24、微笑みの裏に、潜むもの
王宮の門をくぐる直前、私は一度だけ振り返った。
ルシアン殿下は、まるで家族を見送るかのような柔らかな微笑を浮かべていた。
けれど、あの微笑みの奥に潜む“別の何か”を知ってしまった今、背筋の冷たさは最後まで消えなかった。
帰りの馬車。隣にはノエル。
隣に座るノエルは言葉を選ぶように静かだった。
でも、繋いだ手だけは逃がすまいとするみたいに、指先まで絡めてくる。
その温かさが、じん、と私の手のひらに滲み込む。
「ノエル、今日は……ありがとう。心配かけて、ごめんね」
彼は返事の代わりに、私の手を包み直した。
手の甲を親指でそっとなぞる――安心させるように、でも離せないと告げるように。
「無事だったんだ。それだけで、十分だよ」
その優しさに、息が詰まりそうになる。
沈黙が落ちる。
車輪の揺れに合わせて、繋いだ手が微かに揺れる。
やがてノエルが、静かに言った。
「ねぇ、セレナ……俺は、信じているから」
顔を上げると、ノエルの指がそっと私の頬に触れた。
言葉より早く、触れ方が“責めるつもりはない”と教えてくる。
「話したくなったらでいい。無理に聞かないよ。でも、俺はいつでも聞けるし……待てる」
その瞳はまっすぐで、揺らぎも疑いもない。
ただ、信じて待つという決意だけ。
ノエルは気づいている。ルシアン殿下と私の間に何かがあったと。
その上で、私が話していなくても信じると言ってくれている。
胸の奥がきゅっと熱くなる。
――あの日、精霊祭の前夜。
たった一言が怖くて、言えなかった言葉。
お互いに言葉を飲み込んでしまったあの夜。
ただ、自分の思いを伝えればよかったのだ。
「ノエル……私、あなたを愛しているわ。それだけは絶対。揺るがないの」
ノエルの瞳がふるりと揺れ、次の瞬間、優しく微笑んだ。
「ありがとう。……俺も、愛してるよ」
私たちはそっと額を寄せ合い、目を閉じた。
お互いの手は強く、強く繋がれたまま――。
抱きしめなくても、触れ合うだけで心が満ちていく――そんな静かな時間だった。
***
数日後――。
「アストリッド公爵夫妻、久しぶりだね」
ルシアン殿下が公爵家を訪れた。
あの時と同じ微笑み。けれど、私はその奥に潜む闇を知っている。
「はい。おかげさまで、すっかり調子が戻りました。先日はありがとうございます」
「妻を助けてくださり、感謝いたします」
私たちが頭を下げると、殿下はゆるく手を振って見せた。
「気にしないでいいよ。……それより、公爵。少し夫人と“二人で”話してもいいかな?」
「私がいてはいけない理由が?」
ノエルが一歩前に出る。自然と私を庇う形になる。
殿下は穏やかに笑ったまま、ほんの一瞬だけ瞳の色を変えた。
「精霊祭の件だよ。国に関わることだからね。いくら夫でも、聞かせるわけにはいかない」
ノエルは眉を寄せるが、私はそっと腕を掴んだ。
「ノエル、大丈夫よ」
「……わかった。けど、何かあったらすぐ呼んで」
殿下は微笑みながらも、その瞳には冷たい光があった。
――精霊祭の話? 嘘だ。
これは、あの日の“呪い”の続きに違いない。
私は、ひとり殿下と向き合うことになった。
――ここから先の未来が、静かに音を立てて動き出した気がした。
次回、愛する夫を殺して生きるか、このまま死ぬか。




