5、警鐘の鳴る音がする
コゼットの誕生パーティー当日になった。
ノエルの「一緒に暮らそう」という言葉に、まだ明確な答えは出せていないまま――。
「……ふぅ」
鏡の前でそっと息を吐く。緊張のせいか、喉が少し引きつっている。
淡い水色のドレスは、母が選んでくれたもの。
上品ながらも華美ではなく、今日の主役であるコゼットを引き立てるよう、控えめに仕立てられていた。
(これでいい。今日は目立たなくていい)
アクセサリーも最小限にとどめ、髪は落ち着いた雰囲気でまとめた。
義妹を祝う姉として、非の打ち所のない立ち居振る舞いを。
今日はただ、コゼットを心から祝う。それだけでいい。
あの過去はもう繰り返さない。そう、何度も誓ってきた。
「お嬢様、アストリッド公爵様がお見えです」
侍女の声に小さく頷き、私は椅子から立ち上がった。
「わかったわ」
ドアを開けると、そこに立っていたのはノエルだった。
昼下がりの陽光が彼の肩に差し込み、淡い金髪をほのかに照らす。まるで絵画の中から抜け出してきたような静謐さに、私は息を呑んだ。
ノエルは、しばし私を見つめていた。その視線が、言葉よりも先に心に触れてくるような気がして、私は思わず立ちすくんだ。
そして、彼は穏やかに言った。
「セレナ、きれいだよ」
その言葉はあまりに自然で、柔らかく、優しかった。
「ありがとう」
そう返しながら、彼と視線を交わした瞬間、深紅の瞳の奥に微かな揺らぎがあることに気づいた。
「……今日は、ずっとそばにいるから」
囁くような声だった。
その声に、私は一瞬だけ戸惑いながら、差し出された彼の手をそっと取る。
ノエルは、ぎゅっと強く私の手を握りしめる。
(どうして、そんなに強く……?)
その強さは、私を守るようにも、縋るようにも思えた。
「……行きましょうか」
「そうだね」
二人で並んで廊下を歩く。
遠くから、楽団の演奏が微かに響いてくる。
扉の向こうには、祝福に満ちた光と音の世界――。
パーティー会場の大広間は、すでに多くの貴族たちで賑わっていた。
美しく装飾された花々、輝くシャンデリア、香り立つ料理。
どれも記憶の中にある、あの“終わりの夜”と同じ景色だった。
そして、その中心にいるのは――
「セレナお姉さま!」
柔らかなミルクティーブラウンに、透き通るような水色の瞳。
コゼットが笑顔でこちらに駆け寄ってきた。
「来てくださって嬉しいですわ。……本当に」
「ノエル様もようこそいらっしゃいました」
その笑顔は、眩しいほどに純粋で、まるで天使のようだった。
「こちらこそ。今日はおめでとう、コゼット」
ノエルが柔らかく祝辞を告げる。
「お誕生日、おめでとう。とても似合っているわ、コゼット」
私も微笑みながらそう言った。
(......この子を、もう二度と傷つけないと誓ったわ)
たとえ、あの時と同じ流れが始まっても――
今度は、違う未来を選んでみせる。
そのときだった。
コゼットが一歩、そっと私のそばに寄ってきて――
「セレナお姉さま、今日は……本当にありがとうございます」
そう言いながら、遠慮がちに私の腕に手を添えた。
その小さな手はあたたかくて、どこまでも無垢で、柔らかくて。
「っ……」
胸の奥で、何かがざわりと揺れた。
呼吸が止まりそうになって、思わず目を見開いた。
(……なに、この感覚)
顔を上げれば、コゼットが心配そうに私を見つめている。
けれど、その無垢な瞳を見つめ返すうちに――どうしようもない苛立ちが込み上げてきた。
(だめ……こんな気持ち、私はもう――)
もう私は間違えないと決めたのに。
誓ったはずなのに。
苦しい、胸が締めつけられる……!
「ーーセレナ!」
ノエルの声と共に、肩を掴まれる。
現実に引き戻されて、私ははっと息を呑んだ。
「......ノエル」
「大丈夫? 急に黙り込んだから……」
真剣な眼差しに、私は小さく首を振る。
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」
......落ち着いた。
先ほどのあれは……なんだったのだろう。
まるで、自分の心じゃないものに支配されたような――そんな感覚。
「......」
ノエルと私のやりとりを、コゼットは黙って見つめていた。
そしてゆっくりと口を開く。
「お姉様は病み上がりですものね。どうかご無理はなさらず......楽しんでいただけると嬉しいですわ」
その声は優しく、笑顔はまるで祝福そのもののように穏やかだった。
――けれど、なぜだろう。
私はその微笑の奥に、目に見えない“何か”が潜んでいるような気がしてならなかった。
そして、ノエルがほんの一瞬だけ、コゼットに鋭い視線を向けたように思えた。
けれどすぐに、彼は何事もなかったかのように穏やかな顔へと戻る。
(……気のせい?)
私は自分に言い聞かせる。
今回は、何もしない。間違えないと誓った。
だから穏やかに過ごそう――そう思っていたはずなのに。
……けれど今夜は、
胸の奥で小さな警鐘が鳴り続けていた。
“何かが起こる”――そんな、拭えない予感とともに。
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