3、どうしてそんなに余裕なのかしら......!
「セレナ〜? ねえ、セレナさーん?」
わざとらしく、私の目の前でしゃがみ込み、ノエルが覗き込んでくる。
その距離が近すぎて、思わず身体が硬直した。……でも、視線は合わせない。合わせられない。
(だって……! あんなの……!)
先ほど――ノエルは当然のような顔で「手伝う」と言い、私を横抱きにしたまま湯浴み場へと連れて行った。
最初は優しく背中を流してくれて、穏やかな時間だった。
けれど、途中から彼はまるで“私を逃がさない”みたいに、手を離さなかった。
指先が髪を梳き、首筋をなぞり……そのたびに、心臓が跳ねた。
そして、その後は――。
(うわぁぁぁぁぁ……!)
思い出した瞬間、顔が一気に熱に包まれる。
胸の奥から湧き上がる感情を抑えきれず、呼吸が浅くなる。
「もう、照れちゃって……セレナ、あんなに可愛い声出してたのに」
「も、もうっ……! 言わないで!!」
「ふふ……やっと、俺の方を見た」
「~~~~っ!!」
どうして、そんな余裕の笑みができるのよ……!
私ばかりが振り回されて、ドキドキして……本当にずるい。
思わず彼を見上げた瞬間、その瞳に吸い込まれた。
いつもの穏やかさの奥に、濃く熱を帯びた光が宿っている。
――逃げ場なんて、最初からなかったのだ。
ノエルは私の顎をそっと持ち上げ、視線を絡めた。
「セレナは、俺の顔を見てなきゃだめだよ」
低く甘い声が耳の奥に落ちる。
囁きなのに、命令のようで……胸がぎゅっと締めつけられる。
身体が自然と動いて、私は彼の肩に腕を回した。
彼の体温に触れた瞬間、世界が小さくなって、そこにはノエルだけが残る。
「……いい子」
囁きながら、ノエルは満足そうに目を細めた。
その顔を見ていると、抗う気持ちなんてどこかへ消えていく。
「俺の……セレナ」
その言葉は甘く、けれど底にあるのは深い独占欲だった。
私は息を詰めながら、それでも彼の胸元に顔を埋める。
(……ああ、もう。幸せすぎて、怖い)
ノエルの胸に顔を埋めたまま、私はふとまぶたを閉じた。
頬越しに、彼の体温がじんわりと伝わってくる。優しく髪を撫でる指先が心地よくて、まるで夢の中にいるみたいだった。
(……幸せ)
今だけは、何もかも忘れてしまいたい。
あたたかな空気に包まれて、心がゆるやかに解けていく――けれど。
(……あの日も、こんなふうに穏やかだったのに)
頬をかすめた毒矢の冷たさが、突如として脳裏をよぎる。
背筋に、ひやりとした感覚が走った。
「……セレナ?」
小さな震えを、ノエルはすぐに察したのだろう。
腕を強く回され、ぎゅっと抱き寄せられる。
「大丈夫。俺がいる」
低く、甘やかな声が耳元に落ちる。
その響きに胸が温かく満たされる一方で、心の奥底には言葉にならない不安がじわじわと広がっていく。
(本当に……何も、起こらないのよね?)
ノエルの体温を感じながらも、私は知らず知らずのうちに彼の服を握りしめていた。
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