8、狙われる影
私たちの前に現れたのは、漆黒の髪に金眼の青年――ノクス・ヴァルディア第一王子だった。
いつの間にか、突然感じていた嫌な感覚は消えていた。
「お久し振りですね、ノクス殿下」
私とノエルは頭を下げ、挨拶をする。
ノクス殿下は片手を軽く上げながら、短く告げた。
「楽にしていい」
「ありがとうございます。 殿下は......お元気でしたか」
やっぱり気になるのは、コゼットとのこと。
殿下にも伝わったのだろう、殿下は真剣な表情のまま、静かに口を開いた。
「君たちの聞きたいことは伝わっている......そうだな、穏やかに過ごさせてもらっている。......後悔はしていないよ」
「それを聞けただけでも、安心です」
「......君たちには、感謝している」
殿下はふっと笑いながら、その場を後にする。
本来裁かれるはずだった人間を庇った――それは、確かに“罪”だ。
それでも、殿下の心情を思うと、簡単に「悪」だと切り捨てることはできない。気にかけずにはいられなかった。
「......殿下、お元気そうでよかったね」
ノエルが覗き込むように声をかける。
「ええ、そうね」
「少し顔が赤い。緊張してたでしょ、セレナ。……ちょっと飲み物取ってくる。人が多いから、君はここで休んでて」
そう言って、ノエルは笑いながら人混みの方へと歩いていった。
私は一人になり、壁側に下がろうと歩みを進めた――その時。
足元が、ぐにゃりと歪んだ。
黒い光が床一面に走り、複雑な魔法陣が浮かび上がる。
冷たい風が吹き上がり、足元から全身が引きずられる感覚に襲われた。視界がぐにゃりと歪み、息が詰まる。足が、床から離れていく――!
(なに……!? いや……いやだ、落ちる……!)
「きゃーー!! 何が起きているの!?」
「セレナ様が、大変だ!!」
周囲がざわめき、悲鳴と怒号が飛び交う。私は身体に力を込め、必死で魔法陣の引力に抗った。
その瞬間、誰かに腕を強く引かれる。
「――危ない!」
引っ張られた腕に倒れ込むように、私は誰かの胸元へと飛び込んだ。そして、そのまま床を転がる。
「ノエル......?」
思わず顔を上げる。けれど、目に飛び込んできたのは――プラチナブロンドの髪。
「ルシアン殿下......!? 申し訳ありません!!」
私は抱き止められたままの姿勢を慌てて離れ、頭を下げる。
「いや、危ないところだったんだ。それよりも無事でよかったよ」
「......ありがとうございます」
すると、周囲から歓声が上がる。
「ルシアン殿下さすがだわ......!」
「セレナ様も無事でよかった......!」
称賛の声が次々と飛び交う中――
後ろから、突然強く抱きしめられた。大好きな彼の匂いが鼻をくすぐる。
「ノエル......」
「セレナ、無事でよかった......ごめん、間に合わなくて」
さらに腕に力がこもり、胸がぎゅっと締め付けられる。
ノエルはゆっくりと身体を離し、真剣な眼差しで殿下に向き合った。
「殿下、セレナを助けてくださってありがとうございます」
ノエルは一歩前に出て、殿下に視線を合わせた。その瞳には、礼と同時に、わずかな警戒が滲んでいる。
「何事もなくてよかったよ。でも、それより……さっきのは何だったんだろうね。狙いはわからないけれど、また婦人が狙われるかもしれない……」
「そうですね、それは俺も気になっていました。気をつけます」
「うん。……何かあれば、頼っていいよ」
短いやり取りのあと、ふと空気が静まった。
殿下は一瞬視線を彷徨わせ――そして、ちらりと私の方を見やる。
「……セレナ夫人も、気をつけて」
柔らかな声音に、心臓が一瞬だけ跳ねる。
何気ない一言なのに、まるで深い意味を含んでいるように思えて――私は思わず視線を逸らした。
その様子を、ノエルがじっと見ていたことに、私は気づいていなかった。
ルシアン殿下は柔らかく微笑むと、何事もなかったかのように会場の中心へと戻っていく。
騒然としていた空気も、主役の帰還とともに徐々に落ち着きを取り戻していった。
――だけど、私の心はざわめいて仕方がなかった。
やっぱり、私は何かに狙われている。
確かな確信と共に。
ブクマ&評価ありがとうございます!
とても励みになります!




