22、かわいいね、君は
目を覚ました時、天蓋の縁がゆらゆらと揺れていた。
白い天井。知らない部屋。
柔らかい布。嗅ぎなれない香り。倒れた時の痛みは、もう消えていた。
――ここは……どこ?
身を起こそうとした瞬間、低く、やけに穏やかな声が響く。
「気がついた?」
声の先にはルシアン様。椅子にもたれて片足を組み、彼の笑みはいつもの優雅さを保っている。
(ノエル、じゃない……)
その微笑は、心配しているようで……どこか、底が見えない。
「ルシアン様……」
名前を呼ぶと、彼は少し目を細めて微笑んだ。
その笑顔に安堵しながらも、心の奥がざわつく。
ノエルがいない――その事実が、少しだけ胸を締めつけた。
「助けてくださったのですね。ありがとうございます」
「うん。公爵も同意してくれたよ。倒れた夫人をすぐに王宮で治療したよ。目も覚ましたことだし、公爵にはすぐに連絡しよう」
「ありがとうございます」
彼は立ち上がると、ゆっくりとこちらへ歩み寄った。近づくたびに、嫌な音を立てて心臓の音が耳に大きく響く。
「本当に……可愛い人だね、君は」
その声の甘さに、背筋が凍る。
彼の指先が頬に触れた。冷たい。
微笑んでいるのに、そこに温度がない。
「……何を、なさっているのですか?」
「いやね。思ったんだ。君って本当に――お人好しだなって」
笑いながら言う声が、優しいのに狂気を孕んでいた。
彼の瞳が、底知れぬ闇を湛えている。
「……お人好し?」
「うん。人を疑うことを知らない。
“信じたい”って思いが強すぎる。そんな君は……とても可愛いと思うけど、同時に、危うい」
頬をなぞる指が、首筋へと滑り落ちる。
逃げようとしても、なぜか身体が動かない。
「君は、もう少し“疑う”ことを覚えた方がいい」
その瞬間だった。
胸の奥に、冷たい刃のような痛みが走る。
何かが身体の中へと入り込む感覚。息が詰まり、喉が凍りつく。
「……っ、ルシ……アン……様……」
呼吸を取り戻す頃には、痛みは消えていた。
ただ、心臓が妙に重い。
「何を……なさったのですか」
ルシアン様は微笑んだまま、まるで子どもをあやすように言う。
「呪いだよ」
「……え?」
「“愛する者を殺さなければ、君が死ぬ”――そんな呪い。ふふ、美しいだろう?」
一瞬、時が止まったようだった。
彼の笑みが、絵画のように凍りついて見えた。
囁く声が甘く耳を撫で、微笑が狂気に変わる。
「なんで、呪いなんてこんなことを......」
単純に疑問だった。私はルシアン様に呪いをかけられるようなことをした覚えがない。
その瞬間、ルシアン様から笑みが、ふっと消えた。
「僕は、精霊という存在がこの世から消えればいいと思っている」
「えっ、それはどういう――」
言い終える前に、ルシアン様は私の声を遮るように囁く。
再び底の見えない笑顔を宿したまま。
ルシアン様はゆっくりと立ち上がり、背を向けながら言った。
「君がどんな選択をするのか……楽しみにしているよ」
ルシアン様は、そう言い残して部屋を後にする。
突然の出来事に、思考が追いつかない。
(呪い......? 愛するものを殺さなければ死ぬ......?)
意味はわかるのに、理解ができなかった。
愛するもの――つまり、ノエル......?
そんなのできるわけがない。
でもどうしよう。それは、つまり私が死ぬということで……。
ノエルを二度と一人にしたくない。
ぐるぐると考え込んでいたその時。
部屋にノックの音が鳴り響く。
「......セレナ。俺だ、入るよ」
愛する人の声。今はそれだけで涙が出そうだった。
タイトル詐欺でしたね。すみません。ルシアンついに本性が。
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