9、嫉妬とくちづけ
胸をざわめかせるのは、先ほどのこと。
突然、足元に現れた黒い魔法陣のようなものに、引きずり込まれそうになったあの瞬間――。
(……嫌な、感覚があった)
間違いない。あれは黒魔法だ。前にコゼットに使われたときと、肌の奥がぞわりとする感覚がよく似ていた。
考え込んでいたその時、繋がれた手にふと力がこもる。
はっとして顔を上げると、ノエルがまっすぐに私を見つめていた。
「......ノエル」
「セレナ、ちょっと休もうか」
力強い眼差しに導かれるまま、手を引かれて向かったのは庭園の噴水前だった。
月明かりが水面で揺れ、静かな水音だけが夜の空気を満たしている。
「ここなら、静かでいいね」
「うん……ありがとう」
そう答えた瞬間、ノエルの腕が私の身体をぐっと引き寄せた。
驚く間もなく、彼の体温が胸の奥まで押し寄せてくる。
「セレナが、無事だったのは……よかったんだけど、なんかさ……」
彼は息を深く吐き、私の肩に額を埋めた。微かに震える声が、夜気の中でやけに鮮明に響いた。
「セレナのことは、いつだって俺が助けたいんだよ」
苦しそうに目を閉じ、彼はしばらく何かを飲み込むように黙り込んだ。
それから――ぽつりと。
「……ごめん、嫉妬」
顔を上げたノエルの表情は、いつもの朗らかさとは違っていて――どこか弱々しくて、胸がきゅっと締めつけられる。
でも、同時に。
(……ちょっと、かわいいかも)
自分でも呆れるくらい、心の奥がふっと緩む。
私はノエルの袖口をそっと摘み、彼の頬に唇を寄せる。
「セレナ......!」
ノエルは頬に手を当て、驚いたように目を見開いた。
けれど、次の瞬間――私を強く抱き寄せる。
唇が触れ合った瞬間、世界が静まり返ったように感じた。
彼は逃がすまいとするように、何度も角度を変えて唇を重ねてくる。
息が混じり合い、胸の奥が熱を帯びていく。
「はぁ……あの男、俺のセレナに触れて……」
「......殿下は、助けてくれただけよ」
「わかってる。だから……余計に腹が立つんだよ」
ノエルは目を伏せ、低く呟いた。その瞳に仄暗い光が宿る。
「もし、わざとだったら――セレナに触れた腕ごと、切り落としてた」
背筋がぞくりと冷えるような声音。鋭い視線。
それなのに、不思議と胸の奥は温かかった。
(……嫌じゃない)
彼の言葉は、咎めるべきものなのかもしれない。
でも、こんなにも真っ直ぐな想いをぶつけられて――嬉しくないはずがなかった。
私は彼の頬にそっと手を添える。
その瞬間、はっと我に返ったように、ノエルの瞳の色が柔らかくほどけていく。
「......ごめん、セレナが危険だったのに、こんなこと言って」
「ううん。それだけ私を好きってことでしょ?」
そう、これが答え。彼からの愛がはっきりと伝わってくるから、私は許してしまうのだ。
「それは――もちろん」
彼の言葉は、はっきりと力強かった。
先ほどまで胸を占めていたざわめきは、すっかりと消えていた。
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