2話「特訓開始」
ユウトは死んだ目を浮かべて人前に立っていた。
しかし、そんな彼の様子に気づくものはいない。
「今日より暫くの間近衛兵団で共に訓練することになったユウト・ベルクシュトレームだ。王族といえど、訓練期間中は我々と同じ立場だ。皆、快く受け入れようじゃないか!」
近衛兵団の隊長であるリーチェが紹介と併せた号令をかけると、立ち並んでいた兵士たちは一斉に声を上げた。
「よかったな、ユウト。我ら近衛兵一同、お前の入隊を喜んでいるぞ」
リーチェは今までに見たことがないくらい喜色を混ぜて笑顔を見せた。
今のユウトにはその笑顔が恐ろしくてたまらない。ほんの数時間前までは平和だったというのに……。
アリゼと組み合った翌日。
自分よりも一回り小さい少女に負けたことにショックを受けつつも、育ちが違うのだから仕方ないと無理矢理納得させて普段の業務に取り掛かろうとした。
が、そこにリーチェがやってきた。何の用かと問うと、彼女は呆れたように言った。
「昨日言ったばかりじゃないか。私に特訓を依頼したのはお前だろ、ユウト」
勿論そのことを忘れてしまったわけではない。でも、その言葉は負けたショックでつい漏れ出してしまったことで別に本心というわけではない。それにリーチェが師範を務めるとなると……彼女は容赦しない、多分。
以上のことからとぼけて話を有耶無耶にする気でいた。
「ああ、それね。一時の気の迷いだよ。本当は俺だって特訓したい気持ちは山々だけど、他にもやらなきゃいけないことはたくさんあるからさ。俺が抜けたらレイナさんの負担が増えちまう。そう、俺は城を清潔にするという崇高な役割が……」
「別にユウト様がいなくても問題ありませんよ」
ニコニコ顔のレイナがユウトの言葉を否定してきた。
「それにユウト様がいない方が手際よく進められるかもしれません」
しかも容赦無く追い打ちまでかけてくる。
「ならユウトを借りても問題ないんだな?」
「ええ。そちらの用事が済むまでご自由にお使いください」
「俺は使い捨ての日用品か!?」
一応王族になったというのにあんまりな扱いである。
「ツベコベ言わずに行くぞ」
「ま、待て! 部屋の隅の汚れが! 埃がまだ残って!」
「安心してください、ユウト様。私がユウト様の分までお綺麗にしておくのでどうか楽しんできてください」
「レイナさんが今の状況を一番楽しんでるよね絶対!」
こうして抵抗むなしくユウトはリーチェに連れてこられたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
動きにくい。
それが鎧を身にまとった最初の感想だった。
「ふむ、着替えてきたか」
ユウトは銀の鎧を着てリーチェの前に現れた。挨拶が済んだ後、着けてこいと命じられたのだ。初めて着る鎧に四苦八苦しながら装着し、一挙一動する度にガチャガチャとうるさく音を鳴らした。
この鎧はどうやら主に新兵が装備するための初心者向けの物であるらしい。
普段リーチェ含めた多くの近衛兵が装備している鎧はこの鎧よりも何倍も重いらしく、鎧を着たことがない人間が装着したら立っているのすら困難だという。それでいて同等の機動力が求められ、実際にあるとリーチェは語る。……こいつら、本当に同じ人間なんだろうか。
「まあ私が身に付けている甲冑も、ユウトが身に付けているのも魔法である程度補助はかけているけどな。確かに機動性は上がるが、万が一戦場で魔法が切れたりしたら立て直しが効かなくなるからあまり良いとは思っていない。……けどまあ、訓練時くらいは大目に見ている」
と、隊長視点のお言葉を頂いた。もっともユウトにとっては自分のことで精一杯で耳を傾けている余裕はなかったが。
「で、着替えたけどこれからどうするんだ」
「まずは身を守る術を覚えてもらう。兵士ではないユウトは攻撃する必要はないからな。自分の身が第一。アリゼ様のような護身術を教授するのは防衛術を一通り身に付けてからになる」
あらかじめ用意していたらしいマンホール程度の大きさの盾を手渡してくる。直径の長さと盾の分厚さから重そうな予感がする。またか、とギョッとしながら受け取るが予想に反して軽量だった。
「その盾は木製だからな。訓練にはちょうどいい」
珍しいものを眺め回すようにしているユウトを見かねてリーチェが説明する。
「まずはその盾を利き手に付けるんだ」
「利き手? 普通逆じゃないのか?」
剣を振るうには利き手の方がやりやすいに決まっている。前の世界の体育の授業で剣道をやった時も利き手でどうにかしないと上手く竹刀を扱えなかった。
「我ら近衛兵団は攻めるのではなく護るために存在している集団だ。武装はあくまで外敵を退けるために仕方なくつけているに過ぎん。ユウトほどではないにしろ、我らも自分の身を大事にしている。それは我々が一人でも欠ければ防御が手薄になるからだ。脆弱になればなるほど攻め入られやすくなる。私達の命は立派に散るためにあるわけではないのだ」
リーチェが近衛兵の理念を語る。
隊長ともなれば近衛兵の存在理由を強く意識するのは当然だろう。それでも何故かリーチェが吐き出す言葉の中には静かな怒りが込められているような気がした。
「……オッケー、分かった。こんなんでいいのか?」
「初めてにしてはさまになってるじゃないか。ではこれからユウトに攻撃を仕掛ける。死に物狂いで凌いでみせろ」
「……コツとか教えてくれないの?」
「こういうのは身を持って知った方が早い。その都度、アドバイスをしてやろう――」
言い終わるやいなや、鞘から剣を抜き取り襲い掛かってくる。咄嗟の動きに思わず後ずさってしまう。
「馬鹿か貴様は! 逃げたら話にならないであろう!」
「ああ、悪い。つい反射で……」
「なら、次に逃げたら練習メニュー追加だ!」
他にどんな練習メニューがあるんだよ!?
心の中で叫びを上げたものの、口にしている余裕はない。再び迫ってくる剣の軌跡に合わせて盾を構える。衝撃が痺れとなって腕を伝う。
「ほう、初めてのくせに防御に成功したか」
「腕はジーンと来てるけどな」
「それだけで済んだのだからマシな方だ」
皮肉に返答してもリーチェは反応せずにユウトとの距離を開ける。
「この調子ならもう少しレベルを上げても大丈夫そうだな。貴様が口だけかどうか見せてみろ」
それから何度も何度もリーチェは斬りつけてくる。
だがそのどれもが決して防げない斬撃ではなかった。リーチェはあくまで調節しているのだ。ユウトがギリギリ反応できるか否かの攻撃を入れてくる。ユウトの反応が鈍ってきたら攻撃を緩め、逆に順応できるようになってきたら更に速度を上げる――。絶妙な手腕だった。
そして幾らか時間が経つと息が切れたユウトは地面に座り込んだ。
「容赦ないな……」
「当然だ。この行いはいつか自分の命を救うことになるかもしれないのだからな」
ゼエゼエと荒らげるユウトとは対照的にリーチェは息が乱れるどころか汗一つかいていない。
「まあ、初めてにしては上出来だ。健闘をたたえてしばし休憩といこう」
「ああ、助かるよ」
いつものように軽口を叩いている余裕すらなかった。かわしきれずに攻撃を受けた箇所をマッサージしたり入念に動かしたりする。
痛むけど痣一つできてないのもリーチェだからこそ成せる技なのだろう。それに攻撃を受けてから気づいたが、彼女が振り回しているのは剣に似せた木刀だ。これも訓練用なのだろう。
大きく息を吸って細かく息を吐く。同じように何度も深呼吸を繰り返していると段々と頭がスッキリしてきた。体は重いが気分は晴れ晴れしている。運動後特有の爽やかな気分だった。
「そういや一つ聞きたいことがあるんだけど」
普通に喋れるほど体力が回復したところで常々疑問に思っていたことを質問してみる。
「リーチェのスタイルだと白兵戦はいいかもしんないけど、この世界には魔法があるだろ? 相手が強いって分かってたら敵もわざわざ近づいてくることもない。離れた位置からじわりじわりと追い込んでいくのが定石だと思うんだけど、その場合はどうすんだ?」
「魔法を使える人間と相対した場合か。基本的に防ぐことが出来れば問題ない」
「それでも相手は安全圏からいつまでも攻撃出来る。それだと消耗するのはリーチェ側だけになっちまわないか?」
「お前も杞憂なことを言うな。……どうせなら体感した方が納得いくか。盾を構える必要はない。立つだけなら疲労困憊のユウトでも出来るな?」
「まあ、それくらいなら」
と、リーチェに立たされる。
リーチェは立ち尽くしたユウトから十メートルほどの間を開けて剣と盾を構えた。
「簡単な再現だ。ユウトは遠距離攻撃魔法を使えると仮定したとしよう。このような位置関係になった場合、ユウトはどうしかける?」
「こんだけ距離が開いてれば反撃もされないだろうし、やっぱ魔法を撃つんじゃないかなあ」
「普通はそうだろうな。ユウトも言ったようにわざわざ接近する意味もあるまい。さて、先ほどの主張だと、私は敵に手出しを出来ないということだったな」
「ああ」
こちらの攻撃を塞ぎながら距離を詰めてくるぐらいなら彼女もやりそうだが、その間に魔法使いもやり方を変えて攻撃を仕掛けるはずだ。十メートルという距離は魔法使いにとってはかなり優位なのである。これを利用しない手はない。
「ならば――しかとその目で見届けよ」
「は?」
リーチェが何かを言ったかと思うと突如強烈な風がユウトにぶつかった。
突風にあおられ思わず目を細めてしまう。
それは一秒にも満たない刹那の時間。だが、それだけあれば充分だった。
風が通りすぎて視界が元に戻るとかつてリーチェがいた場所に彼女は立っていなかった。まるで手品のように消えてしまっていた。
……いや、違う。
首筋に冷たい金属のようなものが押し付けられている。リーチェはユウトの懐に潜り込んでいたのだ。
そのことを認識するのに数秒の時間を要した。
「……え? は?」
「少しぐらいの距離、私にはハンデにもならん」
そう、実に簡単な話だ。リーチェは十メートルの間を一瞬で詰め、ユウトに肉薄した。ただそれだけであった。
しかしそんなことが可能であると考えもしていなかったため、脳がすぐには理解してくれなかった。
地の利はこちらにあると踏んでいた。すぐに攻撃を受けることはないときっと慢心していた。そのような状態で本当にリーチェと敵対していたら、きっと瞬きでもしている内にユウトの頭は蹴り上げられたサッカーボールのように宙に舞っていたことだろう。
そんな想像が頭をよぎり、思わずゾッとする。
「流石に五十メートも離れたとなるとこうもいかんがな」
耳元でリーチェは甘く囁くとスッとその身を引いた。
極度の緊張下にあった身体が途端に弛緩し、へなへなと地面に尻をつける。
「その場合は迎撃班と防衛班に分かれて対処することになる。もっと距離を離れた戦闘ならばそれはもはや私達の出番ではない。それにこのような芸当が出来るのも我が兵団とてそうはおるまい」
毅然とした表情で少女は剣を鞘に収めた。その勇猛たる立ち振舞いは頑健なる騎士そのものだった。
「……改めてリーチェって凄いんだなって感じたよ」
「ふん、私を誰だと思っている。近衛兵団隊長、リーチェ・アルバーナなるぞ」
リーチェはフッと頼もしい笑みを見せた。
休憩が終わるとユウトは再び訓練を開始した。何度も失敗を繰り返し、しかしその度に立ち上がり技術を上達させた。
しまいには全身の筋肉が痛みむ代わりに、表面上の痛みは麻痺してあまり感じなくなった。
そのように過酷な訓練に励み、そして――。
「これにて終了だ!」
「いよっしゃああああ!」
終わりの声がかかると今までの疲労も忘れてガッツポーズをする。
先に訓練を終えてユウトの様子を眺めていた兵士達も彼の頑張りを評価して拍手を送る。……ただ、何故かその目は同情に満ちていた。
「よし、じゃあ部屋に戻ってシャワーを浴びよう。んで飯を食って寝よう。久しぶりに運動したせいかお腹が空いたぜ」
体をうーんと伸ばしながら空を見上げる。晴々しい空がどこまでも広がっている。
部屋に戻ろうと歩き出す。するとすぐに誰かに肩を引っ張られる。
「どこへ行く?」
「どこへって……部屋だけど……」
後ろには訝しげな目をしたリーチェがいた。一体どうしたというのだろう。
「何を言っている。終わったのは午前のプログラムだ。まだ午後の分が控えているぞ。技術も必要だが、やはり真っ先につけるべきは体力だ。というわけで昼食を挟んだ後に体力アップのトレーニングだ」
「……良かったら詳しい内容まで伺ってよろしいでしょうか」
「どれもシンプルなものだから不安がる必要はないぞ。腹筋・背筋・腕立てを各一万回、それと五十キロ走るだけだ」
「…………」
筋トレは百回でもキツいというのに、それを更に百回やれという。走りに至ってはフルマラソン以上の距離を走れという。
自分の顔がどんどん青ざめていくのがわかった。
「なあに、午前も乗り越えられたんだ。午後もがんばろう。少なくとも今は共に歩む仲間だからな。気負わずにいこう」
上機嫌なのかリーチェは可愛らしく微笑む。ユウトにはそれが悪魔の笑みにしか見えない。しかも悪意が見えない分余計たちが悪かった。
もう一度空を仰ぐ。晴々しい空には、後に昇天するであろう自分の笑顔が浮かんでいるように見えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ユウトさん遅いなあ……」
アリゼは自室でポツリと独り言を漏らした。
業務が滞って帰るのが遅れる時は必ず連絡がある。今日はいつもと違って騎士団の方で何かをしているから、慣れない作業で遅れているのは容易に想像がつく。
それでも訓練が終わるのは暗くなる前だと以前リーチェから聞いたことがある。
信頼たるリーチェが近くにいるため大事はないと思うが、それでもここまで遅いと流石に心配になってくる。
一度ソワソワしだすと居ても立ってもいられない。
アリゼは壁にかかった時計を一瞥すると、小さく「よし」と気合を入れて立ち上がった。
玄関を開けて外に出る。この時間になると最低限の灯りはついているものの、廊下の奥の方は暗くてぼんやりする。
キョロキョロと左右を見渡した後、近衛兵達の寄宿舎がある左側へと体を向けた。
そして一歩踏み出した所で――通路の奥、闇に溶け込んだその場所で何かが蠢いているのを見つけた。
あまりにもホラーな光景に思わず小さな悲鳴を上げてしまう。だが恐怖と興味は紙一重なのか、好奇心に駆られてゆっくりと近づいていく。
徐々に何かの輪郭がハッキリとしてくる。通路に蠢くそれは一メートル以上ある蓑虫のようにズリズリと移動してきていた。
逃げるか、それとも近づいてみるか。蓑虫の姿が浮き彫りになると立ち止まり、二択の選択肢が現れる。
一瞬、何かが通路の脇に置かれた灯りに照らされる。そこでようやく、蓑虫の本当の正体を掴む。
アリゼは急いで駈け出した。正体を知った後は怖いという気持ちも、好奇心も全て掻き消えてしまった。あるのは一刻も早く、それに近づかねばならないという責務感。
「ゆ、ユウトさん!?」
その何かの正体とは夫であるユウトのものであった。朝見た時の頼りになる姿はどこにもなく、全身を簀巻きにされたままのような姿になっていた。
「お、おお……アリゼか……」
「ゆ、ユウトさん、何があったんですか?」
頭を膝に乗せる。アリゼにしては大胆な行為だったが、今この場ではそんなことを考えている余裕がなかった。
「アリゼがここにいるってことは、俺、家に帰ってこれたんだな……」
「……ユウトさん?」
「ああ、良か……った」
ユウトはアリゼの膝で絶命……じゃなくて気絶した。
「ゆ、ユウトさん!? 目を覚まして下さい、ユウトさーん!」
ウルカト城のある廊下でお姫様の悲痛な声が木霊したのだった。




