10話「金貨は残り十枚」
「おい、あんた」
「はいよ。お目当ての品はどれだい? お安くしとくよ!」
「ああ、すまん。買い物に来たんじゃないんだ。この男を見かけなかったか?」
巡回兵はある青年の顔が描かれた紙を見せる。
「はあ~知らねえな。見たところ若い兄ちゃんだな。こいつがどうかしたのか?」
「ここ数日の騒ぎを知ってるだろ? 城内に侵入した一人だ。近辺で目撃証言があったから探しているんだが……」
「へえ、そりゃまた物騒な話だな。もし似たようなやつを見かけたら真っ先に知らせるよ」
「よろしく頼む。営業中に邪魔したな。それでは」
おうよ、と豪快に手を振って巡回兵と別れた。
「……おい、行ったぞ。出ても大丈夫だ」
店の裏にある木箱の中から一人の青年が顔を出す。その容姿は紙に描かれていた青年と似ていた。
「よくもまあ、平然と嘘がつけますね。似たようなやつじゃなくて本人そのものなのに」
「ガッハッハッハ! 商人は嘘と欺瞞に満ちた世界の中で生きてるんだぜ」
おじさんの言葉にユウトは口を引きつらせた。
「でも助かりました。おじさんがいなかったら、今頃牢屋の中だ」
「なあに、これぐらいお安い御用よ。男はスリルを求めてやまないからな」
どうやらこのおじさんは独特の考えを持っているようだ。
王都を離れたユウトは一度森を抜けて村で身を潜めた。リーチェの言葉によると数日はユウトの情報が外に出回らないということなので、あえて情報が村に届くまで待った。
そしてあの宿に泊まっている男は指名手配犯じゃないか、という噂が出始めた頃、隙を窺って村を脱出した。
森で一夜を過ごし早朝に王都に舞い戻った。
ユウトが村に潜伏しているという情報が王都に伝わっていたのだろう、監視の目はいくらか和らいでいた。そこを狙ってどうにか王都に入ったのだ。
昼の間は変にこそこそせず堂々と街の中を歩いた。その方が不審がられないからだ。木を隠すなら森の中、人を隠すなら人ごみの中だ。
しかし、それもずっとは続かない。村から抜け出したという情報も届いたようで、明らかに警備が強化されるようになった。
さらに鋭い市民から不審げな目を向けられることもあった。
もしかしたら夜までもたないかもしれない。絶望感が徐々にユウトを支配していった。
そこを救ったのが、以前王都の生活でお世話になった果物屋のおっちゃんだった。
ユウトのことを見るなり驚いていたが、協力を要請するとなんと承諾してくれたのだ。
「でも、どうして俺を助けてくれたんですか? 俺が何をしたかは知ってるんですよね?」
「そりゃあな。でも、お前さんは悪事を働くような人間には思えねえんだ。パレードで王子が求婚した時のお前さんの顔ときたらそりゃあ酷いもんだったよ。アリゼ様のお顔を見て、あんな痛々しい顔するやつは少なくとも俺の周りにはいねえ。王子と結婚する事は喜ぶべきことだろうけどよ、真にアリゼ様のことを想っているとしたら、実はユウトの方なんじゃねえかって思っちまったんだ」
おじさんはふざけることなく真面目な顔で言う。それがユウトにはとても嬉しかった。
「……信じてくれてありがとうございます」
「礼には及ばねえよ。それよりこれからどうするつもりなんだ? いつまでも隠れてるわけにはいかないだろ?」
「少し考えていることがあるんです。近いうちにアリゼ様が何かするという話は聞いてますか?」
「明日、国民に向けて大事な発表をするって貼り紙が出されてたな」
明日はユウトが城に潜入してからちょうど四日目だ。アリゼはあの時の言葉通り、明日ブリジット王子と結婚する意を示そうとしている。
……残り時間はあと僅かだ。
「詳しいことを話してる時間はなさそうです。明日を楽しみにしててください」
礼を述べて袋から金貨を一枚取り出す。
「おいおい、俺は別に金を貰いたくてやったわけじゃ……」
「分かっています。けれどお礼もなしじゃ示しがつきません。是非受け取ってください」
「……分かったよ」
おじさんは渋々といった様子で金貨を受け取ってくれた。
手元に残った金貨は残り九枚。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
おじさんと別れるとユウトはある場所へ向けて動いていた。
日は暮れて、街のところどころに闇が落ちる。なので隠密行動は容易かった。
ユウトが目指しているのはランスロットと出会った例の酒場だ。
数日振りに見る謙虚な入り口は、昔住んでた家を見るような懐かしさがあった。
中に入るといつもは座らないカウンター席に腰を下ろす。
手を挙げてマスターを呼ぶ。
ユウトに気づいたマスターは一瞬動きを止めるが、すぐに何事もなかったように動き出す。
「何をご注文で?」
「一番高い酒と、あと」
酒代に加え、もう一つの用件のための代金として二枚の金貨を差し出す。
「ランスロットと会わせてくれ」
驚愕を示したマスターはユウトの顔を眺めた後、手元の金貨を見やる。マスターは金貨には手を出さず、そのまま後ろを向いてしまう。
「帰りな」
突き放すような声だった。
「あんたに出す酒はねえ」
駄目だったか。
ユウトは長い息をつくと無言で立ち上がった。金貨をポケットに回収したところで、
「以前、彼女が本名を名乗った宿に行け」
マスターが独り言のように呟いた。
心の中で感謝をしてそのまま黙って店を出た。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「三日ぶりだな、ランスロット。無事逃げ出せたようで何よりだ」
部屋に入ってきたランスロットに対して軽口を叩く。
流石のランスロットも意表を突かれたようだ。でもすぐに自分のペースを取り戻しニヤニヤと笑う。
「ユウトの方こそ。私達と違って人気者になれたのに、また会えるとは思わなかった」
「そこはほんと不思議だよな。顔をバッチリ見られたランスロットには何もなくて、どうして俺だけお尋ね者になってるんだか……」
「経験の差ってやつだね」
「その経験はあまりしたいとは思えないけどな」
前座のお喋りが終わるとランスロットが向かいに座る。
「それにしてもよく私に辿り付けたね」
「前にマスターに耳打ちしてただろ? あれ見て二人は繋がってるんじゃないかと思ったんだ」
「もし予想と外れてたらどうするつもりだったんだい?」
「その後のことは……なるようにしかならなかっただろうな」
実はかなり危ない橋を渡っていたのだ。
当ては酒場のマスターぐらいしかいなかった。もしこれが駄目となったら、頭の中に浮かんだ計画を一人で実行しようとしただろう。
「考えるより体を動かすタイプか。そうは見えないんだけどね」
「理知的じゃないってのはランスロットが言ったんだろう」
「そういやそうだね」
ふふ、と互いに笑い合う。
「それでお姉さんに何のようだい? 逃げる前にこの体を堪能したいって腹かい」
「うーん、それも魅力的な提案だな。でも今日は違う案件だ。――ランスロットに仕事を依頼したい」
ニヤニヤしていたランスロットが厳しい顔つきになる。
「もし嫌だと言ったら?」
「その理由を教えて欲しい」
ランスロットはこちらをジッと見てくる。負けじと見返した。もの凄い威圧感があるが、こちらだって負けてない。
やがて根負けしたのか、ランスロットは呆れたため息をついた。
「二つ理由がある。まず一つは先日の事が関わってる。簡単に城への潜入といっても、警備兵の巡回ルート、内部の地形把握、侵入方法……スムーズに行うだけの情報はかなり多い。警備が手薄になるタイミングも待たないといけないしね。私達はそれを数年かけて集めたんだ。あの日、努力の結晶をユウトに賭けたのも、目標を達成するには現状ではそれしか方法がなかったからだ。あの時は互いにメリットがあったが今はない。またユウトの無茶に付き合う義理はないからね。この前の作戦だって、何人か犠牲になっているんだ……」
ランスロットは痛切に言葉を吐く。ユウトは黙って聞いていた。
「それから第二の理由だ。勝手なことをして悪いが、とある筋を使ってユウトの経歴を調べさせてもらった。そしたら驚いたことに、情報は何一つ出てこなかった。何もなさすぎて逆に不自然なくらいにね。流石の私も鳥肌が立ったよ。ユウト、あんたは一体何者なんだい? そこまで得体の知れない男に付き合うことなどできないよ。――以上が請けられない理由だよ」
話し終えると彼女は息をついた。
ユウトはしばし思考をまとめる。ランスロットの拒否の訳は完璧じゃない。どうとでも切り崩せる。
「まず俺の正体だけど、これは少々複雑でね。言っても多分信じてくれないと思う。ただ、俺は魔法を使えないし、武器の一つだって扱えない。ハッキリ言ってそこらへんの市民よりも弱い人間なのは確かだ」
見た目はだらしなく見えるランスロットだけど、中は意外と鋭く、こちらの考えていることを見透かしてくる。それは戦闘能力なんかに関しても同じだろう。なら、ユウトの貧弱さにも当然気づいてるはずだ。
たとえ正体は分からなくても、総合的な強さで劣るというのは、何かを企んでも逆らえないと言ってることに等しい。
「で、最初の理由には反論する手立てがないんだけど……。とりあえず俺が依頼したいことをまずは聞いてくれるか? この前のパレードでブリジット王子が立った時計塔があるだろ? 明日のアリゼの演説中に俺をそこまで護衛してほしい。やるやらないは今はいい。出来るか出来ないか教えてくれ」
「それぐらいならまあ、簡単に出来るだろうね。しかし何だってそんな無茶なことをする」
「石を投じてやりたいんだよ」
「石?」
ランスロットは眉をしかめる。
「あくまで比喩だよ。この国は今、迷宮に囚われているんだ。ほとんどの人が気づいてないし、気づいてる人がいても改善する策はない。……そうやって何年も同じ道をこの国は歩んでるんだ。アリゼもその大きな流れに流されている。そんなの駄目だ。流れを断ち切るには、まずは軌道を変えなきゃいけない。そのためには異物が必要だ。予定調和の未来に小石を投げ入れてやれば、何か変わるかもしれない。その可能性を信じてみたいんだ」
「…………」
ランスロットの顔を窺う。目が合うと、彼女は肩をすくめた。
「正直意外だよ。ユウトがそこまでこの国のことを案じているなんて思ってもいなかった」
「お褒め頂きありがとう。無理強いはしない。依頼を受けてくれても苦しいと判断したら離脱してくれても構わない。今は少しでも成功率を上げたいんだ。……協力してくれないか?」
真剣な目で見つめる。中にしまっておいた想いは全て伝えた。これで駄目だったら諦めるしかないだろう。
「……受けてもいいが、一つ条件がある」
「何だ?」
「さっきも言ったが、今回こちら側のメリットがない。またある程度人手がいる。その人手だってタダじゃないんだ。……金貨十枚だ。顔見知り料金で少しお安くしといたよ。出せるかい?」
袋を取り出してランスロットの前に置く。ほう、とそれを見て彼女は口をつりあげた。
「随分準備がいいね」
袋を逆さにして手の平で受け止める。そこにある金貨を見てランスロットは顔をしかめた。
「おいおい、九枚しかないじゃないか。ユウトの目は節穴か?」
「それで合ってるよ。元々十枚あったんだけど、一枚は使っちまった」
「この場で十枚ないと意味がないんだけどね。これじゃあ……」
「金貨は一枚貸しでどうだ?」
その提案に、彼女は取り繕うことも忘れて「はあ?」と声を上げた。
「お前さん、自分の言葉の意味を分かっているのかい?」
「無責任の発言だと思ってるよ。でも、手元にない一枚を俺への期待料ということにしてもらえないか?」
もしも計画が成功すれば、以前ランスロットが言っていた「国を動かす」なんてことも実際に起こるかもしれない。
ユウトが投げ入れようとしているのは本当に小さな石だ。でも小さな波紋はやがて大きな波紋となって返ってくる事もありえるのだ。
その場合の仕事の達成料を金貨一枚分ということにする。これがユウトの提案の内容だった。
ランスロットは目を丸くしていたが、やがて腹を抱えて笑い出す。
「ははは、まさか私相手にそんな大それたこと言うやつは初めてだよ。ユウトは面白いやつだねえ。そのままにしておくのはもったいなぐらいだ。望むなら仲間に加えてやりたいぐらいだ」
「嬉しいけど遠慮しておくよ。今の俺はアリゼしか頭にないからな」
「私の事は眼中にないってかい? いやあ、傷つくね。夜の相手なら私の方が満足させてやれる自信があるんだけどねえ」
「それはまたいずれだな。で、依頼は受けてくれるってことでいいのか?」
ランスロットはニッと笑う。
「ああ、いいだろう。確かに承ったよ。明日、アリゼ様の演説中に時計塔まで送り届ければいいんだね?」
「その通りだ。二度も手を貸してもらって本当に助かるよ。ありがとう」
「お礼はいらないよ。どうしても返したいというなら、この国を実際に動かすことでそれを示しな」
「分かったよ」
くっくっく、と二人して楽しげに笑った。
「何をするかは承知したよ。他に何か作戦とかはあるのかい、依頼主さん」
「作戦か……そうだな」
顎を手でさすって考えてみる。
どうせこれも一度きりのイベントだ。
どんなに暖めてきた花火でも、一度打ち上げてしまえば大きな輝きを見せて、一瞬で消えてしまう。それと同じように、大口を叩くだけ叩いて退場すればいい。
となると、思いつく事は一つ。
「――ド派手に行こうぜ」




