9話「夜の謁見」
賊誤報事件が無事解決してから数時間後。
どうにか部屋を見れる状況まで戻した後、やり残したことがあると誤魔化して部屋を出た。気落ちしたままのアリゼを一人にするわけにもいかなかったのでレイナを呼んで一緒にいてもらうことにした。
本当はアリゼの気持ちが落ち着くまで自分が隣にいたかったのが本音だ。けれど後始末を自分でするとリーチェに言った手前、動かないわけにはいかなかった。
まず近衛兵団に顛末を伝えた。といっても、真実を話したのは隊長のリーチェのみだ。
リーチェに報告すると、彼女は押し黙るように何かを考え、それから「わかった」とだけ返してきた。
一応、他の兵には極力真相を伝えないで欲しいとお願いしたが、ユウトが言わなくてもリーチェならそのようにしただろう。
リーチェがいまだ報告してない他の関係者に伝えとくと言ってくれたので、少しだけ甘んじることにした。
しかし一件だけ――最も重要な相手には自分で伝えると主張し、リーチェも渋い顔をしながら了解してくれた。
よってユウトは今、最大重要人物……もっと分かりやすく言うなら国の最高責任者の元へ向かっていた。
「陛下。夜遅く失礼します」
謁見の間には国王であるディオン・ベルクシュトレームしか人の姿はなかった。
夜ももう遅い。騒ぎさえなければ殆どの人間は眠っていたのだろう。国王も珍事に巻き込まれて意識を覚醒せざるを得ない一人だったのだろう。
「……お主もライナルトと同じで、かような時はしっかりしているのだな」
ディオンは眉を歪めて苦笑した。
「ただでさえ身内が起こした騒ぎですので。私も場くらいわきまえます」
「そのようじゃの。では、一体何が起きたのか詳しく報告してもらうぞ」
ユウトは傅いたまま事の終始を淡々と口にした。
「……ふむ。原因はアリゼでおったか。あまり言いたくないが、不器用な子であるからな」
大仰に頷きながら話すディオンは国の頂点としてではなく、一人の父親の顔をしていた。
「厭世なアリゼのことじゃ。まだ酷く気を沈めてるのであろう?」
「陛下の仰るとおりです。一人にさせてはいけないと判断し、エリナを傍に置いております」
「わざわざ報告してくれた貴殿にこのような事を申すのも失礼だが……今はお主がアリゼの傍にいるべきではないのか?」
「存じております。しかし近衛兵を独断で引き揚げさせた責任が私にはあります。せめて後始末は私がやるべきだと判断し、こうして謁見の間に参上いたしました」
「つくづく律儀な男なことだ。……衆目の前でプロポーズをした男とは思えん」
嫌味がかったわけでもなく、むしろ温潤な感情が声にはこもっていた。
「事態は把握した。よくぞ報せてくれた。感謝しよう。さて、もう堅苦しくする必要はないぞ。楽にせよ」
「……よいのですか?」
「構わん。実を言うと、ワシも窮屈なのは嫌いじゃ。それにワシとお主……いや、ユウトは義理とはいえ息子だ。息子との間にわだかまりがあるのは悲しい。実の父と思ってほしいとまではいかないが、それと同じくらい気楽に接してほしいと望んでおる」
「分かりました」
すくっと立ち上がる。
これまでの情報を鑑みるにディオンには実の息子がいない。そこに今の彼の言葉を加えると、なんとなく息子が欲しかったというような意志が汲み取れる。
己ではディオンの寂しさを埋めることは出来ないが、紛らわすことならできる。
それにユウトはユウトで父親という言葉には憎悪の感情しかなかった。しかしディオンに対しては憎しみを覚える前の純粋無垢な父への愛情と似た物を持つことが出来た。同時に父を失った後の哀れな母親に抱いた感情も持ちあわせることが出来た。
「それでよい。して、ユウトはワシに何を求めてきたんじゃ?」
「……気づいていたのですか?」
ユウトは眉をしかめた。
「何となくじゃがな。どうせこの場には二人きり。皆の目がある場では聞けぬことも質問してくるがよい」
ユウトが王の元にやって来たのは実は誤報道を口伝するためだけではない。勿論責任を感じていたというのもあるが、一番の目的は陛下と邂逅すること。出来れば二人きりで。
要はディオンに聞きたいことがあったのだ。
幸運な事にも望んでいた状況がユウトを待ち受けていた。
あるいは、初めからユウトの考えを見抜いてディオンがこの状態を作り上げてくれたのかもしれない。
「ではお言葉に甘えましょう。アリゼに関わることですが……まず確認ということで、国王にはアリゼ以外の実子はいないんですよね?」
「そうじゃな。血の繋がってる子はアリゼのみで、リアンは養子ということになっておる」
「失礼ですが隠し子とかは……?」
「いたら良かったのだけどな。エリナが本気で怒ったら誰にも止められないのだよ……」
エリナとは国王の妃であるエリナ・ベルクシュトレームのことだ。
見た感じ穏やかで落ち着きのある大人の女性だ。実際ほんの少し口を交えた時はそれに加えて知的といった感想を持った。
だけど怒ると怖いらしい。ディオンが何を想像したのか分からないが、顔は青ざめ、体は震えていた。
「大変な思いをしてらっしゃるんですね……。アリゼしか子がいないということは、次期ウルカト国の王に就くのはアリゼであると解釈していいんでしょうか」
「無論じゃな」
「アリゼが次期国王になる。それは理解しました。しかし、だからこそ疑問に思うことが一つあるんです。アリゼは……国の頂点に立つ性格には思えないんです。確かに優しくて思いやりがある良い子なんですが、王になるのでしたらそれだけではいけないと思うんです」
「ユウトの言うとおり、優しいだけでは務まらないことではあるの」
「陛下もそれを重々承知の様子。なら、一人娘といえどもっと王女たる品格を備えさせるように教育すると思うのです。しかしそうは見えない。アリゼはハッキリと言って箱入り娘といった感じしかしないんです。何故、王はこのように姫を育てたのですか。意図的なものというなら、私の言葉は忘れてもらって構わないですが……」
ディオンは長い主張を聞き終えると、僅かに頷いて息を吐いた。
「まさかアリゼのことをそこまで見ているとはな。流石と言えよう。指摘されたようにワシらはもっとアリゼを厳しく躾ける必要があったのだろう。この国を良き未来に導くためには……。実のところ、厳しくするつもりだったのじゃ。ただあの事件が起きて、ワシらは萎縮してしまったのだ……」
ディオンに暗い影が差し込んだ。
「ユウトはバルアド大戦を知っておるか?」
「細かいことは存じませんが、概要程度なら」
「それでも知識を持っているのなら大丈夫じゃ」
一度気を落ち着けるように大きく深呼吸をすると、ディオンは瞳に過去を照らすようにして語り始めた。
「ワシとエリナの間には長い間子が出来なかった。だからアリゼが誕生した時は王であることも忘れ、人並み以上に喜んだものだよ。しかし前述の通り、甘やかしてはいけないことは念頭に置いていた。アリゼのためにも、国のためにも。バルアド大戦が全てを狂わせ始めたのじゃ……」
ディオンはそこで一旦言葉を区切る。
これより核心に入るというとこで、王が蒼白になっているのに気づいた。玉座に置かれた腕に力が入っている。
「戦争の混乱は主戦場以外にも様々な地帯に飛び火した。ここウルカト国の王都にも被害は回ってきた。暴動、家事、強盗……それらの騒動の最中、アリゼが人知れず攫われたのだ」
彼の声は震えている。もはや喋っているので精一杯とみえる。
長い間生まれることのなかった王位継承権を持つ実の子供。大切な一人娘。かけがえの無い宝物。寵愛されたアリゼがディオンの目の前から姿を消したことはよっぽど耐え難いことだったのだろう。
過去を思い出して戦慄する今の姿を見ればそのことは一目瞭然だった。
「血眼になって愛する娘を探した。あの時が生涯で最も神に祈りを捧げたものだ。アリゼがワシの手元に収まった時は神に感謝したよ。そしてもう二度と手放さないと誓った。それからだ。アリゼへの触れ方が変わったのは。頭では理解していても体が拒否するのじゃ。もう二度とあんな苦しい思いをしたくない。その思いが体を支配して、気づけばこうなっておった……。幸いなことに心優しい子になってくれはしたが、王の資格があるかと問われたら、黙って首を振るだろう」
話し終えたディオンは憑き物が落ちたような顔をしていた。
初めて聞かされたアリゼの出生にユウトもしばしのショックを受けていた。まさか戦争中にアリゼが攫われていたなんて……。
まだ親交が浅いこの瞬間でさえアリゼが誘拐されたなんて聞いたら狼狽えることは間違いない。それが実の子になったらと考えると、その際の心の乱れようは想像に難くない。無論、全てが片付いた後の影響もだ。
アリゼが今の性格になったのも無理からぬことだった。それでもきちんと律するのが親の責任だろ、と責めるのは酷なことだ。
父を失い、それでも育ててくれたあの母親を知るからこそユウトはそのように思えたのだった。
「そんなことがあったんですね。無知だったために苦しい回想をさせてしまってすみません」
「良い。ワシが話したかったから話したのじゃ。どうせこの罪悪感は一生ついてまわる。誰かに聞いてもらったほうが心は軽くなるものよ」
ほほほ、とディオンは朗らかに笑う。
「質問の回答としてはこれでよかったかな?」
「ええ。十分満足いく答えでした」
「それは何より。他に聞きたいことはあるか?」
ユウトはしばし逡巡するが意を決して声を上げる。
「はい。今度は自分のことです。何故、どこの馬の骨とも知れない俺と愛する娘の結婚を許したのですか?」
「前に説明しなかったかの。ユウトのアリゼを想う気持ちは本物であるのは確かと思ったから……それでは物足りないと申すか」
ディオンは不満顔で抗議する。
だがそれが茶番であることは容易に読み取れた。
「その言葉、今の話を聞いた後でしたら全く信用出来ませんよ。自分で言うのもなんですけど、隣国のブリジット王子と結婚させたほうが遥かに安心安全だと思います。それに親ばかというのはほぼ必ずと言っていいほど相手に文句を叩きつけますよ」
呆れたように言うと、むぐぐと押されていた。国王はアリゼのことが絡むと単純な性格になるようだ。
「大切なのは愛じゃ!」
「出会って数日で真実の愛なんて芽生えるわけないでしょう」
バッサリと切り捨てる。あまりの潔さに王様もお、おうと意表を突かれたように頷いていた。
「俺の見立てですと、俺とアリゼの間に恋愛感情があるとは露にも思ってないですよね?」
「それは……そうだな、その通りじゃ」
どうやら観念したようだ。
「となると、分かっていて結婚させたということですよね。何故そのようなことを?」
「まあ待て。慌てるでない。こうなったからにはきちんと話そう」
ディオンはまたも深呼吸して息を整える。
「まず、ユウトとアリゼが想い合っているのは確かと感じたのじゃ。恋愛感情としではない。どちらかというと慮ってるというべきか。その気持ちは本物であるのは確かであるとワシは見ている。次にエリナも言っておったが、アリゼ自身が選んだことだからじゃ。流され続けていた我が娘が初めて重大な決心をした。それを汲み取るのも親ばかのやることであろう?」
親ばかというワードを根に持っているのか自虐していた。
納得する理由としてはここまでで充分だった。しかし王は更に言葉を続けた。
「それともう一つ。これが半分くらい占めているかもしれないな。――ユウトが異世界からやってきた人間であるからだ」
バッとディオンの顔を見上げる。彼は至極真剣な顔を浮かべていた。
聞き間違いでもなければ冗談でもないようだ。
やはりディオンは知っていた。異世界が真に存在することを。
「ユウトにはまだ説明していなかったな。お主以外にも前例があるのじゃ。同じ異世界からやって来たという人間がな」
「何故秘密にしていたのです?」
「公にしても良いことは一つもないからな。下手をすれば混乱も招く。だから最重要事項とし、秘匿しておったのじゃ。異世界人が他にいるのを知るのは、我が妃であるエリナと宮廷魔術師のライナルトにワシを含めた三人のみじゃ」
「なるほど、ライナルトも知っていると」
「……お主、意外と冷静じゃな。もっと驚くかと思ったのにのう」
怜悧に思考を続けるユウトをディオンが見咎める。
「まあ、ある程度想像はしていましたから」
「ヒントもないのに想像するとは賢いのう」
「いえ、異世界人が他にいるのは新事実でしたよ。ただ、この異世界に訪れている人間が自分一人ではない可能性を考慮してたんです」
目の前のディオンが初対面でも意外とあっさり異世界人であることを認めたこと。それから以前ライナルトと邂逅した時の態度から、もしかしたらと考えていたのだった。
結果はまさにドンピシャ。唯一でもなんでもない、ただ珍しいだけの異世界人というわけだ。
「なるほど。して、望むなら我が国にいるもう一人の異世界人の名を教えるが?」
「あ、秘密にしといてもらって結構ですよ」
「ふむ、やはり知りたいのが道理であろう。その名は――って何ぃ!?」
威厳ある王様とは思えない素っ頓狂な声を発する。やれやれ、と肩をすくめる。
「一国の王がそんな声挙げていいんですか」
「多くの者に訝しげな視線を浴びせられるだろうな……。ってそうではない。このように尋ねるのも何じゃが、どうして断る?」
「至極単純な話です。俺は確かめたいんです」
言うと、ディオンは眉間にシワを寄せた。
「どういうことじゃ?」
「異世界人が他にもいることは分かりました。しかしそれでも、異世界人だからという理由で結婚を許可するのはおかしい話です。なので逆に考えて、異世界人なら結婚させても良い理由を考えたんです。誰かは存じませんが、その人物は異世界人は普通とは違う、あるいは違うことを起こす事ができると判断したんです。どうですか?」
「……ある程度は合っておる。本人が類まれなる才能を持ったわけではない。分かりやすくまとめれば、彼女が来たことによって歴史が動いた、というべきか。それ以来、ワシは異世界人が歴史の節目にやってくるように捉えておる。当然ユウトも然りじゃ」
「やっぱりそんな感じですか。俺も少し出来過ぎてると思ってたんです。異世界にやって来て初めて会った人物が国のお姫様だなんて普通じゃあり得ません。これは偶然でも奇跡でもない。仕組まれたことです」
断言する。
そう、アリゼとの出会いは運命づけられていたのだ。ユウトを異世界に召喚した人物の手によって。
何故、誰が、どうして――? その解答に至るためには情報がまだ足りない。
「ユウトもかような考えか。それで確認したいこととは?」
「アリゼとの邂逅は作為的なものと言いました。他にはブリジット王子の求婚――すなわち隣国マイアルズ王国の策略に何かしらの絡みがあるのも時期的に確かだと思うんです。問題はこの先。俺とアリゼが婚姻を結ぶことも召喚者の敷いたレールの上にあるのか、それともただの偶然か……。それを確かめたいんです」
いつだったかアリゼの未来が予定調和だといった。それは違うと否定して現状に収まっているわけだが、もしかしたらユウトも召喚者の手のひらの上に乗っかり、予定調和の未来を歩んでいる可能性がある。
勿論、ユウトが観衆の前でプロポーズをするなんて大胆な事を発案したのは自分の意志と認識しているが、誰とも知らない召喚者に見透かされていたというなら、それは自分の意志ではなく神の手に操られたのと同じである。
ユウトモ自分自身でつかみとった未来であることを信じたい気持ちではある。が、情報が不足している今、それを判断する手立てはない。
あるとすればもう一人の異世界人が関わってくると推測したのだ。
「何故それが名前を聞かないことに繋がるのだ?」
「前提として先駆者である異世界人も俺と同じ運命にあると仮定します。もし自分が召喚者、あるいは世界の意志――神といった方が理解しやすいでしょう、神によって決められたレールの上を走らされたとします。その場合、いずれ先駆者と自分のレールはどこかで交わるはずです。知る気はなくとも、いずれ真実を目の当たりにする時が来る。逆に、自分自身の手で未来を決めているのでしたら、先駆者の正体を知ることはないと思うんです」
ディオンは納得いった様子でしきりに頷いていた。
「ようく分かった。これは直感で構わない。ユウトは現時点ではどのように考えているのだ? 今のお主の現状は神の手に仕組まれた者か、それとも自身の手で掴み取ったものか」
ユウトは困惑、悔しさ、諦めといった感情が交じり合わせた薄笑いを浮かべた。
「結婚だけは自分の選択した未来と信じたいところですが――多分、神様の思いのままでしょうね」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あ、おかえりなさいユウトさん」
自分の部屋に戻るとアリゼが帰りを出迎えてくれた。彼女が犬だったら嬉しそうに耳と尻尾をパタパタと振ってるだろう。ふとそんな想像をして、柔らかい笑みが自然と出た。
「ただいま。調子が戻ったようで何よりだ」
つい数時間前までこの世の終わりかのように絶望しきっていたのだ。それが今は周囲の人間すら笑顔にしてしまうような満面の笑みを浮かべている。
やはりレイナにまかせて正解だったようだ。今のユウトじゃ短時間でここまで元気づけることは出来なかったはずだ。
食卓にはレイナが作成してくれた夕飯が置いてあった。アリゼは律儀にもユウトを待っていてくれたようで、一緒に食を進めた。
夕食を終えた後は皿を片付け、その後しばし会話に花を咲かせた。夕方に起きた事件が話題に上がることのないように細心の注意を払いながら、主に一日の出来事を話し合う。
様々な騒動があったせいか、二人が歓談できる時間は思ったより少なく、早めに会話を切り上げて寝る支度を整え始める。今の今まで考え事に頭を巡らせ続けていたせいか、酷く疲れていたのをユウトはこの時初めて気づく。
風呂からあがったユウトは一足先に寝室のベッドに腰掛けていた。
アリゼと二人暮らしを始めてから毎日一緒に寝ている。といっても勿論添い寝だけだ。今日もきっと一緒に寝ましょう、なんて大半の男を勘違いさせてしまうような発言をしてくることだろう。
そんなアリゼの様子を思い浮かべて苦笑していると寝室のドアが開かれる。風呂からあがった直後の寝間着姿のアリゼが顔を見せた。
その瞬間、ユウトは違和感を覚えた。
いつもと変わらない光景。しかし何かが違う。具体的には空気というか、雰囲気というか、目に見えぬ何かが。
風呂あがりのアリゼはいつもだったら少し恥ずかしそうに、でも子供のように気合を入れて寝ましょうと誘ってくるのだ。
今日のアリゼは沈黙をかぶっていた。普段よりも肌が赤く、妙な色香が漂っている。
「あ、アリゼ……?」
様子が違うアリゼに声をかける。
彼女はあうあうと視線をウロウロさせた後、意を決してこちらを見上げてくる。
「ゆ、ユウトさん、い、いい一緒に寝ましょう!」
「お、おう……。何でそんな緊張してるんだ? 別にいつものことじゃ……」
「……私、教わったんです」
「何を?」
彼女の眼を見て問うと、サッと視線を外された。
「夫婦の一緒に寝るが添い寝ではないということを……」
刹那、嫌な予感が頭をよぎる。
「何かおかしいとは薄々思っていたんです。その正体を私、ようやく知りました。……確か性交というんでしたよね。添い寝ではなくて、夫婦として私と寝てください」
「なっ……!?」
思わずベッドから立ち上がる。
信じられない思いだった。彼女が真の「一緒に寝る」を知ってしまったこともそうだし、幼い口から性交なんていう言葉が出てきたのもショックだし、それを知った上で寝ようと言ったことも……。
「ちょ、ちょっと待てって。そんな突然言われても困るだけだ。一旦落ち着け。というか誰に教わったんだ?」
「レイナです」
「あいつが諸悪の根源か!」
あらゴメンナサイ、と茶化すように笑うレイナの顔が浮かんでくる。可愛い顔して悪魔みたいなやつだ。明日にでも文句をつけてやる。
「君はレイナに弄ばれてるだけだ。信じちゃ駄目だ、あんな悪魔みたいな女は」
「そ、そんなことないです。私からレイナに聞いたんです。彼女も流石に困惑してました。でも私が真剣なのを受け取ると懇切丁寧に教授してくれたんです」
懇切丁寧に何を教えたのかが気になるところだ。
だが今すぐ気にかけるのはそこではなく、アリゼが真剣に尋ねたことだろう。
「な、なんでそんなことを尋ねたんだ? アリゼは今のままで満足してたんじゃ……」
「私は妻として何もしてあげられていません。母様のように夫を支えることはおろか、今日のように迷惑をかけてしまうばかりで……このままではお嫁さん失格です」
「そりゃアリゼの主観だろ? 俺はちっともそんなこと――」
「私が思ってるんです!」
アリゼは声を張り上げた。予想外の行動に反応が遅れる。
「以前、リアンも言っておりました。私達は正しい夫婦の姿ではないと。女の理想像には程遠いと。……私はまだまだ修行中の身。家事は見ての通りですが、せめて夜ぐらいはユウトさんを満足させてあげたいんです。私はユウトさんのお嫁さんですから」
「でも……!」
「私達は夫婦です。夫婦は共にあらねばならないんです。お願いです、ユウトさん。私を――女にしてください」
アリゼは必死に声を絞り出していた。彼女自身、言葉にしていることがどういうことを表すのかを既に理解しているのであろう。細い肢体は恐怖と不安で震えているように見えた。
それでもアリゼは哀願するようにこちらをチラチラと見てくる。彼女が作り出した強迫観念は簡単に壊すことが出来ないほどに強固になっている。
これではいくら説得してもアリゼは引き下がらないだろう。
それに、一六歳の女の子にここまで言われているのだ。事実、どれだけの勇気を振り絞っているのかは、普段の彼女を見ていればすぐに判る。彼女の決意を無駄にしてしまっても良いのだろうか。
「分かったよ」
ユウトはゆっくりアリゼの肩に手を置く。
アリゼはビクッと体を震わせたが手を離さずにベッドの方へ進ませた。
「――俺がアリゼを女にしてやる」
そう言って、アリゼを優しくベッドに押し倒した。




