「そんなわけあるか!」と反駁するところだ。それでいつもの調子を取り戻してくれれば万事解決である。
「よ、よく分かったな……」
「…………」
ニヒルに笑ったまま、ユウトは固まった。予想していた返答と違う。今の彼女は騎士じゃなくて弱い少女なのだ。ほんの少し彼女の本髄に触れてしまったことも弱さを素直に出す原因となってしまっていたのだろう。そのことに気づけなかったのがユウトのいけないところだ。
「ま、まあ、部屋を訪れた理由は分かったけど俺に出来ることなんて何もないぞ?」
「別に何かする必要はない。ただ……」
「ただ?」
リーチェは顔を背けてしばらく躊躇った。ゆっくりと顔をユウトの方に向けて告げる。
「……その、私もこの部屋で寝ていいか?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
何故こんな事になってしまったんだろう。昼間のデートは浮気か否かで考えたらまだギリギリセーフだろう。しかし、今宵は違う。しばし言い争いをしてベッドにリーチェが、ユウトが床に寝て、互いに相手の方に体を向けて寝ないようにという制約を付けたものの男女が同じ部屋で一晩を過ごすという時点でもうアウトだ。
相手がリーチェだから間違いは起こらないはずだが、それでも何があるかは分からない。ふとした行動が一夜の過ちを犯してしまう可能性は決してゼロではない。
ごめんよ、アリゼ。でも何があっても他の女と交わったりなんかしない。大丈夫、俺には素数を数えて気を紛らわせる究極の方法があるから心配するな。そら、1・2・3・5・7……。
「ユウトの前だと私は弱くなってしまうな……」
ボソリと呟かれた言葉にユウトの思考は遮断された。
「それは多分、お前があの人にどこか似ているからなのかもしれない」
「……あの人って?」
聞くべきかどうか少し迷ったけど、そのまま口にすることにした。
「以前少しだけ話したろう。私の兄だ」
リーチェは素直に答えを返した。
「雷が降る夜は今日みたいに兄の部屋に訪れていたのか?」
「ああ。……といっても小さい頃の話だけどな」
ユウトが体を向けた先にはタンスがあった。そのタンスの上には幼い頃のリーチェとその兄らしき人物が収まった写真立てが置かれている。
「なあ、どうせこのままじゃすぐに寝れそうもないし、良かったら話してくれないか。リーチェの兄のことを」
リーチェはしばし無言のまま壁を見つめていたかと思うと、やや寂しそうな声を発した。
「……そうだな。たまには昔語りもいいだろう」
いつしか雷は止み、静かな雨音だけが世界を包んでいた。




