1話「初めての夜」
ユウト・ベルクシュトレームは異世界に来て初めての絶体絶命のピンチに立たされていた。
部屋の中央にはダブルベッドが存在し、薄暗い空間には仄かなピンク色が混じっている。また、淫猥な道具やコスチュームも完備されているなど、この部屋で行う行為のお膳立てがバッチリされている。
それ自体はまだいい。むしろそういった事をするなら、このフワフワ感というか、エロティックな雰囲気はあった方が捗るのだから。
問題はその相手にある。
目の前には一人の小柄な少女が立っている。ウルカト王国の王女であり、ユウトの妻であるアリゼ・ベルクシュトレームだ。
ウェーブがかった金髪は肩にかかるぐらいの長さで、こちらを見上げる無垢な瞳は碧眼だ。王女としてのしとよかさと、彼女本来の美しさが滲み出ている。
申し分ないくらいの美貌を持つ彼女だが、その体躯は華奢で小さくてロリロリしくて……。つまり見た目がものすごく幼いのだ。
一応、アリゼはこの世界では既に成人を果たしている。なのでこの世界の法的には性行為も認められている。しかもユウトはアリゼと正式な婚姻関係にあるのだから、そういった意味でも問題は全く無い。
だがしかし、どうしても抵抗感が残る。
残念ながら小さな女の子を愛でる特殊な性癖は持っていない。
歳の差を見ても、この若さなら恋人というよりも妹といった感じで見てしまう。
そもそもアリゼに向いたこの感情は、愛する嫁への感情というより、血の繋がった娘を見守るような親心に近いものだ。
故に、まるで近親相姦をしているような背徳感がどうしても浮かび上がるのだ。
「難しい顔をしておりますが……体調がよろしくないのですか?」
どうやらこちらを心配してくれているようだ。
でもアリゼの方もいっぱいいっぱいだった。手は震え、怯えるように視線をせわしなく動かしている。表向きは気丈に振舞っているけど……。これから行う行為に不安でも感じているのだろうか。
いや、待て。不安に感じるという事はやはりアリゼも夜の行為を知っているということだろうか。
つい先ほどまでは純白なアリゼは夫婦の夜の営みの詳細を知らない箱入り娘だと思い込んでいた。一から教えねばならないこともユウトが気乗りしない一因でもあった。
知っているという事実もそれはそれでショックだが……。
「なあ、アリゼ。今日は疲れたし、別々で寝るのもいいんじゃないか? 無理して一緒に寝ることもないんだし」
「だ、駄目です! レイナは夫婦は一つのベッドで一緒に寝るものだって言ってました! 私達はその……ふ、夫婦です! だから一緒に寝ないといけないんです!」
「夫婦だから一緒に寝てもいいのであって、そうしなきゃいけないってわけでもないんだけど」
「それでも寝ないと駄目なんです! ただでさえ私達は新婚夫婦なんですから。最初でつまづいたら、これから先のことは何も出来なくなるじゃないですか」
酷く横暴な理論だ。
急ごしらえの夫婦関係なのだから、焦る必要もないと思うんだけど、アリゼは譲らない。どんなに理論的な返しをしても譲ってくれそうにない。意外と頑固な性格なのかもしれない。
ならばこちらも責め方を変更させてもらう。
「じゃあ、ちょっと聞いていいか? アリゼは誰かと寝たことはあるのか?」
まあ、反応を見る限りないとは思うけど。
「は、はい。あります。父様と何度か寝たことがあります」
「ほら、ないんだろう? 初めては軽々しい気持ちで……ってええええええええっ!?」
ある? あるだと!? しかも父親? マジの近親相姦!?
嘘だろ、と思ってアリゼを見てみると目を伏せて頬を赤らめている。これはほんとのほんとに……?
「アリゼはそれを良しとしてたか? それとも国王が望んでやってたのか?」
「父様が寝たいとおっしゃってました」
「よし。ちょっとここで待っててくれ」
アリゼの両肩に手を置いて、できる限り柔らかな笑みを見せる。内心ははらわたが煮えくり返っている。
茶目っ気もあるけど、大勢の人間を魅力するカリスマ性を持った現国王。彼がそんな下種野郎だとは考えもしなかった。
誰も彼を罰さないというなら、俺が処す。アリゼの純潔を奪った罪を裁いてやる。
「あ、でも、小さい頃の話です。物心ついた時には断っていました。父様とはいえ、男の人と寝るのはなんだか恥ずかしくて。父様が凄くショックを受けていたのを覚えています」
「…………」
「ユウトさん? なんだかぐったりしてませんか?」
「ちょっと気が抜けただけだから大丈夫……」
だよね、そうですよね……。
異世界の倫理観は多少違うところがあるかもしれないけど、そこまで狂ってないはずだ。もし狂っていたらユウトは発狂していたかもしれない。勘違いでよかったと心底思う。
しかし同時に、アリゼの補足はある事実を裏付けていた。
あくまで男性と寝るのが恥ずかしいのであって、彼女にとってはそれ以上でも以下でもない。
ユウトが考える「寝る」ではなくて言葉通りの「寝る」を指している。
要はアリゼは夜の営みの詳細は知らないということだ。
ホッと胸を撫で下ろしたが、結局遠回りしただけで話は帰結したことを悟る。
このままじゃ堂々巡りだ。いい加減、やるかやらないか決めないと……。
「……そうだな。本当に疲れたし、今日は寝るか」
ここでの「寝る」は夫婦としてではなく、純粋に睡眠を取るための「寝る」だった。
もしこのまま異世界でアリゼ暮らしていくのなら、いずれこの問題と嫌でも決着をつけねばならない。だからといって先走るのは早計だと思う。
第一、今日はもう心身ともに疲れている。朝からこの時間まで過密なスケジュールだったからだ。
アリゼも表には出さないだけでかなり披露しているはずだ。なのに今からもっと体力を使わせるなど言語道断である。
今は放棄して後回しにしよう。それがアリゼと過ごす初めての夜の選択だった。
ベッドの中に入ると、アリゼが小声でお邪魔しますといって同じようにもぐりこみ、ユウトの正面に向かい合うように横になった。
「こうして面と向かい合うと無性にドキドキしますね」
アリゼは笑って照れを誤魔化していた。
いくら恋愛対象じゃないといっても、異性が女らしい顔を見せたら胸が高まるのを抑えられない。アリゼの顔を正面から眺めるのが段々恥ずかしくなってきた。
「お、お互い見つめあったままだと寝れないから目を閉じようか」
「そ、そうですね」
女の子とこうしてベッドで横になることは初めてではない。むしろ前はもっと体を密着させて、相手の肌の体温を直に感じてもいた。
でも微妙な距離を空けて隣り合う今の方が、胸の鼓動を加速させる。体にフワフワとした感覚がある。気恥ずかしくて、じれったくて、もどかしい。
アリゼの安らかな寝顔を見たら、あるはずがないと思っていた感情が芽吹いてそのまま爆発してしまうかもしれない。
そんなのは駄目だ。
目を閉じて視界からアリゼをシャットダウンする。彼女の優美な面差しが遮断されたことを残念だと思う自分に気がついてビックリする。
それからしばらく、直接触れ合ったり、会話を交わしたりすることもなく時間が経過した。静かな息遣いだけが部屋の中に響く。それだけなのに、アリゼが傍にいるのを感じて中々寝付くことが出来なかった。
「……ユウトさん、まだ起きてますか?」
暗闇の中でアリゼの声が反響する。
「もう寝たと思ってたのに起きてたんだ」
「ユウトさんこそ」
クスッと笑ったような音が聞こえた。
「どうかしたか?」
「いえ、特に用事はないんですけど。すぐ近くにいるんだなって思ってつい……」
「アリゼはこうして誰かと寝るのは久しぶり?」
「そうですね。さっきも話した通り、小さい頃に父様と寝て以来です。落ち着かない気持ちもありますけど、同時にちょっと暖かい気分でもあるんです」
「そっか」
自然と優しい声音になっていた。アリゼもまた自分みたいに感じていたんだ。何故かそれが無性に嬉しかった。
「明日からどうなるんだろうな」
「私にもわかりません」
何気なく発した疑問に、不安を宿した声で返された。
どうにか返事をするべきなんだろうけど、曖昧すぎて励ますことすら出来なかった。
結局、会話はこれ以上続かず再び静寂が訪れた。
アリゼとの会話で高揚が消滅したユウトは間もなく眠気がやってきて、意識は遠くなっていく。
「……ごめんなさい」
最後に誰かの呟きを聞いて、ユウトは眠りに落ちた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
誰かがこちらを見ていた。
満腔に浴びる無情なその視線は忘れるわけがなかった。
何故ならその人は自分がずっと愛していた人だったからだ。
何故ならその人は自分を狂わせた人だったからだ。
うつろな瞳には何も映してはいない。
一体何を見て何を感じているのかもわからない。
その人に植え付けられた呪縛は体と心を縛り付けている。
何をしても、どこまで行っても巻きついた鎖は外れることが無いだろう。
過去に縛られ、未来に追い詰められる。
自分が死ぬまでその呪いが解けることはないんだろう。
それでも構わない。
自分はどうなってもいい。
だからせめて、あなたの笑顔を最後に見せてほしいと願うのは傲慢なんだろうか……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
目を開けると暖かな光がユウトを包んでいた。
ぼやけた視界の先にはいかにも高級な白いクローゼットがある。
見慣れない光景に、また酒を飲みすぎたか、なんて思いがよぎるがすぐに違うと思い直す。
「ああ、結局あのまま寝ちゃったのか……」
ぐっすり寝れたけどどうにも後味が悪いのはどうしてだろう。
窓から差し込む光はこんなにも優しげなのに。
ユウトは寝ぼけた頭を横に振って眠気を振り払う。
細かいことを気にしている場合ではない。今日から新たな生活が始まるのだ。今は何をすればいいかを見極めて順応していく必要がある。
「よし」
己を奮い立たせる。今日もバッチシだ。
ただ、起き上がる前にどうしても言っておきたいことがある。
「……寝てる間にどうやったら後ろに回りこむことができるんだ、アリゼ……」




