5話「理想の夫婦像」
「ここでは私達メイドが寝泊まりする場所です。でも、何かありましたら気軽に訪ねてもらって構いません。いついかなる時も我々はアリゼ様と新しく王家に加わったユウト様に仕える身です。少しでも助けになれるよう尽力いたします」
アリゼと共に召使であるメイドたちの当直室を訪れた。中に入るとメイド服に身を包んだ若く綺麗な女性が丁寧なお辞儀とともに出迎えてくれた。
まだ王家の一員となったばかりのユウトにはメイド達のもてなしは過剰にも感じられ、くすぐったかった。
「いつもありがとうございます。メイド長はいらっしゃいますか? 改めて挨拶したほうがいいと思って来たのですが……」
「メイド長でしたら現在リオン様の部屋に行かれているはずです。アリゼ様とユウト様がいらっしゃったとご報告しておきましょうか?」
「いえ、それには及びません。メイド長に会うついでにリオンにも会いに行こうと思います」
「分かりました。行ってらっしゃいませ」
後ろのほうで待機していたメイド達も一斉に優雅な一礼を素敵な笑顔とあわせてしてくれた。
これが本物のメイドか。元の世界のメイド喫茶との違いに歴然とする。
「以前までの暮らしではこんな扱いを受けたことないから慣れないなあ」
「私もすべてを彼女たちに任せてしまうのは良くないと感じています。なのでユウトさんの気持ちもよく分かりますよ」
生まれた頃から王族のアリゼでさえこうだ。意外と普通の感想なのかもしれない。
そういえば、リオンとまともに相対するのは初めて会った以来一度もない。どんな対応を受けるだろうか。色々と思考を巡らせながらアリゼの後ろをついていく。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
再び訪れた離宮は、空がまだ明るいせいか以前より大きく見えた。そもそも前回は景観を眺めている余裕などなかったわけだが。
階段を上がり、この宮殿の中でも一番大きく豪華な扉を開ける。すると紅茶をカップに注ぐレイナと窓の傍に立ち外の景色を見つめるリオンがいた。
こちらに気づいた二人のうち、リオンがはしゃぐ子供のような声を上げる。
「アリゼ様に……ユウト様! レイナ、すぐに二人の分の紅茶を入れて差し上げて」
「ふふ、言われなくてもやるおつもりですよ」
見ればレイナは既に追加分のカップをテーブルの上に置いていた。あまりにも早すぎるし、どこから取り出したんだという疑問が浮かぶ。しかしユウトは口には出さなかった。
「リオン、もう体の方は……?」
「はい、もう大分快方に向かってますよ。激しい運動は禁じられてますが外を散歩する程度なら自由にしていいとまで言われてます」
「それを聞いて安心しました」
アリゼの言葉は心の底からの本音だろう。緊迫していた顔が緩み、微笑を浮かべている。
こうして改めて二人を見比べてみると鏡に写したぐらい姿形がそっくりだ。横から見ればリオンの方が若干胸が大きいぐらいで、それしか見た目での違いは感じられない。
「……ユウト様。あまり女性の胸部はジロジロ見ないほうがよろしいかと思いますよ?」
「いや、見たくて見てたわけじゃ……」
違いを探していたらそれぐらいしか見当たらなくて、なんて言い訳は通じないだろう。
レイナの指摘でリオンの視線はユウトに向けられる。
「ユウト様、こうしてゆっくりと対峙するのは久しぶりですね」
「そうだな。前も非常事態だったし、ゆっくり対峙してたかって言えばちょっと違うけど」
「言葉の綾ってやつです。しかしまあ、アリゼ様と結婚だなんて大胆なことをするとは思ってもいませんでした」
とか言うわりにリオンは笑みを隠し切れないでいた。何がそんなに楽しいのだろうか。
「お二人は今どこまで進んでおられるのですか? 昼は手を繋いで歩き、夕方には夕陽の見える丘陵で唇を重ね、夜はベッドで激しくくんずほぐれつしてるんですよね!?」
もの凄く食いつきが激しかった。しかも語尾に至っては勝手に事実としている始末である。
「どこで仕入れた知識かはしらないけど、俺とアリゼはまだそこまで深く進んでないぞ……」
「何でですか!? 夫婦とはそういうものと本に書いてありましたのに!」
「残念だけど、その本の内容は絵空事だ」
「そ、そんな……レイナ、あの本は理想の夫婦を描いた物語と言ってましたよね!?」
「ええ、数ある恋愛物語の中でもとっても甘々な内容ですよ」
リオンに問い詰められたレイナはとにかく楽しそうにニコニコしている。つまりレイナがリオンに勘違いさせた諸悪の根源ということだ。
「あ、そういえば紹介も兼ねているんでした。こちらメイド長のレイナ・ パージュです」
「改めてよろしくお願い致します」
アリゼが突然思い出したようにレイナの方に手を向ける。急だったにもかかわらず、レイナはスカートの裾をつまんで優雅に頭を下げる。動きは先ほどのメイド達とほとんど同じなのに、貫禄が滲み出ているのは流石メイド長といったところだろう。
「それとこちらがリオン・ベルクシュトレームです。私にとって姉のような存在だと思ってます」
「ご紹介に預かりましたリオン・ベルクシュトレームです。アリゼ様に姉みたいと言われるのは、お世辞でも嬉しいです」
「お世辞でもなんでもなくて、本当の気持ちですよ」
「でしたらアリゼ様は妹ですか? ああ、アリゼ様が妹だなんて私には有り余る幸せ……!」
演技だと思うが、リオンは恍惚の表情を浮かべている。色々思うことはあるけど一個前の話題がうやむやになったことを喜ぶことにする。
「で、話は戻りますが二人はどこまで進んだんですか!?」
と思ったらすぐにぶり返してきた。ぬか喜びだったらしい。
「気になる年頃だし聞きたいのは分かるよ。けど、一旦落ち着いてアリゼの方を見て欲しい。それできっと答えは分かるから」
「アリゼ様を……?」
リオンは素直にアリゼに目を向ける。
先ほどからアリゼはこの手の話題になるとポカンとして、何が何やらといった感じで話の行く末を見守っていたのだ。
彼女の表情からどういうことか察したのだろう、リオンはなるほどといった感じで何度も頷いている。
「一つ確認しますが、アリゼ様にはこの手の知識を教授していないのですか?」
リオンはレイナに確認を取る。さも当然といった様子でレイナは頷いた。
「教えてない……というより、教えるのを止められたのです。現国王が知識を得るにはまだ早いと」
アリゼが何もかも無知なのはどうやら王様のせいらしい。よくやった、と賛辞を送るべきか、ふざけんなと怒りを露にするべきか……悩む所である。
「ということはアリゼ様は何も知らないのですね?」
「えっと、何も知らないとはどういうことでしょう」
今の返答でアリゼの純粋ぶりを確信したようだ。リオンは何故か決然とした顔になる。
もしも行き過ぎた知識を教え込もうとするならすぐに止めに入った方がいいだろう。
「アリゼ様は夫婦がどんなものであると聞いていますか?」
「夫婦は共に人生を歩むものだと母様から聞かされています。あと、夜は一緒に寝るものということもレイナから窺っております」
そのお陰で昨夜はひどい目に遭ったものだ。横目で軽くレイナを睨んでおく。それでもなお、レイナは楽しげにしていた。
「……それだけ、ですか?」
「はい、それだけです。他に何かあるのでしょうか?」
「何かある、なんてものじゃありません! もっともっとたくさんありますよ! まず、夫婦とは恋人の延長線上にあるものです。なので恋人時代から行われてきた愛の営みを継続して行うのです! 次に夫婦とは互いに支えあう男女のことでもあります。特に女性である私達は男性を立てるといった重要な役割があります。仕事に出かけた夫を労うために奉仕し、夫を待つ間は家事をこなす。夫は妻を信頼し、仕事に励んで家族を支える。それこそが正しい夫婦の姿です!」
ファンタジー全開の世界の割にはどうにも古典的な夫婦像だと思う。思想なんかは意外と元の世界に似通っているものが多いのかもしれない。
「な、なるほど……では私は妻失格だと……」
「いえ、まだお二人は籍を結んだばかり。挽回のチャンスはまだまだあります! ですので気負いする必要はありません!」
「盛り上がってる所悪いけど言わせてもらうぞ。そもそもリオンの言ったものは一般的市民の理想像であって、アリゼは王族なんだから当てはまらないと思うぞ?」
言ってしまえば家事も城に住む限りはメイド達がやってくれる。後は夜の事情だが、こちらもいずれ解決できる問題だ。
「いえ、一般市民の理想像ではなく、女としての理想像です!」
「そうですか……」
真面目な顔でハッキリ言われては否定もできまい。リオンの好きにさせておくことにした。
「アリゼ、リオンの言うことは信じなくていいからな? 適当な戯言だと思えばいい」
「な……酷いですユウト様! 私の憧れを戯言だなんて!」
「言葉の綾だ」
「ああ、その表現便利過ぎです!」
プリプリ怒るリオンを宥めるのに必死だった。レイナに視線で助けを求めティータイムを挟むことでどうにか落ち着いた。
しかしその後もリオンのからかいは続き、ユウトはそれを流すのに力を要した。
だからこの時、黙ったままのアリゼが思案顔を浮かべていることに気づけなかったのだった。




