p.08 噂
エルシーが戻ってきたのは、なんとか一週間分の予定をキャンセルする手紙を書き終え、届けるように手配をしてブレークタイムに紅茶を飲んでいるときだった。
ただでさえ半透明なのに、さらに覇気まで失っている様子は、まるで誰かを呪い彷徨う亡霊のようだ。
「どッ、どうしたんだい……元気がないようだけれど……」
『わたしの本体は怪我して意識がないのだから、元気なわけがないでしょう。……いえ、そんなことよりも……』
エルシーはなぜか恨みがましい目をダリルに向ける。
ダリルはなぜそんな目で見られるのかわからず、困惑する。
よくわからないが、なんだか呪われそうなのでそういう目で見るのは心底やめてほしい。
『……噂では、わたしはあなたを裏切って怪我をしたバカ女ということになっていたわ』
「……は? 君が僕を裏切る……? まさか、浮気でもしていたというのか? この僕が婚約者なのに?」
『そんな事実はないわ。婚約者が誰であれ、わたしは家のためにそんなことは絶対にしない。そもそも、そんな相手に心当たりもないのに……きっとこれも、あなたの信奉者の陰謀よ……』
エルシーの聞いたところによると、なぜか怪我をしたエルシーの評判が悪くなり、ダリルは「婚約者に裏切られた可哀想な殿下」と同情を集めているらしい。
「たった一日でなぜそんなことに……これは名誉を回復させるためにも、一日でも早く君の件を解決しなければ」
真面目な顔でそう言ったダリルに、エルシーは目を見開く。
『え……?』
「なにを驚くことがある? 僕の婚約者が事実無根の不当な評価をされているんだ。それを正すのは当たり前のことだろう? それに──この僕が『婚約者に浮気をされた可哀想な人』扱いを受けるなんて、あっていいはずがない! そもそも、僕ほどの美しい婚約者がいて浮気なんてできるはずもないというのに!」
拳を握りしめてダリルは熱弁を振るう。
それをエルシーは冷めた目で見つめ、呟いた。
『……そうよね。あなたってそういう人だものね……』
「なんの話かな?」
『いいえ、なんでも。ともかく、わたしに関して悪い噂が流れているのは確かよ。普通なら同情されるはずなのに、変だと思わない?』
「それは確かに……君は誰かが故意にそんな噂を流していると考えているんだね?」
『それ以外に考えられないでしょう』
そう言い切ったエルシーを見ながら、ダリルは考える。
(確かにこんな早く彼女の悪い噂が流れるのは不自然だ……普通ならば真っ先にエルシーを心配する声があがりそうなものだ。でも、それよりも先に悪い噂が流れた。エルシーは僕の婚約者として僕の知る限りでは完璧に振る舞っていたし、周りからの評判だって悪くない。なのになぜ……?)
ダリルの家族もエルシーの心配をしていた。それくらい彼女は王家から信頼されている。
そんな人の悪い噂が流れるとしたら、どのようなものだろう。
エルシーは「ダリルを裏切って怪我をしたバカ女」ということに自分がなっていると憤っていた。
それを聞いて、てっきりエルシーが浮気をしたのだと思い込んだが、もしそうではない、違う『裏切り』だったのかもしれない。
「……確認するけれど、君が聞いた噂というのは、『ダリル王子を裏切ってエルシー嬢が怪我をした』というものだったのかい?」
『ええ、そうよ。正確には『ダリル王子を裏切って影で他の男と逢瀬を繰り返していたエルシー嬢に天罰がくだった』というものだったけれど』
……ダリルの思ったような『裏切り』で合っていたらしい。
それがわかっただけでも一つ前進と考えるべきだと、ダリルは前向きに考えることにした。
「なるほど……それを君は事実無根だと言うわけだね?」
『ええ、そうよ』
「でも、火のないところに煙は立たないとも言う」
『……あなたまでわたしを疑うの?』
「そうは言っていない。僕も君がそんなことをするとは考えてはいない。だけど、君は倒れる前の一週間くらい記憶があやふやなんだろう。その間になにか勘違いされるような出来事があったのかもしれない」
『……それを言われるとなにも言えないわね……』
エルシーは苦虫を噛み殺したような顔をした。
「やはり君の事件前後の行動を洗い出すしかないな。ちなみに……その相手に心当たりは? 噂になるくらいだ、きっと君と親しい間柄の人物のはずだ」
『わたしと親しい間柄の人物……』
エルシーはしばらくの間考え込み、やがてゆっくりと首を横に振った。




