10、第二王子とセレナ
庭園の噴水前で抱きしめ合う私たちは、言葉もなく、ただ互いの温もりを確かめ合っていた。
視線も言葉もいらない。ただ、心の奥にある愛だけが静かに伝わっている――そんな確信があった。
そっと身体を離し、見つめ合う。
(……もう、このまま帰ってしまいたい)
そう思うほどに、名残惜しい。
結婚して毎日一緒にいるはずなのに、想いは留まることを知らない。
――怖いくらいに。
ノエルは熱を宿した瞳で、穏やかに囁いた。
「……そろそろ、戻ろうか」
「……そうね。パーティーはまだ終わっていないものね」
きっと彼も、同じ気持ちでいる。
けれど高位貴族として、理由もなく会場を後にすることはできない。
庭園でのひとときを胸に、私たちはゆっくりと会場に戻った。
華やかなシャンデリアの光に照らされ、男女が優雅にステップを踏んでいる。
音楽が柔らかく空間を満たし、踊る人々の笑顔が眩しい。
「俺たちも、踊ろうか」
ノエルが穏やかに手を差し伸べる。
私は自然とその手をとり、軽く会釈して彼に身を委ねた。
二人で踊るのは、久しぶりのこと。
手のひらに伝わるぬくもりに、胸が高鳴る。
周囲の喧騒が遠のき、世界がふたりだけになっていく感覚――心が静かに満たされていった。
(ノエルと一緒なら……怖くない)
一曲が終わる頃、私たちはゆっくりとステップを止め、微笑みを交わす。
その瞬間、後ろから軽やかな声がかかった。
「セレナ夫人、踊っていただけますか?」
背後からかけられた声に、思わず振り返る。
そこに立っていたのは、ルシアン殿下だった。穏やかな笑みを浮かべながらも、瞳の奥には王族らしい確固たる意志が宿っている。
ノエルが繋いだ手に、ほんのわずか力を込めたのがわかった。
(......ノエル)
本当は、離れたくない。
でも相手は王族。誘いを断ることなど、できるはずがない。
ちらりとノエルを見ると、彼は小さく息を吐き、私だけに聞こえる声で囁いた。
「......セレナ、大丈夫だよ」
優しさと、少しの切なさが滲む声音。
胸がきゅっと締め付けられる。
「喜んで......ルシアン殿下」
「光栄だよ」
殿下は微笑み、私の手を取った。
その瞬間、会場の空気がふっと変わった気がした。まるで、柔らかな夜に一筋の風が差し込むように――。
***
「セレナ夫人……そんな顔をされると、まるで僕が悪役みたいじゃないか」
軽やかな声音に、はっと顔を上げる。
(……そんなに、顔に出てた!?)
しまった、と内心で冷や汗が滲む。
「す、すみません……」
「謝らないでよ。夫婦水入らずのところに割り込んだのは僕だから」
殿下はさらりと笑って見せた。その笑みは柔らかく、しかし底に何かを秘めているようにも感じられる。
「でもね、精霊使い様と一度話してみたかったんだ。許してくれる?」
その声音に、張り詰めていた肩の力が少しだけ抜けた。
「……いえ。光栄です、殿下」
「ありがとう。じゃあ、少し質問してもいいかな? ――セレナ夫人は、精霊界に行ったことはある?」
「精霊界、ですか? いえ……行ったことはありません。いつも、精霊たちの方から来てくれるので」
「呼べば来る、ってことなのかな?」
「うーん……呼んだことは、ないかもしれません。気づくと、傍にいてくれるんです。私と精霊は“繋がっている”と……昔、言われました」
「へぇ、やっぱり特別なんだね。興味深いよ」
殿下はふわりと笑った。その柔らかい表情に、思わず胸の緊張がほどける。
「殿下は、柔らかい雰囲気で……なんだか安心感がありますね」
「そお? 自分じゃわからないけど……なんか嬉しいね」
「はい。ノクス殿下とはまた違った雰囲気で」
「あ……兄上は真面目だからね」
殿下はいたずらっぽく目を細め、楽しげに笑った。
その表情はどこか無邪気で、兄である王太子とは正反対の印象を与える。
そんなやりとりを交わしているうちに、曲はいつの間にか終わりを迎えていた。
私たちは身体を離し、一礼を交わす。
「あ......旦那様がやきもきしているみたいだし、じゃあこれでね?」
その言葉にチラリと会場を見渡す。
見慣れた金髪が目に入る。
目があった瞬間、ノエルは安心したように微笑んでいた。
「......一瞬、睨まれたような」
「殿下......? 何か仰られましたか?」
「いや、なんでもないよ。早く行ってあげて?」
「ありがとうございます」
一礼し、ノエルの元へ向かう。
その瞬間、プラチナブロンドの青年は、笑顔を崩さぬままに誰にも聞こえない声でポツリと呟く。
「......精霊使い、ね」
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