2話「恥さらしの朝」
王宮の食堂は無駄に広い。王家の者以外にも重臣や城を訪れている高級貴族、それから近衛兵や召使達などもここで食事を取るが、王族が食事をする時は基本的に国王に妃、それからアリゼとリオン、今日からはユウトもその中に加わり、この五人だけが席に着く。
広大な食堂の中にたった五人というのはいささか寂しい気もするな、とユウトは思った。
でも、召使いたちが配膳台を代わる代わる持ってきたり、入り口のドア付近には近衛兵が左右に一人ずつ配備されているなど、画面的には賑わっているようにも見えるかもしれない。
結婚式の準備中にレイナから聞いたのだが、国王は家族との交流を特に大事にしていて、どんなに多忙な時でも食事の時間は共に取り、談笑に弾むとユウトは聞いていた。
なのに、結婚式翌日の今日、食堂は重たい空気に包まれていた。誰もが黙々と料理を口に運んでいる。
そうなった原因は誰が見ても明らかだ。
チラ、と件の少女――アリゼを見る。彼女はもの凄くどんよりとした様子で機械的に体を動かしている感じだった。
国王がどんなに明るく話しかけても、アリゼは小さな声で同意するだけ。妃はユウトとアリゼを見比べて、あらあらといった様子で見守っており、リオンは全体の空気を窺いながら静かにしていた。
「なあ、アリゼ……」
見かねて妻に話しかけると、ワタワタしてスプーンを落としそうになり、どうにか防いだものの目線を彷徨わせて顔を逸らされる。
この空気を作り出したのはアリゼであり、そのアリゼをおかしくしてしまった諸悪の根源こそユウトなのであった。といっても、そうなったきっかけは不可抗力によるものだったが。
アリゼよりいち早く起きたユウトは朝の身支度をひと通り済ませて、ぐっすり眠るアリゼを暖かな笑みを携えて見守っていた。
すると彼女の体が動き、のっそりと上半身を起き上がらせた。寝ぼけ眼を無防備な顔のままこすり、そのまま手を寝間着のボタンに手をかけた。
ユウトは慌てて彼女に声をかけたが、気づいたのはボタンを半分くらい開けた後で、「ふえ?」と可愛らしい声を上げて振り向いた時、彼女の慎ましい胸が半分ほど露わになっている状態だった。
最初は呆然とユウトのことを見つめ続け、自分がどういった状況下でお着替えをしようとしたのか気づくと胸を隠して顔を真っ赤にし、もの凄い悲鳴を上げた。
それによって部屋には近衛騎士団隊長のリーチェや、メイドのレイナ、国王や妃など、多くの人間が集まってしまった。
特に真っ先にやってきたリーチェなんかは怒り心頭の様子で、状況を理解をさせるためにユウトは己のトークスキルを全力で振る舞うなど、早朝からてんやわんやだったのだ。
で、その時の後遺症としてアリゼはユウトとまともに顔を合わせられない心理状況にある。
恐らく、周囲に迷惑をかけたことや恥を晒したことによる忸怩たる思いも同時に感じているのだろう。
「ご、ご馳走さま~」
国王は一足早く食事を終えると、泥棒が盗みに入った家から脱出する時の如くスリ足でこっそりと食堂を後にした。
彼に続くようにして妃とリオンも品行よく挨拶をすると部屋を出て行った。召使や料理人たちもそそくさと部屋を抜け出していく。警備を離れられない近衛兵が恨みがましく外に出て行く者達を見つめていた。
「気持ちは分かるけど、その……許してくれないか?」
残されて気まずくなる前にユウトは素直に頭を下げた。
こういう時、自分に非はないからといって沈黙を続けていたらそれこそ断裂した亀裂は戻らなくなる。ここはとにかく謝って彼女を落ち着けないと……。
「べ、別に怒ってるわけじゃないんです。ただ、その、恥ずかしくて顔を見れないというか……他にもたくさんの方に迷惑をかけてしまって……穴があったら入りたいです……」
アリゼの声は後になればなるほどみるみる萎んでいく。
元々責任感を感じやすい彼女がこうなるのは容易に想像できる。放置しておけば自分のせいだと気負って落ち込んでしまうことも目に見えている。
早急に対処せねば……。
立ち上がって近衛兵に声をかける。普段のアリゼがどうしているか知っている人を呼んでほしい、と頼む。
しばらくするとレイナが姿を見せた。
アリゼとユウトに交互に顔を向けると大げさにのけぞって口に手を当てる。
「まあまあ、これはおもし……厄介な事態になっていますね」
今こいつ、面白いって言いかけてたぞ。
だが助け舟を出せるのは今のところレイナしかいない。
「少し聞きたいんだけど、朝食後、アリゼは普段何してるんだ?」
「日によって様々ですが多くは勉強に精を出していらっしゃいます。でも今日は丸一日自由にしていいと陛下から承っているはずです」
「それって朝食の場で発表する手はずだったりするか?」
「そのはずですけど何か?」
「あのヘタレ国王め……」
王様はアリゼの機嫌が取れず、ただうろたえるばかりで最後には自分も落ち込んでしまっていた。諦めた彼はそのまま口を閉ざし、空気がより重くなっていったのである。言うべきはずだったことも、空気に耐えられずに発現することが敵わず、そそくさと退散したということだ。
国で一番身分が高いはずの彼の人望がユウトの中でみるみる下がっていく。
「陛下の名誉にかけて、ここは一つ許してやろう。教えてくれてありがとう、レイナさん」
「礼には及びませんわ」
スカートのすそを持ち上げてレイナは慇懃に頭を下げる。
「ついでにこの状態への助け舟があるなら是非ご教授頂きたい……」
「……大分参っているようですね」
そうですねえ、と彼女は天井を見上げながら顎に手を当てる。
「ユウト様は城内をすべて回りましたか?」
「いいや、自分がよく行く場所ぐらいしか分かってない」
二週間以上も城に滞在しているが、未だゆっくり城名を探索したことはない。
「でしたらアリゼ様に案内してもらうというのはどうでしょう。いずれにせよ、お城で暮らすのでしたら知っておかねばならないことです」
「なるほど、それはいい案だ」
話を聞いてるであろうアリゼの方に体を向ける。背を見せていて顔が見えない。
「アリゼ様もこのままでいけないとお思われているのではありませんか? 後悔せずに前向きに行くことも大事ですよ」
流石お姉さんというべきか、レイナの言葉は説得力が違う。
「俺もアリゼに案内してもらいたいな」
便乗する形で乗っかる。
「ユウトさんが望むのでしたら……。少しぎこちなくなってしまうかもしれませんが」
「構わない構わない。違うことして気を紛らわせよう。反省や後悔はまた今度だ」
「仰るとおりです」
うんうん、と無理やり納得させるように何度も頷いている。
「ではアリゼ様にユウト様、また後でお会いしましょう」
感謝の気持ちを込めてレイナに頭を下げた。
「じゃあ、俺達もここを出るか」
「は、はい!」
こうしてようやく一日目の時間が動き始める。
しかし初っ端からこれか……。長い一日になりそうだ。
笑いながらユウトは心の隅でひっそりそんなことを考えた。




