34、……ああ、もううるさいな
ノクス殿下との会合を終え、精霊たちに伝言を任せたあとは、ただ静かに日々が過ぎていった。
世間では、私は「体調を崩して寝込んでいる」ことになっている。実際に倒れているのはノエルなのだけれど。
(噂は、上手く広がっている……)
ルシアン殿下も、私が“呪いで命を削られている”と思い込んでいるはず。
おかげで、今のところは平穏そのもの。
友人や家族から届く手紙を読むたびに、小さな罪悪感が胸を刺すけれど――未来のためだ。仕方ない。
それでも私の日々は変わらない。公務に看病、身の回りの世話。
いつものようにノエルの手に触れ、精霊の力を送り続けた。
その時――ノエルの指先が微かに震えた。
「……ノエル?」
小さく、でも確かに動いた。
胸の奥がじわりと熱を帯びる。
見間違いじゃない。今度は、瞼がわずかに動いた。
ずっと沈黙していた世界に、光が差し込んだ気がした。
「……聞こえているのね?」
震える声で問いかけ、私はその手を強く握る。
思わず、涙がこぼれそうになる。
「私たちの未来のために……私は、何だってするから」
握った手に力を込める。
もう二度と、誰にも奪わせない。
私が必ず、この未来を守るから。
改めて胸に深く、決意を刻んだ。
***
ノクス殿下から、ルシアン殿下と話し合う場を整えたと精霊経由で報せが届いた。
作戦は単純。
――殿下が公務の最中、その執務室へ私が押しかける。
完全に不意打ちだ。
控えには護衛とノクス殿下が待機し、最悪の事態に備える。
眠るノエルの手をそっと握りしめる。
「ノエル……いってくるわね」
そっと唇を額に落とす。
その時、ノエルの瞼がぴくりと動いた気がした。
この温度を、必ず守り抜くから。
馬車は王都にある商会のものを偽装し、王宮へ揺れながら向かう。
アストリッド家の馬車では気づかれる。これは戦いだ。用心は必要。
ルシアン殿下の真意――。
精霊を消したいだけとは思えない。
もっと別の何かが、ある気がする。
王宮に到着。
黒いローブを纏った私は、静かに案内され、執務室の前に立つ。
ノックはしない。
息を吸い、扉を押した。
――ガチャリ。
プラチナブロンドの青年が、書類の上で手を止める。
碧眼がこちらを捉え、冷たく光った。
――ルシアン・ヴァルディア第二王子。
「……誰だ」
普段の柔和さが一切ない。
声が低く、冷えた刃のようだった。
私はローブを静かに下ろす。
「ごきげんよう、ルシアン殿下」
「ああ、夫人か。公爵家で寝込んでいると聞いていたけど……ずいぶん元気そうだね」
私は、無言で殿下を見据える。
「あ、呪いは解けたの? だったら……そうだね。愛する夫を手にかけたってことになるね? まさかそっちを選ぶとは思わなかった」
立ち上がった殿下が近づいてくる。
一歩、また一歩。
距離が縮まるたびに、呼吸が浅くなる。
そして、私の顎を指先で持ち上げた。
顔が近い。
「夫人も、ずいぶん残酷だね……命を取った、か」
細められた碧眼。
微笑んでいるのに、底が見えない。
「殿下……私は、殿下が何を望んでいるのかがわからないのです」
「簡単だよ。精霊という存在を消す。それだけ」
「理由があるはずです。もし理由がわかれば、他の解決方法だって――」
「……ああ、もううるさいな」
静かに放たれた声なのに、部屋の空気が一気に凍った。
まるでこれ以上、踏み込むなと言うように。
それでも私は、怯まない。ここで引けば、何も変わらないと知っているから。
私はゆっくりと視線を横に滑らせ、殿下の執務室を一巡り見渡した。
(......やっぱり)
静かに息を吸い、殿下へ向き直る。
「殿下……あなたが本当に望んでいること、少しだけ分かった気がします」
「……は?」
殿下の碧眼がわずかに細められる。
私は淡々と続けた。
「殿下……この部屋が、あなたの心をそのまま映しています」
「......続けて」
息を整え、視線を執務室の方へ移しながら、口を開いた。
「この部屋が、すべてを語っています。山のような資料……ただ積んであるのではなく、目的別に綺麗に分類され、必要な箇所には細かい書き込みがある。国の医療、福祉、人口……あらゆる統計が並んでいる。これは、国を本気で支えようとする人間の机です」
「......ふぅん?」
私の顎を掴んでいた殿下の手がそっと離れた。
そしてゆっくりと自身の顎に手を添えられる。
「けれど――そんな人が“国の宝である精霊を消す”と言う理由が、どうしても噛み合わない。殿下はただ破壊したい方ではない。……本当は、誰よりもこの国を守ろうとしている方でしょう?」
その一瞬、殿下の瞳に鋭い光が走った。
怒りとも驚きともつかない、感情が揺れた色。
「……はは。やっぱり君は面白いよね」
殿下は背を向け、執務机にそっと寄りかかる。
そして、柔らかいのにどこか歪んだ笑みが浮かんだ。
「まあ、いいや。どうせ君のことは消す予定だし――特別に“僕の本当”を教えてあげるよ、夫人」
次回、ルシアン視点。




