19、祈りのはじまりと違和感
思わずあふれてしまった感情は、ようやく呼吸とともに静かに沈んでいく。
……人前で泣くなんて。
それも、王族の前で。
「……すみません。お見苦しいところを」
「いいよ。僕たちは”対”だろう? 支え合うのは当然だ」
その言葉は静かに胸へ落ちて、ひどくあたたかかった。
「ありがとうございます……」
ひと呼吸、空気が緩む。
抱えている思いを、ルシアン様に話すつもりはなかったのに。少し気を許してしまったからだろうか。
私は自然と口を開いていた。
「本当は……伝えたいことがあったんです。でも、ちゃんと言葉にできなくて。だから、精霊祭が終わったら……ちゃんと話をしようと思います」
「うん。応援しているよ」
ルシアン様は、静かに穏やかな微笑みを浮かべる。
王宮の塔が見えてくる。
いよいよ、精霊祭が始まる。
***
精霊祭は王宮広場で執り行われる。平民も、貴族も、誰でも参加できる祭典。
今年は天気が良く、太陽の光が柔らかく広場を包んでいた。
私は白いシルクのドレスに身を包み、花々を編んだ花冠をかぶっていた。
隣には、ルシアン様。白を基調とした装いが、彼にはよく似合っていた。
「さあ、行こうか」
エスコートされながら、祭壇へと向かう。
花々の香りが風に乗って流れ、人々のざわめきが遠のいていく。
「おふたりともお美しい……」
「まるで絵画のようだわ……」
そんな声が聞こえる。けれど胸の奥がきゅっと痛む。
私は、ノエルの妻なのに。
歩きながら、自然と視線が会場を探した。
見つけるつもりなんて、なかったのに。
「……あ」
息が、ほんの少しだけ震えた。
会場の隅。光を浴びて揺れる淡い金髪。
ノエルがいた。
目が合った、気がした。
彼は表情を変えないまま、ただまっすぐに私を見ていた。
その視線に触れた瞬間、胸の奥がぎゅっと縮まる。
歩みを止めてしまいそうになるほどに。
けれど足は止まらない。
私は、ルシアン様に手を引かれ、祭壇の上へと進んでいく。
白い世界の中で。
人々が祈りの準備を整えているその中心で。
どうして、こんなに遠いのだろう。
たった数メートルの距離なのに。
祭壇へと上がり、私は胸の前でそっと手を組む。
深く息を吸い、意識を静かに澄ませる。
「……来て」
内側に向けるように、祈りを落とすと。
空気が揺れた。
光がきらきらと弾け、透明な風が触れたかと思うと、次々に精霊たちが集まってくる。
四大精霊を中心に、小さな羽衣のような光がいくつもいくつも生まれ、舞い、広がり、会場を包んだ。
人々の息を呑む音が、波のように響いた。
幻想という言葉では足りなかった。
ただ、美しいとしか言えない世界。
その中で、水を纏う少女の姿をした精霊――ウンディーネが、ふわりと私のもとに降り立った。
「久しぶりね、セレナ。全然来れなくてごめんなさい」
その声は水面に触れる音のように柔らかい。
「ううん……大変だったでしょう。精霊界は、もう大丈夫なの?」
「ええ。黒魔法に染まった子たちは、ようやく落ち着いてきたわ。だから――今日はきっと、いい祭りになる」
「よかった……なら、今日はよろしくね」
「任せて」
ウンディーネが微笑むと、周囲の水の粒がきらりと光を放った。
やがて、場の空気が一層静かになる。
その瞬間、胸の奥がかすかにきしんだ。
息が、ひとつだけ遅れる。
「………?」
今のは、何?
「……セレナ?」と、ウンディーネが囁くように問う。
「うん……大丈夫。なんでもないわ」
違和感は、波が引くように静かに消えていった。
祈りの時間が、始まる。
祈りのはじまり。




