1話「アリゼVSユウト」
今でも時々夢を見る。
その夢では必ず決まって同じ人物が出てきた。
彼は私よりも僅かに背が高い。
私が彼を見上げると不意に手が伸びてきて頭をワシャワシャと撫でられる。
それはとても気持ちよいのだけど、恥ずかしくて振り払おうとする。しかし彼の腕は太くて力強いので押しのけようにも簡単にはいかない。
なので決まって私は諦めて、されたい放題やられるのだ。
「全く、悲しそうな顔すんなよ」
彼は笑いながら手を動かし続ける。
「心配すんな。お前は――」
そこでいつも夢は途切れる。
私はその都度名残惜しいものを感じる。
何故ならその言葉はとても大切な宝物なのだから――。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「おお、よく来てくれたな。固くなる必要はない。楽に聴いてくれ」
ユウト、アリゼ、リーチェの一同は国王に呼ばれて閣議室にやってきていた。リーチェは顔を引き締め、新婚夫婦は目をパチクリさせて話の続きを待つ。
「お主ら三人には近々プロメウヒ砦に遠征に行ってもらいたいのじゃ。アリゼは連日我が王国の守備を務めている常駐兵に激励の言葉を送ってもらいたい。ユウトには国の現状を知るためにも自分の目で視察してもらいたい」
「ええっと、一つ確認ですがプロメウヒ砦は魔物からの侵攻を防ぐ防衛拠点でしたよね?」
ユウトはレイナに教えてもらった知識を頭に浮かべながら確認を取る。
魔物の棲家――便宜上、ユウトはこれを<魔界>と呼んでいる――に隣接するように建てられた長く巨大な砦だ。話を聴いた所、元の世界にあった万里の長城を要塞化させたものと考えて良さそうだった。
長らくの間魔物の侵攻を阻止していた難攻不落の砦であり、その境目がウルカト王国の東の国境線と考えている者も多い。
しかし実際は東側には明確な国境線が敷かれておらず、ウルカト王国と<魔界>は混在している。
とはいえプロメウヒ砦以上より東は魔物が支配しているので国境線と等しい。
……うん、きちんと覚えてる。
自分の記憶力に満足したユウトはこっそり得意気になった。
「うむ。ユウトの言うとおりだ。その言い方だと、学習は進んでおるようじゃな。感心、感心。さりとて聞くだけじゃ学び取れないことも多かろう。百聞は一見に如かずじゃ。この機会に是非座学では得れぬ経験を積んでくるといい。ユウトだけではなくアリゼもじゃ」
ディオン王はじまんの顎鬚をさすりながら言った。
「陛下のお話を伺う限り、私はお二人の護衛を果たせばよろしいのでしょうか」
身動ぎ一つせずに姿勢よく立っていたリーチェが発言する。
ディオンは大仰に頷く。
「その通りじゃ。リーチェには近衛兵団の中からメンバーを選定してもらい、二人に随伴する少数兵団を組んでもらいたい。無論、お主も同伴すること」
「はっ! しかし陛下、お言葉ですが私が必ず随伴する必要性はあるのでしょうか。我が近衛兵団には先鋭が揃っております。アリゼ様とユウト様を護衛するだけでしたら彼らに任せても支障はないでしょう。隊長の私が王城を離れるのはリスクが生じたりはしないでしょうか」
「近衛兵団の優秀さはワシも熟知しておる。それでもお主を派遣したいのは、護衛以外に確かめて欲しいことがあるのじゃ」
リーチェの眉が釣り上がる。
隣で話を聞いていたユウトとアリゼも耳を傾ける。
「――最近、魔物が活発化しておるようでな。今のところ問題はないが、このまま放置しておけば大事に至るかもしれない。その原因を突き止めてもらいたい。できるか?」
「お任せあれ。近衛兵団隊長リーチェ・アルバーナ。陛下の命、確かに仰せつかりました」
リーチェは胸に手を当て、その場に傅いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「遠征か……そういえばここ最近、王城から一歩も出てないな……」
何せ自宅も王城の内部にあるのである。
元々活動範囲が狭いこともあってか、折角の異世界なのにやたらと狭い世界で過ごしていた。
「アリゼ様の伴侶とあろうお方が情けない。せめて運動の一つや二つはしているのであろうな?」
王から遠征の依頼を受け取った三人は並んで歩いていた。
アリゼを挟んで立つリーチェが非難めいた目を向けてくる。
「レイナさんと毎日清掃業務に励んでいるぞ。魔法を扱えないから全て手動だ。意外と体力使うんだぞ、これが」
「私も魔法の才はありませんから、一緒に部屋の掃除をした時は大変疲れました……」
ユウトとアリゼは休みの日に自分達の部屋を大掃除という名のリフォームをしたのだった。普段はやらないような細かいところまで念入りに綺麗にして、終えた後は新居同然となった。召使い達の手も借りず、本当の意味で結婚後初の共同作業となった。お陰で充実感は凄まじかった。疲れ果てて泥のように眠りこけ、翌日二人とも遅刻するなんてオチもあったが……今では良い思い出だ。
「その苦労は確かに想像できる。だが、たかが掃除ごとき、運動しているとは言えないのではないか」
「何を言う! タンスを持ち上げる時とかすっごく腰にくるんだぞ! 時たまレイナさんが悪戯で魔法の出力を変えて、俺を弄んでくるし、想像以上に大変なんだ!」
家具を持ち上げる時、片方の端をユウトが手で、もう一方をレイナが魔法を使って持ち上げてくれる。しかしたま~にニヤリと笑ったかと思うと、反対側が急に重くなったりその逆で軽くなったりする。その度にユウトは何かしらのリアクションを取り、レイナはそれを見てクスクスと笑う。
ユウトが怪我をしないように調節してるのだろうが、それでも心臓に悪い。というか、遊んでる余裕があることを見るとユウトが負担しなくてもレイナの魔法だけで家具を移動させることも出来るんじゃないかと常々思う。
「……その件に関してはレイナに直接訴えるべきだな。その調子だと何かあった時、アリゼ様をお守りすることが出来なくないか? むしろアリゼ様に守られる側でもおかしくあるまい」
「流石にそれはないと思うけど……」
チラと横に並ぶアリゼを見る。
中学生くらいの幼い見た目通り、肢体は華奢で強く抱いたら壊れてしまいそうな脆さがある。背丈もユウトと頭一個分離れている。
普段から鍛えてなくともこの体格差ならまず負けることはない。
「ユウト、お前はアリゼ様を少々舐めておられるようだな」
「舐めてる舐めてないの話じゃなくて、純粋に考えた結果で……」
「ほう。なら、実際に確かめてみたらどうだ? アリゼ様、是非ユウト様に手ほどきを」
「わ、私がユウトさんに? 自信ないですけど……」
「心配は無用です。この怠け者にあっと言わせてやりましょう」
一応王族である相手に怠け者なんて言っていいのだろうか。しばらく過ごす内にリーチェはどんどん遠慮がなくなっていってる気がしないでもない。
とにかく面倒なことになった。アリゼには悪いが、ここは男としてのプライドが懸かっている。なので勝たせてもらうぞ、アリゼ……!
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
清涼とした広大な青空が瞳に映る。
しかし、視界の端は僅かながらに滲んでいた。
芝生の上で仰向けに転がるユウトは自分が天を仰ぐことになった経緯を思い出す。
リーチェの魔の手(?)によってアリゼと対決することになった二人は動きやすい服装に着替えて庭に出た。
二人は数メートルの距離を開けて対峙する。ちょうど真ん中にリーチェが審判として立った。
「えっと……本当にいいんですか?」
「この際だ。全力でかかってこい!」
おどおどしているアリゼにユウトは自信たっぷりに言い返した。
……この時ユウトは良い勝負を演じるために手を抜こうと考えていたのである。
「ユウトさんがそう言うのでしたら、久しぶりに頑張ります」
「アリゼ様もユウトも準備は出来たようだ。では……始め!」
試合開始の合図とともに決闘者達は距離を詰めた。
ユウトはどこを掴めばアリゼは怪我をしないだろうか、どれぐらいの力加減をすればいいのか。そんなことを思いながらアリゼに手を伸ばして――
――直後、ユウトの身は地面に転がっていた。
「……あ、あれ?」
つい今しがたまでちょっと勇ましいアリゼの顔つきを見ていたはずなのに、気がつけば雲ひとつない青空が視界を支配していたのである。良い天気だなあとつい平和な気持ちになってしまった。
「俺、いつの間にこけてた?前後の記憶がすっぽり抜けてるんだけど……」
「ほう、それは重症だな。アリゼ様、喪失した記憶を思い出させるためにもう一度お願いします」
「い、いいのですか?」
アリゼは困った様子でこちらをチラ見してくる。問題ないと答えながら起き上がり、試合開始地点に改めて立った。
「さあ、かかってこい!」
「わ、分かりました」
ユウトの言葉を受けてアリゼも覚悟を固めたようだ。先と同じように立ち会い、可愛らしい小顔をキリッと引き締める。
何が起きたか分からない……が、ちょっぴり気を引き締めた方が良さそうだ。馬鹿にしてくるリーチェと信頼を寄せてくるアリゼに情けない姿は見せられない。
先ほどよりも僅かに真剣さを込めてアリゼを注視した。
「それでは――始め!」
「うおおおおお!」
試合開始と同時に気合の入った声を上げてアリゼに肉薄する。
腕を伸ばして触れようとしたところで――世界がぐるりと回った。
「……え?」
気がつけばまたもや正面には青空が広がっていた。
掴まれた感触もなければ投げられた感触もない。なのにこれは一体どういうことだ。もしやこの世界は重力のかかる方向が時々変わったりするのか。
「大丈夫ですか、ユウトさん」
優心の姿勢でアリゼがパタパタと駆け寄ってきて覗きこんできた。大丈夫も何も、己の身に何が起きたのかも分かっていないのだが……。
「なあ、考えすぎ、というよりも推測でしかないというか、あり得ないとは思うんだけど万が一というか……俺が地面と一体化してるのはアリゼによるものだったりする?」
「えっと……」
「この期に及んで何が起きたか把握できてないのか。ユウトはアリゼ様に投げ飛ばされたんだ。小石を持ち上げるが如くあっさりとな」
呆れ声でリーチェが真実を告げる。
「……リーチェの言ってることは本当なのか?」
「は、はい」
さも申し訳無さそうにアリゼが同意した。
愕然とする。まさかと思ったが本当にアリゼがやったとは……。それにしてはあまりに鮮やかすぎる気がする。
「訳が分からないといった顔をしているな。アリゼ様は大事な身分だ。当然幼い頃から身を守る術は学んでおられる。並みの一般兵と素手でやりあったならアリゼ様に軍配が上がるほどだぞ」
「魔法や学問はてんで駄目なんですけど、小さい頃からやってたのか護身術だけは完璧なんです」
言いながらアリゼは照れていた。
「そんな馬鹿な」
「骨の髄まで身に染みただろう。ユウト、貴様はアリゼ様よりもひ弱なのだ。この調子だとアリゼ様をお守りするどころか守られる側になってしまうな」
「ぐぬぬ……」
悔しいが反論できなかった。
まさかここまでアリゼと実力の差があるとは思わなかった。人は見かけによらずということを思い知る。
「安心してくださいユウトさん。危険が迫った時は身を挺してお守りします。ユウトさんには指一本触れさせません」
アリゼは妙に得意気に元気づけるような口調で宣言する。
瞬間、ユウトの中のプライドがぽっきりと折れた。
別に男尊女卑の思考を持っているわけではない。しかし精神的ならまだしも身体面においては男性が女性を守るという認識が一般的だし、男として愛する女性を身を投げ打ってでも守りぬくという頑強たる意志は世のほとんどの男性の本懐だろう。
なのにユウトときたら世界の常識も知らない、王家としてのマナーもなっていない、運動が出来ないどころかお姫様に守られる始末。……これで男としてのプライドがズタボロにならないわけがなかった。
「ぐおおおおおおお!」
「ユウトさん!? ああ、やはりどこか怪我を……」
「いいえアリゼ様。ユウト様は己の浅はかさに気づいて嘆いているのです。そっとしておきましょう」
四つん這いになって深い後悔と悲しみの咆哮を上げる。
このままではリーチェに馬鹿にされたままだ。このままではアリゼに顔を合わせられない。このままでは今までユウトに関わってくれた人達に愛想を尽かされる。
そんなの駄目だ。誰かが許してくれても自分は自分を許さない。
アリゼ以上の実力を身につけるのは容易ではないが――せめて横に並べるほどの力が欲しい。
「……リーチェ。頼みがある。俺を……鍛えてくれ」
「ほう」
一流の騎士であるリーチェに懇願する。……のだが、お願いを受けた彼女は悪人のようにほくそ笑んだ。
「厳しい特訓にも文句を言わず付いてくる覚悟があるならその願いを受け入れよう」
「そ、そうだな。でもなるべくお手柔らかにお願いしたいなあと思うのですが」
「大丈夫だ。間違っても命を落とすことはない」
なんだか規模がおかしい気がする。
「……それは一体どういう意味でしょうか」
「何、深い意味は無い。ただ望んで特訓をするわけだから少々厳しくするがな。今までからかわれた恨みや、近衛兵団に泥を塗った贖罪を晴らそうなどとは全く、これっぽっちも考えてないから安心していいぞ」
「あ……いや……」
リーチェは今までに見たことがないほどの満面の笑みを浮かべている。なのに恐怖を感じるとはどういうことだろう。
「ファイトです、ユウトさん」
しかもこのように応援されたら退路も断たれてしまう。
……ああ、俺、頼む相手間違えたかも。
天を仰ぐと爽やかな空が一面に広がっていた。ただ、端の方が滲んでいたのはきっと気のせいなんかではないだろう……。




