20、届かなかった声
精霊たちはふわりと宙を舞い、淡い光の軌跡を描く。
色とりどりの羽衣が空間に揺れ、まるで空気そのものが祝福を帯びているようだった。
「精霊たちがこんなに……なんて綺麗なの」
「ママ!パパ!ぼく、はじめて見たよ!」
「まあ……今年は特別ね」
広場には、驚きと喜びの声が混じり合っていた。
精霊祭は、精霊使いがいる時だけ本来の姿を迎える祭典。
精霊使いが不在の年は、ただ祈りだけが行われる。
だから、今。
この光景は、国にとっても、人々にとっても特別なものだった。
ルシアン様が祭壇の上から一歩だけ前に進む。
その声は澄んだ空気を震わせ、広場全体へと届く。
「此度の精霊祭に参じてくれたこと、心より感謝する。どうか良き祝福の時となりますように」
続いて、私も前へと歩み出る。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。どうか――両手を胸の前へ」
人々が一斉に手を組み、目を閉じる。
精霊たちは舞い続け、光は花びらのように降り注いだ。
「ヴァルディア王国に、永き加護があらんことを。平和と実りが、どうか人々に続きますように」
声は自然と囁きのような音色に変わっていく。
そして――沈黙が降りた。
静寂は冷たくはなかった。
ただ、胸の奥の何かをそっと照らす、透明な静けさ。
祈りが、ゆっくりと満ちていく。
祈りの儀式が終わると、王宮広場の空気は少しずつ色を変えていった。
音楽隊が軽やかな調べを奏で始め、屋台の香ばしい匂いが漂う。
さっきまでの神聖な静けさが、ゆっくりと明るい祝祭へとほどけていく。
私はその光景をただ見つめていた。
この国が、どうか長く平和でありますように。
祈りは、まだ胸の奥で続いていた。
隣に立つルシアン様が、穏やかな声で言う。
「いいね。人々が笑っている。……この国は、本当に美しい」
「……ええ。そうですね」
風に花の香りが混じる。
ほんの少し、心が温まる。
そのとき、足音が近づいた。
「セレナ。お疲れ様」
「ノエル……!」
名前を呼んだ自分の声が震えていた。
考えるより先に、身体が動いた。
気づいたら、ノエルの胸に抱きついていた。
「……セレナ」
「あっ……その、えっと、ごめんなさい」
「謝らないで。……嬉しいよ」
胸の奥がじんわりと熱くなる。
気まずさも、戸惑いもあるのに、それ以上に――帰ってきた、という感覚が確かだった。
ふと、視線を感じた。
ルシアン様が、柔らかい微笑を浮かべていた。
「ふたりで、少し話してくるといい。今日は祭りだ。ゆっくりするといいよ」
言葉はやさしい。
けれど、その目だけはまっすぐに、静かに何かを測っている。
「……殿下、感謝します」
「では、また後ほど」
ルシアン様が歩き去っていく。
白い衣が風に揺れる。
そして、広場の喧騒の中で、私とノエルはふたりきりになった。
ノエルと二人、会場の喧騒から少し外れた回廊へと歩みを進める。
華やかな音楽と笑い声は遠ざかり、代わりに暖かな風が静かに頬を撫でる。
その暖かさが、私に勇気を与えてくれる。
先に口を開いたのは、ノエルだった。
「セレナ、この前は……」
その言葉に返したかった。
本当は――ちゃんと向き合いたかった。
けれどその瞬間、胸の奥がズキリと強く疼いた。
祈りの時に感じた、違和感とは違う。さらに強く刺すような痛み。
「……っ」
視界がぐらりと揺れる。
まだ話せてない。
まだ言ってない言葉がある。
「だ、大丈……」
言葉の続きは、声にならなかった。
膝から力が抜ける。地面に触れる前に、ノエルの腕に支えられた。
「セレナ!!」
ノエルの声が遠く感じる。
その声が、まるで水の中から聞いているようにぼやけていく。
「っ…血の気が引いてる……どうして」
ノエルの腕に抱かれたまま、意識が沈みかけたその時。
「何があった!?」
声の主はルシアン様だった。
だけど、もう意識を保てそうにない。
私の意識はその真ん中で、ふわりと闇に沈んでいった。
じわじわと......。
次回はノエル視点です。




