6話「王都再び」
必要な物を買い出しに行くだけ。これは決して浮気なんかではない。この二言を呪文のように唱え続けながらユウトは一晩を過ごした。
多少は寝れたものの、お陰様で気分はどんよりとしてる。
美少女と二人きりでお出かけが嬉しくないわけないのだが、妻を裏切ったような罪悪感と過去のある事情から嫌でも暗澹たる気持ちになってしまっていた。
ユウトの心模様を表すかのように曇天が空一面を覆い、陽光を遮っていた。
扉越しに起床を促され、まず一階に降りて二人分の朝食を作った。それから買い物に行く準備を整えるために一旦解散。一時間後にエントランスに集合という流れになった。
リーチェはユウトよりも先に起きて簡単に体を動かしていたそうだ。既に昨日の家事が出来ない、普段の事を思えば情けない少女からいっぱしの毅然とした騎士に立ち戻っていた。それだけが今の所ユウトの救いだった。
ちなみに準備とはいってもユウトがするべきことはほとんどなかった。服もワイシャツに近い白地の服に、これまたジーンズに近い青と茶のズボンが何着かあるだけでお洒落するほどの余裕はない。持ち物も城を出る際に支給されたお金ぐらいで、身なりは非常に軽かった。
なので出発までの一時間、昨日散々したはずの掃除を更に細かく丁寧にすることで時間を潰したのだった。
「建物の掃除だけじゃなくて、お前さん体の洗い方も教わっておけば良かったな」
本館の脇に設置されてある厩で、ユウトとリーチェを城からここまで運んくれた馬に呟く。目の前の彼は今日も王都まで二人を運送する役目が与えられる。
「すまない。待たせたな」
馬の首筋を撫でていると、背後からリーチェの声。どうやら準備を終えてやって来たようだ。
「まあ、女の子だし支度には時間がかかる……」
振り返りながら軽口でも叩こうと思ったが、リーチェの姿を見た途端、全ての思考が吹き飛んだ。
くるぶしまで丈のある黒いコルセットスカートに、簡素な白のシャツ。ただ、ボタンや袖は光が当たるときらびやかに反射し、当人の美しさをそこに反映したようだった。
彼女には悪いが、見た目の割に色香はあまり感じない。というのも職業柄か銀色の軽鎧をまとっていることがほとんどで、時たま見せるアンダーシャツ姿が体のラインをくっきりと出していて、そこで初めて女性として意識するのである。
が、目の前の彼女は多くの人間が想像する中世の西欧に登場する絵画から出てきたような壮麗な女性で――普段の崇高な姿が嘘のように思えるほどだった。
「あ、あまりジロジロ見るな。恥ずかしいだろ……」
「あ、ああ。悪い……」
リーチェが時たま見せる女の子らしさに狼狽するのがもはや普通になってきてるが、今回は特にやばい。今までみたいに仕草や発言ではなく、見た目がもう可愛すぎるのだ。
このドキドキを常に感じながら今日一日過ごさねばならないと考えると、その後の嬉しさと気苦労さが想像出来た。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
リーチェが処世的な服装をしてくれたのはある意味正解だったのかもしれない。
隣を歩く女性があまりに美人過ぎて、ユウトとは釣り合っていなかったのである。
以前、アリゼとの結婚式で民衆に広く顔を広めてしまったけれど、浴びる視線は高貴な人間を物珍しく見るようなものではない。ほとんどがまず顔の広い有名な近衛兵隊長の私服姿に目が行き、次に「あれが噂の……」という感じで目を向けてくる。正直な子供達は「威厳を感じない普通の人みたいだね」なんて言って親に怒られていたが、ユウトはむしろその通り!と同調してやりたかったぐらいだ。
というわけで、ユウトへの興味は二の次で誰も二人がデート中だなんて思ってない様子だった。これなら噂が流れたりすることもないだろう。
「王都に行きたいと言っていたが、行く当てはあるのか?」
リーチェがこちらに顔を向けて聞いてくる。直視するとこちらが恥ずかしくなってきそうなので、顔を前に向けたまま答えた。
「うん、まあ。前にお世話になった人の所に行きたくて」
ただ買い物をするだけならわざわざ王都に出向く必要はなかった。しかしお姫様にプロポーズ事件以来、王都に姿を表すことはなかったため、お世話になった人物に挨拶が出来なかったのだ。なので買い物を兼ねてあの時のお礼が出来たらいいなと思い、王都を希望した。
王都であるラウニヌスの中央広場には王城へ続く大通りを筆頭に幾つかの道と繋がっている。その内の一つに商店通りがある。通りの両端にズラッと屋台が並び、朝から晩まで人の盛り上がりが消えることはない。流石にブリジット王子の凱旋があった時よりは勢いが少なくなっているが……それでも祭のような喧騒に包まれていた。
異世界に来て、暫く都民生活をしていた時にもお世話になった場所だ。ユウトは懐かしさを覚えつつ、ある店の前に向かう。
「おおーい、おじさん元気してるかー?」
目当ての店を見つけると、まだ店がきちんと存在していたことの安心感と久しぶりに故郷に訪れたかのような郷愁感から明るい声が出た。
店先に整然と並べられた彩り明るい果物の奥から、やる気のない濁ったような音声が飛んでくる。
「ああん、誰だ?」
訝しげに目を細めながらおっちゃんは顔を出した。ユウトの顔を認識すると、不機嫌な表情から少年のような笑顔に変化していく。
「おお、お前、ユウトじゃねえか! いや、久しぶりだな。元気してたか?」
「お久しぶりです、おじさん。見ての通り元気にしてましたよ。おじさんこそ、きちんと経営が続いていたんですね」
「おいおい、あまり舐めんじゃねえぞ、小僧」
口の割には楽しそうな語調で、果物屋のおじさんはガハハと豪快に笑った。
「それで今日はどうしたんだい?」
「ちょっと近くに寄る用事があったんで挨拶しておこうと思ったんです。別れの挨拶も出来ませんでしたから」
「それは別に構わねえが……驚いたのは事実だぜ。昨日まで普通に話してたはずのユウトが広場で変なことをしでかしかと思えば、その数週間後にアリゼ様と結婚して王族の仲間入りだ。普通の人間なら何が起きたか理解できねえぞ」
「ええ、まあ……当時はお騒がせしました」
あの時は酔っ払ったような変な勢いがあったもので、今となっては自分でも驚くようなことをしたと感じている。
「こうして顔を見せてくれただけでも嬉しいけどな。――それで、何だ。可愛い妻を紹介しにきたかと思いきや、早速浮気か?」
おじさんはユウトの後ろで呆けていたリーチェに視線を動かす。
「そういうのじゃなくてですね……。王族は王族で色んな事情があるんですよ。誓って浮気でもデートでもないです」
「やましい男はそうやって言い訳するもんなんだけどな。お嬢ちゃん……ってよく見れば近衛兵長のリーチェ・アルバーナ様じゃねえか!」
今頃彼女の正体に気づいたらしく、おじさんは驚きの声を上げた。
リーチェは軽く会釈をすると、
「お初にお目にかかる、リーチェ・アルバーナといいます。ユウトの言うとおり、変な思いはなくて簡単な買い出しに出ているだけです。……失礼ながらそちらの殿方はユウトと古い知り合いで?」
「ええ、まあ。古いとまでは言えませんけどね。でも、誰よりも早く最初にユウトに目をかけたのは俺ですよ。市場で迷子の子猫のように首をキョロキョロしていまして」
あの時の事をユウトは思い出す。
周りに知人のいない一人きりの異世界生活……。寂しさや心細さに加え、先刻出会った少女の陰影がこびりついて、心は穏やかさを失っていた。それでも生きていくためには行動するしかなくて、思い切って市場に赴いたのはいいものの、祭のような賑いに心が付いていけなかった。とっとと帰ろうと決めて身を返した時、渋いバスボイスがユウトの足を引き止めた。
――そこの意気消沈してる坊主。せめて顔を上げねえと未来は見えねえぞ。
「では、ユウトと出会う前の彼のことは何一つ知らないんですか?」
「以前、旅の最中だとは聞きましたが……」
回想している内に話の流れがとんでもない方向に流れていた。
「おっちゃん、リンゴ頂戴! 他にもやらなきゃいけないことがあるから、そろそろ行かないと。な、リーチェ?」
かなり強引に誤魔化した。リーチェは怪訝そうな顔を浮かべていたが、何も言わずに引き下がった。
お金を渡すと、おじさんはリンゴを一つおまけで付け加えてくれた。
「ま、色々大変だとは思うが頑張れよ。これは予感だけどよ……お前さんなら何かドでかい事をしてくれるんじゃないかって俺は期待してるんだ」
「期待に応えられるかどうかは分かりませんけど……。でもありがとうございます。おじさんもお元気で」
「おうよ。じゃあ、またな。姿が見えなくてもお前さんのことを応援してるよ」
おじさんの渋い大人の声はこの喧騒の中でもよく響き、その姿が見えなくなるまで残響として残り続けた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
一通り必要な物を買い揃えた後、馬車に戻って荷馬車に荷物を置いた。
その頃には正午をとっくに通り過ぎていたので、適当な店に入って腹を膨らませた。知的クールなイメージを持たれているリーチェに、異例の姫婿であるユウトは店中でも注目を集めた。視線を浴びながら飯を食べるのは落ち着かなかったが、リーチェは平然とした顔で行儀よく料理を口に運んでいた。
店の外の通りはまばらに人が歩いているぐらいで、市場ほどの賑わいはない。多少は慣れたものの、一日中注目を浴び続けるのは気がおかしくなりそうなのでよかったといえる。中央広場から離れたところに馬車を停めよう。と提案したリーチェに感謝の思いだ。
食後の運動も兼ねて通りを散歩するかのように歩く。
「こうしてまったりしてると眠たくなってくるなあ……。これで天気が快晴なら文句はないんだけど。リーチェもそう思わないか?」
少し待つが返事がない。あれ、と思って隣を一瞥するものの、リーチェの姿が消えていた。つい先程まで横に並んで歩いていたというのに。
首をさらに横に動かして、背後を見る形になる。するとリーチェが物欲しそうな目でウインドガラスを見ている様子が視界に入った。
彼女に忍び寄るように近づいて、後ろから何を覗いているのか確認する。店のウインドガラスには、白をベースにピンクに近い赤で刺繍を施したフワフワのウエディングドレスのようなものが飾られていた。
以前、アリゼが言っていた言葉を思い出す。確か「少し大きめのフワフワとした」というワードを羅列していた記憶がある。なるほど、目の前の衣装はそれにピッタリ当てはまる。
「そのドレス、欲しいのか?」
「う、うむ。……って、ユウト!?」
一人でショッピングしてた時に知り合いに突如声をかけられたのなら今の反応も納得だが、ついさっきまで一緒にいたのに驚き過ぎではなかろうか。
意外と不器用な子だな、と思いつつ言葉を加える。
「そんなに欲しいなら買ってもいいんじゃないか?」
「いや、買っても着る機会などそうそうないし、それに手持ちがそこまでなくて」
衣装の下に置かれている値段を覗きこむ。物を買う時に服の値段も見たが、それに比べたら随分高い。前の世界でいう、高級ブランド品のようなものなのかもしれない。
しかし現在ユウトが所持している所持金ならば、買ってもお釣りが出る。
「着る機会は自分でどうにかするしかないな。でも手持ちについてはどうにかなる。……そうだな、日頃のお礼も兼ねてプレゼントするよ」
「ぷ、プレ……!? だ、駄目だ駄目だ!」
「どうして?」
「どうしてもこうも、私は貰う立場ではない」
「王家の人間の厚意を無駄にするのか?」
「そ、そういうことではなくて……。それに、渡されたお金をこんな事で使うなんて」
「お金は貯めてるだけじゃ、経済が回らない。円滑な経済サイクルこそ、国にとっても国民にとってもプラスになるんだ。ってことでほら、行くぞ」
半ば強引に手首を取って入店する。お、おいと渋るリーチェが変なことをする前に店員を呼ぶ。
「はいはい、何でしょう。……って、リーチェ様にユウト様!? こ、この店に何の御用でしょう!?」
「あー……そんなに畏まらないでください。今日は普通の客として来たんで。外に飾ってあるドレスってまだありますか?」
「ええ、はい。まだ在庫は残っておりますが……」
「サイズを合わせることって出来ますか? 彼女にプレゼントしたいんですが」
隣でリーチェが「ま、待て待て」と慌てているが無視して話を進める。
「採寸さえ取らせて頂けば可能です」
「だったら是非お願いします」
リーチェの背中をぐいと押して前に立たせる。困惑気味のリーチェは初めて都会にやって来た田舎の女の子のように助けを縋っていた。しかし、そんな田舎者の少女に若い女性の店員が熱く手を握る。
「任せて下さい、ユウト様。私、常々リーチェ様のようなお方に服を見繕いたいと考えていたのです」
……これは今日分かったことだけど、リーチェの人気は男性だけでなく女性からも厚い指示を受けている。どうやら悪の手から大事な者を護る騎士として大分神格化されてるようで、特に若い女性から羨望の眼差しを向けられていることが多かった。お姉さま気質というやつなのだろう。
「待て、私は一言も良いとは……」
「店員さん、彼女の言い分は聞かなくていいんで」
「王家の人間には私、逆らえませんので! すいませんリーチェ様!」
「お、覚えてろ、ユウトオオオォォォ……」
リーチェの怒りの声は、店の奥に引きずる店員によって徐々に小さくしていった。
それか暫く経ち、店員が満面の笑みで店の奥から出てきた。
「さあ、ユウト様。ご覧あれ!」
店の奥からモデルのように姿を現したリーチェの壮麗さにユウトは息を飲んだ。
リーチェは長い髪と体型のお陰で女性であると一目で判断できるのだが、髪を短くして体を鎧で包み込んでしまえば、中性的な男性と見間違えてしまってもおかしくない。
しかし今、ユウトの前にいる彼女は深窓の令嬢のようで、どこかの国の綺麗なお姫様であるといわれても納得しただろう。どっからどう見ても、普段は剣と盾を構えて国を護ろうとする威厳高き騎士とは思えない。
「うう……恥ずかしい」
「何言ってるんだ。すごく似合ってるじゃないか」
リーチェは顔を真赤にして、裾をギュッと掴んでいる。
先まで着ていた私服も破壊力抜群ではあったが、それが今や足元にも及ばないぐらいである。真正面から見つめることができたのは奇跡だった。
「うん、可愛いぞ、リーチェ」
瞬間、リーチェはボンと小さな爆発音を上げたような気がした。羞恥心が限界に達して、蒸気が溢れてきた……のかもしれない。
その後、リーチェは口を開かず、ユウトも気恥ずかしくなってどう声をかけたらいいのかわからなくなる。困った挙句、店員に顔を向けて、
「えっと、じゃあ……この服下さい」
すると、店員はまたもや満面の笑みを浮かべた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「くっ……余計な買い物をしてしまった」
リーチェが文句を垂れるように呟く。けれどその手に抱えるドレスの入った袋は大事そうに抱えていた。
「まあ、どうしても気に入らないっていうんなら煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
「そ、そんな捨てるようなことはするか! 生涯大事にする!」
「流石にそれは大げさだと思うが……」
「……は!? 今の言葉は忘れてくれ!」
ははは、とユウトは笑う。所々でドキドキさせられた良い一日だった。リーチェとも更に親密になれた気がするし。
最後は若干、たがを外しすぎた気がしないでもないが……浮気レベルではないはずだ。
アルバーナの屋敷に行く際、リーチェから教わったやり方で馬を走らせる。進めば進むほど建物の数が減り、緑が増えてくる。朝よりも暗雲が立ち込め、豊穣な色彩はモノトーンになっている。
折角なら、綺麗な風景を拝みたかった。そう願った直後、ユウトの頬にポツリと何かが当たる。ついで頭に、腕に冷たい感触が走る。段々と何かが当たる間隔は狭まっていき、ついには……。
「あちゃ、降りだしてきちゃったか」
屋敷までは後少し。全速力でいけば、ずぶ濡れになる前に帰れる。
徐々に黒みを増していく空の下をユウト達は駆け抜けた。




