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異世界でお姫様と結婚しました  作者: 高木健人
3章 高邁な騎士
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5話「アルバーナ家の館」

 王都といっても、その全域が人や建物で賑わっているわけではない。

 かつてユウトが暮らしていた日本という国の首都・東京もそうであった。中心部には巨人もかくやという高層ビルが立ち並んでいるが、ひとたび中心部から離れたらその限りではない。首都といえど、田園で埋め尽くされた田舎のような閑散とした場所もあるのだ。

 リーチェ・アルバーナの一族が所有する屋敷もそのような在郷に位置していた。


 敷地は野球場一つと陸上競技における四百メートルトラックが同時に収まりそうなぐらい広大だった。その一面に芝生が敷き詰められている。ただし、外周部に近づくほど芝は無作法に伸び、ただの雑草と化してしまっていた。

 


「しばらく帰っていなかったから手入れが入っていない。……この様子だと母上も帰宅してなさらぬようだ」



 先導するリーチェが言い訳がましく口にする。

 折角の休暇だというのに、色気のない無地のシャツを着込んだリーチェをジッと見つめる。素材が良いのだから、もっと可愛らしい服装を着ればいいのに。しかし言った所で彼女が行動に移すわけでもないのでユウトはグッとこらえた。



「……どうした? 何か言いたげだな」

「いや、別に。本館に辿り着くまで数分歩く必要があるなんて立派な血筋なんだと感心してた」



 入り口の門扉をくぐった先、この広々とした土地の中心部からやや後方にリーチェが実際に暮らす館がある。それは王城であるウルカト城には大きさも絢爛さも遠く及ばない。しかし家族で暮らす家としては破格の容積かつ絢爛さだった。

 いかにも洋館然とした屋敷の入り口に立ち、リーチェが玄関を開ける。ユウトも彼女に続いて中に足を踏み入れた。

 入り口のホールには左右の壁にそれぞれ二つの扉が付いており、入口正面にはそれらよりも一際でかい扉がある。部屋の中央には巨大な円マークが描かれており、その東端と西端から二階に続くアーチ状の階段があった。それを登るとテラス状の踊り場に出て、入り口からも見える美しい婦人の絵が壮大な迫力で目の前に広がる。踊り場から左右に道が別れ、それぞれの道の先には部屋に続く扉が二つあった。

 入り口から一歩館に足を踏み入れただけでも計九箇所の部屋の存在が確認出来た。来客を迎える巨大なエントランスホールも思わず感嘆するほどだった。もしここにテレビ関係者やミステリ作家が訪れたら「アルバーナ家の殺人」などと物騒なタイトルが付けられそうな作品が生まれそうだ……と騒々しい考えが浮かんだ。



「一階は主に来客用あるいは食事や団欒のために使われる。ユウトも来客……どころか地位だけを見れば貴賓ではあるな……。今さらだが、私はとんでもないことをしてしまったのではないか……? 母上に知られれば一族に泥を塗ったと思われるのでは……?」



 説明してくれてたはずのリーチェが途中から独り言にシフトする。気品高き一族とはこうもめんど……いや、大変なのかと密かに思った。

 


「あー……別に一般の客扱いでいいぞ? 家族に何か言われるようだったら俺からも説明するし」

「そ、そうか? すまない、少しみっともないところを見せてしまった。それで一階には館に訪れた客人専用の部屋があるのだが、ユウトは一週間近くここに住まうわけだろう? なら客室ではなく、二階の部屋に案内しようと思うが構わないか?」

「泊まらせて貰う身だし、よっぽどのことがない限り文句は言わないさ」

「そうか。なら付いてきてくれ」



 先行するリーチェの背を追いかけてアーチを描く階段を登る。



「この部屋を使ってくれ」



 二階の左側にある二つの部屋の内、奥の方のドアの前でリーチェが言った。



「分かった。しかし二階は基本的に家族の部屋なんだろ。元々誰の部屋なんだ?」

「兄の部屋だ」

「兄の……って、ええ!?」



 衝撃的な発言に思わず首をとんでもない早さでリーチェの方に向けた。



「何をそんなに驚く。私に兄がいたことは前に話しただろう」

「話してくれたから驚いてるんだよ。だって、この前聞いた限りじゃリーチェはお兄さんのことを慕ってるようだったし、そんな人の部屋を俺なんかが使っていいのかって……」

「……兄が亡くなってから暫くして片付けようとしたんだがな。ここを片してしまったら兄という存在まで消えてしまうんじゃないかと怖くなって、結局当時のままだ。あれから数年経った。このまま一切使われることがないというのも勿体無い。それにユウトは兄と性別も同じだし年も近いから、きっと使いやすいと思うんだ。折角だ。兄のためにも使ってやってくれないか?」



 そういう理由があるのなら納得だ。ユウトは首を縦に振った。



「そういうことならありがたく使わせてもらうよ」

「うむ。ただ、暫く手入れを入れてないため埃が溜まってるかもしれん。それだけは勘弁してくれ」

「誰かさんのお陰で掃除の腕は大分一級品になったからな……。使わせて貰ってるお礼も兼ねて綺麗にしとくよ」

「私から招いておきながら手を煩わせる形になってすまないな」

「何の。日頃の特訓でお世話になってることを考えたらこれぐらい当然さ」



 ユウトに割り振られている特訓の時間は本来、リーチェ自身の鍛錬や近衛兵の指導に使われるものだ。それらの貴重な時間を割いて付き合ってくれる事を考えたら掃除程度で返せる恩じゃないはずだ。



「そう言ってくれると助かる。では、私の部屋は隣だから、何かあったら呼んでくれ」



 そう言ってリーチェは荷物を持って隣の部屋へと入っていった。

 中に人がいないのは知っているものの、ユウトはノックしてから「失礼します」と言いながらドアノブを回した。

 リーチェの兄の部屋の内装は非常に簡素なものだった。ベッドにタンス、一式の机と椅子といった最低限必要な家具しか置かれていない。部屋の面積が広いため、大分空間が余っていた。



「ここがリーチェのお兄さんの部屋か。なるほど、同じ血を分かちあっただけあるな」



 彼がどんな人物だったのかはまるで知らないが、その予想は大体見当がつく。誇りが高く、公私の公を重んじるリーチェが憧れていたという程の人物だ。さぞやリーチェと同等、あるいはそれ以上に真面目で堅物で立派な騎士だったのだろう。

 荷物を置いて一休みしたところで内部をさらに詳しく見て回ることにした。

 埃が溜まってるとは言ってたが、思っていたよりも部屋は清潔だった。窓の取り付け部分などの細かい部分には流石に汚れていたが……しかし気にすることはないだろう。今のユウトならば、鬼姑ですら納得せざるを得ないほどの高度な掃除技術を有しているのだから。

 タンスの中身はほとんど空だったが、一番下の段にだけ私物と思われる物が詰まっていた。その内の一つ、写真立てのようなものを発見したので取り上げる。



「これは昔のリーチェか……?」



 写真と形容してもおかしくないリアルなその絵は二人の幼い兄妹を描いていた。片手剣を肩に担ぎ、屈託のない笑顔でピースをする少年と、そんな少年を憮然と眇める少女……しかし表情とは裏腹に少年の空いた手をギュッと握りしめている。

 見ているだけで仲の良さが伝わってくる絵だった。家族だけが編み出せる暖かさを内包しており、見ているだけで穏やかな心地になってくる。

 俺も昔はこうやって無邪気に過ごしている時期があったはずなんだけどな……。

 感慨深げに過去のアルバーナ家の兄妹を見ていると突然、隣の部屋から悲鳴のような声が聞こえてきた。そのすぐ後にドサドサと、何かが崩れて落ちていくような音が続く。

 ユウトは顔を上げて、写真立てを机の上に置くと部屋を飛び出した。リーチェの部屋の前に立つと一瞬どうするか考えたが、構わず突撃することにした。いつも余裕を醸し出しているあの武人が何とも情けない声を出すほどの事態が起きたのだ。ここで悠長にノックして入室の許可を頂いている場合ではない。



「どうした!? 大丈夫か、リー……チェ」



 勢い良くドアを開けた先にはクローゼットから溢れだしたのだろう、服の津波の残骸と、それらから飛び退いたと思われるリーチェが身を縮ませていた。……しかも、下着姿で。



「ゆ、ゆゆユウト!?」



 乱入者に気づいたリーチェは慌ててその身を手で隠そうとする。顔を真赤にさせてあわあわと手を動かしていた。



「み、見るな! というか、貴様、見たな!?」



 弁解の余地もなく罪人認定である。

 確かにユウトの目には艶かしいリーチェの身体が目に入っていた。着痩せするタイプなのだろう、長くスラっとした肢体。女性なら誰もが憧れる曲線美を描く腰のくびれに、活動的な女性とは思えないほど潔白の肌。そこに黒のセクシーな下着を付けた少女の姿は、西洋の彫像に命を吹き込んだかのようだった。

 しかし、主にユウトの視線を集めていたのはリーチェのあられもない姿ではなく――その真ん前に散在する数多の服装だった。よく見れば、物が落ちた衝撃で埃が舞い上がってるではないか。しかも散らかっているのは服だけではなく、床の至る所に私物が放置されている。

 これは、これは……"王家たるもの、美しさを追求することは当然の義務であり、真っ先にやらねばならいないことなんです"。



「――掃除だ」



 まるで涼しい顔して厳しい……どころか調教といって言い域まで丹念に、正確に、事細かく掃除や王家の者の世話を担当する銀髪ショートカットのメイドに洗脳されたかのように、ユウトはゆらりと体を揺らす。



「――王家たるもの、美しさを追求することは当然の義務であり、真っ先にやらねばならないことなんです」 

「ゆ、ユウト? レイナが口にするような事を何故お前が……」



 リーチェは下着姿でいるのも忘れて、ただならぬ様子のユウトに声をかける。

 瞬間、ユウトの目が妖しく光った。



「そこを、どけえええ! 清掃の時間だああああ!」



 獲物を狙う肉食動物のように俊敏に移動したかと思うと、雪崩を起こした服を拾い上げて一瞬の内にクローゼットに納めていく。しかもシワ一つ残さないような整然さを持って。

 一番の大物を片付け終えると、次に辺りに散らばった私物達を回収していく。そして分類別、あるいは見栄えが良いようにタンスの上や机の上に並べていく。あまりの速さにリーチェも馬鹿みたいに眺めていることしかできない。



「お次はあれだ!」



 私物を回収中、ベッドの下に何かがあるのが見えた。かなりの大物だ。さあ、これもお片付け! お片付け!

 


「取ったどおおおお!! ……って、あれ、これは……クマ?」



 ユウトがむんずと掴み上げ、ベッドの下から救いだしたのは抱きまくらほどの大きさの可愛らしいテディベアだった。



「ああ、そういえば以前レイナがベッドの下に可愛らしいぬいぐるみを隠してるって言ってたな~。これがそれか。うん、女の子らしくて可愛いじゃないか」



 冷静さを取り戻したユウトは冷や汗をかきながら乾ききった声を出す。

 視界の端でリーチェがむんずと何かを掴んだ。細長い筒らしきものだった。何かに取り憑かれたように体を揺らしながらユウトに近づいてくる。



「……私のベアトちゃんを見てしまったな……?」

「へ、へえ、この子ベアトちゃんって言うんだ。良い名前じゃないか。ベアトにリーチェ。イタリアの貴族の女性か、黄金の魔女を意味する高貴な名前だ、うん」

「……秘密を知った者には容赦しない」



 リーチェは細長い筒……よく見れば木刀であるそれを構えた。



「あー……お手柔らかにお願いします」

「問答無用だああああ!!」



 ――直後。アルバーナ家の館で事件が発生した。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「弁明のために言わせてもらうが、あの暴走は決して俺のせいじゃないんだ。信じてくれ」

「ああ、重々承知してる。あの澄ました顔をしてるメイドのせいだろう」



 あの後、互いに頭を冷やした二人は気まずい空気の中、とりあえず夕食にしようと一階の食堂にやってきていた。



「最初は慣れない俺に気を遣ってたのか、優しく手ほどきしてくれたんだ。けど徐々に慣れていく内に、毎回同じ言葉を呪文のように唱えて、その呪文を聞いたら掃除狂になるよう躾けられてて……」

「それ以上は言わなくてもいい。初めはふてぶてしい使用人が一ヶ月も経てば慇懃なメイドになる。これは今のメイド長だから成し得てることだと、エリナ様が仰っていた」



 うう、と両手で顔を覆うユウトをかばうようにリーチェが言った。どこか優しく、それでいて恐怖の感情がこもっているような調子だった。



「思うんだけど、レイナは軍の指導に当たらせるのが一番性に合ってる気がするんだが」

「彼女にその手の経験があったら真っ先にお願いしてるさ」



 近衛兵隊長にも認められた教育長、もといメイド長のレイナ・パージュ。彼女は一体何者なんだ……。



「まあ、もうこの話はいいだろう。それより夕餉(ゆうげ)にしよう。先程も言ったが、ユウトは招待客だからな。私が料理を提供しよう」

「おお、そりゃ楽しみだ」



 王家だけあって毎日高級そうな料理を食べているが、庶民的であるユウトには家庭的な料理が好きだったりする。それにリーチェ程の美女の手料理となると、男ならば否応なしに期待せざるをえない。

 得意げに笑うリーチェは細長いブロック的なものを皿にさっさと並べていく。一つの皿にそれぞれ三つずつ、色も全て異なっている。二皿分用意し終えた彼女はそのうちの一枚をユウトの前に置いた。



「……リーチェさん、これってあれですか。カ○リーメイトですか」

「聞いたことのない代物だが……? これは現在我が国で開発中の携帯食料だ。これだけ小さいのに栄養満点。腹も意外と膨れる。味のほうについては、まだ課題が多く残っているが……。私のオススメは茶色のチョコ味だ。さあ、召し上がれ」



 リーチェは顔を輝かせながらカ○リーメイトを薦めてくる。



「なあ、リーチェさんよ。あまり人の食生活にとやかく言いたくないけど、毎日こんな物ばかり食ってるのか?」

「手頃に食べれるからな。時間が惜しい時には優先して食している」

「たまの休暇でもか……?」

「ああ」



 キッパリと言う。

 今、この瞬間も時間が惜しいというなら、まあ分かる。しかしどう考えても時間は有り余っているのに手軽さを優先した。しかも日常的に食べているという。

 ユウトは無言で席から立ち上がった。



「食材はどこにある?」

「ど、どうした?」

「いいから。食材はどこにあるかだけ教えてくれ」

「教えるのは構わないが……あまり量はないぞ?」



 困惑するリーチェに付いて行き、食料の保存庫に案内される。言葉通り幾つかの野菜と干し肉ぐらいしか食材はなかったが、これだけあれば簡単な野菜料理が作れる。

 


「ちょっと待ってろ」



 基本的にこの世界の食料は、レトルト食品などを除けば元の世界と同じである。故にユウトでも以前の世界で培った技術を元に簡単な物なら即席で作ることが出来た。

 野菜を切り、干し肉も細分化して油を引いたフライパンに乗せる。炒めながら塩と胡椒を使って味付け。良い具合に火を通した後、それらを二人分の皿に盛り付ける。見た目を良くするために、少し余らせておいた野菜を中央にチョンと乗せた。



「ほら、簡単なソテーだ。食べな」

「あ、ああ……」



 料理を差し出した際は未だ困惑中だったリーチェだが、一口頬張ると目の色を変えた。そのまま二回、三回と口に運んでいく。



「う、美味い……! ユウトは料理が出来るのか!」

「そんな感動するほどのことじゃないって。俺も昔は……いや、何でもない」



 一人暮らししてたしな、という言葉は飲み込んだ。リーチェの前で異世界から来たと言ったことはあるが、恐らく彼女は信じていない。ただでさえ異世界から来たことを公言すると面倒なことになるから、事情を知ってる者以外の前ではこの世界に来る以前の話はしない方が良いという判断だった。



「とにかく、いくら栄養が入ってるからってそんなものばかり食べてちゃ駄目だ。緊急時は別として、食える時はきちんとした物を食え」

「……と言われても、恥ずかしながら私は料理が苦手……というより、あまりしたことがなくて」

「さっきの口ぶりから予想は付いてよ。お世話になってる身だし、ここに寝泊まりする間は俺が食事を用意する。ただし、俺がいる間はその携帯食料で済ますのは禁止。分かったな?」

「あ、ああ。迷惑をかけるな」



 部屋の散らかりようといい、料理の出来なさ具合といい、リーチェは騎士としては有能だが女子力はほぼ皆無なのだろう。まあ、普段の様子を見れば何となく想像のつくことだ。特に文句はなかった。



「今日はどうにかなったけど、明日からのことを考えると食材が少なすぎる。というわけで明日、買い物に行くぞ。食材だけじゃなくて掃除用具や足りない生活品も必要だろ?」

「多分……」

「なら、明日は二人でショッピングに決定だ。折角の休みなんだから、どうせなら楽しむぞ!」



 リーチェは顔で難色を示した。仕事一色のリーチェには難しい注文なのかもしれない。しかし、そこは自分の力を持ってカバーする他あるまい。

 明日に向けて気合を入れたところでユウトはふと気づく。

 ……あれ、これってデートに誘ってるみたいじゃないか、と。




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