21、……妻を、よろしくお願いします(sideノエル)
セレナが突然、目の前で崩れ落ちた。
その細い身体を抱きとめた瞬間、腕の中の重さがほとんどなくて――
冷たさに、呼吸が止まる。
「……血の気が、ない……どうして」
まだ何も、話せていない。
ちゃんと向き合いたかった。ただ、その手を取って名前を呼びたかった。
数日かけて、やっと気づいたのだ。
自分の弱さを晒すのが怖くて、プライドが邪魔していたことに。
夫婦なのだから、逃げてはいけない。
セレナの思いを受け止める覚悟が、俺にはある。
彼女だって、そうであるはず。だから、自分の思いを話すべきだったのだ。
なのに、どうして。
(君は、また眠っているんだ......?)
胸の奥を抉るように、回帰前の情景がよみがえる。
腕の中で息を引き取ったセレナ。
あの瞬間、世界は音を失った。
ダメだ。あれはもう二度と繰り返さない。
呼吸を確かめる。
胸は上下している。生きている。
生きている――今は、その事実だけで十分だった。
「大丈夫だ……大丈夫だから……」
セレナの頬をそっと支える。
その時、背後から声がした。
「何があった!?」
ルシアン殿下。
なぜここに、という疑問がよぎるが、それよりセレナだ。
「突然倒れたのです。意識が……戻りません」
殿下はセレナに視線を落とす。
驚きも焦りもない。
まるで、最初から知っていたかのような静けさで。
(……なんだ、この違和感は)
殿下はしゃがみ込み、セレナの胸元に手を添えた。
「呼吸も脈もある。命に危険はない。すぐ王宮へ運ぶ。医師を集めさせよう」
「公爵家はすぐそばです。俺が連れ帰り、治療を――」
「いや。夫人は国にとって重要な存在だ。王宮で預かるのが最善だ」
「しかし……!」
確かに、王宮の設備の方が万全だ。
それはわかっている。だが胸騒ぎがする。
黒い影のような、得体の知れない警告が頭をよぎる。
この男は危険だと。
その時、殿下の瞳が鋭く光を帯びた。
「――これは、王命だ。理解したね?」
喉が痛いほど飲み込んだ。
王命とあれば、これ以上は反論できない。
「……妻を、よろしくお願いします」
頭を下げる。
握り込んだ拳は、白くなるほど強く。
俺がこの手で救いたかった。
手放したくなかった。
でも、今は祈るしかない。
ただひたすらに、彼女が目を覚ますことを。
***
公爵家に戻ると、部屋はやけに広く、静まり返っていた。
窓辺に立つ。
夜風が、ひどく冷たい。
先ほどの殿下の落ち着きすぎた態度。
あれは本当に、気のせいなのか。
ウンディーネが言っていた。
黒魔法を使う何者かが、精霊と精霊使い――セレナを狙っている可能性が高いと。
この前の誕生パーティーや精霊祭で怪しい動きをしているものは、俺が調べた限りではいなかった。
だが、パーティーでセレナが黒い光に飲まれかけた時も、今回倒れた時も、近くにいたのは――ルシアン殿下だ。
(……考えすぎ、なのか?)
王族が黒魔法など使うはずがない。
精霊使いを守る側の人間だ。
理由がない。
だが――
胸の警鐘は鳴り止まない。
見落としている何かがあるはずだ。
だけど今は――
(目を、覚ましてくれ。セレナ......)
目を閉じて、拳を握りしめる。
セレナが目を覚ましたと連絡を受けたのは、それから三日後のことだった。
ノエルのトラウマ再び。




