4話「リーチェの誘い」
「ここが二人の愛の結晶なんですね」
「リオン様、それを言うなら愛の巣です」
「そうですね、間違えました。ここが愛の結晶を形成する愛の巣なんですね……!」
「いい加減黙ろうか二人とも」
隣でアリゼが愛の巣と愛の結晶という単語に首を傾げている。これ以上変な知識を身に付けさせないためにも、邪な心を持つ人間を止めなければならない。
注意を受けたリオンは、それでも舞を踊るように楽しげに部屋の中を眺め回す。その様子をレイナが慈悲深い眼差しで見つめていた。
アリゼとのんびり部屋で過ごしていたら突然リオンがレイナを引き連れて部屋にやって来た。理由を尋ねたら「よく考えてみたらお二人の部屋にまだ訪問していなかったので来ちゃいました」と答えた。要約すると暇だから遊びに来たということだ。
「何にせよ、ここでお二人の仲が日々進展しているのは間違いではないんですよね。意中の殿方と二人でイチャイチャと……ああもう、アリゼ様が羨ましいです」
「ユウトさんに変な所を見せるわけにはいかないので良いことばかりではないですよ。それでも毎日が充実してるのは確かです」
「まあ! アリゼ様がのろけてらっしゃる! 恋すると人は変わるって本当だったんですね」
「いえ、そういう意味で言ったわけじゃ……」
レイナが煎れてくれた紅茶をすすりながらアリゼとリオンのやり取りを眺める。
二人が横に並ぶとやはり瓜二つなぐらいに顔の造形が似ている。体格の方……特に胸辺りはアリゼの方がお子様であるが……。
ただ、ある程度二人と付き合えば両者の中身の違いもよく見えてくるようになる。アリゼは純粋で素直、お姫様であるが献身的で健気である。対してリオンは明るい深窓の令嬢といったような感じで、人並みに恋愛事に関心を抱き、人をからかうのが好きなお茶目な性格をしている。同じような環境で育っても人格は十人十色になるんだなとしみじみと思う。
「そういえばユウト様は今日はお休みなんですね」
いつの間にかレイナは机を挟んで正面の席に座っていた。
「昨日突然休暇を言い渡されたんだ」
「ここ連日、休みもなしにユウト様を振り回していたのに珍しいですね。アサンタ様に注意でもされて休みを設けたんでしょうか」
その時、意識の外で音が鳴った。話に夢中でユウトは気づかない。
「リーチェはそんなタマじゃないと思うけどな。それに初っ端の訓練を反省して、今では毎日続けて出来るような抑えめな内容になってるし」
「ではどうしてでしょうか」
「さあ……? 男じゃないかな。ずっと働き詰めで人恋しくなってるだろうし、相手にも寂しい思いをさせてる。だからあらかじめ会う約束をしていて、今日がその日だったと」
「なるほど。一理ありますね。リーチェ様の性格でしたら恋人との逢瀬を公にしたりしないでしょうし」
「リーチェの場合、変に隠すよりおおっぴらげにした方がいいと思うんだけどな。あんだけの美人だ。周りの男が想いを寄せないはずがない」
「周りの男と付き合っているからこそ、関係を隠しているんではありませんか?」
「あー……そういうことか。確かに職種を考えると社内恋愛はキツいしなあ」
腕組みをして腰掛けに体重を預ける。
「色々と噂をしてるようだが、残念。私に恋人などという大層な者はいない」
と、後ろから凛とした声がした。
「え?」
振り向くと玄関に続く通路の先からムスッとした表情をしたリーチェがリビングに入ってきた。その少し前にはアリゼが苦笑いを浮かべて立っていた。
「あれま、今日はどうしたんだ?」
「昨日ユウトには休暇を言い渡しただろう? その訳を話しに来たのだが、今日は人が多いな……」
リーチェはリオンと目を合わせると「リオン様、ご壮健のようで何よりです」と頭を下げた。リオンは「いえいえ~」と笑顔で手を振った。
「私とリオン様は暇を持て余して遊びに来ただけなのでお気になさらず。それともお邪魔のようでしたら退散いたしますが」
「レイナ達が出てく必要はないよ。俺とリーチェが個室に移動すればいいだけだし」
「お気遣い感謝する。が、特別な話というわけでもなし、このままで構わない」
レイナが席を横に一つずらし、リーチェがユウトの正面になるように座る。その流れでアリゼとリオンもユウトの両隣に腰掛けた。
「で、訳っていうのは? わざわざ言いに来るってことは何かあるんだよな」
「そのとおりだ。うちの兵団は交代制を取っていてな。私は立場上、休みは少なめにしているのだがそれでも最近はあまりにも働き過ぎだと部下が労ってくれてな。やらねばならない事はほぼ済ませてあるし、遠征までの一週間は身を休ませてもらうことにしたのだ」
「良い職場だ。どこぞのブラック企業も見習ってほしいとこだ」
ひとりでにうんうんと頷く。この場にいるユウト以外の人間は頭にクエスチョンマークを浮かべていた。
「ま、とにかくリーチェは休暇に入るわけだな。ただ俺の訓練はどうなるんだ?」
「実はそのことを話しにきたのだが……」
いつもは明朗に話すリーチェが珍しく言いよどむ。
「……ほら、ユウトはこの前『リーチェに手ほどきしてもらうのが強くなるための一番の近道だ』と言ってただろう?」
右にいるリオンが「まあ!」と目を輝かせる。横目で睨んでその先の発言を食い止める。
「私以外の者に後を任せようとも考えているのだが、もしユウトが望むなら休みの間も私が稽古を付けようと思うんだ。……どうだ?」
「そりゃありがたいけど、折角の休みだろ? プライベートの時間を削ってまでっていうのは流石に申し訳が立たないんだが」
「ああ、いや、その点は問題ない。休みの間も鈍らないように体を動かすつもりではいるんだ。そのついでだから、負荷がかかることはない」
俺ってまだ「ついで」レベルなのね。さり気ない言葉に少し気を落とす。
「ですが休暇の際、リーチェ様は実家の方に戻られるはずです。毎日城に通ってユウト様の面倒を見るということですか?」
素朴な疑問をレイナが尋ねる。
「実家といっても、今は帰っても私一人しかいない。しかし無駄に敷地だけは広くて手が余るのだ。空き部屋もあるし、ユウト一人ぐらいなら引き取ることは出来る」
「……ってことは、その場合俺はリーチェの実家に赴くってことか?」
「まあ、そうなるな」
と、リーチェは頷いた。
「な、なななな何と!」
右隣のリオンが椅子を引いて立ち上がろうとしたが、肩を抑えて暴走を止める。
「……なるほど。リーチェ様も大胆ですね。正妻の前で堂々と不倫を持ちかけるなんて……」
しかしレイナがそれを許しちゃくれなかった。
リーチェの顔がみるみる赤くなっていく。
「な……! べ、別に私はそんなこと欠片も考えていない!」
「ですがですが、両親のいない家に招き入れるなんてそういうことでしかないですよ」
既にストッパーが解除されたリオンには歯止めが掛からない。とてもイキイキとした顔をしていた。
「ご、ご冗談をリオン様! 第一、私はユウトのことなんてこれっぽっちもそのような対象で見たことは……」
「そうでなくとも男と女なのです。一週間も同じ屋根の下で過ごしていれば、気を許すことだってあるでしょう。背徳的な情愛……ああ、なんと美しいことでしょう」
リオンの教育は間違えたんじゃないかと心の中で思う。アリゼとリオン、どうしてこうも差がついたのやら。
「……これじゃ埒があかないな」
暴走するリオンとレイナを見ながら呟いた。
と、視線を感じてそちらを見ると無垢な瞳を浮かべたアリゼがこちらを見ていた。
「ユウトさんはどうしたいんですか?」
「どうとは?」
「ユウトさんの目的のためにリーチェと過ごしたいですか?」
「まあそりゃ、リーチェに直接指導してもらえるならしてもらいたいけど、アリゼはいいのか? その、俺が他の女の人の家に……しかも両親がいない状態の所に行くことは」
「何を直接指導してもらうんですかねえ」と、どっかで聞いたような語調になったリオンの口元を塞ぐ。
「私は構いません。何よりもユウトさんにはきちんとした目的がありますし、それを達成するためにリーチェの力は必要ですから。それに私はユウトさんを信じてます。だから私のことは気にしないで下さい。仕事で短気出張したと考えればいいことですから。……ただ、ちょっと寂しくなっちゃいますけど」
えへえ、とアリゼはほんの少しの寂しさと夫を見送る優しげな笑みをユウトに向けた。
その時、一瞬だけど胸が締め付けられたような気がした。
「……分かった。今回はアリゼの意志も組んで是非厄介になるよ」
「ほ、本当か?」
「ああ。――また明日からもよろしく頼む」
手を差し出す。リーチェは快く握り返してくれた。
こうしてユウトは一週間の間、城の外へと出て行くことになったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
リーチェと話がついた後、各位関係者に話を伝えた。
ユウトは少しのお金(金貨二十枚で少しとは流石王族と感心した)と一週間分の必要な荷物を用意した。驚いたことに、キャリーバッグはこの世界にも存在していてそれに詰め込んだ。
準備を終えるだけで一日はあっという間に終わり、ぐっすりと睡眠を取ってからもう一度準備が完了しているか見直した。
そして外出が決まってから一日半が経過し、ユウトとリーチェは高く昇った太陽の下に立っていた。
「アリゼ様、ご安心ください。戻ってくる頃には身も心も鍛えあげた状態でユウトをお持ち帰りいたしますから」
「あはは、期待してます」
「……俺は今しがた少し不安を覚えたけどな」
何気ない会話を少しの間交わして、そして。
「それじゃアリゼ、皆、行ってくる」
「はい。お気をつけて」
二人は数人に見送られながら城外へと足を踏み出した。
「あっという間に行ってしまいましたね。これも愛のなせる技でしょうか」
「まるで逃避行みたいですね」
「あの、お二人に少しお尋ねしたいことがあるのですが……」
二人の背中が見えなくなった頃、アリゼはおずおずといった様子でリアンとレイナに話しかけた。
「どうしましたか、アリゼ様」
「実は昨日言ってた言葉の意味を教えて欲しいのです。不倫とはどういうことですか?」
無垢な瞳を浮かべるアリゼに、二人は顔を見合わせた後、ニマア~と唇を楽しげに歪めた。




